safety valve・27







  例えが解り辛い上に話が長くなってしまって申し訳ないんですが―――
言って、青年は思いつめた面持ちのまま、徐に言葉を続けた。
 

 「研究の一環で、ラットなんかを扱った動物実験を行う事もあるんですけ
  ど……抗体の組成過程を調べたりするのに、投薬したラットを交配さ
  せて、遺伝状況を調べたりするんです。大抵の場合は、投薬の影響を
  みたり、植え付けた病床が次世代にどう作用するか、そういう部分を
  見る事が目的なんですが……ストレスが与える影響を見るために、親
  世代に一定の負荷をかけたりもするんです。大抵の場合、次世代の
  ラットには手を加えません。でも、親の方にストレスを与えると、子供の
  方にも同じような影響が出るケースがそれなりにあって……」
 「ああ」
 「生まれてきた子どもには、親に与えてきたストレスなんて、解らないは
  ずなんです。でも、まるで親から教わったみたいに、生まれつきそのス
  トレスに過敏な子どもが事が多くて……例えば、親の方に、ある行動
  をとると弱電流が流れるとか、そういうストレスを与えておくと、子ども
  の方は、一度も電流を流されなくても、絶対にその行動をとらなくなる
  んです。そういう行動をとりやすいような細工をしておいても、それは
  変わりませんでした」

 そこまで語ると、悟飯は、考えをまとめようしているかのように、虚空に
視線を彷徨わせながら深く息を吐き出した。

 「そんな事を繰り返す度に、ああ、遺伝子の力は凄いなって感心させら
  れました。実験では生まれた子どもはすぐ親から離してしまいますし、
  親から何かを教わった結果だとは考えられない。それなら、これはそ
  の子どもが生まれつき親から引き継いだ、本能的な危機感によるもの
  なんだろうなって。それを可能にしてしまう遺伝子情報は、本当に未曾
  有の可能性があって底知れないなって、そう思いました」 
 「悟飯……」
 「だから―――僕の中にもきっと備わっている、僕の生態情報を次の世
  代へと伝える力そのものを、僕の暴走を防ぐ膜にしてもらおうと思った
  んです」

 そういう挿げ替えに耐えられるだけの強度が、サイヤ人の生殖能力には
あると思うんです―――

 訥々と自身の見解を物語る悟飯の語調は、抑揚に乏しく落ち着きを保っ
ているように、ピッコロには感じられた。それだけに、この仮説に望みを託
した青年の真摯さが言外に伝わってくる。懊悩の末にようやくたどり着い
た手立てであったのだろうが、彼が、ただその場を凌ぐための苦し紛れに
このような事を言い出したわけではない事を、ピッコロとしても認めない訳
にはいかなかった。

 その界隈に身を投じ、その悟性によって生き抜こうとしている青年が憶
測したというのなら、そこには相応の信憑性と覚悟があっての事なのだろ
う。人の世を俯瞰する神の叡智を引き継いだとはいえ、所詮は借り物の
見識を持つに過ぎない自分以上に、この青年は現状を的確に把握してい
るはずだった。

 だが……ここで彼の言葉に頷いてしまうには、どうしても拭い去る事の出
来ない一つの懸念もまた、ピッコロは見過ごすことができなかった。

 「悟飯……お前の言う、サイヤ人の生殖能力というのは、一体どの程度
  までの範疇を指しているんだ?」

 生殖能力と表現したからには、彼が三世代目のサイヤ人を設けるにあ
たって必要とされる悟飯自身の遺伝子情報に、何らかの外的干渉を与え
ることを指しているのだろう。それがどの程度の抑止力を想定しているも
のであるのか、ピッコロには気がかりだった。
 
 例えば、悟飯が地球人との間に子を成したと仮定する。青年の両親が
そうであったように、サイヤ人と地球人の血が交れば、互いの遺伝子の
形質差により、サイヤ人としての特性が色濃く表れた子供が誕生するの
だろう。
 そうした、交配によって次代に強く影響してしまう形質を変質させるとい
う意味合いでの「変換」であれば、悟飯の目論みは、結果として彼の将来
に一つの安心を与えるものとなる。悟飯の仮説が功を奏せば、悟飯と悟
飯の伴侶との遺伝子の形質差に手を加える事で、その間に生まれるで
あろう子供に、サイヤ人としての特性が表層化する可能性を抑える事も
できるだろう。
 大界王神の太鼓判を得ているとはいえ、いつか生まれる己の後裔に、
サイヤ人の特性を伝えないという遺伝子レベルでの「保険」がかけられる
のであれば、親としてこれほどに心強い事はないはずだ。そうした采配に
後押しされて、悟飯が己の将来に対して楽観的になれるなら、それに越
したことはないだろうと思う。

 だが……それはあくまでも、悟飯がいずれは己の後裔を設けるという、
一つの未来予想図を想定した上で成り立つ「保険」だ。
 もし、青年がそうした想定のもっと発端の部分で―――言い換えれば、
己の生殖能力そのものを代償として、件の「膜」を作ろうとしているのだ
とすれば、問題の深刻性は大きく変わってくる。

 現状において、将来の伴侶として想定するような相手は存在しないの
だと、悟飯自身の口から聞いている。人の縁というものはそれこそ人知
の及ばないものであるから、この先青年にどのような出会いが待ってい
るのかは解らないにせよ、少なくとも今現在、この一点で障りを感じる必
要はないと、彼は考えたのかもしれなかった。
 だが、問題となるのは、その先だ。

 サイヤ人と地球人の混血である悟飯には、その身体的特徴一つを語
るにも、前例というものが存在しない。純血種である父親のように、その
肉体の絶頂期を長く保つことになるのか。想定される寿命はどの程度な
のか―――生れ落ちたその瞬間から当たり前に宿命づけられるはずの
そうした特性一つとっても、彼には、現状では確定できない素養が多す
ぎた。
 また、地球に誕生した二世代目のサイヤ人は、彼のほかに、もう二人
存在する。悟飯の存在は、年若い彼らがその将来を想定する上で唯一
指標とできる「前例」でもあった。

 己の存在そのものが、後進に対する生きた検体となる……その事実は、
周囲が思う以上に彼の足跡を縛る枷となっているはずだ。互いの立ち位
置に隔たりはあっても、彼と同じように、他に比較できる対象を持たない
変異種であるという己の身上を鑑みれば、青年の背負うものの片鱗なり
とも察することは容易かった。

 その悟飯が、己の遺伝子情報に意図的な手を加えると言明しているの
だ。そこには「その場凌ぎ」の域を超えた、生半可ではない覚悟が内在し
ているように、ピッコロには感じられてならなかった。
 サイヤ人の「若さ」は数十年は続く。地球人の血が入ったことで、悟飯達
二世代目のサイヤ人にその定理がどこまであてはまるのかは解らなかっ
たが、少なくとも、純血種の地球人よりはその時間は長いのだろうと想像
できる。
 持って生まれた寿命そのものに、大きな隔たりを持たない二つの種族。
その混血である悟飯が、決して短くはない時間、自ら枷を背負うような真
似に及ぼうとしているのなら……それはけして楽観視できない事態だと、
直感が警鐘を鳴らしていた。

 そんなピッコロの、言外の思いが伝わったのか、悟飯は居住まいを正す
ようにして、隣に座るピッコロへと向き直った。
 できる事なら、触れられたくはない機微だったのだろう。その面持ちは硬
く強張り、彼が相当の覚悟で以てこの場に踏み止まっているのだろう事が、
傍目にも見て取れるようだった。
 できれば有耶無耶にしてしまいたいという心の声が、筒抜けに聞こえて
くるようだと思う。それでも青年の懸命の覚悟を自分が挫いてしまう事が
ないよう、口を挟むことなく相手の出方に任せれば……長い沈黙の末、悟
飯はようやく、口を開いた。


 「……僕の子供に伝わる遺伝子の形質をちょっと変化させるとか……そ
  の程度の生半可なやり方じゃ、結局、僕を覆う「膜」も中途半端なもの
  になってしまうと思うんです。……だから、やるなら徹底的に……僕の
  生殖能力そのものを、糧にしてもらうつもりです」
 「……っ」

 想定していた答えではあった。それでも、改めて青年の口から聞かされ
た覚悟の重さに、ピッコロは思わず、それまで腰かけていた寝台から腰を
浮かせた。
 急に立ち上がった動きが寝台の敷き布を通して青年に伝わったのだろ
う。彼は束の間苦痛を堪えるような表情を浮かべ、そんな自分を取り繕う
かのように深く息をついた。
 平時と変わることのない、もの柔らかく人懐こそうな眼差しが、思い定め
た光を宿して真っ直ぐにピッコロを見据えてくる。

 「これだけの仕掛けを作ってもらうのに、何の代償もなしでは通らないと
  思います。それなら、僕が僕の裁量で差し出せるものの中で、一番効
  果が見込めるものをと……」
 「悟飯…!」

 これを口にする事は、きっと長い懊悩の末にようやく覚悟を固めたので
あろう青年の決意に水を差すことだと、理性では解っていた。
 悟飯はもう、いっぱしの成人だ。この選択が、例えば彼が外部から何ら
かの圧力を受けた結果、否応なしに選び取らされた類のものではない事
も、これまでその様相を見届けてきた自分には解っている。その上で、彼
が自ら思い定めた選択に否やを唱えるのは己の分を越えた行為だと、ピッ
コロにも解っていた。
 だが……


 「……自分で、言っていることの重大さを解っているのか?それを神龍に
  願えば……お前は、この先ずっと……地球人の基準で呼ぶ「若さ」を保っ
  ていられる時間をずっと、子を成す機能を失ったまま生きる事になるん
  だぞ」
 「ピッコロさん……」
 「そもそもの価値観が違う、異星人の俺に言われたくはないだろうが……
  サイヤ人であれ、地球人であれ、お前達は番との間に子をなして、その
  命脈を後裔に繋いでいける生き物だ。それが、雌雄に分かれて生きる種
  族の特色なんだろう。お前にとって、その機能を根本から失うという事は、
  俺が考える以上に重い意味を持つはずだ」

 本当にそれでいいのかと、そう続けそうになった問いかけを、辛うじてピッ
コロは喉奥で呑みこんだ。
 これ以上具体的な言葉で青年を追い詰めることを忌避する思いもあった
が、きっとそれ以上に、ピッコロ自身が、それを口にして事態の重大さを再
認識させられることを恐れたのだ。
 そしてもう一つ―――言葉にする事で、否応なしに向き合わされてしまい
そうな自身の深淵に蟠る思いを、ピッコロは敬遠した。

 
 まだ稚いばかりの、幼子の頃からつきあいを重ねてきた青年だった。意
図的に成長を速めた後は外見年齢に殆ど変化が生じない自分とは違い、
片手で摘みあげられるほどに頼りない体躯をしていた幼子は、種を違え
た自分には思いもよらない速さで成長し、一人の自立した人間になった。 
 それが、悟飯の属する地球人、そしてサイヤ人としての特性なのだと、我
が目でもって思い知らされ―――その時、ピッコロは初めて、孫悟飯という
人間の将来について、思いを馳せたのだ。

 彼の両親を前例に上げるなら、既に所帯を構えていても不思議ではない
世代だ。心を預け合える、伴侶たりうる存在と出会えれば、彼も早晩、自ら
の家庭を築くことになるのだろう。魔人ブウとの激戦がなければ、己の潜
在能力を強引に引き出されることもなかった彼は、伴侶との間に早々に我
が子を儲けていたかもしれない。
 そうなれば、悟飯もいっぱしの世帯主だ。家長であることの責任を胸に
刻み、自由奔放に生きる実父を反面教師にしながら、きっと、甲斐性のあ
る夫に、父親になるだろう。

 所帯を構えれば、これまでのように自分の事ばかり考えている訳にはい
かなくなる。それが世帯主の甲斐性と責任というものだ。彼は、世間から
求められる責任を懸命に果たしながら、あたうる得る限りの愛情を持って
自身の家族を守るだろう。
 市井に根付いた生活を繰り返すうちに、人中で暮らすことで様々なしが
らみも生まれるだろう。その一つ一つに対処していくにつれ、新たな所帯
における悟飯の暮らし振りは、市井の中で盤石なものになっていく。

 有事の際でもなければ、下界から遠く隔たったこの神殿まで訪れる機会
も次第に減っていくことだろう。義理堅い青年は、折に触れての時節の挨
拶など欠かすことはないだろうが、それでも、そうやって神殿に顔を出す青
年と自分の距離は、年経るごとに、確実に隔たっていくのだ。
 それは自然の摂理であって、精神的にも自立した悟飯が自分という存在
から「親離れ」しただけの事だ。その成長を喜びこそすれ、悲観する理由な
どどこにもない。
 だが……理性ではそう解っていても、隔たる距離を未練に思いたがる己
自身を、ピッコロには、どうする事もできなかった。
 

 悟飯が次代を儲けるという一つの命題にかこつけて、そんな身勝手で浅
ましい自分自身が顔を出しそうになる。グッと奥歯を噛みしめるようにしな
がら、ピッコロは、ともすれば感傷に呑まれかねない自分自身を、胸の内
で叱咤した。
 青年を言葉で追い詰めることのないように。そして自らの未練を煽る事
のないように。強引に諾否の言質を取るような真似は避け、一歩の距離
を退いて、寝台に腰掛ける相手を改めて眺めやる。つられる様に再び居
住まいを正した青年に向かい、ピッコロは、覚悟の上か、と言葉を重ねて
問いかけた。

 果たして―――数瞬の沈黙の末、悟飯は、ゆっくりと、しかしはっきりと
それと分かる動きで、ピッコロに向かい首肯した。


 「自分のやろうとしている事の重大さは、解っています。……わかってい
  る、つもりです。僕の「絶頂期」がいつまで続くのかは誰にもわからなく
  て、自分でも予想することができない時間を、僕は、僕の中から一つの
  能力を失うんだって……。今はともかく、ハイスクールに通っていた頃
  には、僕にも気の合う女友達もいました。そういう相手と、いつか自然
  に魅かれあって結婚して、子供を作って、僕は家庭を持つのかなって
  ……そんな風に、漠然と考えたこともあります」
 「ああ」
 「僕が自分の生殖能力を代償にすれば、僕は子供を作る能力を失いま
  す。「膜」が必要なくなるくらいに僕の内面が安定してからでも、僕には
  サイヤ人の血が入っているから……体が多少年を取って、絶頂期を
  過ぎてからでも、消えた「膜」の代わりに戻ってきた生殖能力で、子ど
  もは望めるのかもしれない。でも、僕の伴侶となる相手は、その頃に
  は、確実に年を取っています。……身勝手すぎて、とても夫婦になん
  てなれない」

 それでも、と、悟飯は続けた。


 「それでも……だからこそ、こうするべきなんじゃないかって、思ったん
  です。誰かと夫婦になって、子供をもうけて、家庭を作って……そん
  な未来が、いつか自分にも来るんだろうと、漠然と思ってきました。
  でも、いつか来るだろうって思いながら、その未来を具体的に想像す
  ることが、僕には苦痛で…家庭に落ち着いて自分の家族を守ってい
  る未来の僕の姿を考える事が、本当に重くて……そういう自分の気
  持ちを持て余している内に、いつの頃からか、気づいたんです。僕は、
  自分の家庭を築くことが―――怖いんだって」
 「悟飯……?」 
 「こんな仮定の話、今更意味のない事ですけど……もしも、セルとの戦
  いでお父さんが死なずに済んで、生き延びてくれていたとしたら……
  お父さん、変わってしまった僕に驚きはしたでしょうけど、それでも、今
  まで通り当たり前に、僕と向き合ってくれたんだと思うんです。サイヤ
  人の本能が暴走しているような状態だった僕に、きっとそれまでと同じ
  ように接してくれたんだろうなって」

 誰にも抑え込むことができないくらい、あの時の僕は手がつけられなかっ
たのに―――言って、悟飯は束の間遠くに飛ばしたその眼差しを、追憶
に滲ませた。

 「全部、僕の勝手な想像です。だけど、例えばあの時僕が衝動のままに
  セルをなぶり殺して、平和を取り戻した世界が、僕の存在を持て余す
  ようになっていったとしても―――お父さんは、そんな僕をあっさり手
  玉にとっちゃうんだろうなって、そう思うんです。僕が暴走しても、お父
  さんなら僕を止められるんだろうっていう、僕の勝手な思い込みのせい
  なのかもしれませんけど……」 

確かに、あの激戦の終局にセルが自爆するような事態にならず、孫悟
空が健在のままあの戦いを終えていたとしたら……悟空は、周囲の者
が対処を図りあぐね、腫れ物に触れるように扱わざるを得なかったこの
青年の暴走を、こともなげにいなして見せたのかもしれない。
 あの当時から、悟飯の戦闘能力は群を抜いていたが、それでも、現状
のように、外部からの干渉によって限界以上の能力を引き出されていた
訳ではない。自分や他の同胞達では無理でも、孫悟空だけは、あの当時
の悟飯を諫止してやる事ができたのかもしれなかった。

 だが、セルの自爆から地球を守るため、サイヤ人の本能に開眼したば
かりの不安定な悟飯を置いて、悟空はその後七年もの間、鬼籍の存在
だった。今となっては仮定するのも詮無い話だが、そういう意味でも、彼
はあまりにも間が悪すぎたのだ。
 おそらく、この親子に関わってきた同胞の全てが一度は胸に思ったこと
だろう。それでも実現しようもない夢想話だと解っているからこそ、誰も口
に出さなかっただけだ。
 そんな周囲の思いに、聡い青年が気づいていなかったはずがない。そ
れなのになぜ今になって、彼が意味のない仮定話を続けるのか、ピッコロ
は、不審の思いを抱いた。

 そんな胸の内が顔に出たのか、向き合う青年もまた、苦いものを飲み下
したかのような表情を見せた。それでも、ここで口を噤むわけにはいかな
いという思いがあったのだろう。自分の勝手な想像だと口にしながらも、
悟飯の独白はそこで終わらなかった。

 
 「……今更こんな話をしたのは……僕はやっぱり、お父さんのようには
  なれないんだってことを、思い知らされたからなんです。お父さんは、
  きっと僕がサイヤ人の本能に呑まれてしまっても、僕を息子として扱っ
  てくれる。僕が自分を持て余しても、今まで通り僕の事を放任して……
  だけど、僕が暴走して、本当に手の付けられない状態になったら……
  正面からぶつかり合ってでも、僕を止めてくれるんだと思うんです。
  だから、サイヤ人としての自分に振り回されていても、僕は、あの人
  の息子でいる事ができます。―――でも……僕がお父さんの立場だっ
  たら……僕はきっと、僕の子供をそんな風に広い視野で支えてやる事
  はできません」
 「悟飯……」
 「魔人ブウとの時もそうでしたけど……お父さんは、一度自分の懐に入れ
  た相手の事は、丸ごと受け入れた上で放任できる人なんだと思うんで
  す。もちろん、強い相手と戦いたいっていう気持ちもあっての事なんで
  しょうけど……そうやって放任した相手が何か問題を起こせば、今度こ
  そ体を張って止める。最悪の場合には、相手を倒してでも「放任」の責
  任をとる事ができる……そういう覚悟を始めから持って、相手を受け入
  れているんだと思うんです」

 もちろん、それで暴走した僕を倒してもらうようなことになったら、とんでも
ない親不孝なんですけど―――自嘲気味に言葉を続けた青年は、だけど
それがお父さんの強さなんだと思うんです、と苦く笑った。

 「……僕には…とてもそんな風に、誰かを丸ごと受け入れる事はできませ
  ん。それが自分の血を分けた子供であっても、それは変わらないと思う
  んです。お父さんは、もっともっと広い視野で、それこそついこの間まで
  戦っていた相手にだってそうやって接することができるのに……僕には、
  無理なんです」
 「悟飯」
 「この手で倒さなければならないかもしれない相手が……自分の子供が、
  不憫だから、という気持ちだけじゃありません。僕自身に……そうやっ
  て放任の責任を取る勇気がないんです。だから、きっと僕は生まれた子
  供にあれこれ干渉して、暴走の芽を未然に摘んでしまおうとすると思い
  ます。昔のお母さんじゃないけど……・いえ、お母さんは最後にはちゃん
  と僕のやりたいようにさせてくれたんだから、引き合いに出しちゃ申し訳
  ないですよね。―――とにかく、あの頃みたいに、あれは駄目だこれは
  駄目だって、口煩く足止めして、その子が取り返しのつかない事態を招
  く事を止めるんだろうなって……」

 でもそんな風に、何もかも未然に取り上げてしまったら……そう続けられ
た青年の独白に、誤魔化すことができなかったのだろう震えが混ざった。

 「普通の身体能力を持って生まれた子供なら、まだいいのかもしれない。
  過保護な親だと、僕が笑われればそれで済みます。子供は子供同士
  のコミュニティで勝手に悪い事まで覚えてくるでしょうから、そうやって
  成功も失敗も重ねて、自分なりの経験則から色々な事を判断するよう
  になると思いますし。……でも、もしもその子に昔の僕のような事が起
  こったら……僕が「放任」できなかったために、分別もないまま取り返し
  のつかない失敗をさせて、それを一生の疵として背負わせかねません」  

 それきり、悟飯は痛みに耐えるかのような表情を浮かべたまま、口を噤
んだ。語り部が押し黙った事で室内に訪れた静寂が、並んで寝台に腰を
下ろす二人の間に重い沈黙の帳を下す。
 これで、青年の披瀝が終わった訳ではないのだろう。だが、ここで続く言
葉を急かせたところで、事態が好転する訳ではない。その心が固まるまで
余計な横槍は入れまいと、ピッコロは隣に座る青年を唆る事はしなかった。
 体長差から生まれる視点の高低差に乗じて、互いに意識しなければ視
線がかち合うことのない青年の面差しを眺めやる。悟飯は、いまだ全てを
吐き出し切ってはいない焦燥を物語るかのように思いつめた様相のまま、
口元を引き結ぶようにして、虚空を見据えていた。

 そんな青年の姿に……ピッコロには、彼が物語った追憶の時間に存在
する、かつて少年だった時分の悟飯が、重なって見えたような気がした。  

 父親の制止に耳を貸さず、己の中で目覚め、膨れ上がる破壊衝動に身
を委ねた追憶の日の少年。彼は、己の暴走のツケを、最愛の父親と死に
別れるという、余りにも大きすぎる代償を支払う事で強制的に清算させら
れた。肉親の命で贖わされた過怠の記憶は、この先長い間少年を責め苛
むことになるのだろうと、当時の彼を知る者達は、各々の立場からその将
来を気遣い、気を揉んだものだった。
 思えば、悟飯の後裔問題にまで及ぶことになったこの異変のそもそもの
誘因は、あの日の少年の暴走に端を発したものなのだろう。そう考えれば、
あの日、自分を制止しようとした父親と、その叫びを黙殺した結果「一生の
疵」を自ら背負う事となった自分自身の姿が、悟飯の中で、再び繰り返され
る自身の未来絵図として重なってしまうのも、致し方がない事なのかもしれ
なかった。

 お前一人の責任ではないのだと、周りがどれほど言葉を重ねたところで、
悟飯本人にそこから脱却する気概が持てない限りはそれまでの事だ。そ
して、十有余年の時を隔て、一度は死に別れた父親との再会を果たした
今も尚、澱のように蟠ったままの負い目が彼を自縛しているというのなら
……傍目には自棄を起こしたようにさえ見える青年のこの選択に、簡単に
否やを唱える事は出来なかった。

 お前ならばお前の父親とはまた違うやり方で、お前の家族との関係を
作っていけるだろうと、そう言ってやりたい。孫悟空の為人が突出して異
彩を放っているだけの事だ。父親の大器を逐一顧みたりせずに、情に篤
く義理堅いその気性のまま、自分の「家」を作っていけばいいのだと思う。
 それでも……青年の鬱屈を知りながら部外者顔をして彼をけしかける
には、ピッコロは、孫悟飯という青年と関わり過ぎていた。

 これが真実、青年の幸甚に繋がる行程なのだという確証を持てるなら、
その背中を強引に押してでも、新たな日常へと繋がる一歩を踏み出させ
るべきなのかもしれない。この現状を打開する為にどれほど有益な手立
てだと思えようとも、この先のまだ長い人生に大きすぎる枷をかけてしま
うべきではないと、自分はそう言って、彼を踏み止まらせるべきなのかも
しれなかった。 
 だが、何を以て己の幸せとするのかは、当の悟飯自身にしか解らない。
生態系すら異なる自分が、身を以て実感することもできない一般論的な
世間の経験則を振りかざして、賢しらに青年を「説得」する事は、ピッコロ
にはできなかった。

 「……お前は、本当にそれでいいのか……?」

 一度は呑みこんだはずの問いかけの言葉は―――隣に座る青年に向
けられたものというよりは、自らの覚悟を促すためのものであったかもし
れない。 
 刹那、目に見えてその双肩に力が入った青年の様子を見やりながら、ピッ
コロは、もう一度、それでいいのかと繰り返した。
 
 この青年が、いつか自らの家族を持ち、その命脈を次代へと繋いでいく
―――そんな風に、初めて思いを馳せたのは、果たしていつの頃だった
ろうか。
 ハイスクールを出て、ユニバーシティへと進学するに際し、悟飯は親元
を離れて都への下宿を決めた。生家を巻き込んだ大問題は遠く隔たった
この天上にまで普及し、青年に避難場所として神殿の一室を提供してい
たピッコロもまた、その一部始終を概ね把握している。
 だが……すんなりと進捗を見せない懸案に日毎焦りの色を募らせてい
たはずの青年は、ある日、やけにすっきりとした面持ちで神殿を訪れると、
開口一番、自分にこう告げたのだ。

 「お父さんとお母さんの許可をもらってきました。僕は都に下宿します」、と。
 
 なんとも煮え切らない顔をしたまま別れてから、まだ一日も経っていな
かったというのに、果たしてどのような契機が、青年の背中を押したもの
か。ピッコロは興味を引かれたが、相対する青年の憑き物の落ちたよう
な表情を見ている内に、それならそれでいいのかという気持ちになって、
敢えてその経緯を追求しなかった。
 
 おそらくは……あの時だったのだろうと、今になって考える。
 自らの言葉で両親を説得し、いよいよ親元からの自立を決めた悟飯。
この先、更に上の教育課程で己の夢を叶えるための研鑽を積むのだろ
うと思いを馳せた時……不意に、まだ片鱗すら見えないはずの未来絵
図が、脳裏を過ったような気がしたのだ。   

 ―――全ての教育課程を修了し、学者としての道を歩き始めた青年。
いつの頃からか、その傍らには彼の選んだ伴侶が寄り添うようになり、
そしてそう遠くない未来に、二人の間には二世が誕生するのだ。

 学者業を邁進する青年は多忙がちで、子育ての協力が十分にできな
い事を妻子に対して申し訳なく感じている。独身時代の時ほどは気まま
に神殿を尋ねられなくなった青年は、たまの近況報告の際、快活とした
表情の陰から、ふと憂い顔を見せる事もあった。
 そんな青年に対して、自分は何をしてやれるのだろうかと……そんな
風に、自問している自分の姿―――


 ―――すべては、ありもしない空想だ。現実の悟飯は、グラジュエート
スクールに籍をおく今現在まで、そうした「女っ気」を一切匂わせないま
ま、年を重ねてきた。
 それでも、ただの与太話だと鼻で笑い飛ばしてしまうには、やり過ごす
ことのできなかった蟠りがある。それこそが、地球系人類として年相応に
成長していく青年に対する、自分の未練なのだろうと、ピッコロは感じて
いた。

 雌雄の概念を持たず、番を作らず、単身年を重ねていく自分と同じ時
間軸の中で、青年は成熟し、年老いていく。地球人やサイヤ人よりもずっ
と長い時間を生きる自分に対し、悟飯は、それでもその時々での接点を
持ち続けることを止めないのだろうと、そう思った。
 悟飯が家庭を持ち、その血脈が次代へと引き継がれていけば、彼の残
した子孫との交流を持つ事もあるだろう。そうやって、自分は青年が残し
た軌跡を、彼亡き後も辿る事ができる。
 
 それは、これまで関わり合ってきた存在全てをいつかは見送り、その時
代その時代で新たな邂逅と別離を繰り返すのであろうピッコロにとって、
あるいは一つの原拠となるのかもしれない、縁の糸だった。 
 悟飯が残すかもしれない後裔は、彼がそうであったように、こちらの望む
と望まざるとに関わらず、この天上までいつか辿りついて、自分との接触
を果たすのかもしれない。ただの仮定話であれ、その可能性を撥ねつけ
ず、不本意交じりにでも受け入れようとしている自分は随分変わったもの
だと思ったが、それも全て、在りし日の少年との出会いが端を発した縁の
形だ。

 いつか確実に、自分より先に鬼籍に入るこの青年と、自分はそうやって、
何世代分もの縁を繋いでいくのかもしれない。そう考える事は、この先青
年を見送った後も長く続く自分の半生に、一つのよすがを与えられたよう
にも思われた。 
 そして同時に……それは、ひどく胸中を波立たせる、筆舌に表せない鬱
屈の要因でもあった。

 悟飯と自分とをつなぐ縁の糸が、世代を超えて続いていくという、安堵に
も似た思い。しかしそれ以上に胸の底から湧き上がる、ある種の焦燥。
 この縁の糸は、悟飯が自分に残したものだ。だが、その糸が紡がれたそ
もそもの契機に、自分は当事者としては、決して立ち入れない。そんな、青
年と自分の立ち位置を確実に隔てる「壁」を思うにつけ、ピッコロは、いつ
しかひどく落ち着かない思いを味わわされていた。

 番う事を前提として、己の血脈を後世に伝えていくのが、この星に生きる
人類が繁栄するための礎なのだ。自らの血脈を繋げられるほどに、真っ当
に成長した青年を、自分は手放しで称えてやるべきなのだろうに―――我
ながら、なんという未練がましさか、と辟易する。こうした執着めいた思いこ
そが、老界王神の語るところの「万人向けの度合いを過ぎた懸想」なのだろ
うかと考えると、ピッコロは、居たたまれなさを覚えずにはいられなかった。


 ともあれ、そうした後ろ暗い物思いは、全て自分自身に起因するものだ。
この心騒ぎに悟飯を巻き込み、彼の判断を揺らがせるようなことがあって
はならなかった。
 胸中に蟠るこの鬱屈を気取られることがないように……そして、青年に
必要以上の精神的圧力をかけてその選択に干渉することがないように、
意図した鉄面皮を向ける。そうして、最後通告のつもりで本当にいいのか
と同じ問いかけを重ねれば、悟飯は、数瞬の沈黙ののち、首肯して見せ
た。


 「……結局は、自分の自信のなさを棚に上げての、逃げなのかもしれま
  せん。でも、あれも捨てられない、これも捨てられないって、そんな中
  途半端な状態を続けていたら……いつか、どちらも失うような形で、どっ
  ちつかずのツケを払わされるんじゃないかって……そう思えて仕方な
  いんです」
 「悟飯」
 「これを言ってしまうのは、僕の一つの可能性を……いつか生まれるか
  もしれなかった僕の子供を否定することかもしれない。いつか出会うか
  もしれない僕の伴侶に、ひどい仕打ちをしているのかもしれない。
  ……でも、もし実現の可能性があるなら、僕は神龍に、この仮説を叶え
  てもらいます。それが、僕の中に安全弁を作ってもらうための、僕の覚
  悟です」

 これは相談ではなく、既に確定した今後の行動予定の確認なのだと、そ
う言明されたかのような言葉と語調だった。おそらく、青年の心はすでに完
全に固まっていて、ここで自分が何を口出ししてもその決定を違えるつもり
はないのだろう。それでも敢えてここまで物語ったのは、彼を苛む破壊衝動
にこれまで関与してきた自分に対する、青年なりの礼節の表れなのかもし
れない。
 だが……言葉ではこちらの干渉を求めないと告げながら、それを口にし
た青年の、この心許なげな面差しはどうだ。

 もう覆すつもりのない願いだというのなら、なぜ、そんな顔をする。言葉で
はこちらの干渉を拒みながら、その実、自分からの制止の声を待っている
のか。それとも……
 人中での暮らしを避け、昔馴染みの同胞達とも一定の距離を保ちながら
暮らしているピッコロには、そうした機微など解らない。経験則に準えた判
断が難しい以上、相反しているようにしか思えない青年の面差しと、告げら
れた言葉のみを以てこの疑念に答えを出すしかなかった。
 どう振る舞う事が、今、この青年にとっての救いとなるのか……それを見
定めるかのように、ピッコロは、青年の思いつめた容貌を正面から眺めやっ
た。

 だが、そんなピッコロの様相は、相対する青年には、また別の理由づけに
よるものと受け取られたらしい。悟飯は、向けられた視線を一旦は見返した
ものの、数瞬の後には、体裁悪そうに顔を伏せてしまった。

 「……悟飯」
 「……すみません…僕に都合のいい言葉を選びました。本当は……いえ、
  今までの言葉も全部僕の本心のつもりですけど、本当は、もっと……」

 気を取り直すかのように大きく息をついたまま……しかし、青年は続く言
葉をなかなか口にしなかった。 
 ここで結論を急かせても何にもならないと、相手が再び口を開くのを焦れ
るような思いで待ち続ける。そうして自分が促さない事で膠着状態が深まっ
ていくことが室内の空気からも感じられたが、ピッコロは、せめてもの意地
であるかのように、沈黙を守り続けた。

 一分が過ぎ、二分が過ぎ―――互いに忍耐の限界かと思われ始めた頃
……それまで伏せられていた顔を上げ、青年が、ようやくピッコロへと向き
直る。
 意を決したように沈黙を破った青年の第一声は、消え入りそうな謝罪の
言葉だった。

 「……すみません…」
 「悟飯?」
 「すみません……きっと、ピッコロさんにとってものすごく迷惑な事を言う
  と思います。ピッコロさんは本当に僕のことを心配して、僕の為にあれ
  これ手を尽くしてくれたのに……その御恩を返すどころか、酷い仕打ち
  をしているんだって……きっと気持ちの悪い事を言おうとしてるって、
  解っています。だけど……」

 言って、続く言葉をを躊躇ったかのように、青年の面差しが強張りを見
せる。太腿辺りに揃えて置かれた両手が拳の形を作り、纏った道着の布
が、巻き添えを食ったように握りしめられて皺を作っていた。
 言葉でも、仕草でも……あと僅かでもこちらから何か働きかけて青年に
刺激を与えてしまえば、その緊張が決壊してしまうのではないかと危惧
するほどの、張りつめた様相。そんな青年の姿に、ピッコロは、咄嗟に喉
元まで出かかった言葉を寸でのところで飲み下した。

 無理はするなと、今ここで告げたところで何の救いにもなりはしない。青
年の様相は気がかりだったが、ここで自分が、彼の覚悟に水を差すべき
ではなかった。  
 そして……

 「だけど……やっぱり、この事を隠したままドラゴンボールを使うのは、卑
  怯だと思って……ピッコロさんだけには、お話しておかないといけない
  事だから……」
 「悟飯……」
 「僕は……嫌じゃ、なかったんです」

 続けられた言葉は、人並み外れた聴覚を誇るピッコロでなければ聞き取
れなかったのではないかと思えるほどに、か細く頼りなかった。それでも、
聞き役が自分である事を承知した上で自ら言葉にした以上、それは、「卑
怯」な自分のままここから出ていきたくないと思い定めた、青年の覚悟の
表れだ。彼が自分自身を追い詰めていく姿がどれほど労しく思えても、最
後まで受け止めなければならなかった。
 そんなピッコロの胸の内を知ってか知らずか、続く言葉を振り絞ろうとし
たのだろう青年の口角が、小刻みな震えを帯びる。  
 傍目にも解るほどの緊張に全身を請わばわせながら……それでも、悟
飯はひた据えた視線を、決してピッコロから反らさなかった。

 「……ピッコロさんと……ああいう、ことをするのが……僕は……嫌じゃ、
  なかったんです……っ」
 「…っ」
 「だから……だから、そういう自覚のある自分が、いつか家庭を作る時が
  来るかもしれない、なんて漠然とした理由を盾に、ここでどっちつかずの
  状況を選んだら……僕はその相手に対しても、ピッコロさんに対しても
  ……顔向けできないことに……」
 「悟飯」
 「だから…っ!僕の将来の可能性の一つを、ここで、封印してしまいたい
  んです!そうしないと……そのくらいの覚悟がないと……こんな中途半
  端な状態のままいたら、僕はガス抜きを口実に、ピッコロさんにどんど
  ん依存してしまう……っ!」

 それまでの、ようやく聞き取れるほどのか細い語勢から一転して、喉奥
から振り絞られたような悲鳴のような叫びが、ピッコロの耳朶を打つ。
 語調以上に激しく正面から叩きつけられた、青年の追い詰められた情動
に―――ピッコロは、咄嗟に言葉を返すことができなかった。
 
 総身から決死の思いで振り絞った、吐露であったのだろう。青年は、もう
一度すみませんと繰り返すと、そのまま絶句した。
 それきり項垂れてしまったその面差しは、互いの視点の違いに阻まれて
見改められない。だが、道着を握りしめたままの両手が零れ落ちるもので
濡らされる様子を見れば、いま青年がどんな表情をしているのか、想像す
ることは容易かった。
 その刹那……ピッコロは、途方に暮れている自分自身を、知覚せずには
いられなかった。

 あんなものはただの処置だと、お前がそれを枷に思ってどうするのだと、
青年を叱責するべきなのはわかっていた。
 「昨夜」の行為は、いわば急場を凌ぐための応急処置だ。この先長い半
生を歩むことになる青年が、重荷に思うようなものではない。ましてや、い
つか出会うのであろう自らの伴侶と番うに際して、自分との行為の記憶に
縛られるなど本末転倒だ。
 急場の措置だ。藁をも掴む思いで自分に縋ったのだろう青年が、自分に
操立てるような強迫観念に駆られる必要など何一つない。
     
 依存だなどと思い悩まず、処置は処置と割り切って、自分を利用できる
間はそうすればいい。老熟して身を焼く破壊衝動から解放されたその時
は、そんな記憶は全てここに置き捨ててしまえばいいのだ。そうして、本
来彼が生きるべき下界の、市井での暮らしに、戻っていけばいい。

 青年がドラゴンボールに頼ろうとするのは、ガス抜きとはいえ自分との
行為を重ねなければならないかもしれない現状を、彼が心底嫌悪したか
らなのだと思っていた。それならば、頭ごなしにその願いを否定したところ
で、代替案を持たない自分には彼を後押しする事などできないと、自分は
彼の立てた仮説を、承不承であれ最後まで見定める気持ちにもなったの
だ。他に手立てを示してやれない以上は、青年の覚悟に沿うより致し方が
ないのだと。

 だが……この仮説が、自分との行為を嫌悪するが故に生み出されたも
のではないのなら―――彼がどの道を選びとるのかは、まさに、その歩
みを歪めた自分が負うべき責任だった。
 目指す夢に向かって真っすぐに歩み続けてきた青年を、已むに已まれ
ぬ事情によるものとはいえ、凌辱したのはこの自分だ。そして、その事が
青年の情操に、少なからぬ衝戟を与えてしまった。

 止めなければならない。思い直させなければならない。理性では、そう
すべきなのだと解っていた。
 だが……喉奥まで込み上げているはずの制止の言葉を、ピッコロは、ど
うしても吐き出すことができなかった。
 その代わりのように、胸襟に蟠り膨れ上がっていく、幾種類かの情動―――

 眼前に有望な前途が開けている青年の歩みを、自分の干渉で歪めてし
まったのだという自責の念。
 この後に及んで、そんな青年をただすべき言葉を口にする事の出来な
い、自らの弱腰に向けられた嫌悪の思い。
 そして……こんな状況下だというのに、胸の奥底から湧き上がってくる、
浅ましいまでの未練―――

 
 自分との行為に嫌悪の思いを覚えなかったのだという、青年の吐露。
それは、そんな彼に対していつしか抱いていた自分自身の執着と、一致
する事はなくても形の相似する思いなのではないかと、ピッコロは感じず
にはいられなかった。
 自覚する側から、胸の奥底にじわりと広がりを見せる、後ろ暗い佚楽
の思い……


 『好意でも、悪意でもな。それがそいつから見て万人向けの度合いを過
  ぎりゃあ、懸想じゃよ』

 蟠り交錯する様々な情動に当惑するピッコロの耳朶に、界王神界に出
向いた際に老神から告げられた言葉が蘇る。あれはこういう事であった
のかと思いを馳せるにつれ、胸襟を疼痛が貫いたような心地になった。
   
 ―――ああ、そうか……

 自身の将来に対する制御の手立てを得るために、悟飯は己の生殖能
力を……引いてはこの先いつか訪れた筈の、自身の伴侶と番う機会を 
放棄しようとしている。それは、一つの枷を背負った青年を、より自分の
身近にとどめ置くことにも繋がる選択であるのかもしれなかった。
 だが……打ち消すことのできない佚楽の思いよりも、そんな選択にたど
り着くところまで青年を追いやってしまったのだという、自責の念に胸が
詰まる。
 
 ―――そうか……これが、自分のしでかしたことの咎か……

 隣に腰掛けたまま、言葉もなく自らの衝動を持て余している青年の肩に、
手を伸ばす。触れた手を拒まれなかった事に後押しされ、ピッコロは、青
年の体調を気遣いながら、その肩を自分へと引き寄せた。

 「……すまない…お前を縛った、俺の所為だ」

 胸の奥底から押し出すように一言詫びれば、俯いたままの青年が、大き
く頭を振る。そんな自身の動きに触発されたのか、青年の喉元から嗚咽の
ような吐息が漏れた。
 それ以上の醜態は晒すまいというせめてもの意地であったかのように、
持ち上がった片手がその半顔を覆う。そうして頑なに己の容色を覆い隠し
たまま、悟飯は懸命に、こみあげてくるものに耐えているかのようだった。

 触れた肩口を震わせる、青年の味わわされた衝動を我が身で受け止め
させられながら―――ピッコロは、そんな青年に、詫言を繰り返すことしか、
できなかった。 


 



                               TO BE CONTINUED...


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