safety valve・26






  
 肌を焼くような「昼」の熱気に支配された空間に、重苦しい沈黙が帳を下
す。

 悟飯の要請を耳にしたピッコロは、そのまま長いこと口を開かなかった。
日頃から口数が多い方ではないが、それでも、必要な時に必要な言葉を
言いよどむような人ではない。日頃から矍鑠とした為人で知られる師父が、
明らかに物言いたげな様相を見せながらそれでも口を噤んでいるからに
は、自分の言葉が彼に与えた衝撃が、それほどに大きいという事なのだ
ろう。

 自分の身勝手に巻き込むばかりで、本当に申し訳がないと思う。きっと、
今こうして向き合っている間にも、彼は自分の真意を推し量ろうと内心苛
立つ気持ちを押さえて、自分の出方を待ってくれているのだろう。その厚
情を思えば、自分はこれから口にする言葉に対して、決して忽略であって
はならなかった。
 どうとでも受け止められるような、逃げ場を残した表意であってはならな
い。これから語る一言一言が、この先の自分の歩みを決め、そして、とも
すれば尻込みしたがる自分の逃げ場を奪うのだ。自らを追い込む覚悟で、
自分はこの要請を貫かなければならなかった。

 能弁でなくても構わない。それでも、自分の胸襟を過たず物語るために
できる限り、自分は言葉を尽くさなければならなかった。

 「―――もちろん、僕の感情に蓋をしてもらう、という目的の為じゃありま
  せん。そんな事をしたら、本末転倒ですから」

 まずは、師父がいの一番に抱いたであろう懸念事項を、機先を制して否
定する。それだけで、目に見えて解るほどに表情を和らげたピッコロの様
子に、この一件に対して彼がどれほど心を心を砕いてくれているのかが伺
い知れた。そんな師父に対して、悟飯は改めて、申し訳ないと思った。

 「界王神界へ行くのは、大界王神様の許可をもらうためです。……正直
  に言ってしまえば、地球人としての感覚では、どうしても界王神界に話
  を通さなきゃいけないって気持ちは、あまり強くないんです。いままで
  そういう方向で、考えたこともなかったですし。……だけど、地球人の
  感覚で事を進めてしまったら、ピッコロさんやデンデには、きっと僕ら
  には解らない部分で、ご迷惑をかけてしまうと思うので」

 だから、通すべきところには、先に話を通しておくべきだと思ったんです
―――言って、悟飯は何とも形容しがたい表情のまま自分を見据えてい
る師父に向かい、改めて居住まいを正した。

 「……ドラゴンボールを、使いたいんです」
 「悟飯?」
 「ドラゴンボールさえ集めれば、神龍は簡単に呼び出せますけど……今
  は、そう簡単に話を片付けてしまう訳にもいかないんでしょう?」

 地球を治める神と、その補佐役の立場としては―――言外に込められ
た問いかけに、ピッコロは、応とも否とも返さなかった。だが、その煮え切
らない対応こそが、あの人知を超越した絶対神を前にした彼らのしがらみ
の表れなのだと、悟飯には察せられた。
 これ以上、自分の身勝手の尻拭いを彼に頼る訳にはいかない。だから
こそ、余計な齟齬を生んで彼を煩わせない為にも、釈明の言葉を惜しむ
ことはできなかった。

 「どう言い訳しても、自分の都合の為だけの使用です。それだけでも、大
  界王神様は渋るかもしれません。……でも、僕なりに色々考えて、それ
  しか方法を思いつけなかったんです」
 「悟飯……」
 「ドラゴンボールを使って……サイヤ人としての破壊衝動を、自分自身で
  牽制したいんです。安全弁って言えばいいのかな……暴走寸前まで膨
  れ上がった衝動に、ワンクッション置けるような。そんな備えを、用意し
  ておきたいんです」

 高い視点からこちらを見下ろすピッコロの双眸が、もの問いたげに瞬かれ
る。言葉ほどに雄弁なその眼差しを見れば、彼が敢えて呑みこんだのだろ
う反駁の言葉を推し量るのは容易かった。
 
 それができないから―――絶対神の力を以てしても引き出された力の封
印は叶わず、暴走の引き金となり得る己の感情に蓋をする事もできないか
ら、お前はこうして懊悩しているのだろう……ピッコロの目線は、そう物語っ
ていた。
 師父の疑念は当然だろうと、悟飯も思う。悟飯自身、己の目論みが功を
奏すという確信を得ている訳ではなかった。
 だが、成功の保証を求めるあまりグズグズと手をこまねいていれば、出
遅れた時間の分だけ、自分を阻む障壁は厚く高くなるだけだ。一歩足を踏
み出せばもう後戻りのできない決断を下そうと思うなら、自分の背中は、
他の誰でもない、自分で押すべきだった。

 「……神龍には、ドラゴンボールの製作者の力量を越えた願い事は叶え
  られない。だから、僕の中で膨れ上がったサイヤ人としての本能を消し
  去る事はできないんだって、解っています。だけどデンデが……この地
  球の神様が作ったドラゴンボールを使えば、地球に生きる人の生活に
  干渉することはできます。魔人ブウ…ミスター・ブウが、地上で生き直す
  事になった時も、お父さんが神龍に頼んで地上の人達から魔人ブウに
  関する記憶を消しました。だから、ミスター・ブウは当たり前のように、人
  中での暮らしを送っていられる」

 それなら、可能性はあると思うんです―――言って、悟飯は続く語勢に
力を込めた。

 「大界王神様が言っていたっていう、僕の感情に蓋をして僕の中の衝動と
  連結させないようにするっていうのは……うまく言えないんですけど、僕
  の中に絶縁体を埋め込むようなイメージに近いんだと思うんです。僕自
  身に「電気」を通さない、僕が僕自身の激しい感情を自覚しない状況を
  作り出すことで、「放電」を抑える仕組みは作れますから」
 「……ああ」
 「でも、「絶縁体」を埋め込んで、破壊衝動の引き金になる自分の感情を
  自覚できないという状況は、見方を変えれば危険です。限界が来るま
  で自分の衝動を自覚できないまま自分に負荷をかけ続けて、最後には
  絶縁破壊だって起こしかねない。……大界王神様の太鼓判があるなら、
  それなりの確証があっての措置なんでしょうけど…僕には、そうなった
  時に自分を抑える自信がありません」

 もし、神龍の力で叶えられるのなら―――続く言葉が、意志の力で抑え
きれなかった震えを帯びる。それでも、悟飯は言葉を呑みこんでしまう事
を自分に許さなかった。

 「もし……神龍にその力があるなら―――そういう絶縁体みたいなもの
  じゃなくて、もっとこう……イメージとしては避雷針に近いような「安全弁」
  を、僕の中に作ってほしいんです。自分の衝動を自覚できないんじゃ
  なくて、僕の中で暴れ出しそうな破壊衝動の「落雷」から、周囲を守っ
  てくれるような……」
 「悟飯……?」
 「上手く言えないんですけど……例えば、今みたいに暴走した衝動がそ
  のまま外の世界に叩きつけられることがないように、「落雷」のエネル
  ギーをいったん吸収して受け流して……それを、僕自身に還元させる
  ような……そういう、還流の仕組みを作るんです」

 自分を見下ろす師父の視線に、先刻までとは色合いを違えた険しさが
混ざったのを悟飯は感じた。
 確かに、この持論を打開策と呼ぶには無理があるだろうなと、悟飯も思
う。自分自身で制御できない破壊衝動から自分を取り巻く世界を守る事
ができたとしても、再び自身へと還元させたエネルギーがそれで威力を失
う訳ではない。再び受け入れた衝動に自分の心身が耐えきれなければ、
結局は、自分の中で「絶縁破壊」は起きてしまうのだ。

 だが、それでも……無自覚のまま享受させられる自己崩壊よりは、その
方がまだしも救いがある。少なくとも、己の衝動を否応なしに自覚させられ
ることで、自分はそれを受け止めるための覚悟を固める事もできた。
 後は、「避雷針」の根幹を成すものを、どうやって自分の中に作り上げる
かだったが……悟飯はその一点において、この地球の秘宝であるドラゴン
ボールに一縷の望みをかけていた。

 「確証がある訳じゃないんですけど……神龍には、人の記憶に干渉した
  り、肉体そのものに干渉してこの先の障害となるものを取り除いたり、
  そういう力がありますよね。命だって呼び戻せる力なんだから、当然と
  言えば当然なのかもしれませんけど。でもその力が、助けになってくれ
  るんじゃないかと思うんです。僕の考えていることをドラゴンボールが実
  現してくれれば、僕の体は、世界と僕とを隔てる幕のようなもので覆わ
  れたような状態になる。外に漏れだした衝動がその膜に阻まれてもう
  一度僕へと戻ってくるのなら……不毛な仕組みのようですけど、少なく
  ても、僕はこの先も、今の僕のままで、世界を傷つける事に委縮しない
  で、人中で暮らしていく事ができます」 

 僕の衝動が、世界を傷つけることだけは、それで避ける事ができますか
ら―――そこで一旦言葉を切ると、悟飯は、それまで口を挟むことなく自
分の言葉に耳を傾けていた師父の顔を、まっすぐに仰ぎ見た。
 その表情を伺えば、彼がこの仮説を歓迎していないことは瞭然だった。
確証のない、仮に実現可能であったとしても、遠まわしに自分を痛めつけ
る事を前提としたような手立てだ。師父の目から見れば、自分が一人、自
己犠牲を甘受したように受け取れるのだろう。
 だが……これは自分にばかり不利益をもたらす仮説ではないのだという
事を、自分はピッコロに理解してもらわなければならなかった。


 「……ピッコロさん。ピッコロさんは、多分、この方法で僕が自分を傷つけ
  続けることになるんじゃないかって、心配して下さっているんですよね。
  でも……僕は、ただ悪戯に自分を傷つけたがっている訳じゃないんで
  す」
 「悟飯?」
 「昔みたいに……戦い戦いの毎日の中では、そういう羽目になる事もしょっ
  ちゅうでしたよね。狙いを外されて、これが最後っていう攻撃を跳ね返
  されて……そういう時は、仕掛けたこちらの攻撃が大きければ大きい
  ほど、そのツケとして受け止めさせられるダメージも大きくなった。
  ……そういう事を、ピッコロさんは心配して下さっているんですよね」 
 
 でも、そうじゃないんです―――言って、悟飯はグッと首を持ち上げるよ
うにして、自分を見据える師父の眼差しを正面から受け止めた。

 「これは僕の仮説ですし、実現できるのかどうか、神龍に願ってみるまで
  解らない事ですけど……僕が界王様でも界王神様でもなくて、ドラゴン
  ボールに頼ろうと思った理由は、そこにあるんです。ドラゴンボールを
  使えば、人の心身ともに外部からの干渉が可能になる……システムの
  仕組みそのものは全く解らないですけど、それだけは、今までの実例
  が証明してくれています。それなら、僕の考えも、あながち的外れじゃ
  ないんじゃないかって、そう思えたんです」

 直接の施療を必要とすることなく、体内に埋め込まれた障礙を取り除い
たのけた神秘の力。その力は施術のみならず、成体を発育途中の子供の
外形に変化させるなど、人体組織そのものを作り変える事すら可能にした。
 ならば―――この仮説は、けして机上の空論にはならないはずだと、悟
飯はある種の確信を抱いていた。 
 だが、自分自身でも、雲をつかむような話だという自覚があるだけに、語
る言葉にどうしても気おじの色が滲んでしまう。

 「神龍は、その源である神様の力を越えた願いは叶えられない。でも、ゼ
  ロから生み出すことはできなくても、そこに存在するものを使って、それ
  を望んだ形に変換させる事は、ある程度可能なんじゃないかって、思う
  んです。それなら、僕の中にあるものを変換させて、僕の考えた形で、
  僕を覆う「膜」を作ることも、できるんじゃないかって……そうすれば、
  僕の中から漏れ出した破壊衝動を受け流して、そのエネルギーを変換
  させて、僕を傷つけない形に挿げ替えた衝動を、もう一度僕の中に戻
  すことだって……不可能じゃない」

 成功するという確かな保証を得たわけではない仮説を以て自分以外の
誰かを説得するという事は、想像する以上に難儀だった。この場に足を運
ぶまで一人考えを巡らせていた時には、もう少し論点を整理できたつもり
でいたのに、いざピッコロと向き合うと、思うように言葉が続かない。
 論旨が一定せず、行きつ戻りつする論点に加えて、それを物語る自分の
自信のなさを自ら露呈しているかのような、勢いの削がれた語調。そんな
自分の煮え切らなさは、さぞや師父を苛立たせているだろうと思いながら、
悟飯は、とにかく言うべき言葉を全て語らなければと、胸の内で自分自身
を鼓舞した。

 「……結局は、僕の中から吐き出された力を、もう一度僕の中に戻すだ
  けですから、根本的な解決にはならないんだと思います。僕の中に蟠っ
  た衝動を、常に一定値を越えないように維持するだけで、それでこの衝
  動が解消されるわけじゃない。飽和寸前の状態を強制的に持続させら
  れる訳ですから、僕が感じるストレスも、変わらないんだと思います。
  だけど……傍目には、ただ無意味な還流を繰り返しているように見えて
  も、そうすることで、僕はこの力で人や物を、世界を壊さなくて済むんだっ
  ていう、安心を手に入れる事が出来るんです」
 「悟飯……」
 「それが……その安心が、今の僕には必要なんです。これまでと同じよう
  に衝動に煽られても、それが世界に害をなさないものなんだっていう自
  覚があれば、僕はきっと、気持ちに余裕を持っていられる。膨れ上がる
  衝動に苦しんだとしても、それに耐える事が出来ます。自分一人の問
  題なんだって始めから解っていれば、耐えられないはずがないんです。
  ……そういう風に、僕は、ピッコロさんに鍛えてもらったんだから」

 それまで、歓迎の色は見せないまでも、不承不承と言った態で悟飯の述
懐に任せていたピッコロの容貌が、顕著なまでに強張りを見せたのが、悟
飯には解った。
 自分を見下ろす険しい容色に、何故だか、寄ると触ると怒鳴り飛ばされ
ていた、出会った当初の師父の姿を髣髴とさせられる。今となっては随分
と隔たってしまったようなかつてのピッコロを垣間見たようで、悟飯はふと、
ほろ苦い気持ちになった。

 「……昔、ピッコロさんとあの荒野で過ごしていた頃……体術や気のコン
  トロールばかりじゃなくて、色々な事を、ピッコロさんから教わりましたよ
  ね。―――覚えていますか?あの頃、すぐに次の動作に繋げるためだっ
  て、ピッコロさんから、呼吸法を叩きこまれたんです。体術の基本だか
  らって、徹底的に。始めはなかなか教わった通りにできなくて、怒鳴られ
  て……だから、なのかな。今でも、ちゃんと身に染みついています」
 「……ああ」
 「その呼吸法のおかげで……下界の研究室で、膨れ上がった衝動に呑
  みこまれそうになった時、僕は、なんとか自分を保つことができたんで
  す。あそこで自分を見失っていたら、口頭試問に臨む以前の問題でし
  た。……・ピッコロさんに鍛えてもらったから、僕は、あの場を乗り切れ
  たんです」

 だから、僕は大丈夫です―――続く言葉を舌にのせた刹那、胸襟に鈍
い痛みが広がった。

 感傷だと、自分でも解っている。それでも、一人立ちを自ら望み、師父へ
の依存を絶ち切ろうとしているこの言明が、ひどく心に重かった。
 だが、情に負けて言うべき言葉を呑みこんでしまえば、自分はこの膠着
状態から抜け出せない。悟飯は、尻込みしたがる自らの背中を強引に押
し出すかのように、向かい合ったピッコロへと向かい、かき集めた矜持と、
そして誠心からの思いを込めて笑いかけた。

 そんな悟飯を見下ろしたまま、ピッコロは、応とも否とも語らなかった。
何も言えなかったのだろうと、様々な言外の思いが表層に顕れては消え
ていくその面差しを眺めながら悟飯は思う。それほどに、自分の仮説は突
飛で、これまで自分を支え続けてくれたこの人の気持ちを置き去りにした
横暴なものなのだという自覚はあった。
 
 どうか理解してくれと、いま、そう言葉を重ねて強引に彼を説得すること
は、卑怯だと思った。これまでずっと、煮え切らない自分の様相を根気強
く見定めながら、けして自分を追い立てることなく、この人は自分を支え続
けてくれたのだ。その厚意に少しでも報いようと思うなら、相手を置き去り
にするような独り善がりな結論をただ押し付けるのではなく、時間をかけ
てでも、その理解を得ようとする努力をするべきだった。
 十有余年もの長い時間―――彼がずっと、自分に対してそうしてくれた
ように。


 言葉を重ねて悪戯に彼を追い立てるべきではないと、打ち切った言葉の
代わりに深く息を吐く。そうして改めて眼前の師父に向き直れば、彼もまた、
その場を取り繕う素振りも見せず、向けられた悟飯の視線を、ただ黙って
受け止めた。
 十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……

 纏う衣類に守られていない剥き出しの皮膚が、炙られるような「昼」の熱
気に痛みにも似た不快感を訴える。言葉も交わさず、ただその場に佇む
事で余計な感覚を拾い上げやすくなったのか、その不快感を耐えがたく感
じ始めた頃―――それまで口を噤んでいたピッコロもまた、その胸の内を
髣髴とさせるかのような錯雑とした面持ちのまま、一つ大きく嘆息した。


 「……どうやら、まだ長い話になりそうだな」
 「ピッコロさん……?」

 けして機嫌がいいとは言えない声音が、それでも、仮説の続きを聞かせ
ろと、言外に悟飯を促してくる。
 反射的に居住まいを正しかけ……しかし、次の刹那悟飯の視野に飛び
込んできたのは、視界いっぱいに翻った白いマントだった。

 「…っ」

 師父が踵を返した所作に一瞬遅れ、慌てたようにその後に従う。そんな
悟飯を振り返る事もせず、ピッコロは、平時と変わらない無愛想な声音で、
中に戻るぞと促した。

 「修行をつける訳でもないのに、こんな場所にいても意味がないからな。
  昨日の今日で、またへたばられても面倒だ。……さっさと中に入れ」

 身長差から生じる歩幅の違いを一切考慮していないかのように、背後を
気遣う素振りも見せず、ピッコロが大股に中枢部へと足を進める。不規則
に体を貫く鈍痛を受け流し切れず、思わず追従の歩みを止めてしまっても、
彼は頑なに悟飯を振り返らなかった。
 そんな師父の突き放した態度が、反って、自力でこの覚悟を貫かなけれ
ばならないのだと思い定めた己の気概を後押ししてくれているようで……
その陰に見え隠れする彼の斟酌を、悟飯は心底、ありがたいと思った。




 

 意図的に肉体を痛めつける目的で設定された外気は、やはり青年の体
力をそれなりに奪っていたのだろう。中枢部の建物へと戻り、食糧庫から
持ち出した補助飲料を手渡すと、彼は礼の言葉もそこそこに、受け取った
容器の中身を煽り、勢いよく嚥下した。
 何度か同じ所作を繰り返している内に、その額から噴き出す汗がこめか
みを伝い、纏った道着に滴り落ちる。しばらくは汗が引かないであろうその
様子に青年の消耗振りを見極め、ピッコロは、悟飯に休息を取らせるべく、
彼を寝室へと促した。

 「昨夜」の出来事があったばかりだ。寝室そのものは、使用者の退室を
感知してか既に自動的な修復がなされており、その痕跡を残していなかっ
たが、青年自身はそこまで割りきれなかったのだろう。彼はどこか気まず
そうに視線を彷徨わせ、室内の設備を直視しないよう勤める事で、平静を
保とうとしているようだった。
 彼に無体を働いた当人である自分が、今何を言ったところで彼の気まず
さを煽るようなものだろう。ピッコロは敢えて彼を気遣うような言葉を口に
せず、青年に先立って室内に足を踏み入れた。

 気休めにもなりはしないだろうが、せめてもの精神的な逃げ場になれば
いいと、「昨夜」の出来事を否応なしに思い起こさせる青年の寝台ではな
く、衝立を挟んで向かい合う、自分が使う寝台へと腰を下ろす。そうして、
目顔で隣に座るように促せば、悟飯は数瞬の躊躇いを見せたものの、大
人しく示された場所へと治まった。
 足を運ぶ何気ない所作や、腰を下そうとする体の動きが、やはりどこか
ぎこちない。「昨夜」の憔悴を色濃く残した悟飯の姿に胸の内で労しさを
覚えながら、ピッコロは、そんな自身の懊悩を振り切るように、隣に座る
青年の名を呼んだ。

 「―――悟飯。お前が自棄や自虐から、ああいう手立てを口にした訳で
  はないことは解った。だが、俺にはやはり、賭けるにはリスクの方が大
  きい方法であるように思える」
 「……はい」
 「先代の神からデンデへと、中継ぎとして神の知識を継承させたのは俺
  だ。ドラゴンボールの一件についても、お前の助けになってやれる位
  の見識はあるつもりだ。……だが、お前の言う方法が無謀な賭けにな
  らずに済むのかは……俺にも解らん。お前の言うとおり、神龍に願う
  その時まで結果の解らない、ぶっつけ本番の、賭けだ」

 それでも、お前はその望みを願うのか―――言外の問いかけは、所在
なさ気に寝台に腰を下ろす青年に、過たず届いたようだった。酷く苦い薬
を飲み下したかのようにその顔が歪み、膝の上に揃えて置かれた両手が
拳の形にグッと握りこまれる。
 だが、それでも悟飯は、己の提示した仮説を取り下げなかった。

 「……リスクの高い方法だという事は、解っているつもりです。でも、ここ
  で何もしないで下界に戻って、いつまた自分の限界が来るのかも解ら
  ずに、ただ怯えながら過ごすのも……結局は、賭けです。僕の中で膨
  れ上がったサイヤ人としての本能が、いつ限界を越えて暴れ出すかは
  僕にも解りません。それこそ、口頭試問の最中に、僕はまた、暴走して
  しまう羽目になるのかもしれない。そんなのは、最悪の事態を恐れなが
  ら悪戯に時間を引き延ばしているだけで……賭けにすら、ならないで
  しょう?」
 「悟飯……」
 「そうやってぐずぐずとしている内に、また限界が来て……そうしたら、僕
  はまた、ピッコロさんに……ああやって、身勝手に全部を押しつけて、
  縋って……そうして、何もなかったような顔をして……僕は、僕の暮ら
  す世界に戻るんでしょうか……」
 「…っ」
 「そんなの…っそんな事、あんまり身勝手すぎます…っ!僕は、僕のしで
  かした暴走の後始末すら、自分で果たせない人間になってしまう……
  だから……自分の尻拭いくらい、僕は…僕の力で…っ」


 吐き捨てるように続けられた青年の吐露に……ピッコロは、束の間、彼
に自身の存在を否定されたかのような心地を味わわされた。

 悟飯が自分を厭悪して、こんな言葉を口にした訳ではないのは解ってい
る。「昨夜」の行為が、已むに已まれぬ状況から起因したものとはいえ、青
年は、自らそれを望んだという事実を隠蔽したがっている訳でも、請われ
るままに青年を凌辱したピッコロにその責を背負わせようとしている訳でも
なかった。こうして彼と向き合えば、相手の気を探るまでもなく、その程度
の推量は容易い。
 だが、それでも……己の目指す道を歩むために、自分にその身を投げ
出さなければならなかった己自身を、悟飯は疎んじているように見えた。
 
 自分一人の足で歩けなくなることを恐れたのか、それとも、行為そのもの
への怖気が利害を上回ったのか……いずれにしても、今の悟飯にとって、
性行為に挿げ替えて己の衝動を発散することは、既に「ガス抜き」とは認
識できなくなってしまったのだろう。そんな彼に行為の有効性など説けるは
ずもないし、ましてや、自分との行為を前提にして己の限界を見定めさせ
る事などできるはずもなかった。
 それならば―――これは、体を重ねる事で己の衝動を昇華するという手
立てをどうしても受け入れられなかった青年が、懸命に企図した苦肉の策
なのだろう。その胸中を思えば、安易に物言いをつける事はピッコロには
できなかった。  

 「……解った。少し落ち着け」

 顔を伏せ、押し黙ってしまった青年を悪戯に刺激しないよう、敢えて素っ
気なく声をかける。そうして、ピッコロは、頑なに視線を合わせる事を避け
ようとしているかのような悟飯を強引に促すことなく、意識した平淡な語調
で、脱線しかかっている論点の軌道を修正した。

 「横槍を入れるような真似をして、悪かった。とにかく、お前の考えを最
  後まで聞こう。―――お前の中にあるものを変換させて、お前の中か
  ら溢れだした衝動を挿げ替え、お前の中に戻す還流システムを作る、
  という話だったな。それは……その、お前の中にあるものとは、一体な
  んだ?」

 この地上において、ドラゴンボールによって召喚された神龍が実現した
数々の奇跡を振り返れば、悟飯の立てた仮説の通り、対象者の体内組織
や認識の挿げ替えを行う事は、不可能ではないように思われた。そこから
の応用がどこまで適用されるのかは神龍次第だが、生命エネルギーその
ものに干渉できるその神気は、希求者に根拠のない確信を抱かせるには
十分すぎる。
 かつてこの地上を席捲した神と融合した過去を持つピッコロにとって、悟
飯の語った仮説と望みは、おそらく実現可能だろうと、内心で推し量れる類
の案件だった。    
 それでも青年を後押しせず、敢えて水を差すような真似をしたのは、彼の
思惑はどうあれ、その語る手立てが、彼自身を苛む結果となるようにしか
思えなかったからだ。

 悟飯の仮説を信用するなら、放出された後に神力による干渉を受け、そ
してその体内に戻されることになる衝動が、彼の体に物理的な傷痍を負わ
せることはないのだろう。それだけでも、その場を凌ぐ応急措置と考えるな
ら、この仮説は有益であるのかもしれない。
 だが……問題なのは、その後だ。

 青年が自ら語っていたように、この手立ては、放出された衝動を再び青
年の体内に還元するという、見方によってはひどく不毛なやり口だった。
その場をやり過ごすにはそれでよくても、結局、悟飯は強制的に体内に戻
された自らの衝動によって、再び苦しめられる羽目になる。
 戦闘民族の特性を最大限に発揮できるよう、他種族よりも長い時間、若
さと精力を保ち続ける事ができるのが、サイヤ人という種族だった。その
血脈に連なる悟飯の「若さ」がいつまで続くのか、前例のない二世代目で
ある彼の将来には、何一つ確証がない。
 そんな悟飯が、己の若さが続く間苛まれる続けることになる破壊衝動を、
果たして、どれほどの時間、我が身へと還流させることになるのか……
その事を思うと、ピッコロには、悟飯の仮説に頷くことが、どうしてもできな
かったのだ。

 だが、「昨夜」自分が彼に強いた手立ても、応急処置の域を超えてしまえ
ば、悟飯が掲げた仮説以上に不毛なものだった。
 この先、いつ老成するとも解らない、青年の歩む長い将来。今の段階で
は想定すら適わない不確実な時間を、自分との行為によってその場凌ぎ
を繰り返させられる青年の心中を思えば、彼にこの手立てを「まだまし」だ
と強要することなど、到底できなかった。

 それならば―――自分も腹を括って、悟飯の語る仮説と向き合わなけれ
ばならない。他に有益と思われる代替案を示してやれない以上、己の感
傷に負けて頭ごなしに反駁したところで、青年にとって、何の助けにもなり
はしなかった。


 そんなピッコロの腹構えが、隣に座る青年にも伝わったのだろうか。悟
飯は、ピッコロと目線こそ合わせないものの、それまで頑なに伏せていた
顔を上げ、じっと虚空を見据えた。  
 他者を威圧する類のものではない……それでも、確かな意志の力を湛
えた、澄んだ眼差し。その幼い頃からピッコロが親しんできたかつての彼
と、全く変わることのないそんな目顔のまま、彼は、自分自身を後押しする
かのように、隣に座るピッコロの耳朶にも届くほどはっきりと、大きく息を呑
みこんだ。
 そして……


 「―――僕の……僕自身の、生存能力を」
 「悟飯?」

 告げられた言葉の意味を咄嗟に測りかね、呼びかける声音に不審の色
が滲んでしまう。そんな言外の問いかけを感じ取ってか、悟飯は、それま
で虚空に向けられていたその目線を、ようやくピッコロへと戻した。
 正面から向き合った黒目がちな双眸は、平時と変わる様相を見せず、そ
こに動揺や恐慌の色は感じられない。それだけに、今、青年が確かな自
我を以て言明しているのだと、疑う余地はどこにもなかった。

 だが―――けして力強くはないものの、明確な語勢で以て続けられた青
年の言葉に……ピッコロは、己の耳を疑わずにはいられなかった。


 「……混血を繰り返す程に、強くなると言われました。その僕の中で生み
  出されて、サイヤ人の特徴を次世代に遺伝させる生殖能力を……僕
  の衝動を受け流す『膜』を作り出す基盤にしてもらおうと……そう、考え
  ています」


 

                           TO BE CONTINUED...


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