safety valve・19







  浴室内の空気を凍てつかせる、尋常ならざる冷気の為ばかりでは
なく―――ピッコロは、己の背を冷やす衝動に、身震いせずにはい
られなかった。


 自分を放っておけと言いながら、その実、食い入るような目で自分
を見据えてくる青年の双眸から、目が離せない。
 この悟飯に……身の内から沸き起こる、種の衝動に自我を支配さ
れた曰くつきの青年に、自分は太刀打ちする間もなく、片腕を奪われ
た。
 意図しての行動ではなかった。ナメック星人特有の生態が功を奏し、
あの夜の「事故」が、自分の素行に弊害をもたらすようなこともない。
だから自分は全てを不問に処したし、こんな何の益にもならない記
憶は互いに早く忘れてしまうべきだと思っていた。

 だが―――こうして改めて、青年と向き合ってみて思い知らされる。
あの晩味わわされた、文字通り身を裂かれる衝動と本能的な恐怖は、
そう簡単に、記憶から払拭できるものではなかった。

 腹の底に力を入れて、己の奥歯をグッと食いしばる。そうして己を
律していなければ、身の内から湧き上がってくる衝動に、容易く飲ま
れてしまいそうだった。
 この青年がほんの幼子であった頃から指南役を請け負い、曲がり
なりにも師と呼ばれた存在として、臆する姿を曝すのは業腹だ。自ら
の矜持の為にも、なにより、青年にこれ以上の負い目を抱かせない
ためにも、そんな無様は晒せなかった。

 そして―――己の矜持に縋らなければ凌げない程の衝動であれば
こそ、改めて思い知る。
 相手に「赦し」を与えられる、いわば精神的優位の立場に立てる自
分ですら、あの夜の記憶はこれ程に生々しく重いのだ。加害者側の
立ち位置を強いられた青年にとって、それはどれほどの恐怖だった
ろうか。

 自分が気圧されていては駄目だ。見せかけの印象操作に過ぎなく
とも、自分は彼の前で、居丈高なまでに泰然と構えて見せなければ
ならない。そうでなければ、今この瞬間にも飽和しかねない衝動を持
て余しているこの青年を、自分は到底支えてなどやれなかった。

 
 意図した強引な所作で、降り注ぐ水流からも、そしておそらくはピッ
コロ自身からも逃れようと、距離を取り後ずさる青年の腕を引き寄せ
る。瞬間、青年の喉奥から漏れた悲鳴のような声音を黙殺し、ピッコ
ロは、抵抗を封じたその体にシャワーのノズルを近づけた。

 「…っピッコロさん!」
 「いいから暖を取れ!世話を焼かせるな!」
 「…っやめ…っ嫌だ…っ!」
 
 当人にしてみれば、渾身の力での抵抗なのだろう。だが、凍えきり
総身の感覚すらおぼつかない状態からなされた抗いなど、常時の規
格外とも言える彼の「火力」を思えば、余りにもお粗末だった。資質に
おいて明らかに見劣りするであろう自分の力でも、十分に太刀打ち
できる。

 意味を成さない抵抗を続ける青年を加減のない力で押さえつけ、
傍目にも解るほどに戦慄き続ける総身に湯を浴びせかける。それで
も尚、拒絶の言葉を繰り返す悟飯に向かい、ピッコロは再度一喝した。

 「いい加減にしろ!何を意固地になっていやがる!」
 「…っ」
 「自分の状態くらい解っているはずだ。今のお前が暴走したところで、
  どうせろくに体が動きゃしないだろう。そんなザマで、なにができる
  つもりだ!」
 「ピッコロさん……」 
 「戦士として守るべき最低限の自制も守れない。何より自分の体を
  粗末に扱う。そんな気構えを、俺は一度でもお前に教えた覚えが
  ないぞ悟飯。そんなお前が、箍が外れた程度で何ができる。俺の
  命の保証ができないとでも言うつもりか!」
 「…っ!」
 「俺を甘く見るな!」

 凍えきった青年の体が、ピッコロの怒声に大きく竦む。そんな青年
の、大円に見開かれた双眸を正面から覗き込みながら、ピッコロは言
葉を続けた。

 「こんなザマでお前がどう暴走しようが、俺はもう、お前に腕の一本
  でもやる気はない。むしろ、こんな隙だらけのまま俺に一戦吹っか
  ける羽目になるかもしれない自分の事を、心配しろ!」
 「…っ」
 「お前が我を忘れてかかってくるなら、俺も容赦はしない。仕込んで
  やった事を何一つ活かせず無様な姿を晒すつもりなら、その位の
  覚悟でかかってこい」

 刹那―――浴室内部に充満していく湯気の向こうで、青年が、その
面差しをグッと歪めたのがピッコロには見て取れた。

 顰められた眉宇。きっと寒さによるものばかりではないのだろう、小
刻みに戦慄き続ける口角。ようやく暖を取り始めたにしては不自然に
紅潮していく目尻。ピッコロを見返す青年の風貌は、いまにも泣き出
しそうに見えた。

 何故自分の訴えを聞き入れてくれないのかというもどかしさや、一
方的に告げられる言葉に対する理不尽さも感じているだろう。居丈高
に言葉を叩きつける自分の方こそ、この圧倒的な力量差を前に何が
できるつもりだという、諦観にも似た思いもあるかもしれない。

 ……そう、これは誰が聞き咎めてもそう判断する事が明らかである
だろう、自分の完全な虚勢だった。
 例え物理的な制約を受けて体の動きが鈍っていようが、悟飯の中に
内在するサイヤ人としての破壊衝動が鳴りを潜めるわけではない。む
しろ、悟飯の残された理性に従って形ばかりであれ抵抗を示すことも
できたであろう肉体が、その機能を満足に果たせないのが今の状況
だ。
 単純な体術勝負であればいざ知らず、高揚する衝動のままに「無意
識」に放たれる青年の気弾を至近距離から食らえば、自分に太刀打ち
できる術などない。そして今の悟飯には、破壊衝動に呑まれるギリギ
リのところで己を抑え込んでおけるだけの、精神的、体力的な余力が
残されていなかった。
 
 対して、迎え撃つ自分に彼より秀でている部分があるとすれば、種
の特性である、尋常ならざる肉体の再生能力だけだ。それも、前回の
ように辛くも急所を避けられればまだしも、加減の利かない気弾を正
面から、頭からでも食らえば、そんな特性は役に立たなくなる。

 ほぼ十割の確実で自分に分のない無謀な挑発に、心臓が早鐘を打
つ。こうして弱った悟飯と向き合っているだけで、ようやく湯気に温めら
れた浴室内で尚、全身が総毛だつような心地だった。

  
 だが、理性で制御できない程の恐怖に怯えているのは、悟飯だとて
同じことだ。否……むしろ、衝動に引きずられるままに、相対した存在
を無意識に屠りかねない青年の恐怖の方が、自分の抱くそれよりも、
よほど重く救いがない。
 だから―――意味を成さない虚勢と周囲から呆れられようとも、ここ
で、自分がこの青年の「挑発」を諦める訳にはいかなかった。


 それまで曲がりなりにも自分へと向けられていた青年の眼差しが、
ふと逸らされる。向けられる水流から逃れる事をようやく諦めたのか、 
降り注ぐ湯に大人しく打たれながら、彼は、交々な感情が入り混じっ
たような様相で、その双眸を閉ざした。
 浴びせかけられる湯によるものばかりではなく……閉ざされた瞼を
押し上げるようにして、その頬桁を伝い落ちていくものがあった。

 「……悟飯」
 「……怖いです。体が温まってくると、また……自分を抑えきれなく
  なりそうで…」
 「……ああ」
 「また、あの夢を見て……目が覚めたら…自分でもどうにもできない
  くらい、気が高ぶっていて……そういう時は、水を浴びて誤魔化し
  てきたから……でも、ここがこんなに寒い場所なんだってこと、軽
  く考えてて…気がついたら、動けなくなってて……」
 「ああ」

 ご迷惑をかけてすみませんと、常よりも鼻にかかった不明瞭な声音
が小さく詫びる。それを敢えて聞き流したピッコロに向かって、青年は
もう逃げませんからと言葉を重ねた。

 なかば相手を拘束したままだったこの体勢から解放してくれという言
外の訴えに、もう問題ないだろうと判断したピッコロも、それまで抑え込
んでいた体から手を放す。そうして湯船につかるかと促せば、悟飯は
首を横に振った。

 「一度冷やしたことで少しは落ち着きましたし……少し寒い位で十分
  です。もう、出ますから」
 「悟飯」
 「馬鹿な事ばかりしてすみません。こんなの所詮付け焼刃なのに、
  それなのにピッコロさんを巻き込むだけ巻き込んで……」

 こんなことを繰り返しても何の解決にもならないのにと、独語のように
ぽつりと続けられた、微かな声音。
 それを聞き咎めたピッコロにも、打開策となり得るような答えを返して
やることは、やはりできなかった。
 それきり、互いに口を噤んだまま、悟飯は最低限の暖を取るべく頭か
ら湯を浴び、まだどこか体の動きが覚束ない青年の為に、ピッコロが
最低限の介助をする。
 そうして、3分が過ぎ、五分が過ぎた。
 
 こうしている間にも、青年の身の内で安定を失い、いつ再び暴走する
ともしれないサイヤ人の衝動が、無言の重圧となって浴室内の空気を
支配する。
 相手を殺してしまうかもしれない、相手に殺されるかもしれない―――
真逆の恐怖に内心で怯えながら、二人は、重苦しい沈黙を共有するよ
りほかなかった。 

  
 


 それきり満足に言葉も交わさぬまま、ピッコロは、湯浴みを終えた悟飯
を伴って、寝室へと移動した。

 どの道満足に眠れはしないだろうが、この冷気の中湯冷めさせれば進
んで風邪をひかせるようなものだ。ここを出た後、いくらでも自由にできる
時間があるというなら自業自得と放っておきたいところだが、現実に戻っ
た後の悟飯の過密スケジュールを思えば、こんなことに余計な労苦を払
わせるわけにはいかなかった。

 促されるままに寝台に入ったものの、やはり寝付けないのか、所在な
さ気に寝返りを繰り返す気配が衝立越しに伝わってくる。ここで声をかけ
たところで逆効果だと、ピッコロは、敢えて黙殺を決め込んだ。

 互いに息詰まる沈黙を共有したまま、果たしてどれ程の時間を過ごして
いたのか―――
 ふと、ピッコロは衝立越しに微かに聞こえてくる青年の呼吸が、それまで
のように、一定の循環を保たなくなっていることに気付いた。

 先刻、夢に魘されていた時のような、あからさまに起伏の乱れたもので
はない。だが、平時の……それも意識を保った状態であればなおのこと、
不規則な青年の息遣いは、ピッコロの人並み外れてすぐれた聴覚に、あ
る種の違和感を覚えさせた。

 一旦体を冷やして事なきを得たとはいえ、悟飯が身の内に抱えるサイ
ヤ人としての種の本能は、いつ飽和状態から決壊しても不思議ではない
程に、不安定な状況にあった。
 今、悟飯はお粗末ながらも暖を取り、寝台に身を落ち着けた、ある意味
「気の緩んだ」状態だ。意図して弛ませたその箍が、いつ外れても不思議
ではない。 

 ついにその時が来たかと、内心で身構える。
 自傷行為に近い真似まで敢行して、自らを制しようとしていた悟飯に対し、
それを禁じたのはこの自分だ。言葉面だけは大仰な見栄を切って彼にそ
の後の「保証」を約束した以上、自分がこの手で、暴走する悟飯を治めな
ければならなかった。

 
 自分よりもはるかに頑強な相手に小細工を労したところで無意味な事だ
と、敢えて気配を殺すことなく寝台から身を起こす。そうして、あからさまな
所作を誇示するようにして、ピッコロは衝立を挟んで身を休めている青年の
様子を伺った。
 だが……


 「悟飯、どうした……」
 「っ来ないでください!!」

 相手の状況がどうあれ、まずは会話が成り立つだけの意識レベルを保っ
ているのか、確認するためにも呼びかける。だが、ピッコロのその呼びか
けは、彼の予想以上に激しい拒絶の言葉ではねつけられた。

 「……悟飯?」
 「来ないで下さい!」  

 立て続けになされた、青年の緊迫した叫びに思わず足を止める。
 とにかく休めと自分が促した時と変わることなく、悟飯は宛がわれた寝台
に行儀よく収まっていた。その姿に、なんら異常は見受けられない。
 それでも、頭から掛け布を被ったまま、自分に向かい身を起こしかけた青
年の様子が、酷く狼狽したものであるようにピッコロの目には映った。

 ひとまずは、自分を拒絶する青年を必要以上に刺激しないようにと、その
場に留まったまま相手の様子を観察する。
 顔色は悪くない。厳しい冷気の垂れ込めた「夜」である事を考えれば、むし
ろ健康的な血色をしている。
 否。……むしろ、不自然なまでに、血色がよすぎるだろうか。

 そこまで考えて―――ピッコロは、いまだ鮮明に記憶に残る、この青年に
関する一つの事例を想起した。

 あれは、まだ悟飯がハイスクールに通っていた頃の話だ。それまで鬼籍
に入っていた父親が一日だけ現世に戻ってくることになり、交々の屈託を
胸の内に抱えていた悟飯は、その父親との対面に怯えていた。
 なにが原因なのか。どうすれば、彼が屈託なく父親と顔を合わせられる
ようになるのか。もはや自己中毒を起こす寸前だった青年を、どうにかし
て不毛な堂々巡りから解放してやりたくて、生じるであろうリスクを覚悟の
上で、自分は青年に荒療治を施した。

 地球系生物の、それももっとも性への衝動が旺盛であったであろう世代
の青年に対して敢行した、種の特性を逆手に取った、強引な詰問。追及を
弛めない自分の手立てに身も蓋もなく泣き濡れて許しを懇願していた青年
の容色は、苦い悔悟の記憶と共に、今でも鮮明に思い返すことができた。

 いま、一定の距離を保ちながら向き合う青年に、当時を髣髴とさせるよう
な取り乱しぶりは感じられない。きつく自分を見据える双眸に、あの時のよ
うに泣き濡れた様相は見受けられない。判断を下すには、時期尚早である
かもしれなかった。

 だが……元来色素の薄い青年の容色が、傍目に解るほどに紅潮してい
る事に、否が応にもあの当時の記憶を髣髴とさせられる。

 見当違いの見立てであるかもしれない。そもそも、地球人の生態は、異
星人である自分にとっては門外来だ。
 それでも、これまで20年近い歳月を側近くで親しんできたピッコロの目
には―――今、不自然なまでに自分を拒絶する青年のが、何らかの経緯で
欲情しているようにしか、映らなかった。

 




 
                                TO BE CONTINUED...

  
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