DBZ「safety valve・18」





  その「夜」―――

 適度な休息を挟みつつも、体感気温が一定の温度を保つ「日中」の
殆どを鍛錬に費やしたピッコロと悟飯は、冷気の立ち込める外気から
身を守るべく、建物内部に設えられた簡素な寝室で、早々に床に就
いていた。

 日がな一日、強制的に体力を消耗させられたことで、精根尽き果て
たのだろう。寝台に横になるなり寝息を立てはじめた青年の様子にひ
とまずは安堵し、ピッコロは、今日一日の出来事を苦い思いで胸の内
に反芻した。



 『……スイッチになる僕の衝動ごと…蓋をしてしまえればいいのに…』

 その場に居合わせた、自分に対して何かを期待しての言葉ではな
かったのだろう。それだけに、あの時青年が吐露した言葉に込められ
た、彼の追い詰められた心境を否が応にも思い知らされる。

 界王神界で、老界王神から下された一つの神託。結果として青年の
窮地を救うものであれ、それを甘受することは、彼自身の未来に途方
もない枷を課してしまう事だと、ピッコロは、ただひたすらに反駁した。
 だが……それも所詮は身勝手な感傷に過ぎなかったのではないか
と、いまになって苦く思う。

 悟飯らしく、彼の本来あるがままの為人のまま、この先の人生を生き
抜いてほしいと思った。これまで抑圧されるばかりの生き様を強いられ
てきたからこそ、せめてこの先は、そんな制約から極力解放された未
来を存分に味わわせてやりたかった。

 それでも、彼へと贈ってやりたかった「枷のない世界」が具現化すれ
ばするほど、悟飯は、統制を失った己の衝動に振り回され、自傷行為
にも似た「自制」を自ら強いられることになる。

 自由であれと願う事は、反ってその進退を窮まる結果になりはしな
いだろうか。青年が吐露したように、暴走の契機となる感情に「蓋」を
することで、その起伏が調整された環境に身を置く方が、彼にとって
は気楽な生き様と言えるのではないだろうか。

 よく言えば「丸くなった」―――しかし言い換えれば、何においても爆
発するほどに感情を揺さぶられることのない、不完全燃焼な衝動をずっ
と燻らせ続ける事になるのだろう、そんな悟飯の姿を、正直、見たくな
いと思う。
 だが、それは言うなれば、ピッコロの独善だ。当の悟飯本人がそうし
た生き様を望むというのなら、彼ではない自分に、その選択を取沙汰
する権限はない。
 全ては、悟飯自身が決める事なのだ。自分には、その決定を後押し
できるように部外者の立場から助力することしかできない。

 そんな風に、互いの立ち位置に線を引き、自分の立ち入れない領域
に身を置く悟飯が一人、様々な懊悩に囚われながら生きていく姿をた
だ見ている事しかできないことは、ひどくやり切れないとピッコロは思っ
た。






 ―――と、刹那

 「…っ」

 衝立に隔てられた隣の寝台から、寝息にしては不自然な、苦鳴
を思わせる声音が上がった。

 何事かと意識を傾けながら、それでも青年が目を覚ましたのだと
したら、このまま自分と顔を合わせるのも気詰まりだろうと、そちら
に背中を向けた姿勢のまま相手の気を探る。

 果たして、悟飯の意識は、まだ覚醒してはいないようだった。
 日中体を酷使させたことで、その疲れが反って熟睡を妨げている
のだろうか。寝息の隙を突くようにして断続的に漏れる苦鳴は、そ
の眠りが浅いものである事をピッコロに教えていた。
 夢も見ないくらい深く眠れればと仕掛けた目論見であったのに、疲
弊が高じて、「夜」通し夢にうなされでもするようなら、本末転倒だ。
 このままの状態が続くようなら、先日彼を無理やりに落とした時の
ように、長引かせない内に叩き起こしてしまった方がいいのだろう。
そんな中途半端な眠りにいくら時間を費やしたところで、疲弊しきって
いる青年の心身が癒やされるとは、到底思えなかった。

 早めに手を打つべきか、と、それまで意図して隔てていた互いの距
離を埋めるべく身を起こしかける。だが、ピッコロが行動に移すよりも
一瞬早く、衝立に隔てられた隣の寝台から、青年ががばりと起き上っ
た気配があった。

 目を覚ましたのかと、再び気配を殺して様子を伺う。と、その刹那―――
同室で眠る自分の存在を一切考慮できていないかのような慌ただし
さで、悟飯は隣接する浴室へと駆け込んだ。
 寝室から繋がる扉が、耳障りな音を立てて開閉するのを聞き届け
てから、改めて寝台から身を起こす。
 夢に魘された、その夢見の悪さを払拭したいというだけの目的で、
湯を浴びに行っただけであるなら、自分が関与するべきではないの
だろう。だが、もしも以前そうであったように、嘔吐などの物理的な弊
害を生じての行動であれば、それなりの介助が必要だった。

 人並み外れて聴覚の秀でた耳をそばだてるまでもなく、隔てられた
扉の向こうから、断続的な水音が聞こえてくる。自発的に湯を浴び
に行っただけなら問題はなさそうだと一旦安堵し、ピッコロは、素知
らぬふりを続けたまま悟飯の帰りを待つことにした。
 だが……三分が経ち、五分が過ぎても、浴室の水音は一向に止ま
らない。

 敢えて極端な寒暖差を設けた空間だ。外気温の変化に強いとは言
えない地球人やサイヤ人であれば、芯から冷え込んだ体を温めるた
めに、こうした元始的な方法で暖を取ろうとするかもしれない。だがそ
れでも、寝起きの嫌悪感を払拭させたり、単純な防寒の意味合いで
利用するにしては、悟飯の「お籠り」は少々長すぎるように、ピッコロに
は感じられた。

 過干渉かもしれない。悟飯はもう、成人を果たしたいっぱしの青年
だ。いつまでも何くれと手をかけていては煩わしがられる事もあるだろ
う。なにより、そんな自らの振る舞いで、青年が不必要に依存する羽目
になる不始末を、自分に許すことはできなかった。
 それでも、今の悟飯は、全てにおいて「普通の」状態ではない。平時
であれば到底嵌まり込まないであろう陥穽にも足を取られかねない青
年の現状を見知っているだけに、その動向には、ある種の色眼鏡を通
した判断を下すよりほかになかった。
 すなわち、結果として杞憂であったとしても、ここは様子を伺っておく
べきだと、ピッコロは判断した。 


 「―――悟飯」

 浴室内部の水音にかき消されないように、意図した強さで仕切り扉を
ノックしながら、青年の名前を呼ぶ。だが、ある意味では想定通りとい
うべきか、浴室からは何の反応も返らなかった。
 ここで踏み込むのは時期尚早かと、幾分焦れる思いで同じ所作を繰
り返す。……と、刹那。青年からの反応ばかりに気を取られていたピッ
コロは、不意に、とある違和感に襲われた。

 それは、青年が浴室に飛び込んでからの時間を鑑みれば、遅きに失
した察知であったかもしれない。
 ピッコロが陣取った浴室の扉からは、こうして青年の反応を待つ間に
も、一切の暖気が感じられなかった。

 「…っ」

 こうした特殊な空間に設えられた施設であれ、その用途に変わりがな
い以上、設計上の留意点などに、市井におけるそれとの大差はない。
 つまり、限られた空間に充満する湯気や暖気による「湯中り」を防ぐた
め、また、常時蔓延る事となる湿気の被害を極力防ぐために、浴室のよ
うな場所には、他の屋内施設以上に、換気のための措置が施されてい
るものだった。
 換気にすぐれているという事は、すなわち、内部の暖気や湿気を、効率
よく外部に逃がせるよう設計されているという事だ。

 悟飯が浴室内に籠ってから、既に十分近くが経過している。だというの
に、扉の前に立つピッコロには、浴室内部から逃がされた湯気や暖気が、
「一切」知覚できなかった。
 だというのに、浴室内部から聞こえる水音は、一向に病む気配がない。

 ならば……考えられることは、一つだけだ。


 「…っ悟飯!」

 青年の返事も待たず、蹴破るように扉を空けながら浴室内部へと足を
踏み入れる。
 果たして―――浴室には一切の湯気もなく、どころか、気温差に強い
ピッコロでさえ思わず身震いを覚える程の冷気が充満していた。
 そして……浴室の壁にもたれるようにして頽れた、勢いよく降り注ぐ「水」
に打たれ続けている青年の姿―――


 「…っ…この馬鹿が!!」

 引きずり寄せるようにして腕の中に抱き起した体は、ピッコロがこの空
間に足を踏み入れた「前夜」、無防備に転がっていた彼を慌ただしく回
収した時と大差がないほどに、冷え切っていた。
 この冷気の中、十分近くも水を浴び続ければ、嫌でも凍えるだろう。そ
んな軽挙に及んだ青年の事も、それを気づきもせずに放置していた自
分自身も、ピッコロは酷く腹立たしかった。

 「馬鹿が!凍死しかけた昨日の今日で、何をやっている!!」

 浴室内に冷水をまき散らすシャワーの活栓を捻り、腕に抱きこんだ体
をこれ以上冷やさないよう、その水流から遠ざける。…と、一瞬の後に
思い直し、ピッコロは、シャワーの温度調整を行ってから、再び活栓を
捻った。

 「昨夜」の状態から鑑みるに、鍛え上げたサイヤ人の体躯は、この程
度の冷気ならば凍傷を患いはしないだろう。ならば、昨夜同様、頭から
湯を浴びせて暖を取らせた方が、手っ取り早い。
 ぐったりと自分に身を預けたままの青年ごと自らも降り注ぐ湯に打た
れながら、この程度なら問題なさそうだと、ピッコロは水量を更に強め
ようとした。


 だが……



 「……やめ……くだ……い……」
 「悟飯…っ」

 より直接的に暖を取らせようと、シャワーのノズルを片手に温水を浴
びせかけていたピッコロの腕に、震えながら持ち上がった青年の冷た
い指先が、掛けられる。
 満足に歯の根もあっておらず、感覚さえ怪しい状態なのであろうに、
どこにそんな余力が残っていたのか……悟飯は、爪を立てんばかりの
力でその支え手にしがみつき、ここから出してほしいと、言葉を重ねて
訴えた。


 とはいえ、浴室の外は、文字通りの極寒だ。ここで湯を浴びせて暖を
取る以外に有効な手立てがない以上、ピッコロにはその訴えを聞き入
れる訳にはいかなかった。

 「ここを出たけりゃ、四の五の言わずに暖を取れ。グダグダ抜かして
  いる間に、ここに居残る時間が増えるだけだぞ」
 「……でも…お湯なんか浴びたら…僕……」
 「四の五のぬかすな!そもそもお前が馬鹿な真似なんぞするから、処
  置が必要になるんだろうが!とっとと暖を取って……」
 「……ちが、うんです……」

 切れ切れに続けられる訴えをにべもなく突っぱねて、放水の勢いを増
したノズルを青年に近づける。だが、ピッコロの予想以上に、青年は頑な
だった。

 問答では埒が明かないと諦観したのか、腕に中に納まっていた体躯が
出し抜けに抵抗を見せる。不意を突かれて支えそこなったピッコロの腕か
ら半ば転がり落ちるようにして、悟飯は、降り注ぐ湯の雨から逃れた。

 「悟飯!」
 「…っ…違う、んです…っ…せっかく、治まったのに…今、温まったら…っ」
 「悟飯、おい!」
 「また…っ抑えが利かなく…っ」

 反射的にその動きを追いかけ、助け起こそうと伸ばしたピッコロの手を、
にべもなく悟飯が弾く。咄嗟に二の句を告げなかったピッコロに、ようやっ
とと言わんばかりの態で向き直り、彼は、腹の底から振り絞るような声で
訴求した。


 「悟飯…!」
 「…お願い、ですから……このままに、しておいて下さい…っ」

  
 その刹那―――それこそ寝食を共にしておきながら、「日中」の鍛錬を
終えて以来初めて、この青年の面差しを属目した心地を、ピッコロは味わ
わされていた。
 「昨夜」、この浴室で介助に及んだ際……そして「日中」、追い詰められ
た青年の吐露を、謦咳に接した折……青年は、こんな面差しをしていた
だろうか……

 正面から交わった互いの視線に―――総毛立つような心地がした。


 「…っ」

 それは数日前、神殿の外壁付近でこの青年相手に手合せを行った際
に覚えた、いまだ記憶に新しい感覚だ。
 
 手合せの最中、突然様子のおかしくなった悟飯。眼前の自分を見ず、
自分の呼びかけに答えず、彼は、あの時おそらく、己の内で膨れ上がる
破壊の衝動に、その意識の全てを囚われていた。
 
 今、自分と向き合う青年は、芯まで凍えた体を満足に動かせない。隙
をついてはガチガチと音を立てる歯の音が拍車をかけて、到底、周囲の
存在を脅かせる破壊者の風貌には見えなかった。
 だが……


 だが、ピッコロを見据えるその眼差しは―――あの晩、いとも容易く己
の片腕を弾き飛ばしてのけた、破壊と殺戮の衝動に支配されたサイヤ
人と、全く同種のものだった……
 
 
 
 

                                 TO BE CONTINUED...

  
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