DBZ「safety valve・17」








  精神と時の部屋にピッコロが合流した翌日―――「朝」を待って開始
された手合せに、悟飯はピッコロの予想通り、あからさまに気後れした
態を見せた。

 日々の生活を市井の中に求めたことで、数年かけて衰えていったも
のはあるだろう。それでも、所謂平和ボケの只中にあっても、ここまで
悟飯との手合わせが、話にならない局勢を見せたことはなかった。
 そう―――話にならない。今の悟飯には、ピッコロと……手合わせの
相手と正面から向き合おうとする、気概そのものが欠けていた。

 ピッコロの繰り出す攻撃を受け止めるか受け流すか、そのどちらかし
か反応が返らない。表向きは、防戦一方となった青年がそれでも辛抱
強く現状を維持し、反撃の機会をうかがっているように見えるのだろう
が、悟飯にその意思がない事など、拳を交わすピッコロには一目瞭然
だった。

 一方的な攻撃に曝されながら、ただ時が過ぎるのを待っているかの
ような青年の消極さがもどかしい。それでいて、感知できる相手の内
気が一定のバランスを保っている事が、尚の事ピッコロを苛立たせた。

 やはり、純粋な戦闘民族の血を受け継ぐ悟飯にとって、真似事であ
れ、戦う事が何よりの精神安定剤となるらしい。こうして一方的に嬲ら
れるような手合せでも、青年は肉体の疲弊と比例するように、その内
に巣食う破壊の衝動を和らがせているのだ。

 やり切れないと、胸の内で吐き捨てる。こんな不毛で何の見込みも
ない修練を、この長付き合いの弟子に施すのは、初めてだった。
 それでも他の手立てを思いつかず、少なくとも一つの「成果」が実感
できる以上、手心を加える訳にはいかない。50度の気温に加えて高
重力という作為的な負荷を受け続ける白一色の空間で、ピッコロは、
明らかな疲弊の色を見せる悟飯を、ひたすら嬲り続けた。

 地上と比べて明らかに劣悪な環境下では、鍛え上げた体躯を以て
しても、ものの10分で簡単に息が上がる。青年の表情や体の動き、
感知できる内気などから総合的に判断して、ピッコロは、開始後30分
ほど経過したところで、攻勢一方だった手合せに待ったをかけた。
 途端に、それまで辛うじてといった態で防戦の構えを維持していた
悟飯がその場にへたりこむ。礼節を重んじる彼にしては珍しい事に、
返礼の言葉もないまま、発育のいい体躯が全身、床に沈んだ。

 他に存在する者もいない閉ざされた世界で、青年の発する荒い呼
吸の音だけが、断続的に周囲の静寂を乱す。床に転がった体勢のま
ま懸命に呼吸を整えるその様子を無言で見遣っていたピッコロは、そ
うして3分が経過しようとする頃、これ以上は無理かと、青年に残され
た余力を見限った。
 外に出るかと、最後通告のつもりで声をかける。だが予想通り、悟
飯はその言葉に頷かなかった。 

 自分との手合わせも避けたいが、このまま何の手立ても講じないま
ま外界には戻れない、という心境なのだろう。それは抵抗と呼ぶには
あまりにも消極的で、そうした悟飯の覇気のなさが、ピッコロには苛立
たしく、気遣わしかった。

 太陽の光によって大気の温度が変化する地上とは異なり、この特殊
な次元では、等しく一定の気温に支配される。そもそも太陽という熱源
が存在しないため、暑気あたりを避けるための「日陰」など、果てもなく
視界一杯に広がる床面のどこにも、探すことはできなかった。
  
 このまま悟飯を床に転がしておけば、「昨夜」とは逆に、今度はこの暑
気によって、彼の容体がのっぴきならない事態となる。もはや自力での
移動が困難であろう青年の体を引きずり起こすようにして、ピッコロは、
この空間に設けられた唯一の避難場所である建物の内部へと、その体
を運び入れた。


 この次元においてもっとも温度調整に優れている食糧庫へと場所を移
し、機能性を重視した、素っ気ない意匠の施された壁面に青年を凭れか
けさせる。そうして補助飲料の入った容器を差し出せば、彼は躊躇いな
く手を伸ばし、受け取ったそれを一気に煽った。
 やはり相当に渇きを覚えていたのか、時折咽返るようにしながら、それ
でも青年の嚥下する勢いは衰えない。体が疲弊していてもまさか誤飲は
しないだろうと、しばらく好きなようにさせていたピッコロは、その慌ただし
い所作が落ち着きを見せるのを見計らって、もう一度悟飯に声をかけた。


 「―――気は、落ち着いているようだな」
 「…っ」
 「だが、それだけだ」


 自分でも解っているだろうと、こちらを仰ぐ双眸を正面から見つめ返す。
途端に、動揺も露わに視線を逸らそうとする青年の臆病を咎めるように、
ピッコロはその名を呼んで、衝動の揺らぎを見せる相手の目線を自分へ
と釘づけにさせた。

 「お前の中に巣食う破壊の衝動は、こうしてお前を疲弊させることで、ひ
  とまずは抑えられる。……だが、実際に下界での生活に戻れば、そう
  いう訳にもいかないだろう」
 「……はい」
 「せめて、日常生活を問題なく行える程度に体力を温存させた状態で、
  三、四日はその衝動を抑え込めなければな」
 
 事態を好転させるための、具体的な手立てを見越しての言葉ではない
事は双方共に承知の上だったのだろう。そのまま二人は押し黙り、辺り
の空気を重苦しい沈黙が支配した。




 これからの一生を左右すると言っても過言ではない、一つの登竜門を
潜るための戦いだ。門外来のピッコロには想像の域を出ない事だが、そ
れが狭き門であれば尚の事、青年の歩みを留めようとする障害は、作
為無作為的問わず、あちこちに転がっていることだろう。
 心身ともに、万全な状態を維持できなければ到底戦い抜ける道理が
ない。それが解っているからこそ外界での時間を無駄にできず、時間稼
ぎと承知の上でこの特殊空間に籠っている青年を前に、ピッコロは、こ
の部屋を逃げ場所にして無為な時間を過ごすなとは、言えなかった。

 そして……青年の心身を傷つけてでも敢行するべきだという覚悟の下
に挑んだこの「処置」が、己の想像する以上に深刻なリスクを孕んだもの
であったことを、今更ながらに思い知る。
 鍛錬の場に引きずり出され、不承不承にではあれ腹を括った様子を見
せた悟飯が、自分を相手に反撃の一手も放てないという事態は、正直な
ところ、ピッコロも想定していなかったのだ。


 目先の問題は先送りにできても、こうして一方的に自分に嬲られ続け
るような「修練」は、どう考えても悟飯の為にはならない。どころか、己の
内に巣食う衝動を宥めるための、幾ばくかの「足し」になる事を知った彼
をこのまま嬲り続ければ、その意識の底に、容易には払拭できない自
虐性を植え付けてしまう恐れもあった。

 あのような「事故」を引き起こした記憶も鮮烈な今、その被害者である
自分を相手に疑似戦闘行為に没頭することが、どれほど青年の神経を
すり減らすものであるかは想像に難くない。それでも他に手立てがなく、
効用が見込めるのであればと、この青年を手合せの場に引きずり出し
はしたものの……転じて、自分に対する青年の負い目が、望ましくない
形で具現化されようとしているのが、ピッコロには感じられた。

 それが何の意味も成さない行いであると、恐らくは双方共にわかって
いる。だが、反撃の一手も繰り出せない程に委縮した悟飯の内気が、
それでも緩やかに慰撫されていくこの現実は、想像する以上に危険な
ものだった。


 望まない手合わせを強要される苦痛が、己の衝動を宥める要素の
一つのなるのだと、必要以上に自覚させることは危険だ。無理やり相
手に付き合わされているのだという嫌悪の感情が、相手に向けられる
贖罪めいた感傷へと、すり替わりかねなかった。
 今の悟飯は、戦いを生業とする戦士ではないが―――そうした自虐
的な感傷は、往々にして「負け犬根性」に繋がりかねない。 
   
 大魔王の後継を声高に名乗っていた当時の自分であれば、また異
なる心証を抱いたのかもしれない。だが、今となってはピッコロ自身、
常に勝気に攻撃的に、事態に挑み続ける事ばかりが最善の生き様で
あるとは思っていなかった。
 生きていく間には様々な過渡期があり、思い定める人生の道標もま
た、人それぞれだ。己の人生に白黒をつけられるとしたら、それはそ
の人生を生抜いた、当の本人だけだ。傍目にはどれほど要領悪く遠
回りに見えようとも、余人にその生き様を、云々する資格はない。

 だが……相手の人生を評定する資格などなくても、本人が望んだわ
けでもない後天的な心的外傷を、背負わせかねない危惧からは、無
理やりにでも引き剥がしてしまいたいと思う。
 このまま悟飯の中で育ちかねない「負け犬根性」を見過ごせば、そ
の過失はいつかきっと、手痛いしっぺ返しとなって自分達に返ってく
るだろうという確信が、ピッコロにはあった。

 
 同じ高みを目指す多くの「敵手」を押しのけて、望む将来を勝ち取り
に行くのだろう。覚悟も奮励も人並み以上に積み重ねてきたであろう
青年の研鑽が、こんな些細な心の隙で徒労に終わってしまうとしたら、
その理不尽がピッコロには我慢ならなかった。

 例え単純な手合わせの現場であろうとも、条件反射的に気後れして
しまう自分を許していれば、それが、いざという時の決断力を鈍らせ
る、致命的な迷いへとつながりかねない。
 全霊でぶつかり、悔いの残らない結果を出すためにも、迷うことなく
勝気に事を推し進めてほしいと思う。そのための弊害となりかねない
なら、いかに当面の効用が見込めるとはいえ、悟飯をこのまま、自分
との手合わせの嬲り者にしておくわけにはいかなかった。

 だが、ああした「事故」の直後だ。負け癖を付けさせないために反撃
しろと言ったところで、悟飯は素直に従いはしないだろう。それは意図
しての反抗ではなく、彼の本能的な恐怖によるものであろうから、仮に
ここに別の相手を連れてきて手合せさせたところで、きっと、結果は変
わらない。
 かと言って、このまま何の手立ても講じられないまま青年を外の世界
へと引きずり戻しても、せめて「事故」の記憶を風化させる為だけであ
れ、試問の日まで悟飯に残された、現実世界の時間は短かすぎた。 




 何よりも待ち望んできた力試しの時だ。過去の失態など意識から切り
離し、余所事など顧みず、己の欲の赴くままに、身勝手なまでに我を貫
いてほしいと思う。
 だが、現状のままでそれを自身に許そうとすれば、箍が外れた悟飯の
内気は、己の衝動のまま、些細なきっかけで暴走を起こしかねなかった。
そうなれば、学者としての悟飯の将来に、いずれにしても影が差す。
 八方ふさがりだと、ピッコロは思った。



 ―――と、刹那。それまで押し黙っていた青年の口角が、微かに震え
ながら持ち上げられた。



 「……どうして、いつまでもこんな風なんだろう……」



 それは、ピッコロに向けられ陳情というよりは、独語に近い吐露であっ
たのだろう。並外れた聴覚が聞き咎めたその言葉に向き直ったピッコロ
に頓着する風もなく、悟飯は、相変わらず疲弊しきった表情のまま、ぼん
やりと言葉を繋げた。


 「セルとの戦いの時も、ダーブラやブウとの戦いの時も……とにかく怒
  れって、いつもそう言われてきました。怒りに我を忘れられれば、僕は
  この世界で最強だって……」
 「悟飯……」
 「だったら、少なくても戦いの最中は、常にキレていればいいのかって、
  そう思いました。上手くいく時もいかない時もあったけど、とにかく僕
  がそうなる事で、戦いの勝機を掴めたこともあったから……それが
  僕に求められている事だっていうんなら、僕はそれでいいんだって」


 でも、と青年が言葉を繋ぐ。それを契機としたかのように、それまで感
情を気取らせない淡々とした語調で紡がれた吐露は、にわかに生々し
い情動の揺らぎを帯びた。 

 「でも……どうすれば自分の感情をコントロールできるのか、僕は、きっ
  と今まで一度だって、真剣に考えたことがなかった……お父さんを、
  失うような羽目にさえなったのに…それが自分に求められてきたこと
  だからって、僕は…っ」
 「悟飯」
 「だから…っ…今になって、こんな事……ピッコロさんにだって、こんな
  にご迷惑、かけてしまって…なのに、自分をコントロールする方法一
  つ、自分じゃ、思いつけなくて…っ」

 嗚咽のような呼気の乱れに紛れて続けられた言葉が何であったのか、
ピッコロにも、明瞭には聞き取る事が出来なかった。それでも、引き攣
るような呼吸の合間に、青年が詫言を繰り返していることは解った。
       
 悟飯がほんの幼子であった頃から、今彼が言及しているような戦士と
しての生き様を、彼に望んできたのはピッコロも同様だ。周囲の大人達
同様、精神の成長よりも先に、まず物理的な戦力の増強を促してきた
当事者の一人であるからこそ、ピッコロには、悟飯の慟哭に気安く言葉
をかけてやることができなかった。
 この青年に対し、当時自分達が強いた仕打ちを、今更詫びたところで
仕方がない。また、それはあの激動の只中で、青年自身をも生き延び
させるために、確かに必要な事だった。
 かと言って、お前は間違ってはいないなどと、気休めにすらならない
ような慰めを言ったところで何にもならない。結果として語る言葉を見
つけられなかったピッコロは、その代わりのように、眼前の青年へと腕
を伸ばした。 


 持ち上げた片腕で己の表情を覆い隠すようにしながら、切れ切れに
嗚咽を漏らす青年の額を、無造作に己の肩口に引き寄せる。縋りつく
よすがを得たことで完全に気が緩んだのか、次の刹那、悟飯は臆面も
なく、ピッコロの上衣を掴みしめながら啼泣した。

 己の激情を振り絞るように声を放って慟哭する青年の、衝動がおさ
まりを見せるまで急かすことなく、無言のまま介添役に徹する。そうし
てひとしきり気のすむようにさせている内に、悟飯はようやく、平静さ
を取り戻し始めたようだった。 

  
 「…自分で…っ…自分をコントロールできないようなら…っ…力を持
  つ資格なんかない…っ」
 「悟飯…」

 それでも自責めいた言葉をやめない青年を、もうやめておけと言外
に促すように、己の胸元から引き離す。そうして自然と目線を合わせ
る形となった、情動に溢れるもので塗れたままの双眸を見下ろしなが
ら、ピッコロは、かけるべき言葉を探しあぐねたまま、それでもなにか
この青年に水を向けなければと、その口を開きかけた。
 だが、いまだ自責の念に振り回されている青年の目に、確かに映っ
たのであろうピッコロのそうした所作は、彼の意識にまでは上らなかっ
たらしい。いっそ、と彼は言葉を続けた。

 「こんな風に、引きずられて持て余すばかりの力なら……」

 機先を制された形となり、口を噤んだピッコロを前に、相変わらず独
白めいた、抑揚に乏しい声音が言葉を紡ぐ。
 そして―――更に続けられた青年の独白を知覚した刹那……疲弊
の色濃いその容色を見下ろしていたピッコロの双眸が、反射的に見開
かれた。 

 
    
 「……スイッチになる僕の衝動ごと…蓋をしてしまえればいいのに…」


 それは、悟飯にとっては埒もつかない、愚痴のような一言だったのだ
ろう。事実、身の内で膨れ上がる破壊衝動を封印することは大界王神
にも不可能なのだという神託を、彼は既に承知している。
 だから、これは彼にとって、ありえないと胆に銘じながらもふと漏らされ
た、ただの願望だ。はじめから、その実現など期待してはいないだろう。

 だが……



 『要は、孫悟飯の感情に、サイヤ人の衝動が引きずられなきゃいい訳
  じゃろ?』
 『わしがちいっとあれの感情をいじってやればよ、それで終わりじゃ』 


 
 だが……悟飯の呟きを耳にした刹那、ピッコロの耳朶に蘇ったのは、
界王神界で大界王神から告げられた、悟飯には告げることのなかった
神託の一部だった。

 
 己の鼓動が、一気に跳ね上がったような心地がする。
 
 これは悟飯の溢した、ただの愚痴めいた願望だ。きっと悟飯自身、
真実それを具現化する手立てがあると知ったところで、目の当たり
にすれば尻込むだろう。その程度の軽口だった。

 だが……胸の内から際限なくせり上がってくる、この名状しがたい
気遣わしさは、なんなのか……



 言うだけ言って気が済んだのか、そのまま押し黙ってしまった青年
の肩を軽く叩き、先刻の騒ぎで脇に転がってしまった飲料の器を取り
上げ、握らせる。
 しっかり水分を補給しておけという言外の指示に従って、素直にそ
の中身を煽り始めた青年の姿を眺めやりながら―――表面上は平
静さを装いながら、ピッコロは、己の背筋を冷やすような衝動を、どう
することもできなかった。


 


                                 TO BE CONTINUED...

  
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