DBZ「safety valve・16」







  浴室を後にしたピッコロが、その足で真っ直ぐに向かったのは、簡
素な造作をした寝室に隣接する食糧庫だった。

 寒暖の差が著しく激しいこの空間には、一定の気温を過ぎると痛ん
でしまうか凝固してしまう、外界で通常用いられている食材は保存で
きない。この部屋の専らの使用者である、大食漢のサイヤ人―――
純血、混血問わず―――達から提言される問題点の最たる部分であ
る食糧事情は、必要な栄養素を余さず補給できる粉末状の「保存食」
と、その吸収を助ける「補助飲料」の併用で、不承不承ながらも、辛う
じての妥協点を保たれていた。

 お世辞にも満足な食事とは言い難いが、悟飯がすぐにここから出よ
うとしない場合、こんなものでもとにかく摂取しなければ、消耗著しい
彼の体力は回復しない。無理やりにでも口に入れさせなければとそれ
らを一抱えにし、ピッコロは、再び寝室へと取って返した。

 「食糧」管理のため、この異次元空間の中で最も保冷保温に優れて
いる―――あくまでもこの次元に限定しての比較だ―――食糧庫か
ら移動すると、尚のこと、「夜」の冷気が身に沁みる。そう広い作りでは
ない浴室で、運び込んだ青年の介助にあたるため湯気を浴びていた
全身から、体温が奪われていくようだった。

 寒暖の落差に強いナメック星人の生態を以てしても、備えなしには
堪える環境だ。本来なら、消耗した悟飯を長々置いておきたい場所で
はなかった。だが……

 寝室内に据えられた、簡素な寝台を改めて見聞する。
 使用者が己の鍛錬に全霊を傾けられるように、この空間に用意され
た設備や備蓄には、自動修復および自動補充の機能が備わっていた。
一定時間の経過と共に「使用前の状態に戻る」この寝台を見て判断を
下すことに何の根拠もありはしなかったが……恐らく、悟飯はこの空間
に足を踏み入れて以来、一度も寝台に横になってはいないだろうと、
確信めいた思いがピッコロにはあった。

 有無を言わさず、ここから引きずり出して現実世界へと連れ帰るべき
なのだろう。あくまでも鍛錬を目的に作られたこの空間では、悟飯は、
到底心安くなど休めない。
 だが、それでも……

 『でも僕、武道家なんかなりたくない。偉い学者さんになりたいの』


 出会いの日、自分の風体に怯え、突きつけられた現実に涙しながら、
それでも幼子であった、自分の生涯唯一の弟子は、震える声で、それ
でも真っ向から、自分の言葉に反駁してのけた。
 あの日幼子が語った夢が、今まさに、手を伸ばせば届く現実となって、
悟飯を迎え入れようとしている。 

 今、悟飯がこの部屋に自ら籠っているのは、外界と時の流れを隔て
たこの場所で、身の内から沸き起こる自らの衝動を「ましな状態」にま
で収めるため、少しでも時間を稼ぐためだ。それを思えば、他に有効
と思える代替案もないまま、情に流されて青年をここから引きずり出
して悪戯に時間を消費させる訳にはいかなかった。

 外敵もなく、この次元を支配する独特な環境に、対応できるだけの
基礎体力も有している。多少の「暴走」程度で被害を受ける事もない
この部屋は、管理の目さえ届けば、今の悟飯にとって、確かにこの
上ない避難場所であるはずだった。
 水を差したくはない。ひとたび下界へと送り出せば、もう自分の助
力が及ばないのだと解っているからこそ、この天上に滞在できる時
間はできうる限り、その心身を休ませるための便宜を図ってやりたい
と思った。

 とはいえ、ガス抜きと称した手合わせの最中に、ああした「事故」が
起きた直後だ。悟飯はもう、時も相手も選ばずに衝動が暴発しかね
ないという不発弾を身の内に抱えたまま、自分を含めてきっと誰が相
手でも、その発散行為につきあわせようとはしないだろう。

 だが、これまでも、実戦形式の修練が難しいと思われるような局面
で、状況に応じて行わせてきた精神修養にしても、所詮は一時しのぎ
だ。自分に対して萎縮する青年に合わせてこちらが傍観者の立場に
徹してしまえば、今の自分にできることなど、何もなくなってしまう。

 とにかく今夜はこのまま休ませるとして、明日一日、無理やりにでも
もう一度、悟飯と手合せして現状を再確認しよう。その上で、この部屋
に居残るおおよその時間を算段して―――


 と、刹那……浴室とこの寝室とを隔てる扉の向こう側で、一際大きな
水音が上がった。

 体を心から温めさせることが肝要とはいえ、あまり長湯をさせるのも、
まだ不安が残る。これ以上上がってこないようなら一声かけるべきかと
気にかかり始めていたが、ようやく、青年も踏ん切りがついたようだ。
 今更急かせることもないだろうと、声をかけたりすることなく相手の進
捗に任せる。
 果たして、成人男子の身支度にしては大仰なほどの時間が経過した
頃―――浴室との仕切りである扉が、控えめに開かれた。

 「……ピッコロさん」

 健やかに発育した体を心もち縮めるようにしながら、所在なさ気な様
子で姿を現した悟飯の容色は、頬に赤みも差し、平時の青年の血色を、
ほぼ取り戻しているようだった。忠告通り、全身の自由が戻るまで、しっ
かり暖を取ってきたのだろう。
 だが、自分の出方を伺うように俯き加減になった青年の目元もまた、
その頬と同様に赤らみ、腫れを帯びているように見えた。 
 
 今はまだ、何を言っても何をやっても、悟飯の屈託も、自分に対する
その負い目も、払拭してやる事はできないだろう。
 すみませんでしたと、改めて頭を下げて見せる青年を、とにかく座れ
と寝台に促す。悄然とした面持ちで寝台に腰を下ろしたその頭の上か
ら、ピッコロは、敢えてぞんざいな仕草で掛け布を投げかけた。

 
 「……まだ夜は長い。このまま戻らないつもりなら、せめてそうして体
  を冷やさないようにしておけ」
 「すみません……」
 「それから――」

 厚い掛け布を頭からかぶり、用意した着替えに包まれた袖先だけが
覗くその掌に、食糧庫から持ち出してきたものを握らせる。反射的な所
作であったのか、同時にその場から引きかけた青年の掌ごと差し出し
たものを支えると、ピッコロは、悟飯に短く、食べろと命じた。

 
 「大食漢のお前には、こんなものでは到底満足できんだろうがな。ここ
  に残るつもりなら、食っておけ。できないというなら、このままお前を
  連れて戻る」
 「ピッコロさん……」
 「食え」

 それが口先の脅しなどではないという、ピッコロの本気を感じ取ったの
だろう。全身を覆う掛け布の下で、戸惑いを思わせるような身じろぎが数
瞬続き―――そして、ようやく観念したように、悟飯は渡されたものにそ
の手を伸ばした。

 粉末状の保存食が、一口分指先に掴まれると、ゆっくりとその口元に
運ばれる。程なくして、嚥下したものでようやく己の空腹を自覚したとば
かりに、青年の腹が大きくなった。
 二度、三度と数を重ねるごとに、手にした器から保存食を掴みあげる
速度が増していく。都合七度ほど同じ動作が繰り返されたところで、そ
ろそろ頃合いかと、ピッコロは口を開いた。

 「―――どうだ。少しは、腹の足しになったか」
 「…っ」

 青年の体を頭から覆い隠す厚い掛け布の下から、鋭く息を呑みこん
だ気配があった。返事を促すことなく沈黙を貫けば、その声音は、ピッ
コロが己の秀でた聴覚に頼らずとも聞き取れるであろう程に、はっきり
とした嗚咽の響きを象った。

 そして……


 「…っ…砂を…噛んでいる、みたいです…っ」


 ようやく紡がれた青年の言葉は、応えというにはあまりにもお粗末な
ものだった。そうだろうなと短く返し、ピッコロは、掛け布の上からでもそ
れと分かるほどに小刻みな痙攣を繰り返す悟飯の隣に、無造作に腰を
下ろした。
 ここにいるつもりなら、我慢してでも食っておけと声をかけながら、何
食わぬ風を装って掛け布ごと青年の肩を軽く引き寄せる。そうして、ピッ
コロは、子供のように泣きながら「食事」を続ける悟飯の内気を、伸ばし
た己の気で探った。


 ……ある意味、呆れたものだと思う。この部屋に籠る前は、あれ程に
不安定な揺らぎを見せ、実際にそれを暴発させるほどに乱れていた悟
飯の内気は、今は、交々の動揺に浮き沈みしながらも、平時とそれほど
変わらない振れ幅の範疇に収まっているようだった。
 やはり、戦う事を生業とするサイヤ人の血を色濃く受け継いだ悟飯に
とって、実戦以上にその衝動を慰撫するものはないという事なのか。
 それは、とりあえずの急場は凌げたらしいという僅かばかりの安堵と、
やはりこの青年の身に巣食う衝動は、「実戦」を以て収めていくしかない
のかという、諦観にも似た思いが混ざり合う、複雑な心境だった。
 
 これで、明日からの当面の方針は決まったと、暗澹とした気持ちで自
らに言い聞かせる。この特殊な次元空間を拠点とすれば物的被害もほ
とんどなく、仮に破壊行為に及んだところで大抵のものは自動修復され
るときているから、これ以上に暴れやすい環境は、この世のどこにもな
いはずだった。 
 それでも、自分の片腕を吹き飛ばした記憶もいまだ鮮烈な悟飯は、自
分を相手に戦う事を心底嫌がるだろう。それでも「効用」を狙ってそれを
強要しなければならない明日からの工程を思うと、これまでにないほど
うみ疲れている自分自身を、ピッコロは、自覚せずにはいられなかった。



 促したところでどうせ素直に眠りはしないだろうと、食糧庫から調達す
る際、保存食と補助飲料にひそかに仕込んでおいた、薬物がようやく
効いてきたらしい。睡魔と共に、この「二日間」無理を通した疲れも上乗
せされたのか、横に座る悟飯が、いつしかうつらうつらと、舟を漕ぎ出し
た。
 それでも自分に気を使ってか、なんとか威儀を正そうと試みているら
しい青年の努力を、居汚い真似をするなと一蹴する。そうして、さっさと
寝てしまえと言い捨てた青年への一喝を隠れ蓑に、明日からの工程を
思い及び腰になりそうな自らの鬱屈を、ピッコロは、これ見よがしの嘆
息と共に切り捨てた。

 悟飯がこの部屋に籠ってから、およそ二日。当初、彼がデンデに使
用期間の目安として告げた時限まで、あと五日を切った。
 実際に残された物理的な使用時限を考えれば、あくまでも目安の工
程に過ぎない。それでも、できる事なら予定通り―――更に欲を言うな
らそれを詰めた形で、悟飯を連れてここを出たいと思う。

 長引かせるべきではないと……何の根拠もなく、しかし、形にならない
ある種の危惧を覚えながら、ピッコロは、そう自らに言い聞かせた。

  
 自分の言葉に従い、寝台に横になった悟飯の意識は、すぐさま睡魔
に呑まれてしまったらしい。微かな寝息を立てながら、平時よりも幾分
幼く見える寝顔を晒している青年の姿が、ふと、自分の一挙一投足に
怯えるばかりだった、幼い日の彼に重なったような気がした。

 あの頃のように……自分との鍛錬を全身で拒絶するであろう悟飯と
の、我慢比べのような時間が、明日から、また始まるのか―――


 自分が情に引きずられればそれで終わりなのだと、解っている。だ
が、それでも……
 戦闘民族としての元来の習い性に、全く不釣り合いであるはずの気
性をしたあの青年に―――明日から強いる事になる無体を思うと、胸
の内に膨れ上がっていく言い表しようのない遣り切れなさを、ピッコロ
は、どうすることもできなかった。
     

 



   
                         TO BE CONTINUED...

  
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