DBZ「safety valve・10」






  「……界王神界?またか?」




 「その時」は、意外に早く、やってきた。




 身の内から声高に主張を続ける、サイヤ人としての己の衝動を持て余し、悟飯が天上の
神殿に避難してから、三日が過ぎた。

 肉体的な制約ばかりではなく、己のルーツにまで遡った屈託を抱える青年に、これまで
のような、体を使っての単調な「発散」は殆ど役に立たない。そう判断したピッコロは、
この神殿で悟飯に規則正しい生活を送らせる傍ら、瞑想などの精神修養に多くの時間を費
やさせた。

 雑事が持ち込まれることのない天上での生活は、それだけで、日々の喧騒に追われてき
た悟飯の心にある種の安寧を与えたらしい。その上で、意識して精神の平衡を保たせる事
で、ピッコロの意識の糸が触れる悟飯の内面は、今にも感情の振り子が振り切れそうになっ
ていた当初と比べ、明らかな安定を見せ始めていた。

 起こりうる事態を先延ばしにしただけで、根本的な解決には至っていない。だが、下界
での忙しない日常の合間を縫ってここにやってきた青年が、それを理由にして、いつまで
も下界との接触を避けているわけにもいかなかった。

 少なくとも、この神殿で寝起きをした方が、悟飯にとって、精神衛生上望ましいらしい
事は、これまでの経緯からも明らかだった。ならば一旦地上に戻り、必要な手配を済ませ
た後は、しばらくこの神殿に仮住まいさせた方が、目が届く分だけピッコロとしても安心
できる。当然、都の下宿に寝起きするよりも院への通学に時間を要するという問題点は残
されたが、この時期、博士論文の口頭試問を控えた悟飯は、定時の通学を院側から求めら
れていなかった。

 そういった事情を鑑みた上で、しばらくの間、この神殿からの通学をピッコロが提案し
たのが、昨夜のこと。悟飯は、一も二もなく、その言葉に頷いた。


  
 そしてその翌日―――悟飯の避難から三日目の朝、試問の段取りを進める院側との最初の
すり合わせのため、そして再び神殿に戻るための身支度を整えるため、悟飯は、朝から地
上に戻っていた。
 青年に見咎められることなく事を進められる好機を逃さず、下界へと念話を送る。目的
の人物は、ピッコロとの約束通り、その日も、その住居を設けたパオズ山で捉まった。
 
 妻を手伝って洗濯物を干していたという男に、半ば強引に、頃合いを見計らって一人の
時間を作るよう依頼する。程なくして、幾分不平交じりながら、要件が整ったという下界
からの思念を受け、ピッコロは、目的地へと移動した。
 そして―――話は冒頭へとさかのぼる。





 
 目的の人物、孫悟空は、顔を合わせるなり一方的に押し付けられたピッコロの要求に、
いささか面食らったようだった。
 訝しむような声音でなされた問いかけに続けて、今からか、と同じ語調で重ねられる。
言葉少なに頷いて見せると、彼はいよいよ訳が解らないといった表情で、ピッコロの長身
を仰ぎ見た。
  

 「あのよ、あそこはこないだ、悟飯連れて行ったばかりだろ?そりゃ、界王神のじっ
  ちゃんなら、行きゃあ会ってくれると思うけどよ。……なんでだ?」


 そんなふうに、相手の都合をまず理由に挙げるような「らしくない」配慮を思わず彼に
させる程に、自分の申し出が突飛なものである事は、ピッコロにも解っていた。
 そもそも、前回の界王神界訪問の際、懸念されていた悟飯の異常については円満解決し
たと、悟飯自身の口から釈明されている。そのわずか一月足らずで再訪問の依頼を受けれ
ば、鷹揚さに定評のあるこの男でも、さすがに不審に思うだろう。
 何かあったのかと彼が問うのは当然のことで、そして、「協力者」としても「身内」として
も、彼には、それを知る権利があった。


 だが……今回は、これまでとは少しばかり事情が違う。
 悟飯の父親である孫悟空には、その身上を慮る意味合いばかりでなく、余計な懸念を与
えないためにも、できる限り多くの情報を、適宜渡していくべきなのだろう。だが、受け
取り様によっては悟空本人をも否定しかねない今の悟飯の屈託を、敢えて悟空の耳に入れ
る事は、ピッコロにも抵抗があった。
 悟飯本人は、腹を決めた上での告白であればいいだろう。だが、この親子に関し、あく
までも既知の範疇を出ない自分がそれを口にするのは、分を過ぎた行為だ。


 ここは、多少の恨み言を買ってでも、貝になった自分が憎まれ役になった方がいい。自
分が口下手である事を自覚しているピッコロには、「地雷」となり得る部分のみを器用に
ぼかしたまま、一連の経緯を悟空に説明できる自信はなかった。

 「……詳しいことは、今はまだ言えん。だが、悟飯がこの先の人生を大過なく送るため
  に、必要な事だ。話せる時がくれば、悟飯本人がお前に話すだろう。でなければ、頃
  合いを見て、俺が話してもいい。首を突っ込んだ責任において、それは約束する。
  ……だから今は、このまま協力してほしい。悟飯にも、今はあれこれ聞かないでやっ
  てくれ。あいつにも、時間が必要だ」 
 「だけど、今おめぇが界王神界に行こうとしてるのは、そうしてる時間がないからって
  事か。……おら、こういうの苦手だからな。察してくれって言われても無理だ」

 ピッコロの陳情の後を受けるように発された、悟空の言葉は淡々とした感情を気取らせ
ないものだったが、その内心が言葉通りに凪いだものでないことは、ピッコロにも容易く
察することができた。どれほど放任ぶってはいても、血を分けた我が子の事だ。気がかり
であろうし、蚊帳の外に置かれて面白く思うはずもない。

 これはもうしばらく、父親の面子を潰されたこの男の文句に付き合わなければならない
だろう。そう、ピッコロは内心で覚悟した。
 だが……反して、予想していた反駁は、それ以上返らなかった。



 「……今は言えねぇ、か。……おめぇがそう言うなら、おらが何言ったって口割るはず
  ねぇな。……しかたねぇ」
 「……孫」

 不承不承ではあるのだろう。向けられた男の顔は、ピッコロがよく知る、全てを達観し
たような泰然としたものではなかった。だが、それでも悟空は、それ以上、ピッコロに事
情を説明しろとは言わなかった。
 きっとピッコロにぶつけたかったのであろう憤懣の収めどころを誤魔化しているかのよ
うに、悟空の顔に、遣り切れないと言いたげな微苦笑が浮かぶ。

 そして――――少し話長くなるけどいいか、と、彼は言葉を繋いだ。


 「……随分前な。確か悟飯が、ゆにばーしてーってとこ入るから、都に下宿させるかど
  うかで、ちっと家ん中揉めたことがあってな。そんとき、あいつよく、おめぇんとこ
  行ってただろ?」
 「……ああ」

 いったい何の話が始まったのかと、内心で一瞬身構える。だが程なくして、これが悟空
なりの、現状を受け入れるために必要な「段取り」である事をピッコロは察した。
 口を挟むことを控えたピッコロを前に、悟空の問わず語りが続く。


 「あの頃よ……今だから言うけどよ。おら、悟飯がおめぇばっかり頼りにするんが、正
  直、ちっと面白くなかったんだ。都に行くのも行かねぇのも、おら達家族の問題なの
  に、あいつはおらでもチチでもなくて、おめぇを頼っちまう。……こんな話、しちまっ
  てすまねえな。もう今は、そんな風には思ってねぇ」
 「孫……」

 今更こんな話するんも、みっともねぇんだけどよ―――言って、悟空はきまり悪そうに、
奔放に跳ねる己の頭髪を掻き乱した。

 「でな、いつだったかな。やっぱり悟飯はおめぇんとこに行っちまってて、家にいなく
  てさ。そういう事を、チチに愚痴言っちまったことがあったんだ。おら、てっきりチ
  チもおらとおんなじような気持ちでいるんだろって、思い込んじまったんだよな」 
 「……ああ」
 「そしたらさ、すんげぇチチにどやされたんだよな。悟空さがピッコロさに文句つけら
  れた立場かーってよ。いや、あれにはたまげたぞ」
 「……っ」

 悟飯が都のユニバーシティへ進学を決めた時、彼の下宿問題や、専攻課程をスキップさ
せるかどうかで、孫家の内部で一悶着あったことは、ピッコロも、悟飯本人の口から聞い
て知っている。だから、その渦中で自分の存在がどのように思われているか、想像するの
は難しいことではなかった。そのくらいに、知己に過ぎない自分はあの当時、孫家の内情
に関わり過ぎていた。
 だから、かねてより折り合いがいいとは言えなかった、この男の細君などは、さぞや自
分を苦々しく思ったであろうと、そう、自分は考えてきたのだが……

 意外の念が、あからさまに顔に出ていたのだろう。言葉を失ったピッコロに向かい、悟
空は、たまげるよなぁと苦笑いした。

 「そん時な……無茶苦茶今更だったけど、やっとおら、気づいたんだ。おら、七年も家
  族をほっぽらかして、あの世でフラフラしてた。おらにとっては、結構あっという間
  の時間だったんだけどさ……七年ってのは、そのくらい、長い時間だったんだってな」

 それは、出会った当初は蛇蝎如くピッコロを忌み嫌っていた、チチの心境の変化を示唆
した言葉だったのだろう。自分が中心となった、しかも相手の感情ありきな話題にどう応
えていいか解らず、相槌すら打てなくなったピッコロを前に、悟空は、だからよ、と言葉
を続けた。


 「……だからよ。今はおら、これ以上はおめぇにも悟飯にも、何にも聞かねえ。そんだ
  けの理由があるんだって思って、おめぇらから話してくれるのを、ちゃんと待つよ。
  今はまだ、あいつは大丈夫なんだってことも、信じる」
 「孫……」
 「ただよ……こんなんでも、おら、あいつの父親なんだ。だから、本当にあいつがどう
  しようもないとこまで追い詰められちまったら……その時は、教えてくれ。それがど
  んなに辛ぇ事でも、おら、ちゃんと聞いておきてぇ」


 苦笑の形であれ、それまで男の顔に辛うじて浮かんでいた笑みが、まるで戦いに赴くよ
うな引き締め顔に飲み込まれる。そんな張りつめた様相のまま、悟空は、悟飯を頼んだぞ、
とピッコロに言い置いた。

 

 その時、胸襟を浸した思いを何と呼び現したらいいのか―――ピッコロには、解らなかっ
た。 
 
 そこに至るまでには様々な内情があるとはいえ、親元で育てられるべきだった幼子を、
己の手元に留め置いた責任の重さ。
 戦士として規格外の成長を遂げた愛弟子に、その内心を知りながらも戦いを強い続けて
きた、依存の業。
 今こうしている間にも、身の内でいつ暴れだすともしれない衝動に怯える青年に対し、
何一つ明確な手立てを示してやれなかった自らへの不甲斐なさ。
 そして、そんな自分に対して差し伸べられた、意外な方向からの理解の手を、自分でも
気づかない内に受け入れられるようになっていた、自らの変化―――

 

 一つ一つは、それ自体がなんの力も持たない、ただの感傷だ。だが、こうしてそれらを
追認識することで、自分自身進退窮まるかのようだったこの現状に、喝を入れられたよう
な心地になった。

 孫悟飯という、得難い存在と関わってきたからこそ、触れることの叶った情であり、世
界だった。
 あの青年が、当たり前のようにこの世界で生きていくことができるように……その後顧
を託された自分が、どうあってもこの目論みを果たさなければならなかった。


 言うべきことは全て言ったとばかりに、平時の泰然とした面持ちに戻った悟空が、準備
はいいかと聞いてくる。
 己の立場も鑑みず、神の禁足地へ出向くという禁忌に尻込みかける自らを鼓舞するよう
に―――ピッコロは、力強く頷いた。
 
  
 
  

 
 




 瞬間移動により足を踏み入れた界王神界で、悟空は、「今は何も聞かない」という自ら
の言葉を証明するかのように、大界王神への接見に同席しなかった。
 
 悟飯の親である自分が立ち会ってしまう事で、支障を生じるかもしれないとの危惧もあっ
たのだろう。彼は、二人を出迎えた当代の界王神に大界王神への取り次ぎを頼むと、自ら
は再び瞬間移動を行い、地球へと戻っていった。
 尋ね人である老界王神は、程なくしてその姿を見せ―――ピッコロが予想していたよりは
遥かに容易く、接見の席は成立した。





 それまで人伝の話に聞くだけだった絶対神は、ピッコロが想像するより遥かに、飄々と
した外見をしていた。
 加えて、加齢による代謝の衰えか、肉が落ち、皺の寄った表皮に包まれた体はか弱い老
人のものとしか思えない。悟飯から話に聞いた時は、仮にも神の中の神と呼ばれた存在が
そうも下卑た物言いをするものだろうかと疑問だったが、こうして相対してみると、さも
ありなんという心境になってくる。

 しかし、そんな色眼鏡を通してみても、老界王神の放つ、得体のしれない威圧感は本物
だった。


 非力な老人然とした佇まいとは裏腹に、その場に居合わせているだけで、老神の醸し出
す存在感に圧倒される。そんな存在と出会ったのは、四年前、魔人ブウとの決戦の前哨戦
となった天下一武道会で、彼の子孫であるという当代の界王神と見えて以来だった。

 相関を突き詰めて追及すれば、支配階級と被支配階級に分類されるとはいえ、その間の
距離があまりにも遠すぎて、地球に根付いた生物には、実感として捉える事はないかもし
れない。だが、始祖開闢の時代より、その素行に至るまでこの老神の神託による制約を受
けてきたという種の記憶と、かつて一時でも地球の神を名乗った自らの立ち位置が、二重
の意味でピッコロを雁字搦めにしていた。

 そして、純粋な存在感と言う意味では、老熟した大界王神に対して強制的に抱かされる
本能的な畏敬の念は、当代以上だ。ここに持ち込もうとしていた懸念の全てに目を塞ぎ、
今すぐに地球へと取って返したくなるほどに、この神の聖域は居心地が悪い。

 だが、代替えとなる手立てを他に思いつかなかったからこそ、不敬を覚悟の上でここま
で来たのだ。今も悟飯を苛んでいる彼の衝動を思えば、おいそれとは引き下がれない。



 気合を入れるかのように己の下腹に力を込め、ピッコロは、改めて眼前の絶対神に向き
直った。 
   

 「―――非礼を承知で、大界王神様にお願い申し上げます。孫悟飯を……四年前、その御
  手によって極限にまで潜在能力を引き出されたあの青年を、今一度御診立て頂き……
  身の内に解放された力を、封じ直して頂く訳には、参りませんでしょうか」
 「あん?」
 「孫悟飯は、現在は一介の学生として、平凡な日常の中に暮らしています。日常を送る
  には大きすぎるその力を持て余し、あれは今、いつ自己崩壊を起こしても不思議では
  ない、非常に不安定な状態にあるのです。このまま放置すれば、いずれ、孫悟飯個人
  の問題にとどまらず、地球そのものがその暴走に巻き込まれる恐れがあります。……
  どうか今一度、今の内に……孫悟飯に、大界王神様のご処置を……」

 対して、ピッコロの陳情に耳を傾けていた老神は、その内容にさして気持ちを動かされ
た様子もなく、のんびりとした語調で、ああ、あのサイヤ人なあと相槌を打った。

 「あれなら、こないだやってきたからよ、診てやったがよ、べっつにどうもなっとりゃ
  せんかっとぞ。まあ、確かに若いしよ、欲求不満にもなるじゃろうからよ、抵当に相
  手を選んで発散しろとは言ったがよ?……なんじゃ、まっさかあの年で、懇ろになれ
  るおなご一人作れんで、わざわざ泣きついてきたっつうことか?」


 まったく最近の若いもんはこれだからのー、わしが若い頃はよ……等々、延々続けられ
そうな人生訓話に、ピッコロは、それこそ決死の覚悟で、その事ですが、と水を差す。

 「その事ですが……大界王神様にも御上覧頂いたとおり、孫悟飯は非常に真面目で実直
  な青年です。将来を誓い合うような相手でもあればともかく、ただ、己の欲求を満た
  す為だけに…その、一時の行為に興じるというのは、無理があるかと……」

 我ながら、なんとも自分の気質にそぐわない、面映ゆい物言いをしているものだと思う。
だが、事が悟飯の進退に及ぶなら、ここまで来て、話題性の是非などこだわっている訳に
はいかなかった。  


 「……そして。御存知のように、孫悟飯は、サイヤ人と地球人の間に生まれた混血児で
  す。戦闘民族であるサイヤ人の血を引くが故に、己の潜在の力の継承を恐れて次世代
  を望めずにいます。……そういった存在に、謂わば、種の存続を髣髴とさせるような
  交接行為を強いるのは……」

 総動員した気力を振り絞っても、どうしても本題に向けて語勢が衰えてしまうピッコロ
を改めて見遣り、老界王神は、随分まどろっこしい物言いをするのうと、呆れたように嘆
息し、己の頭部をぞんざいに撫で上げた。


 「あー…混血すると能力があがるっちゅうアレか。少数精鋭で生き延びてきた民族だけ
  あるわな。そんだけ、生存能力が強いんじゃろ。……ま、あれがとんでもない堅物な
  んだっちゅうことは解ったがよ。にしてもよ、子供を作れんっちゅうのは、ちいと気
  がかりが先走り過ぎとるように思うがのう」
 「現存するサイヤ人の中で、二世代目が更にその子孫を育んだ前例はありません。三世
  代目のサイヤ人が誕生するとすれば、孫悟飯が自らの嫡子を設けたその時が、初めて
  の事となります。……孫悟飯自身が既に、サイヤ人としても規格外の存在ですから……
  その血を継承させることを躊躇うのも、もっともかと」

 悟飯を「規格外」の存在へと変じさせた施術の当事者を前にして、さすがにあからさま
な物言いは憚られ、ピッコロの言い回しが婉曲なものになる。だが、そんなピッコロの采
配に特段感じ入った様子もなく、老界王神は、のんびりとした口調で、別に問題ないと思
うがのうと呟いた。

 「あのよ、ワシの能力はよ、相手の潜在能力を限界以上に引き出すことだけんどよ?元々
  は、そいつの中に眠っとる力を媒体にしとるだけだからよ。ないところから引き出す
  ことはできないしよ、あくまでそいつ本人に限定した作用だからよ。まあ確かに試し
  たことはないけどよ、孫悟飯の子供にそれが継承されるっちゅうことは、ないと思う
  がのう」

 その語尾を幾分ぼかした老界王神の口振りに、彼もまた、二世代目のサイヤ人という不
可視の存在相手に試みた施術の効能を、断言できる根拠は持っていないのだと伺い知れた。
比較対象が他にない以上やむを得ないのだと理屈では納得できても、それでは困るのだと
いう不服めいた思いが、ピッコロの胸中を過る。

 だが、自らの立ち位置をはるかに凌駕する絶対神を前に、そんな物思いをおくびにも出
すまいと畏まるピッコロの耳朶を打ったのも、やはり気安い語調のままなされた彼の神託
だった。

 「ま、いざとなりゃよ。その、孫悟飯の子供をここに連れてくりゃええだけの話じゃろ。
  もし子供に伝わったとしても、そりゃあ父親が後付けで背負ったもんを引き継いじまっ
  ただけの事じゃからな。孫悟飯にしてやったのとは逆に、持て余した力を封じてしま
  う事位できるだろうよ」
 「…っ」
 「ま、それはそれで、後から封印を解く事が出来なくなるからよ?一生の問題になるか
  らよ、よーく考えて選ぶ必要はあるじゃろうがな」


 事もなげに言い切った老界王神の佇まいには、その言葉の持つ意味合いの重さに相反す
るかのように、気負いのようなものは少しも感じられない。それこそが、彼の語る言葉を
裏付ける何よりの証となった。
 根拠の是非など質す必要はない。この老神ができるというなら、それが真実なのだ。

  
 人知を超えた老神の力が、心底ありがたいとピッコロは思った。悟飯がどんな将来を選
ぶのか今はまだ解らなかったが、少なくとも、次世代に背負わせるかもしれなかった懸念
の一つを払拭できるとなれば、未来を見据えた彼の自由度は格段に上がる。「そうなれば
その時に対処すればいい」と言える安心が、悟飯を雁字搦めにする屈託から、彼を確実に
解放してくれるはずだった。

 絶対神を前にした自らの立場も憚らず、言質を取るかのように、下された神託に念押し
をしたくなる。だが、勢い込んで口を開きかけたピッコロの機先を、しかしのう、と続け
られた大界王神の言葉が制した。


 「次の世代の事は、ひとまず置いとくとしてよ。一度力を解放しちまった孫悟飯の方は、
  そういう訳にもいかんぞ。わしが言うのもなんじゃが、ありゃあ、一度使ったらそれっ
  きりの反則技みたいなもんじゃ。その先の一生を、引き出された力を抱えたままずっ
  と生きていかなきゃならんからのう」
 「大界王神様……」
 「わしがゼットソードに封じ込められちまった時代っちゅうのはよ、まあ最後の最後は、
  とんでもない力の持ち主が台頭してそいつに牛耳られちまったがよ。群雄割拠っちゅ
  うの?先を争って地上を席巻してやろうっちゅう奴が、結構ゴロゴロいたからよ。わ
  しの能力を頼るような奴は、大概、戦いづくめの一生を余儀なくされとった。力を手
  に入れてのし上げれば、また別の誰かに、取って代わろうと狙われる。それでも構わ
  ないから、時代を生き延びるための力が欲しいっつってな。わしが潜在能力を引き出
  してやったのは、そういう連中ばかりじゃった」

 戦い漬けの一生なんぞ、わしだっていいもんだとは思っとらんがの―――言って、老神は
遥か遠い過去世を懐かしむかのように、虚空を見やった。

 「魔人ブウは確かに桁外れの強さを持っとったが、こうして振り返ってみれば、対抗勢
  力の中から凌ぎを削って出てきたような存在ではなかったからのう。倒されてしまえ
  ば、それきりじゃ。取って代わろうとする輩がいるわけでもない。あれ一体が消えた
  ことで、もう世界は、こうして平和を保っとる。……そんな時代に、引き出された能
  力を一生背負って生きていくのは、しんどい事じゃろうよ」
 「…っ」
 「解っとる。まだ若すぎる孫悟飯には酷な事だと、あの時解っとったよ。じゃが他に方
  法はなく、孫悟飯はそれを受けいれた。……敢えて水を差して踏み止まらせるには、
  孫悟飯の潜在能力は惜し過ぎた。そういう未練を感じてしまったことも、否定はせん
  がな」


 物語る大界王神の語調には起伏がなく、これが余人の、例えば当時の経緯を見知ってい
る程度の部外者の口から語られた言葉であったら、ピッコロは怒髪天を衝く勢いで憤激し
たかもしれない。だが、施術の当事者である老神の供述には言外に込められた様々な懊悩
が見え隠れしているようで、ピッコロには、このとぼけた外見をした絶対神の言葉に反駁
する事が、どうしてもできなかった。


 至高の神と己を並べて考えるのも憚られることだが……結局は、自分や周りの大人達も、
この老神と同じ無体を、あの青年に強いてきた。
 ほんの幼い少年の時分より、その身に宿る規格外の力をあて込まれ、戦場に立ち続けて
きた心優しい青年。自分達は誰一人、戦いに向いていないと解りきっているあの青年を止
めることなく、どころか、後押しという形でその逃げ場を奪いながら、彼を駆り立て続け
てきたのだ。
 他に頼みにできる存在がいないから、敢えてそうした。有事の際に眠らせてしまうには
あまりにも惜しい能力だったからこそ、それぞれ胸に抱いていたはずの呵責を意図的に見
過ごした。大界王神の行いと、何ら変わらない行為だ。

 ……否。孫悟飯という存在と向き合ってきた時間の長さを思えば、自分達が彼に寄せた
依存の方が、よほど重い。それだけの負荷を青年に背負わせてきた自分に、今、大界王神
の四年前の判断を非難する資格などないと、ピッコロは苦く思った。



 押し黙ったピッコロをどう思ったのか、老界王神は、表面上はそれまでと変わらない様
相で、根本的な解決にはならんがの、と、言葉を続けた。


 「孫悟飯の中で、サイヤ人としての衝動が飽和状態になっとるっつう話じゃったな。一
  度外してしまったリミットをもう一度封印し直すことはできん。ハナっから言っとっ
  た通りな。孫悟飯の体がもう少し老いるまで、何とかやり過ごさせるしかないが……
  気休め程度の梃子押しなら、してやれるかもしれん」
 「…梃子押し、とは……具体的に、どのような……?」
 「お前さんもなんとのう解っとるとは思うが、どうやらあれは、感情の揺れ幅が大きす
  ぎるようじゃからの。体の方が落ち着くまで、ちいっと感情をコントロールしてやっ
  た方がいいかもしれんよ。サイヤ人としての特性が混じっとるならはっきりとは解ら
  んが……なに、そう長い時間じゃあるまい」


 感情が引き金になるなら、それをちいと鈍らせてしまえばええ―――言って、老界王神は
事もなげに、長身を縮めるようにして眼前に畏まるピッコロを仰ぎ見た。
 
 「要は、孫悟飯の感情に、サイヤ人の衝動が引きずられなきゃいい訳じゃろ?それだけ
  の衝動を引っ張るには、相当感情を揺さぶられる必要があるからの。ちいと抑えてや
  るだけで、孫悟飯の感情と衝動は、直結しなくなるじゃろうよ」
 「大界王神様……」 
 「ほんの一時を凌ぐ措置だからの。大した手間もかからん。ここに孫悟飯を連れてきて
  よ、わしがちいっとあれの感情をいじってやればよ、それで終わりじゃ。儀式を行う
  訳じゃないからの、戻すのもあっちゅう間にできる。……ま、お茶を濁してるようで
  気に入らんかもしれないけどよ?当座を凌ぐには十分なはずじゃ」


 能力を引き出した以上はそのくらいの事はしてやらんとな―――気安い調子で言い繋いだ
老神は、これで一挙解決と言わんばかりに胸を張り、さっさと孫悟飯をここに連れて来い、
とピッコロに命じた。

 だが……絶対神の詔に、ピッコロは、即座に従う事が出来なかった。


 
 「……あん?どうしたんじゃピッコロ。手を打つなら早い方がいいじゃろうが」
 「……大界王神様……」


 地球という辺境惑星を、神としてほんの一時期席巻した程度の自分の存在など、この絶
対神が歯牙にもかけていないことは、解っていた。ましてや、地上に暮らす、サイヤ人と
地球人の混血児の存在など、それ以下の扱いを受けても致し方ないことも。
 そんな自分や悟飯に向けられた譲歩である以上、これが、彼の純粋な厚意から発せられ
た神託である事は疑いようもなかった。他に打開の術を見出せない以上、自分も悟飯も、
ありがたくこの神託を押し戴くべきなのだ。それは、よく解っていた。
 だが……

 
 「大界王神様……一つだけ、お聞かせください。孫悟飯の感情を抑えるとは…具体的に
  は、どの程度の状態を指しているのですか……?」


 だが……当座を凌ぐには十分だと気安く言い切る大界王神程には、ピッコロは、この事
態を楽観視することができなかった。


 悟飯の体がもう少し老いるまで―――彼の肉体が、若さ故の暴走を起こさない程度に落ち
着くまでの措置だと、この絶対神は語っていた。
 では、それは一体、いつまでなのか。

 サイヤ人との混血である悟飯は、一般の地球人と比べれば、老化の速度が緩やかだ。そ
れは彼の父親の孫悟空や、もう一人のサイヤ人であるベジータの姿を見ていれば想像に容
易い。二世代目のサイヤ人として成長していく悟飯の肉体についてはいまだに不可測な部
分も多かったが、それは間違いないだろうとピッコロは確信していた。

 そんな風に、地球人よりも長い時間肉体の絶頂期を保つであろう、悟飯の感情を抑制す
る……大界王神が語るほどに軽い問題だとは、どうしても思えない。
 煮え切らないピッコロの態度をどう受け止めたのか、大界王神は、その感情を気取らせ
にくいとぼけた表情のまま、そうさなあと虚空を仰いだ。


 「孫悟飯の感情が、その衝動を爆発させる引き金にならなきゃいいっつう話だからのう。
  まあ、我を失うほど感情を弾けさせないっつう程度か。なにも完全に感情を殺させる
  訳じゃないんだしよ、せいぜい、前より為人が穏やかになったとか、その程度の事じゃ
  ろ」
 「……それは…」
 「あん?」
 「それは……感情の種類を問わず、という事ですか……」


 情に厚いが故に、悟飯の感情の揺れ幅が大きいことは、この老神に指摘されるまでもな
く解っていた。

 心優しいと言えば聞こえはいいが、その分傷つきやすく、局面に立たされれば、泰然と
自分を保つことができない事もある、情深い青年。彼のそんな一面は、有事に際し、一転
して大きな弱点にもなった。
 大界王神に抑制されることで、悟飯の感情は一定の落ち着きを保つようになるだろう。 
衝動に引きずられるようなこともなくなり、そんな彼を、周囲は落ち着いた、大人になっ
たと評するかもしれない。

 誰しも、成長と共にそれなりの安定を見せるようになるものだ。利己に走りがちだった
子供時代から脱却し、そういう執着を少しずつ手放していくことで、人は情緒面でも成熟
していく。そうやって、本人の望むと望まざるとに関わらず、自制するという事を覚えて
いくのは、この世界で自活していくためには必要な事だった。

 悟飯もまた、近い将来には最後の学び舎を巣立ち、自立しようとしている青年だ。そう
した「落ち着き」を周囲から求められても、不思議ではない年頃なのだと思う。
 だが……それは、こういう事ではないはずだと、ピッコロは思わずにはいられなかった。
   

  
 純血のサイヤ人を父親に持ち、比類ない戦士としての可能性を見出されたが故に、幼子
の時分から戦場に駆り出され、望みもしない戦いにその身を投じさせられてきた青年だ。
 宿敵となった人造人間との戦いに臨み、ようやくこれで年相応に、日常の中に戻せるか
と周囲が胸を撫で下ろした矢先に、自らの過失を発端として、父親と死に別れた。以来、
一家の惣領息子として、残された母親と、幼い弟を支えてきた青年だ。
 長じて都のハイスクールに転入し、ひとかどの学生生活を満喫し始めたと思えば、そん
な最中に復活した魔人との戦いに巻き込まれ、その身の内に秘められた潜在能力の全てを、
強制的に引き出されたまま今後の人生を歩む事を強いられた。

 振り返れば、孫悟飯が「自分らしく」生きる事の適った時間など、殆どと言っていいほ
ど、あの青年には存在しなかった。
 七年の時を経て―――生還した父親と再会し、ハイスクールを卒業した。その後になって、
ようやく、悟飯は望む道を邁進する、自分の時間を手に入れたのだ。

 あれから、四年……まだ、たったの四年だ。
 自分らしさなど、少しも追い求める事の出来なかった長い時間を、それでも、健気に生
き抜いてきた命だ。どれほどの障壁に歩みを阻まれても、けして捨て鉢にならず、簡単に
他者を恨むこともなく、ひたすらに真っ直ぐであり続けた心だ。

 これまで求める事を自ら封じてきた長年の夢を、思う存分に貪り始めた四年間。どれほ
ど貪欲に我儘に自分を押し出しても足りないほどに、青年がこれまで背負ってきたものは
重い。だからこそ、より正直により強欲に、自分の為だけに泣いたり笑ったりする青年の
表情を、自分は、見ていたいと思っていた。
  
 それこそ、「我を忘れ」、「感情を弾けさせるほどに」、身の内から沸き起こる様々な
情動に、素直に自分を曝け出して―――そうやって、この先の長い時間、生きていく悟飯の
姿を。




 「……できません…」
 「ピッコロ?」
 「そのような姿になると解っていて……ここに、孫悟飯を連れてくることはできません
  ……!」

 
 それは、口にしてから始めてその内容を知覚できたような、無意識の内になされた反駁
だった。

 絶対神を前にして、自分がその意向に背けるような立場にない事を、この老神に一目見
えたその瞬間から、ピッコロは骨の髄まで思い知らされていた。こうして、不興というよ
りは、単純に不審の念を表したに過ぎない大界王神の視線を受けただけで、射竦められた
かのような本能的な恐怖を感じる。


 だが、それでも――――身の内で警鐘を鳴らす己の本能に逆らってでも、今、この絶対神の
命に従う事だけは、ピッコロにはどうしてもできなかった。

 



                                      TO BE CONTINUED...



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