【Trifle(トライフル)】
―――残り物またはあり合わせで作ったデザート。「つまらない物」の意
自分の意志で選択したことだと語りながら―――それでも、言葉を繋ぐ悟飯の表情に
は、多分に含むものを感じさせる陰りがあった。
何度も思い悩み、その末に出した結論であっても、やはり今まで馴染んだ環境を飛
び出して新たな門出を迎えるにあたっては、尻込みを覚えたり、未練を抱いたりする
ものなのだろう。
決められた教育課程に従い、同門揃って迎える門出の日だとて、別れ難く巣立ち難
く思うものだ。ましてや道連れもなく、ただ一人新たな進路へと足を踏み出すために、
人はどれほどの勇気と思い切りを必要とするだろうか。
寂寥の思いを隠しきれず滲ませながら、それでもそれが自分の選んだ道だと背筋を
正す青年の姿を前に……だから、ピッコロは胸の内で、もう少し学生生活を楽しめば
いいと促したという、彼の母親の意見に賛同した。
ゆっくり学べばいいと思う。生涯の友人となるかもしれない学友達との交流を、大
切に育めばいいと思う。
思い定めた目標の終着点がどれほど遠いものであろうと、地道に歩き続けていけば、
いつかは辿りつくのだ。好きなだけ時間を使って、歩けばいい。要した時間の分だけ
太く長く生き抜けば、それで時間のロスは相殺される。
あれだけの宿業を担い、あれ程の思いを耐え抜いて、やっと自分の為の時間を持て
るようになったのだ。幼子の時分より忘我の献身を世界に捧げてきた悟飯にとって、
この平穏な時間を享受する事は至極当然の権利だろう。
青年がどれほど庇おうと、彼がその時間に浸る事さえ満足に後押ししてやれないよ
うなら、それは紛れもなく、必要な甲斐性を備えられなかった彼の父親の責任だった。
それでも尚―――見えない未来に尻込んでも、慣れ親しんだ相手との別離に寂寥の思
いを覚えても、世に認められた就学期間を少しでも早めてまで、青年は自身の自立を
望むのか……
そんな思いが言葉ほどに顔に出ていたのか、悟飯はどこか困ったような笑顔を見せ
た。
「……本当に、僕自身が望んで決めたことなんです。戦い戦いで、真っ当とは言え
ない子供時代を過ごした分だけ、今の生活を大切にするべきなのかもしれない。
でもそれよりも僕は、少しでも早く次のステップに進みたいんです。」
「悟飯……」
「それに……」
困り顔で笑ったまま、青年の続けた言葉が、歯切れの悪いものになる。
「学費の事なんかは、絶対何とでもしてやるから好きなだけ勉強しろって、お母さ
んは言ってくれます。あのお母さんがそう言ってくれる以上は、少なくても僕が
グラジュエートスクールに行くくらいの蓄えは、計画的に残してくれているんで
しょう。それにいざとなれば僕も奨学金制度に頼ったっていい。家の経済状態だ
けに凭れ掛かって、おんぶにだっこで自分の進路を決めようとは思いません。
……だけど、自分の力ではどうにもならないことだって、世の中には沢山ありま
すから」
言って、悟飯は向き合うピッコロの視線を避けるかのように、持ち上げた茶器の中
身に視線を落とした。
「今は平和だから。みんなで必死に戦い抜いて、やっと勝ち取った平和なんだから、
思う存分堪能したいって思うし、この平和を何としても守り抜いて維持しなきゃ
いけないんだって、思います。……でもやっぱり、世界では毎日色々なことが起
こっていて、平和に慣れればまた色々な考えを持つ人が出てきて……。セルや、
魔人ブウや……そんな、人知を超越した存在だけが、世界の「敵」とは限りませ
ん。絶対の平和なんて、やっぱりありえないんです」
「…そうだろうな」
「だから、世界の為とかそんなんじゃなくて、自分自身の為に、できる事をできる
内にしないと……小さい頃からの夢だった、学者になった自分の生活をできるだ
け長く太く送るために、今、ショートカットできるところはそうしておきたいん
です」
それは、奇しくも青年の供述を聞きながら、ピッコロが彼に対し抱いた望みと根幹
を同じくするものだった。
自らの人生を太く長く生きろと、そう望んだ。幼い頃から人並みの暮らしを送れな
かった……そういう暮らしを強要してしまったからこそ、より強く願ったのだ。
そんなピッコロの願いと、悟飯の描く将来設計の大局は変わらない。むしろ、一足
飛びに終着点を目指し、その後の人生を堪能しつくそうとしている青年の指針は、ピッ
コロが望んだ以上に貪欲でさえあった。
『でも僕、武道家なんかなりたくない。偉い学者さんになりたいの』
『なるがいいさ。ただし、一年後にやってくるサイヤ人を倒してからだ』
遠い邂逅の日、まだ稚くさえあったこの青年と、交わした言葉が脳裏をよぎる。
訳も解らない内に肉親から引き離され、さぞや心細い思いをしていただろう。自分が
一喝する度に、声を失くす程に震え上がっていた。
それでも―――彼は、ただ威圧する存在でしかなかったであろう自分の言葉に、出会い
頭から反駁してのけたのだ。
勤勉で生真面目で。ただ幼いばかりの心で、それでも自分を貫き通そうとするほどに
強情で。
出会いのその時から鮮烈な印象を自分に植え付けた幼子は、十二年の時を経てもその
為人を損なうことなく健やかな成長を遂げ……そして、望み描く未来絵図を自ら引き寄
せ掴み取る、強欲ささえも手に入れた。
戦闘民族の特性から、肉体の若さを余人よりは長く保てても……その内在する寿命に、
悟飯が双方の血を引く地球人にもサイヤ人にも、顕著なほどの違いはない。長命なナメッ
クの血を引くピッコロより先に、青年は確実にその天寿を終えるだろう。それは種族間
のどうしようもない特性の違いというもので、世の摂理に適った「優先順位」だった。
その、ピッコロから見れば短い人生を、青年は全力で堪能しようとしている。貪欲に
逞しく、悟飯は自らの未来を勝ちあがろうとしていた。
なんと忙しなく、強情で強欲で―――そしてなんと、愛しい生き様か。
「……なるほどな。それで、生き急ぐ訳か」
「ピッコロさん、生き急ぐって……」
その言われ様は心外だと言わんばかりに軽く渋面を作る青年の機先を制し、悪い意味
で言った訳ではないと言葉を繋ぐ。そして眼前の青年を改めて見遣ったピッコロは、不
承不承といった様子で嘆息した。
「まあ、そういう気持ちがお前にあるなら、孫もお前の意思を尊重するだろう」
「ピッコロさん?」
「恒久の平和など存在しない。一瞬先の未来には、何が待っているか解らない……そ
の事を、地上に生きる人間の中で最も肝に銘じているのは、あの男だろうからな」
束の間、ピッコロの言葉を受け取り損ねたように、向かい合う青年の容色が訝しげに
曇る。それでも、彼は程なくして、師父の言わんとする意図を過たず察したようだった。
「……そうですね。死んだらそれで終わりのはずの人生を、あれだけ何度もやり直し
ている人も、他にはいないでしょうから」
孫悟空―――悟飯がこの神殿に居候して以来幾度となく話題に挙げられてきた彼の父親
は、地球を脅かす脅威に立ち向かっては潰えて、その都度人ならざる神秘の力で現世に
呼び戻されてきた、札付きの風来坊だった。
だからこそ、志半ばで潰える無念さと、自らが現世に存在するその刹那の不確かさを、
彼はおそらく、この世の誰よりも知っている。今を生きるという行為に、何よりも執着
する。
だから、孫悟空は一所に留まれない。この泡沫の平穏を、世界という一つの器ごと愛
しみ執着するからこそ、彼は彼の家族が望む、理想の家庭人にはなれないのだ。
そして彼は、世界を俯瞰するその規格外の視野で以て、自らの懐に招き入れた存在を
「放任」する。大きすぎる腕で彼らの安寧を守りながら、そのくせ、一つの社会基盤に
収まれない自らの贖罪であるかのように、悟空は、彼らの生き様にもまた干渉しないの
だ。
幼い頃には、父親の型にはまらない生き様にただただ感服するばかりだった悟飯にも、
今となっては、その陰に隠された父親の覚悟と達観の程が察せられるのだろう。だから
こそ、口では父親の放蕩振りに文句を並べながらも、自分を放任するその思いに応える
ように、彼はこの進路を選択した。彼の母親も、不承不承にであれその決断を認めたの
であれば、孫家が抱えるこの案件には、既に満場一致で採決が下されている事になる。
それぞれが完全に交わらない方向を目指しているようでありながら、それでいて、根
底の部分ではしっかりと結びつき絡み合い、彼らは生物の最少集落である、家族という
一つの運命共同体を形作り上げていた。
そこまで思いを巡らすに至り、ピッコロは、面白くもなさそうに鼻を鳴らすと、それ
まで腰かけていた椅子の背もたれに乱暴に体重を預けた。
「ピッコロさん?」
「いや、なんでもない。お前が家族の反対を押し切ってここに避難してきた訳ではな
いなら、それに越したことはなかったと思っただけだ」
押しかけの意見番など、御免こうむるからな―――喉元まで出かかった続く言葉を、どこ
か未練がましいものを感じて寸でのところで飲み下す。そうして、恐縮した態を見せる青
年に取り繕った師父の顔で頷いて見せながら、ピッコロは弟子に見咎められないようひっ
そりと嘆息した。
……ああ。これでは本当に、自分は、事態の蚊帳の外だ。
調停役が必要ならばと、心のどこかで出番を待って浮き足立っていた自分の姿が滑稽だっ
た。世帯主が、社会的に戸籍から抹殺される程の時間を現世から失踪しても、一家の構成
員がそれぞれ抱く将来への展望故に離散しても、孫家の基盤はまったく揺らいでいない。
先日ピッコロ自身が感じたとおり、これは所詮は家族間の問題だった。どれほどの浅か
らぬ因縁があろうとも、助力も助言も請われていないピッコロに、働きかけられることな
ど何もないのだ。
迷いがあるなら、話は聞ける。踏ん切りをつけたいと望むなら、後押しはできる。だが、
それだけだ。
将来の展望に多少の障害があろうとも、それに向きあう悟飯自身に迷いも悩みもない以
上、そんな彼と師弟関係を結んだに過ぎないピッコロが、己の分を越えてまで「お節介」
を焼くことはできない。
物の分別もつかず、何をするにも庇護の手を必要とした幼子であればともかく、精神的
にも自立した年頃の青年が相手なのだ。真に必要に迫られた時以外は、差し出した側から
その手を引き戻していくのが、対人関係の自然な在り方だろう。
なんとも物足りなく味気ない……そしてひどく安堵できる、それは、安定した相関だっ
た。
どの角度から横やりが入ろうともその安定を失わない、そんな理想的な家族像を前にい
ささか不服めいた思いが胸襟を掠めるのは、部外者の則を越えられない自分の未練に過ぎ
ない。そんな屈託をこの青年に気取らせるのは、師としても人生の先駆者としても業腹だっ
た。
だから、ことさらに何気ない物言いで、ピッコロは悟飯に、この即席の茶会を切り上げ
る契機を与えた。
「―――お前の考えはよく解った。そういうことなら、自分の選択に悔いを残さないよう、
やれるだけのことをやってみろ。下界の喧騒が耳障りな時は、いつでも避難場所とし
てここを提供してやる」
「ピッコロさん……」
水を向けられるままに供述したものの、青年にも今回の「避難」については色々と含む
ものがあったのだろう。いつ話したものかと内心考えあぐねていたらしい肩の荷が一つ降
りて、彼は目に見えて安堵の表情になった。
「ありがとうございます。今回と、あとは来春の総合試験で推薦枠に入れるかどうか決
まりますから……状況によってはもう一度お世話になるかもしれませんが、どうかよ
ろしくお願いします」
できるだけ、ご面倒にならないようにしますので―――矍鑠とした物言いで、折り目正し
く頭を下げる姿がいかにも元来の青年らしい。気にすることはないと軽く手を振ると、ピッ
コロは、息抜きにはもう十分だろうと青年を促した。
「今日は神殿での用事もないから、日中は大抵ここにいる。また一息入れたくなったら
来い。お気楽トンボの愚痴でも何でも、付き合ってやる」
俺のほうでも、この機にお気楽トンボの行状について「色々」情報を仕入れておきたい
しな―――結んだ言葉に匂わせるものを残しながら、ピッコロは、意図した剣呑な笑みを見
せた。
邂逅の記憶に焼きつくほどに見慣れた、大魔王然とした師父の不穏な笑みに、束の間、
青年があっけにとられた表情になる。だが、数呼吸程の間を挟み、彼もまた、師父からそ
のまま写し取ったかのような不遜な勝気顔を形作った。
「……ええ。またここにお邪魔した際にでも、ぜひ「色々」聞いてください」
お父さん、僕達があれこれ言ったところでまったく堪えていませんから―――言外に、父
親の瘋癲振りに対する矯正を委譲してのけた青年の表情には一点の曇りもなく、その様相
は爽快の一語に尽きた。どれほど心酔し、その大器の所以と必要性を容認してはいても、
やはり父親に家庭人としての甲斐性を求める悟飯の思いに変わりはないという事なのだろ
う。
それならばと、ピッコロは弟子の委譲を喜んで受け入れる事にした。
これこそが、部外者の自分が遠慮なく踏み込み干渉できる、双方合意の上の「お節介」
だった。ましてや、その対象が常日頃、その生活態度諸々を踏まえ苦々しく思っていたか
つての宿敵となれば、采配を振るうのに是非もない。
こうして、宿主と居候双方の利害の一致を見せ、双方の溜飲を下げるという理想的な形
で、即席の茶会はお開きとなった。
数か月後―――周囲の期待に背くことなく、悟飯は学校長のお墨付きを得てオレンジハイ
スクールでの教育課程を修了し、念願のユニバーシティに進学した。
飛び級を前提としたユニバーシティでのカリキュラムをこなすためには、生家からの通
学は時間的制約が多すぎる。自宅通学を諦めて便のいい都心へと悟飯を単身下宿させるか
どうかで孫家ではもう一悶着持ち上がったが、二転三転する中間決議に振り回されつつも、
渦中の青年は嬉しそうだった。
そしてさらに時は巡り、ユニバーシティでのスキップを繰り返した悟飯が成人を迎える
年には、彼は自らの人生設計を踏み外すことなく、グラジュエートスクールへとその履修
の場を移すこととなる。
有事の度に、青年から請われるまま「避難場所」を提供し続けてきたピッコロの目に、
そんな愛弟子の生き様は、ひどく慌ただしく余裕のないものに映っていた。
青年が求めた安住の時間が、グラジュエートスクールの卒院後にこそあるのだと聞かさ
れている以上、生き急いでいるようにしか見えない青年に向かって、いまという時間を噛
みしめて生きろとは言えない。結果として、ユニバーシティの課程を修了するまで相応の
無理を押し通した青年の疾走を、ピッコロは「避難場所」を提供する以外の助力もかなわ
ず、部外者の目線で見届ける事しかできなかった。
なんという、忙しない生き様かと思う。ようやく訪れた安寧の時間を噛みしめる事もな
く、馬車馬のように脇目も振らず、ただ一点のみを見据えて走り続ける日常は、傍目には
ひどく目まぐるしく空虚なものであるように映った。
この世界に生れ落ちて間もない時分、宿敵と対峙するために、自ら成長速度を速めたか
つての記憶が残るからこそ、尚の事、そう思う。一足飛びに駆け抜けた時間を後から惜し
んだとしても、巻き戻すことはかなわないのだ。
だが、青年は懐古の思いなどよりもよほど強く、自らの将来への展望を見据えている。
いずれ時を経た後に実感することになる思いも当然あるのだろうが、それを理由に、今の
青年が抱く覚悟に水を差す事は、自分にも、地上に暮らす他の同胞達にもできなかった。
悟飯が決断し、その家族がそれを後押しした。青年が自身の人生を組み上げていくに際
して、他に、必要とされる素養はなかった。
自分達ナメック星人よりもはるかに短命で、そのくせその生涯において、自分達よりも
はるかに多くの人や物に執着して生きる、地球人という生物―――
いつの間にか、出会いの日から十有余年の歳月を過ごしたこの愛弟子もまた、確実に、
そんな地球人の貪欲さを兼ね備えているのだと、改めて思い知らされる、そんな三年間だっ
た。
なんとも忙しなく、強情で強欲で―――そして、形振り構わないがゆえに、愛しい。
自ら思い定めた将来を目指し、遮二無二なって段階を踏んでいく青年のあくせくした生
き様は、長命種であるピッコロの体感時間になぞらえればとるに足らない、些細なものだ。
そんな些末な、天上の神殿から俯瞰していれば容易く見逃してしまうであろう束の間の情
景を、思いがけず同じ目線から共有できた巡り合わせの妙を、ピッコロは、素直に幸いだ
と思った。
ところで、余談ではあるが―――悟飯がグラジュエートスクールへの進学を果たすまでの
三年間、ピッコロは、彼が呼び表すところの「お気楽トンボ」の矯正についても、その労
を惜しまなかった。
孫悟空―――悟飯の父親であり、この地上に生きる生物随一の大器を有するであろう地球
育ちのサイヤ人は、有事の度に天上の神殿から召集され続け、その回数は六十をゆうに越
えたという。
主に家族に対する責任の有り様や、世帯を形成するものの守備範疇についてなど、枠に
収まるという事のないサイヤ人に対する元神の神託は多岐に渡ったが、生粋の風来坊であ
る当人は大抵がその半ばで根を上げ、下界に逃げ帰ることもしばしばだった。
とはいえ、神殿からの次の召集を恐れた結果、己の生活を少しずつ改めはじめた悟空が
その後、パオズ山を長期間離れる機会は、目に見えて減少したという。
彼に世帯主としての責任と甲斐性を叩きこもうとしたピッコロの目論みは―――結果とし
て、概ね成功したと、言えるのかもしれなかった。
―――ご精読頂きありがとうございました
お気に召しましたらこちらを一押ししてやってください。創作の励みになります
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