confession 14






  長い告解を終え、持て余した衝動に耐えかねたように取り乱す青年の体を支えなが
ら―――ピッコロは、半ば呆然と、断続的に耳朶を打つその嗚咽を聞いていた。


 悟飯が物語った、彼自身の屈託をそのまま具現化した、もう一人の悟飯の存在。悟
飯当人がいまだに怯え、逃れようとしている「サイヤ人」としての彼の姿を、七年前、
ピッコロも目の当たりにしていた。

 ようやく物心ついた程度だった、幼子の時分からの付き合いである少年が、初めて
周囲の耳目に強烈な印象を焼き付けた、もう一人の悟飯。明らかに平時の少年とは根
幹を違えた「殺戮者」の姿を、得体のしれない危惧を覚えながらも、セル打倒のため
に、敢えて自分達は見過ごした。

 青年が示唆した通り、当時共に戦った一行の中で、自分を含めて誰一人、変貌を遂
げた悟飯に太刀打ちできる者はいなかった。幸いにも、少年の弑逆性は敵と定めたセ
ル一人に向けられ、その矛先が反らされることはなかったが……もしもあの時、敵味
方の区別もつかなくなるまで悟飯が暴走していたとしても、自分達には止める手立て
がなかっただろう。 

 本当に、悟飯の語った通りだ。
 自分達は少年の変貌についてその後言及することなく、あの日の一連の気がかりを、
平和を取り戻した世界での日常に埋没させてしまった。ただでさえ、死に別れてしまっ
た父親の一件もある。幼い頃から戦い漬けの生活を強いられてきた少年の事を、いず
れ自然に落ち着きを取り戻すまで「普通の」暮らしを送らせるのが一番いいだろうと、
それこそ腫れ物に触れるように扱ったのだ。  

 自分を含めた、周囲の大人全員が目を背けた、少年の身の内に生じた「暗部」。ま
だほんの子供だった悟飯に、自ら身の内に育て上げてしまったもう一人の彼自身との
付き合い方を、自分達は誰一人、教えてやらなかった。
 ……否。あの当時、少年を取り巻いていた環境を思えば、実父の孫悟空が不在だっ
た以上、その役割は、彼に師と呼ばれた自分こそが担うべきだったのだ。

 あの後、世界に平穏な時間が流れたとはいえ――むしろだからこそ、自分はもっと慎
重に、悟飯の様子を見定めるべきだったのかもしれない。戦い漬けの日々を離れ、日
常の中に戻った悟飯の中に、一度覚醒してしまったもう一人の悟飯は、確かにいたの
だから。
 父親を死なせてしまった自責の念で一杯だったであろう心の内で、これほどに不安
定なバランスを取っていた悟飯がよくぞ「暴走」することなく、実直に成長したもの
だと、今更ながらに驚嘆する。それほど、幼い悟飯は人知れず、危うい精神状態にあっ
たのだ。

 今となっては何を仮定しようと詮無いことだが、今こうして自分に縋り、打ちひし
がれている青年の抱える屈託は……元を正せば、自分の責任だった。

 「……悟飯…」

 年甲斐もなく泣きじゃくりながら、これほどに自分の差し出し手を待っている青年
に、気休めの言葉一つ、自分は言ってやれない。そんな空言が彼の救いになどならな
い事が明らかな以上、自分が口にすべきは彼の屈託に対する打開の提議であり、それ
を導き出せない今の自分に、かけてやれる言葉などなかった。

 もしも、孫悟空が生きてこの世界にいたらと、埒もないことを考えてみる。
 強い敵と凌ぎを削る事を本能的な喜びとし、地球を守るという使命感とは別種の欲
にも後押しされて、戦いにその生涯を捧げた生粋のサイヤ人。その本質を、きっと自
分はいまだに理解できていない。おそらくは、その血を最も濃く受け継ぐこの青年も
また、同様だろう。
 息子を激情させ、その衝動で以て、その身の内から爆発的な破壊力を引き出しての
けた悟空の目論みを、当時自分は真っ向から非難した。本質的に戦いに向いていない
と思っていた少年を強引に変貌させていく彼のやりようが、あまりに非情だと思った
からだ。
 それでも……理屈では語れない、孫悟空という人間の本質が、その血を受け継いだ
ことで苦しむ彼の息子の「暗部」を、最後には払拭してのけただろう。
 もしも、この世界から身罷ることなく、彼が彼の息子と共に、時を送っていけたの
ならば。 
  
 だが……根本的な打開の手立てとなり得た、孫悟空はここにはいない。
 自らを持て余した青年が自己崩壊を起こしてしまう前に、どれほど遠回りに思えて
も、下策だと謗られようとも、後に残された自分達が―――自分が、この青年を支えて
やらなければならなかった。
 それが、青年が聞きたかったであろう言葉と遠くかけ離れた、彼の父親がけして語
りはしなかったであろう、酷薄な宣告となろうとも。
 

 
 「……そうだな」

 緊張に渇きを覚え、干上がりそうな喉奥から無理やりに押し出した自らの声音が、
予想していたより酷く冷淡な響きを以て、ピッコロの耳朶を打つ。
 らしくもなく、早鐘を打つように加速していく自身の脈動が煩わしい。それでも、
せめて言葉だけは躊躇うまいと、彼は腹の底に力を込めた。

 
 「平和になって、勘が鈍ってしまった今でも、潜在能力で言えば、お前がこの世界
  で最強だ。そして俺には、孫やベジータのような力はない。お前がまた自制を失
  い、腹の底から破壊の衝動に囚われてしまったら……俺では、お前を止められな
  いだろう」

 支えた腕の中で青年が、弾かれたようにその身を起こす。目に見えて体を強張らせ
た青年の衝動の程を知りながら、それでも敢えて言葉を取り繕うことなく、ピッコロ
は、他の誰でも無理だろうがな、と言葉をつないだ。

 「本来……こういう役回りは、父親であり、生粋の戦闘民族としての血の衝動とう
  まく付き合っていた孫こそがふさわしいんだろうが。たった一日の再会で、あい
  つにそれを望むのは無理があるだろうからな」

 もしここに、当時の事情を知る知己達が居合わせたなら、言うに事欠き過ぎだ、言
葉を選べと責められていただろうと思う。特に、チチと同じように子を持つ母親であ
り、サイヤ人の伴侶をもった明瞭快活なあの地球人には、歯に衣着せぬ口調で何と言っ
て詰られるか、その内容まで想像できた。
 それほどに無神経な言葉を、この傷ついた青年に浴びせているのだという自覚はあっ
た。それでも、ここで言葉を取り繕ったところで、青年が自ら抉り広げようとしてい
る心の傷は、癒せない。

 現実という、目の前の痛みから回避させるために、この先の長い半生を生き抜かね
ばならない青年の理性の目を、意図的に塞ぐことはできなかった。


 「悟飯。俺にはお前を、止めることはできない。お前自身が望まない姿に変わって
  いくのを、今のお前に戻してやれる力は、俺にはない」

 だから―――どれほど非情だと思われようとも。青年の心を宥める、優しい言葉には
けしてならないと、解りきっていようとも。
 自分はただ、この「真実」だけを告げるのだ。

 「……それでも、どれほどの衝動に襲われようと、お前はその敵意を、お前の「身
  内」には向けられまい。だから、お前は「身内」を…俺達を、殺せない」

 お前はそういう、甘い奴だ―――言って、味わわされた衝動を受け流せず呆然と見開
かれた漆黒の双眸を正面から覗き込む。そうして視線を外すことを言外に封じたまま、
ピッコロは、自らに喝を入れるかのように、下腹に力を込めた。
 そして……

 「他の連中も、お前と御同様だ。お前の甘さを知っていても、そこに付け込むこと
  は決してできないだろう。おそらくは、今のベジータもな。
  連中は、そうして成す術もなく破壊の限りを尽くすお前を見守り、そしていずれ
  衝動から覚めて我に返ったお前と、痛みを共有して共に苦しむんだろう。……そ
  んな不毛な関係に、仲間を巻き込みたいか?悟飯」

 乱れのない語調で、淡々と紡がれる仮想の未来絵図。起伏のない単調な声音が反っ
て鮮明な印象を脳裏に植え付けたのか、悟飯は弾かれた様に頭を振った。
 そんな青年の狼狽振りに目顔で頷き、ピッコロは、だから、と言葉をつなげた。 
 
 「―――だから。もしもそんな時がきたなら……その時は、俺が、お前を殺してやる」
 「…っ」
 「お前に戦いの術を叩き込んだのは、この俺だ。お前の潜在能力に頼り、戦いの矢
  面に立たせ続けてきたのも、俺達だ。なのに俺は、お前の戦闘能力を育て上げる
  事ばかりにかまけて、肝心なお前の心を、爆発的に飛躍していく戦闘力を受け止
  め、衝動に耐えられるだけの強さに育ててやることができなかった。……俺の、
  責任だ」

 語り手の言葉が途切れると同時に、間髪入れずに青年の首が打ち振られる。
 否定したかったのは、自分を殺すという宣言だったのか、自分を育てそこなったと
告げたにも等しい告白だったのか……言葉もなく口角を戦慄かせている悟飯の双肩に
手をかけ、ピッコロは、固く強張った総身を体ごと自分に向き直らせた。

 「お前に殺意を向ければ、その瞬間に、お前にとって、俺は敵とみなされる。衝動
  に引きずられ、正常な思考を保てなくなったお前は、「敵」を殺すことを躊躇わ
  ないだろう。俺では、それをかわせない」
 「ピッコロさん……」
 「それでも、こんな有様でも俺は、お前の師匠のつもりでいる。お前がどんな時に
  隙を晒すのか、どんな時に出遅れるのか、その甘さを矯正してやれなかった俺が
  一番、解っているつもりだ。……だから必ずお前の隙を突いて、お前を殺してや
  る。お前を、止めてやる」

 こんなことしかできない師匠で、すまないな―――言って、ピッコロは、続く語調を
僅か、和らげた。
 衝動に見開かれ、瞬きを忘れてしまった双眸から、新たに押し出され溢れだしたも
のが、小刻みに戦慄く頬桁を伝い落ちていく。そうして否やの声さえあげられず、思
いの発露でその容色を濡らしていく青年の額を、さりげない所作で仕掛け人が自らの
肩口へと押し当てた。
  

 「この先のお前の人生ごと……お前を生かしたまま、お前を守ると言ってやれなく
  てすまない。こんなやり方でしか、お前の暴走の歯止めになってやれなくてすま
  ない。……だが、この約束は必ず守る。この先、何があっても、お前を暴走させ
  て、あとからお前一人を苦しませるような真似はさせない」
 「……っ」
 「どうしようもない時は……俺が道連れになってやる。そんな風にしかお前を止め
  てやれなかったことを、あの世の孫に、いくらでも詫びてやる。……それだけで
  も、少しは怯まずに、未来を思い描くことができないか?」
 「ピッコロさ…っ」
 「お前の人生に、俺がくれてやれるせめてもの保険だ。もう一人のお前自身との共
  存に、お前が耐えられる限界が来るまで……生きられるだけ、生きてみろ」

 我ながら、これ程に最低な告白もないだろうと思う。仮にも師匠と呼ばれた存在で
ありながら、自分に全て預けて気楽に生きろとすら言ってやれない自らの非力さが、
心底腹立たしかった。
 悟飯が欲しがっていたのは、こんな言葉ではない。彼はこんな、最悪の事態に備え
た万が一の保険が欲しかったわけではなく、ただ、自らの屈託を委ねられる安心を求
めていただけなのだ。

 それがよく解っていながら……それだけの拠り所になってやれない自分がどうしよ
うもなく歯痒い。いまだ稚かった息子を手放し、その育成を自分に一任せざるを得な
かったかつての宿敵にも、顔向けできない思いだった。
 だが―――自らのこの不甲斐なさにどれほど悔悟の念を覚えても、拠り所を見つけら
れず絶望する青年を泣かせても……自分には、どうしても告げてやりたい、思いがあっ
た。

 「例えいつか、お前と刺し違える時が来るとしても……俺は、お前に生きていてほ
  しい」
 「…っ」
 「これはおれの業だ。だがそれでも……俺は、お前の生きていく姿を、この目で見
  ていたいんだ」

 凭れ掛からせた上体を支える腕に力を入れて、衝動に戦慄く総身を胸元へと抱き寄
せる。思えば、長い付き合いの中で、ここまで明確にその身を抱きしめてやった事な
どなかったと、埒もないことを心の片隅で考えた。
 そして……

 
 「武道会で孫と再会することで、またお前の中のサイヤ人の血が刺激されても、そ
  の衝動の受け皿には俺がなる。腹の底では、会いたいと思っているんだろう。何
  も身構えず、会って甘えてくればいい。ここでのお前を知っているのは、俺だけ
  だ。何を気兼ねに思う必要もない」
 「……ピッコロさん…」
 「取り繕うな。自分に誇れる生き方ばかりを、追求しなくてもいい。身の丈に合わ
  せて生きていけばいい。そんなお前の生き様を、俺は、ずっと見ていたい」
 「…っ」
 「この世界が、この先の未来が……お前にとって優しいものばかりじゃなかったと
  しても……俺はお前に、生きていてほしい」

 生きてくれ、悟飯―――

 決して言葉が巧みではない自らの不器用さを承知の上で、それでもどうしても伝え
たかった思いを、一語一語噛みしめるようにして腕の中の青年に告げる。どうかこん
な躓きで潰えてくれるなと、祈るような思いを込めて、ピッコロは、その身を抱く腕
に力を込めた。 

 身を震わせるばかりになってしまった青年から、応えの言葉は返らない。それでも、
思いの丈を示すかのように、腕の中の体が自分にきつくしがみついたのが、ピッコロ
には解った。
 いったんは静寂を取り戻した室内の空気に、ややして、再び上がった青年の嗚咽が
浸透していく。
 断続的に耳朶を打つ、悟飯が腹の底から振り絞ったその情動の叫びを受け止めなが
ら……他に聞く者もいない神殿の閉ざされた空間の中、ピッコロは人知れず、自らに
新たな覚悟を課した。

 それは、ピッコロが他の何よりも自らの執着を傾けた、青年がこの先送る半生を、
共に背負い、共に生き抜くための覚悟だった。


 
                                       エピローグへ続く


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