confession 12







  夜気が重く帳を下ろす室内の静寂を、荒い呼吸の音が断続的に乱した。

 意図的に追い上げられた吐精の衝動を受け流し切れず、脱力した総身が寝台の上に
沈む。忙しなく胸元を上下させながら、自発的な行動を諦めたらしい悟飯はそれでも
大儀そうに持ち上げた腕で、ピッコロの視線から逃れるように自らの顔を覆った。

 適度な筋肉の乗った上肢の影から未だ朱の色に染まったままの半顔が覗き……やや
して、その頬桁を伝い落ちては濡らしていくものを、ピッコロは見咎めた。
 この手で青年を追い詰めた張本人である自分が、今さら所得顔で労わってやること
などできない。きっと顔を合わせることも苦痛であるだろう悟飯の心境を思い、敢え
て言葉をかけることなく、翳した指先から発した波動で青年が申し訳程度にまとって
いた夜着だけを替えてやった。

 肌に触れる感触でそれと察したのか、悟飯がその喉奥でわずかに息を呑む。しかし
結局彼は顔を上げず、時折息を整えるようにその喉を鳴らしながら、青年は声もなく
涙を流した。

 互いに口も聞かないまま、どれほどの時間をそうやって過ごした頃だろうか。
 時折不規則に乱れる僅かな呼吸音が室内の空気に浸透し、聞く者の耳に違和感なく
届くようになった頃……乾いた咳の音が、再び辺りの静寂を乱した。

 いったん喉を突いた衝動がなかなか収まらないのか、立て続けに咳き込みながら、
悟飯はピッコロに背を向けるように寝返るとその背を丸めるようにして総身を縮こま
らせた。  
 勢いはないもののなかなか止まらない空咳が、室内の空気を断続的に震わせる。そ
の衝動が自然に収まるまで待つことも考えたものの、これはすぐには回復しないだろ
うと見て取ったピッコロは、寝台の傍らに備え付けられている小卓に用意された水差
しから水を注ぐと悟飯へと歩み寄った。

 「……起きられるか」

 あれだけ騒ぎ、喚いた後だ。声も枯れるだろう。
 咳の発作に苦しむ青年の肩に手をかけ、さり気無い仕草で横臥していた身を起こさ
せる。そうして水を差し出せば、やはり相当に喉の渇きを覚えていたのか、彼は込み
上げる咳の合間をつくようにして、受け取ったグラスを大きく煽った。
 潤されたことで少しは落ち着いたのか、咳の感覚が次第に開いていく。その気配が
完全になりを潜めるまで、さして時間はかからなかった。

 そして……不規則に呼吸を乱していたその発作が収まったのを契機としたかのよう
に、悟飯は、それまで顔を濡らすに任せていた情動の名残を、持ち上げた腕でぐいと
拭った。

 「……すみませんでした」

 先刻まで意地の張り合いのように続けられた愁嘆場に対してなのか、単純に身体的
な発作が収まったことに対してなのか、曖昧な言葉で謝意を示しながら、身を起こし
た寝台の上で簡単に居住まいを正す。まだどこか気まずそうな面持ちを見せながらも、
それでも泣き腫らした青年の双眸は、伏せられることなくじっと虚空を見据えていた。

 観念したのか、あるいは開き直ったのか。どちらにせよ、先刻の鬩ぎ合いで自身が
口走った言葉を腹の内に戻すことはできないのだと、自ら認めたのだろう。もう一口
水を煽り、青年は小さく一つ、嘆息した。
 促すように名を呼んでやれば、仕掛人が思うよりずっとすんなりと、それまで逸ら
されていた視線が返される。
 そうして再び口火を切った悟飯の語調は、意外と穏やかなものだった。

   
 「……夢を、見るんです。お父さんが、一日だけ戻ってくるんだと知った日の夜か
  ら。毎晩、同じ夢を見ます」

 お父さんが、セルを道連れにして僕の前からいなくなった、あの時の夢です―――続
けられた言葉にも、感情の起伏を思わせる語勢の乱れはない。むしろ、どこか疲れきっ
たような声音で、悟飯は先を続けた。

 「夢の中で、僕は毎晩、あの時の恐怖を繰り返し味わわされるんです。どうしてあ
  んな真似をしてしまったのか、どうしてお父さん一人にすべての後始末を押し付
  けるようなことになってしまったのか。夢の中で、自分を責めても責めても答え
  は出ない。……当たり前ですよね。それが夢なんだってことを、夢の中の僕はど
  こかでわかっていて、だから、今更何を考えたってあの時の結末が変わることは
  ないんだって、僕は知っているんだから」
 「悟飯」
 「それでも、夢の中で、僕の後悔は「今現在の」感情なんです。自分の馬鹿さ加減
  に腹を立てて、お父さんに申し訳なくて、苦しくて辛くて……何も言い訳できな
  くて、どこにも逃げ場がなくて……それで、目が覚めるんです」

 それは七年前、ピッコロが目の当たりにしてきた弟子の逡巡を、そのまま再現して
いるかのような光景だった。

 驕った少年の失態が引き金となり、世界を道ずれにと暴走してしまったセルの捨て
身の反撃。爆破の窮地からこの世界を救うために支払われた代償は、文字通り、彼の
父親の命だった。
 事態の一部始終を目にしていたからこそ、気に病むなとは言えても、お前のせいで
はないとは、言ってやれなかった。そんな気休めを口にしたところで、傷ついた少年
の心を更に閉ざす結果にしかならないことが、目に見えていたからだ。
 それだけに、どうすれば悟飯の柵を軽くしてやれるのか、当時の自分は随分と腐心
した。癒えない傷の表面だけを無理やりに塞いでしまえば、完治したように見える見
せかけの表皮の下で、残された傷が膿んで腐ってしまう。そうさせないために、下界
から離れ閉ざされたこの神殿で、自分は随分とこの青年と向き合ったものだった。

 当時の対処が、最善と言えたのかどうかは解らない。それでも、できうる限りの手
立てを尽くしたピッコロの思いに応えるように、少年は少しずつ心の平衡を取り戻し、
母親や仲間達の待つ下界へと帰っていった。
 父親との再会を前に、当時の古傷が再び悟飯を飲み込んでしまったという事なのだ
ろうか。だとすれば、あの当時よりはるかに成長し大人の感性を身につけ始めた今の
悟飯に、自分は何をしてやれるだろうかと、ピッコロは束の間自問した。
 だが……

 「ピッコロさんにも、周りの人達にも、あの頃あれだけ心配してもらったのに……
  今更何をやってるんだろうって、そう思いました。七年も経っているのに、僕は
  あの頃から全然成長していないのかって、そう考えると情けなくて」
 「悟飯」
 「……でも…いっそ、子供の頃のまま全然進歩がなかった方が、ましだったのかも
  しれない」

 だが……内心を気取らせない鉄面皮の下で思いを巡らせていたピッコロは、程なく
して、当の青年自身の口から、自らの了見違いを知らされる事となった。
 紡がれる語勢はそのままに、しかし、続く言葉が僅かに情動の響きに掠れるのを、
規格外に発達した聴覚が感知する。
 そして―――

 「お父さんに申し訳ないって……合わせる顔もないって、そう思い続けていたあの
  頃の自分なら……今でも、会えないって…そう思うだけで、すんだんだ……」

 自身の感情を持て余したように不自然に語尾を途切れさせながら、それでも意地の
ように顔を上げたまま、青年は、懺悔のように僕はずるいんです、と続けた。
 新たな衝動が発露となり、平時の血色を取り戻した頬を伝い落ちていくのを見やり
ながら……ピッコロは、この時ようやく、青年の抱える「暗部」の片鱗を手繰り寄せ
られた様な気がした。
 


                                  TO BE CONTINUED...


 お気に召しましたらこちらを一押ししてやってください。創作の励みになります



 ドラゴンボールZの小部屋へ