悟飯と、同じように引き抜かれてきた他の補充メンバーも加わって、選抜メン
バーによるチーム研究は続行された。
作業工程の途中から加わった補充メンバーに、工程を全て把握してここまで作
業を進めてきた正規のメンバーと、同等の働きを求める事は無理がある。また、
それを承知している他のメンバーが、急場を凌ぐ補充要員である彼らに、一足飛
びで工程の要所を任せる事もなかった。
結果として、悟飯達に任された作業の多くは、他のメンバーの工程をスムーズ
に進めるための雑用が主になる。その心積もりでメンバーに加わった悟飯もまた、
そんな自分の扱いを当然のものとして、不満に思うこともなかった。
とはいえ、引き抜きにやってきた先輩から始めに聞かされていたように、メン
バーの補佐という役割が、誰にでもこなせるという訳ではない。
一つ一つの作業が正確である事はもちろんのこと、確かな知識と技術に裏打ち
された緻密さ、そして迅速さも要求される。何をしてほしいかという指示はあっ
ても、即戦力として呼び寄せた助っ人に、周囲も逐一、細かな作業手順など教え
てはくれなかった。
相手の指示を受け、今自分に何が求められているのかを、過たず理解する。そ
の上で、自分に今できる、最適の作業動線を考える。次にどんな指示が出ても柔
軟に対応できるよう、常に段取りを意識して行動する。それができて、初めて即
戦力である事を、メンバーに認めてもらえるのだ。
誰に強要されたわけでもない。同じ門下に籍を置く、いわばその道の玄人はだ
しなのだからという周囲の「評価」を損ないたくはないと考える、悟飯自身の意
地が、自分にそれを求めていた。
自らハードルを上げて臨んだチーム作業は、工程の一つ一つが緊張の連続だっ
た。
研究に携わるメンバーにとって、一連の工程をこなすことは、ほとんど仕事の
ようなものだ。だからこそ、忙しない環境の中でも、彼らは「仕事仲間」に対し
て極端に礼を逸するような言動をとる事がないよう、各々が自制していた。
だから、突然メンバーに加わった新入り達に対しても、彼らが居丈高な態度を
とったり、己の感情のみで声を荒げたりするようなこともない。その代わり、仕
事の現場において手抜きや公私混同を許さない、無言の威圧感がそこにはあった。
次に受ける指示を聞き逃さないように。受けた指示に即座に反応できるように、
常に神経を張りつめさせて作業にあたる。その緊張感がなぜか懐かしいと、悟飯
は思った。
多少の喧騒はあっても、缶詰状態となった研究室は、プロ意識に裏打ちされた
不文律によって統制され、最先端の研究機材や被験体を管理する室内は、神経質
な程に清潔に保たれていた。そうやって指折り数えても、身を置く環境として、
何一つ共通項などないように思われるのに……
チームメンバーに加わって以来、研究室内の空気に刺激されて悟飯が度々思い
返すのは―――幼い頃、人里から遠く離れた無人の荒野で、師父と二人きりで寝起
きを共にした、苛烈な修行の日々だった。
命じられたとおりに、即座に行動できなければ怒鳴られた。実地訓練で師父の
期待する成果を上げられず、前日に指摘されたのと同じミスを犯せば、容赦なく
蹴り飛ばされた。そんな風にして、他に口をきく者もなく、ただ二人で過ごした
半年間。
地球の命運がかかった急場であり、他の選択肢がなかったとはいえ、幼い自分
がよくぞあの半年を生き延びたものだと思う。取り上げられた日常へと帰りたが
る気持ちを押し殺し、よくぞ自ら師父との生活を選んだものだと思う。それほど
に、ピッコロとの修行は今考えても、非日常的なものだった。
だが、ああしてピッコロに心身共に鍛えてもらった過去があるからこそ、自分
は今こうしていられるのだ。
幼少時ならともかく、今のお前の進退は自分の与り知らぬことだと、あの異星
人はきっと不機嫌そうに言い捨てるのだろうが……あからさまな憔悴ぶりを見せ
る他の助っ人達に比べ、まだ余力のある自分の姿を鑑みて、悟飯は、そんな地力
を自分に培わせてくれたピッコロに、改めて感謝した。
かくして、悟飯にとって、助勤というよりは、勉強させてもらっているという
感覚で、中途参加のチーム作業は、連日慌ただしく進められていった。
悟飯がチーム作業に加わってから、三日が過ぎた。
この三日間、当初懸念していたようなバイオリズムの乱れも起きていない。程
よい緊張と集中を持続させたまま、助っ人としての面目が保てる程度には、チー
ム作業に貢献できている、と自分では思えた。被験体の容体が急変するなどの事
態に備えて、お役御免まで研究室棟での泊まり込みは避けられなかったものの、
悟飯達途中参加の面々には優先的に、交代制とはいえ仮眠時間を割り当てられて
おり、無理な工程で必要以上に消耗するようなこともなかった。
研究室と隣接する空き部屋に雑魚寝しながら、それこそ寸暇を惜しんで作業に
没頭する常駐メンバーと比べれば、格段に優遇された扱いだろう。そして交代制
で順々に仮眠をとるという采配は、余人の目のあるところで迂闊に眠る事を憚ら
れる、今の悟飯にとっても都合がよかった。
仮に例の夢に魘されたり、その影響で寝起きに多少使い物にならなくなっても、
その場にいるのが自分一人なら、周囲を巻き込むことは避けられる。そして幸い
にも、馴染みのない場所で寝起きしているという緊張感からか、下宿にいる時よ
りは今の自分は気が張っていた。多少無理を押せば、あの寝覚めの悪さから強引
に現実へと抜け出すことも、まあ可能だろう。そう思える事が、限られた睡眠時
間を無駄なく活用しなければと内心で焦る悟飯の気持ちを、多少は軽くしてくれ
た。
そうこうしている内に、ウイルス感染により出入り禁止となった、正規メンバー
の容体を様子見していた、医師の診立ても確定する。罹患し発症した当時者は、
あと五日。陽性反応が出たものの、潜伏期間中に手を打ったことで軽症で抑えら
れた残り二人は、あと三日。それぞれ養生し、順当に回復すれば、現場復帰が可
能だろうという事だった。
つまり、少なくともあと五日補充メンバーを務めれば、悟飯のここでの役割も
終わるという事だ。
終わりの目途が立ったという事が、この不自由な生活に臨む悟飯の不安を、更
に和らげてくれた。診立てが確定したのが、悟飯が作業メンバーに加わってから
四日目のこと。合計十日近い「外泊」は、今の自分の状態を考えれば決して短く
はないものだったが、それでも、この程度なら乗り切れるだろうという自信を持
てる時間だった。
後は、棚ボタ式に転がってきたこの好機を、最大限に活かすことだ。残りあと
五日、少しでも有能な補助要員として、自分の心象を、教授をはじめとする研究
チームの面々に植え付けて、この限られた任期を終わらせたい。
今日一日を、どう乗り切るかと気を張りつめさせていた合流当初に比べ、そん
な風に、欲が出てきた悟飯の姿は、周囲のメンバーの目に、ある種の存在感を植
え付けるものとなったらしい。余裕が出てきた、安心して仕事を渡せると好意的
に解釈され、そのことが、なおの事悟飯を奮起させた。
自分の裁量を見誤ることなく、しかし最大限に手を伸ばし、一つでも多くの成
果を残したい。その思いが、チーム作業のバランスを崩さないぎりぎりのところ
まで、悟飯を遮二無二働かせた。
だが―――その奮起が、これまで慎重に自身の衝動と向き合ってきた悟飯の自制
心に、僅かな綻びを生じさせる引き金となったのも、確かだった。
―――「それ」は、前触れもなく突然やってきた。
いつもの夢。幼少時の驕った自分が、周囲の制止も顧みずに一方的にセルを嬲
り殺していく、あの悔悟の記憶の再現……そこまでは、この半月あまり、見飽き
るほどに見慣れた光景だった。
だが、いつもなら強引に覚醒へと、現実へと引き寄せる事ができる、意志の力
が働かない。どころか、じわじわと追い詰められ、自棄を起こした宿敵が自爆へ
のカウントを取り始めるに至っても、夢と完全に同化してしまった生々しい感覚
から逃れる事が出来なかった。
地球そのものを人質に取られ、手も足も出ずにその場に脱力した自分を見下ろ
し、勝ち誇ったように歪んだ笑みを浮かべながら、セルがカウントダウンを続行
する。このままではどうなってしまうか、その「現実」は嫌というほど脳裏に刷
り込まれていたというのに……覚醒の契機を、どうしても掴むことができなかっ
た。
駄目だ、このままでは―――
繰り返し追体験するあの光景を、今更どう足掻いたところで代えようがないこ
とは解っている。自分のしでかした業から、逃れようがないという事も。
だが、このままでは、暴走したセルをから地球を、自分達を守るために、父が
行動を起こしてしまう。あまりにもあっさりと、現世への執着の全てを放り出し
て、父が界王星に行ってしまう。
……駄目だ駄目だ!それだけは駄目だ!
たとえ夢の中の出来事だとわかってはいても……あの日の気も狂わんばかりの
衝動を、自分は二度と味わいたくない。もう二度と、自分の前から父がいなくな
る瞬間を、自分はこの目で、見たくない。
自分の驕りで、慢心で―――もうこれ以上、自分は、父を失えない……!
『―――お父さん!!』
記憶に残る光景そのままに、眼前に現れた広い背中。止めたくて、思い止まっ
てほしくて、声を限りに叫んだ呼ばわりは、確かに父に届いたはずだった。
だが、こちらを振り向いた父は平時と変わらない、泰然とした……見ようによっ
ては達観した、静かな笑みを浮かべただけだった。
『ここまでよくやったな悟飯。すごかったぞ!』
『……お、とうさん…』
どうして、そんな風に笑えるのか。そんな風に、全てを達観してこの世を去る
ことができるのか。
……どうして、こんな不出来な自分に後顧を託すことができたのか……
これは夢だと、解っていた。現実の父は今はちゃんと現世に生きていて、自分
が望みさえすれば、いつでも会える存在なのだという事も、解っている。
それでも……あの日、父から託された願いは、父の生還と引き換えに帳消しに
なったわけでは、けしてなかった。
その思いを、願いを―――自分はあの時、受け止めたと思っていた。一生をかけ
て背負い続ける覚悟を自らに課したのだと、子供心に、思っていた。
だというのに……今になって胸の内から込み上げてくる、このどうしようもな
い無力感はどうだ。
自分では駄目だ。未だに自分の中に眠るサイヤ人の本能に振り回されているよ
うな自分には、父が託したものは大きすぎて、背負えない。
行かないで、死なないでと……声が届かないことを承知しながら懸命に呼び止
めたのは、現実の父ではなく、夢の中で自分に背を向け、彼岸に旅立とうとして
いる在りし日の父だった。
我ながら、矛盾した事を考えていると、頭のどこかではわかっていた。あの少
年の日の自分の失態をもし帳消しにできたとしても、今、こうして自分が抱えて
いる筆舌に尽くしがたい衝動から、逃れられるわけではない。
だが、解っていてなお―――こんな不安定な、父が後顧を託すに足るとは到底言
えないこんな無様な自分のまま、あの日の父を成す術もなく見送ることが、どう
しても耐えられなかった。
行かないで。死なないで。ここにいて。
ともすれば身の内から顔を出す、この衝動をきっと自分は飼いならして見せる
から。もう本能に振り回されるままに、セルとの戦いの時のような失態を晒した
りはしないから。
だからここにいて。行かないで。見捨てないで―――
夢の中の「現実」に足掻くかつての自分と、未だにこの懊悩から解脱できない
現在の自分が、代わる代わるに顔を出す。そうして、この夢の結末がけして覆ら
ないことを承知の上で、悟飯は声を限りに父を呼んだ。
だが、夢は冷酷に在りし日の記憶を再現し、悟飯の最も恐れる瞬間へと、刻々
と情景を送り続けていく。
程なくして、限界までその身を膨れ上がらせたセルと共に父の姿は眼前から掻
き消え……尾を引く自分の悲鳴を最後に、世界はその色を失った。
目覚めの瞬間、知覚できたのは、起床時間を知らせる腕時計のアラーム音と、
眦から零れ落ちたものがこめかみを濡らす冷たい感触だった。
見慣れない天井の模様と、普段は帰宅と同時に外してしまう腕時計をつけたま
ま寝入っていた自分の姿に、ここが馴染んだ下宿の寝床ではないことを、ぼんや
りと思いだす。
耳障りなアラーム音を止めてから二、三度寝返りを打つ内に、悟飯の意識は、
ようやく現実へとはっきり戻ってきた。
いまだに早鐘を打つ心臓を宥めるように大きく呼吸を繰り返し、仮眠用のベッ
ドから大儀そうに身を起こす。交代で仮眠をとっている以上、さっさと身支度し
て休憩の順番を回さなければ、細切れに段取りの決められた作業工程に支障が生
じる恐れがあった。
仮眠室に備え付けの簡易シャワーを浴びる程度の時間は許されるだろうが、下
宿にいる時の様に、夢見の衝動がなりを潜めるまで、何時間もかけるような真似
はできない。これからまた数時間は休みなく緻密な作業を続けなければならない
以上、強引にでも身の内からせりあがってくる衝動や感傷を、自分は抑え込まな
ければならなかった。
踏ん切りをつけるように勢いよくベッドを降り、手荒な仕草で身支度を整える。
そうして次に仮眠をとる者の為にベッドを整え、自分が使った枕カバーを剥ぎ取
りながら、悟飯はそれらの所作に紛れるように、持ち上げた腕で自らの目元をグ
イと拭った。
今更、あの夢で泣くなどどうかしている。泣いたところであの決戦の結末が変
わる訳ではなかったし、そもそも、あの日自分が犯した業を思えば、そんな感傷
に浸れる立場に自分はいなかった。
それでも、こうして性懲りもなく夢に見て、その後遺に揺らがされるのは、そ
れだけ、今の自分が不安定な状態にあるからだ。それこそ、あの夢の中の父の様
に泰然と構えていられれば、こんな衝動も表に出すことなく、自分は自分を保っ
ていられるのだろう。
界王神界から戻った自分の調整のため、天上の神殿で寸暇を惜しんで修行をつ
けてくれたピッコロの叱責が、どこか懐かしく脳裏に蘇った。
本当に、師父の言うとおりだ。こんな弱い心のままでは、自分は自分の内に巣
食う種としての本能に、いつか飲み込まれてしまう。ただの欲求不満という大界
王神の診立てが、その実思わぬ方向へ「発散」されてしまう恐れは、今でも多分
に孕んでいるのだ。
順当に作業が進み、出入り禁止となっていた最後のメンバーが予定通り復帰す
れば、自分がチーム作業に加わるのは今日で最後だ。あと今日一日を、何とかし
のげればそれでいい。
そうして晴れてお役御免となったら、その足で神殿に向かおう。ほんの十日余
り単独行動をとったくらいで、もう自己管理が覚束ないのかと、きっと師父は自
分を叱り飛ばすだろう。それでも構わないと悟飯は思ったし、むしろ、その耳慣
れた怒鳴り声を早く聞きたいとすら感じた。
ともあれ、あと一日――――実質的には、小休止を挟みながらのあと数時間を、
綻びを見せることなく、何とかして務めなければならない。
踏ん切りをつけるように、大きく伸びの体勢をとった両腕をそのまま振り下ろ
し、再び持ち上げて自らの両頬を軽く叩く。同じ動作を幾度か繰り返すと、悟飯
は仮眠室の入り口脇に掛けられた、古びた鏡に自分の顔を映しこんだ。
それが厳粛な儀式であるかのように、鏡の中の自分と見つめあって五秒が経ち、
十秒が経ち―――ようやく少しは納得のいく表情を見出せたのか、そのまま、威儀
を正して踵を返す。
身の内で再び芽をもたげ始めた自らの衝動を、今しばらくの間単身抑え込む覚
悟を自らに叩き込むかのように―――場所柄も弁えず、勢いよく閉じられた仮眠室
の扉が、耳障りな音を立てた。
TO BE CONTINUED...
お気に召しましたらこちらを一押ししてやってください。創作の励みになります
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