faith12




 もともと限界に近い睡眠不足の状態でもあったルルーシュは、達すると同時に
呆気なくその意識を手放していた。

 それまで自分の背に回されていたルルーシュの腕を通して突然かけられた負荷
に、あれほど余裕のない様子を見せていた彼が、それでも自分を気遣って、必死
に自らの体重を支えていた事に気づく。
 仕掛けたのはこちらなのだ。そこまで気遣うことなどないのにと、幾分苛立たしい
ような思いで、ロロは背に回されたままの兄の腕をそっと外し、その体を改めて寝
台に横たえた。


 余裕のない行為の余韻に上がる息がようやく落ち着きを見せる頃になって、意識
を飛ばしたままのルルーシュの後始末をしなければと、遅ればせながら考える。

 汗に濡れたシーツが肌に気持ち悪いだろうと思ったが、取り替えてやりたくても、
それではようやく寝ついたルルーシュを起こしてしまうかもしれない。とりあえず、
情交の名残を残す体を清めてやろうと、お湯で絞った濡れタオルを数本用意した。



 起こしはしないかと気を揉んだが、タオルで体を拭われても、ルルーシュは反応
を見せなかった。困憊状態での行為は、想像以上にルルーシュの体に負担をかけ
ていたのだろう。情交の余熱が引いた兄の目許には行為の最中に流した涙の跡
を際立たせるかのように色濃い隈が浮かんでいて、その常にない容色に、ロロの
胸が思い出したように痛んだ。

 ともあれ、今はルルーシュに安眠を与えてやる事が最優先だ。自身の内にわだ
かまる感傷を敢えて無視して、ロロはタオルを取り変えながら、その体を清める事
に専念した。
 全身を濡らしていた汗や性の名残を拭いとり、背中を拭く為に体勢を変えさせた
ついでにシーツの上に薄手のタオルケットをあてがってやる。慎重に体勢を戻し、
最後に新しいタオルで首から上を清めると、ようやく人心地をついたと我知らず深
い嘆息が漏れた。

 意識のない人間―それも、彼は自分よりも体格がいい―を、自分の力だけで介
助するのは想像以上に体力のいる行為だ。相手の眠りを妨げないよう意識するな
ら、尚のこと。
 額に浮いた汗をぞんざいに拭いながら、今度は床に落としたままだったルルー
シュの衣服を拾い集めてハンガーにかける。さて、では何か着替えになるものを、
とクローゼットに向いかけ、次の瞬間、ロロは再び嘆息した。


 この部屋に置いてあるのは、「兄」との共同生活の避難時に備えて運びこんで
あった、自分の最低限の着替えだけだ。彼の着替えに貸し出すには、サイズ的に
役に立たない。
 ルルーシュとしても本意ではないだろうが……一糸纏わぬ姿で目が覚めてお
互い気まずい思いをするよりはましだろうと、逡巡の末、引き出してきた備え付け
のバスローブを羽織らせることにした。

 胸の前で身頃を合わせ、寝肌蹴ない程度に緩く紐を結ぶ。と、その時、それま
で身じろぎひとつしなかったルルーシュの喉奥から、微かな呻き声が漏れた。

 「兄さん?」

 起こしてしまったかと反射的に手を引いてしまったロロの眼前で、再び喉奥で何
事かを呻いたルルーシュが、自らを守るかのように身を捩ると、持ち上げた両の手
で自身の腹部を庇った。

 極限の疲労状態で、あれだけの無理をさせたのだ。意識を失った今になって、
それまでの緊張が胃にきたのだろうか。
 軍部に籍を置いていたものとして、負傷時や突発的な疾病に対する応急処置
的な対処法は教わっていても、それを実践する機会などロロにはなかった。まし
てや、今のルルーシュのように、精神面に起因する失調に対してはなおのこと免
疫がない。

 対処法が解らない以上迂闊に手を出すこともできず、どうしたものかと内心狼
狽するロロを尻目に寝台のルルーシュは上体を折るようにして更に自身の腹部
を庇い―――ややして、不可解な物音が室内の空気に浸透した。


 何かがへしゃげたような、緊迫感に欠ける生理的な物音。
 それは、生体活動をする人間である以上、ロロ自身にも非常に馴染みのある音
だった。


 だから、「それ」が眼前の兄から発せられたものであっても、何ら驚く必要はない。
彼もまた、木石でできている飾りものではないのだ。
 だが―――対象が兄であったという、そのあまりの意外の念に、ロロは不覚に
も、一瞬意識を飛ばしそうになった。

 彼の記憶が書き換えられていた時分も今も、自分にとって、ルルーシュは理想
的な兄だった。そこには、ルルーシュ自身の年長者としての矜持から来ていた擬
態のようなものもあったのだろうが、理想が過ぎて、自分は彼を、半ば神聖視し
ていた観さえある。

 つまるところ……ロロにとっては、非常にあり得ない光景だったのである。
 あらゆる意味での「美意識」にこだわり続けるあの兄が、自分の前で無防備に
寝姿を晒すのみならず、盛大にその腹の虫を鳴かせてみせる姿など。



 自失していた時間は、果してどれ程のものであったのか。
 通算三度目となる兄の腹の虫の訴えを耳にした段階で、ロロの中に残されて
いた自制心が呆気なく崩壊した。

 意識のない相手を前にしているとはいえ、あからさまにするのはあまりにも不
躾に思えて、慌てて持ち上げた手で自らの口を塞ぐ。
 吹き出しながらも、眼前の兄に背中を向けたのはせめてもの配慮だった。


 「……っ…ごめ…っ…にいさ…っ…そりゃ……そうだよ…ね…っ」

 込み上げてくるものに体を二つに折りながら、寝台の兄に聞こえていない事を
承知で切れ切れの弁明を口にする。これを笑うのはあまりにも無体だろうと思い
つつも、笑いの発作がどうしても治まらなかった。

 自分の記憶にある限り、兄が食事らしいものを摂ったのは自分と食卓を共にし
た昨日の朝が最後だった。以降何も口にしていないのだから、それは腹の虫も
暴れるというものだろう。

 生身の人間であれば当然に抱く、ルルーシュから成されたそんな生への衝動
が―――可笑しくて、そして脱力を覚えるほどに安堵して、ロロは笑わずにはい
られなかった。
 ややして……笑い過ぎていつの間にか流していた涙が、その意味合いを別種
のものに変えていく。


 矜持の塊のようなこの人が正気づいた時には、けして口にはできない事だが
……彼の見せた、ごく当たり前の生への渇望が、涙が出るほどに、嬉しかった。



 大丈夫だ。彼の体は、生きることをけして諦めていない。
 生きようとする意志に支えられている限り……ナナリーという支柱を失った彼は、
それでもきっと、この自虐の堂々巡りから抜け出せる。
 そして、ルルーシュ自身がその意志を持たない限り、どれほど側近くに控えて
いようとも、彼ではない自分に出来ることなど何もなかった。

 差し出された側に縋る意思がなければ、外部がどれほどの思いでその手を差
し伸べようとも、相手を救うことなどできはしない。
 それだけのことをすら許されなかった自分達の関係に……今ようやく、変化が
訪れようとしているのだ。



 「……ごめん兄さん…風邪ひくよね、このままじゃ……」

 こんなことで風邪でも引かせては堪らないと、幾分肌蹴てしまった兄のバスロー
ブを直してやる。その体に上掛けを被せてやりながら、ロロは再度込み上げてき
た衝動に笑った。笑いながら泣いた。



 と、刹那―――自身の衝動を向き合うロロを尻目に、再びルルーシュの腹が
鳴る。その無言の訴えに背中を押されるようにして、ロロは持ち上げた手で自
身の眼許をグイと拭った。


 眠りながら、この調子だ。目が覚めたら、きっとルルーシュは限界近い空腹感
に苦しむことだろう。彼が寝入っている今の内に、その空腹を満たせるものを買
い込んでおかなければならなかった。

 それまで、制服のズボンを申し訳程度に身につけていただけだった自身の身
繕いを簡単に済ませると、ロロは財布と部屋のカードキーを掴んで部屋の扉へ
と踵を返した。



 扉が閉まる直前、その隙間から漏れ見える寝台のルルーシュを振り返る。
せめてその安眠を提供したいと考えたのも、確かに自分であったはずなのに……
目を覚ました兄とまず何を話そうかと、そんな風に考えている自分の浮き足
立ち振りが、ロロにはなんだかおかしかった。




                               TO BE CONTINUED...

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