faith11



 ルルーシュ・ランぺルージという人物に、初めて監視対象として以外の興味を抱
いた瞬間を、自分はもう覚えていない。


 いつと問われれば、いつの間にか、としか答えられない。自分と彼は、一年以上
もそうやって、密接にかかわり合ってきた。

 それぞれに外部との交流を持ってはいたが、いざ「自宅」へと戻れば、互い以外
に「身内」を持たない偽りの兄弟として、その閉ざされた世界を共有してきた。互い
の擬態が暴かれた今となっても、自分達が対外に身内と称せる存在を他に持て
ない二人限りの「兄弟」である事に、変わりはない。


 「ナナリー」は、足場を分った今となってはなおのこと、ルルーシュにとって遠い存
在となった。彼がその胸の内でどれほどナナリーを求めようとも、ブリタニア本国の
監視下に置かれた現状では、彼女自身を守るためにも、ルルーシュは他人の顔で
彼女と接し続けるしかない。


 そんなルルーシュに利用されたという現実をどこかで理解していながらも、自分は
彼から離れることができなかった。
 もともとが、擬態から始まった化かし合いのような関係だ。そこに含むものがあっ
たところで、互いに理不尽を責められるような関係ではなかった。


 それと承知の上で、互いに差し出し、縋った手だった。それでもお互いを、必要と
する関係だった。



 こうしてお互いの胸襟を改めてぶつけ合う結果となり……自分達は、きっとこの相
関を再認識した。その上で互いを選びとった以上、どれほど後ろ暗い因縁に思えよ
うとも、その選択を後悔しないだけの―――言葉は悪いが、柵のようなものが互い
の内に芽生えた。

 柵でも、いいと思ったのだ。それが、自分達がこの先を歩むための、よすがとなる
のなら。少なくとも、自分はそう思っていた。



 だが……今こうして眼前で疲弊するルルーシュの姿を目の当たりにし、自分は、
思い知らされずにはいられなかった。
 この柵は―――彼の望む癒しを、彼に与えることはできないのだと。


 ならば自分は……彼を望む世界へと送りだせると信じていた自分のこの力は、
何の為に存在しているのだろう。
 





 「……っ」

 と、その刹那―――それまでロロの様子をいぶかしみながらも、されるがままに
なっていたルルーシュの上体が、グラリと傾いだ。
 ルルーシュに縋りつくような形で彼と密着していたロロの体も、釣られるようにし
てバランスを崩す。

 弾かれたように身を起して……ロロは、膝の上に片肘をついた掌に、脱力したよ
うに額を伏せてしまった兄の姿を目の当たりにした。

 「…兄さん……っ」
 「……悪い…」

 伏せられた事で落ちた髪の陰になったとはいえ、ルルーシュの顔色は先刻にも
増して疲労の色にくすんでいる。ようようといった態で絞り出されたような、掠れた
謝罪の言葉がとどめとなり、今兄が置かれている状況を、ロロは否応なしに再認
識させられた。


 横になるだけで楽になると思うからと、そうルルーシュは言っていた。それは、
言葉の裏を返せば、せめて横になりたいという意味合いに他ならない。それほど
に疲弊している彼の体を、自分は身勝手な自問につき合わせ拘束していたのだ。

 ロロの背筋を、我知らず冷たいものが伝い落ちた。


 「…ごめ…っ兄さん!すぐ!すぐ横になれるようにするから!ちょっとこっち座っ
  てて!」


 弾かれたように身を起こし、それでも残された自制で以て、極力ルルーシュの
体に負担をかけないように、ベッドサイドに引き寄せた椅子へとその身を移動さ
せる。
 そのままクローゼットにしまってあったシーツや枕カバーををおろしてバタバタと
簡易寝台を整えるロロの姿を、ルルーシュはどこか焦点の怪しい双眸でぼんや
りと眺めていた。

 その記憶を書き換えられた後は言うに及ばずその以前も、「兄」である事を常に
意識しているルルーシュは、ロロの前で隙を見せるということがなかった。
 それは、家事の手伝いは歓迎しても、その分担を押し付けないだとか、その程
度の「年長者としての矜持」のようなもので、ロロが堅苦しさを覚えるほどに矍鑠
とした「壁」であったわけではないのだが……そんなルルーシュの姿を見慣れて
いるだけに、世話を焼かれるまま手伝う素ぶりも見せない今の彼の様子から、そ
の疲弊のほどが否応なしに見て取れた。


 とにかく、今は理屈も理由も二の次だ。自分にできることを理屈づけるより先に、
限界まで疲弊した彼を休ませてやらなければならない。

 「……はい、これでいいよ。簡易ベッドだし、ちょっと狭いだろうけど我慢してね」

 急ごしらえにしつらえた寝台は、ベッドメイキングが完璧であるとは言い難かっ
たが、細部にこだわっている間にそれこそ眼前の兄が床に沈みかねないこの
状況下では、とにかく時間が惜しかった。
 促されるままに寝台に移ったルルーシュから脱ぎ落した上着を受け取り、ロロ
ははた、と考え込んだ。

 眠れそうもないと言ってはいたが、この困憊状態を見る限り、案外肉体の欲求
が優先してルル―シュは安眠できるかもしれない。となれば、少しでも深く眠れ
るように、万全の環境を提供してやりたいところだったが……

 昨日の朝、学園を抜け出したままそこここを放浪していたルルーシュは、当然
ながら夜着の用意などしていなかった。制服姿の自分と比べれば幾分ゆったり
とした作りの着衣ではあったが、それでも寝苦しさは否めないだろう。
 夜着替わりに提供するとすれば、わずかに用意のあった自分の着替えくらい
だが、そもそも体格の違う自分達に服の貸し借りは無理がある。

 空調である程度の調節はできるにしても、まさかこの季節に裸で寝ろとも言え
ない。とはいえ、平時であればともかく、必要以上に神経を高ぶらせた今のルルー
シュでは、この状態で眠りに落ちても熟睡など望めない事は容易に予想がつい
た。

 ナナリーの夢を見るから、自室では眠れないと呟いた、ルルーシュの言葉を思
い出す。それは自覚症状というよりは、ルルーシュの願望が言わせた言葉だっ
たのだと、いつしかロロは気づいていた。


 結局は―――どこで眠ろうが、同じことなのだ。ナナリーとの決裂という根本的
な問題から完全に解放されない限り、ルルーシュはこれからも、ナナリーの夢を
見続けるだろう。この先時間を置くことでその疲弊した心は少しずつ癒されていく
だろうが、少なくとも、今はまだ。

 今のルルーシュが心身ともに癒されるためには、それこそ夢も見ないほどに深
く眠るよりほかなかった。



 「兄さん、着替えもなくて悪いんだけど、そのままじゃ寝苦しいでしょ?服も皺に
  なるし、ズボンだけでも脱ぐ?」


 兄の安眠を意図しての言葉が、それでも伺うような提案の形を取ってしまったの
は、平時のルルーシュがこういった居汚さを何よりも嫌う性格をしていることを、ロ
ロ自身承知していたからだった。
 ここで世話焼きが過ぎて強引に事を進めれば、どれほど寝苦しかろうとルルーシュ
は意固地になってこの現状を貫くだろう。その結果またナナリーの夢にうなされて
も、彼はきっと安眠できた振りをして自分に礼を言い、何食わぬ素振りでこの部屋
を後にするのだ。
 それでは、彼にこの隠れ屋を提供した意味がない。


 「空調、少し温度上げておくから。それくらいなら寝冷えしたりしないよ?」

 さらに言葉を重ねると、既に腰を下ろした体勢から寝台に上体を沈めてしまって
いたルルーシュは、どこか焦点の合っていない若紫の双眸を、大儀そうに二、三
度瞬かせた。


 「……ん…」

 意図しての仕草であったのか、それとも上体だけで寝台に倒れこんだ体勢が窮
屈に思えたのか、それまでこちらに向けられていたルルーシュの顔が、寝台に面
した壁側へと上体ごと反らされる。
 これはやっぱり余計な世話焼きと敬遠されたかと、内心ロロが嘆息したのとほ
ぼ時を同じくして……しかし、掠れた声音が、「悪いな」と言葉を続けた。


 これはどうやら、ロロの提案に従う気持ちになったらしい。それならばと、クロー
ゼットにハンガーを取りに向かおうとしたロロを尻目に、ルルーシュがシーツの上
に片肘をつきながら、ようようの態で寝台から身を起こした。

 寝支度を整えようと気を取り直したのだろうが、ズボンのベルトに伸ばされたそ
の手には、既に力が入っていない。
 兄の自意識を尊重して、しばらくは傍観に徹していたロロだったが、ベルトを外
そうとするその手が目標をとらえ切れず三回目に空を掻いた様を見て、見かねて
助け船を出した。

 「ああ、いいよいいよ僕がやるから。脱がすからね?いいね?」

 言うが早いか、手早くズボンのベルトを取り外す。同性間とはいえ、あまりしみ
じみ向き合っているような状況でもないので、そのまま腰穿きのズボンへと手を
かけた。


 と、刹那―――

 「……っ」

 一息にズボンを引き下ろしかけたロロの動きが、直前でピタリと止まる。自分の
目を疑うようにその双眸がせわしなく瞬かれ、ややして、ロロは我に返ったかのよ
うに眼前の兄から視線をそらした。




 極限の疲弊状態にあるルルーシュが、平時の思考力を失っていて心底良かっ
たと思う。恐らく、平時の彼とこの状況ではち合わせていたら、彼は自失の余り
しばらくは自分と顔を合わせることを避けたことだろう。


 それは、いわば男の生理の一つであると言えた。人間の本能に起因する身体
的変化であったし、限界まで疲弊した男の体には、その欲求の有無にかかわら
ず起こりうる現象でもある。
 その事はロロ自身、知識として理解もしていたし、自分にも全く経験のない現象
というわけではなかった。それが、なんら恥じ入る類のものではないという事も。

 だが、それがあまりにも唐突に具現し―――しかも、およそそういった裏事情と
は無縁なのだろうと身勝手に思っていたルルーシュの身に起きたということが、
少なからずロロを動揺させていた。


 幸いと言うべきなのか、既に意識さえ定かではないであろうルルーシュが、自
らの体の変化に気づいた様子はなかったが……その内的欲求から生じたもの
ではないと解ってはいても、同じ男としてこの状況にどう対処したらいいものかと、
続く言葉が喉奥に張り付いたまま出てこない。

 着衣の上から、わずかにそれと判断できた程度の変化ではあったが―――自
身の次の行動に悩むロロの眼前で……ルルーシュの性を表す場所は、確かに、
兆し始めていた。




                             TO BE CONTINUED...


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