一条の閃光が、断続的な破裂音を伴って辺りの静寂を切り裂いてい
く―――時を同じくして、その場に居合わせた者達の臭覚を、肉の焦げ
る匂いが刺激した。
特有の臭気を放つそれは、衝撃波が大気を震わせる度に周囲の空
気に蟠っていくようだった。
気弾を操る者なら、その技を以て戦いの場に出た経験を持つ者なら
ば、思い至らないはずもない、命中の証。放った気弾が標的を捉えた
際に生じる衝撃が、固唾を呑んで戦いの行く末を見守っていた者達に
その威勢を見せつけるかのように大気を揺らし、気流によって鼻を突く
異臭を届けた。
崖地を挟んで睨み合いを続ける、フリーザ軍と地球土着の戦士達。
千人からの軍勢を率いて突如地球に襲来したフリーザをこの場で足
止めし、現在地球を遠く離れた孫悟空とベジータが帰還を果たすま
での間、何としてでも戦況を保たせなければと、地球の命運を担わさ
れた彼らは懸命に、この地に敷かれた防衛線を守っていた。
居合わせた者達の中には、悟空へのつなぎをつけるため、破壊神
の付き人兼師匠への連絡役としてこの地を訪れた、ブルマのような
非戦闘要員も含まれている。彼らの留まる場所を防衛線の最深部と
して、駆け付けた戦士達は各々の力量に応じた持ち場に踏み止まり、
引きも切らずに押し寄せる手勢との交戦続けていた。
悟空とベジータがこの場に居合わせない今、防衛役を担う彼らの中
で戦力の主軸となるのは、やはり悟飯だった。
ハイスクール時代に世界全土を震撼とさせた魔人との戦いで、その
内包する戦士としての資質を周囲に見せつけたものの、その後は実
直に学者への道程を邁進してきた青年である。既に成人も果たした今
となっては、婚姻し、自身の家族も持った。
フリーザ軍の急襲をいち早く察して駆け付けた面子の中で、唯一、
悟飯だけが、戦闘に備えた道着すら用意が間に合わなかった。それ
ほどに、守るべき家族を抱えた青年にとって、戦いというものはその
日常から遠く隔たった、物々しい事態だったのだ。
それでも、ひとたび戦場に立てば、青年の戦闘能力をあてにして、
第一線を任せる羽目になってしまう。かつての激戦を乗り越えた同胞
達の中でもっとも顕著に「日常」への還幸を体現している青年に、こう
して結局は頼ってしまう自らの不甲斐なさが、ピッコロは、心底情けな
いと思った。
だが、真打である悟空とベジータが到着するまでの場繋ぎと軽んじ
られようと、とにかくこの場は、自分達が持ちこたえなければならない
のだ。真打登場までは高みの見物を決め込むつもりらしいフリーザの
意向はさておき、現状で最たる脅威となるであろうタゴマという戦士を
悟飯が足止めしている以上、彼の戦いに余計な横槍を入れさせぬよ
うに、その他の敵戦力への牽制役として、自分も如才なく立ち振る舞
わなければならなかった。
数年にも及ぶブランクがあったとはいえ、悟飯が内包する気は何ら
遜色を感じさせない。鍛錬を怠った分だけ、戦士としての肉体の精度
は衰えてしまっただろうが、タゴマと対峙する悟飯の戦いぶりを、正直
なところ、ピッコロは全く懸念してはいなかった。
かつてのフリーザ軍を牛耳っていた精鋭部隊、その長であったギニュー
に体ごと乗っ取られたらしいタゴマという男は、ギニューの特殊スキル
によってどれほど有益に身体能力を引き出されようとも、完全な戦闘
形態に入った悟飯の敵ではないように思えた。もちろん、肉体そのも
のの衰え加減を加味すれば持久戦に持ち込むことは楽観視できなかっ
たが、タゴマという、新たな媒体を手に入れたばかりのギニューの戦
闘能力では、悟飯を相手に長期戦など耐えられないだろう。
だから、タゴマの対戦相手として単身名乗りを上げた悟飯の事を、ピッ
コロは止めなかった。始めから結果の見えている勝負だ。もう子供では
ないからと不敵に笑って見せる愛弟子を頼もしく思う気持ちと同時に、
久しく戦いというものから離れていた青年に花を持たせたいという思い
もあったかもしれない。
だが―――当初はピッコロの予想通り悟飯の優勢で進められていた
戦いは、思いもよらなかった横槍によって、一瞬で状勢を覆された。
大気を震わせる衝撃。空気の流れに乗って臭覚を刺激する、肉の焦
げる匂い。
それまで黙したまま戦況を見据えていた、フリーザ軍総大将が出し抜
けに放った気弾は―――真っ直ぐに、悟飯の体を貫いていた。
「――――――悟飯…ッ!!」
視覚から受けた衝撃に、束の間、思考が白濁し、停止する。その一瞬
の間に、ピッコロ達残された同胞達の前に、それまで悟飯と相対してい
たはずのタゴマが立ちはだかった。
どうやら、自分が二の足を踏んでいるこの僅かな時間で、フリーザ軍
の内部には何らかの通達がなされていたらしい。タゴマ―――否、ギ
ニューは、この防衛線の切りこみ隊長から一転して、自分達の足止め
役を自ら買って出たらしかった。
悟飯でさえ、サイヤ人としての戦闘形態にならなければ苦戦したであ
ろう相手だ。頑強な肉体を誇りながら、そのくせ、俊敏さにおいても群を
ぬくこの男を躱して悟飯の元へ辿りつくのは、容易なことではないだろう。
それを狙って足止め役に徹しているのであろうギニューには、寸分の隙
もうかがえなかった。
膠着状態を余儀なくされたピッコロの視線の先で、悟飯に横槍の一撃
を食らわせたフリーザが、その場から動く事すらなく、向けた指先一つで
青年を威圧している。
獲物を捕らえるかのように、悟飯へと真っ直ぐに向けられたその指先
が発光する度に―――肉の焦げる匂いと共に、押し殺した苦鳴が大気
に乗って届いた。
その一撃一撃は、かつてはこの地上に比類なき戦士と謳われた青年
の命を脅かすようなものではない。だが、四肢を打ち抜かれその場に足
止めされた悟飯の体を、フリーザは文字通り嬲り殺すかのように放った
気弾で追い詰めていった。
どれほど絶大な戦闘力を内包していようとも、その器である肉体は、戦
場を離れた時間に比例して確実に衰えている。内包する気の発現にも
長時間は耐えられないであろうその体には、繰り出される一撃一撃が、
楽観視できない衝撃を与えているであろうことは否めなかった。
猫が追い詰めた獲物を悪戯に嬲っているかのように、一定の間隔を
空けて青年の体を打ち抜きながら、フリーザが、見下し切った口調で
逃げてみろと嘯いてみせる。早く逃げなければ殺してしまうぞとせせら
笑いながら、既に立ちあがる事もできなくなった悟飯に向かい、彼は放
つ気弾でその体を徹底的に痛めつけた。
醜悪の極みだと、衝動に支配された思考の片隅でそう思う。
確かに、今のフリーザとまともに渡り合える存在がいるとすれば、そ
れは孫悟空とベジータの二人だけだろう。その事を承知していながら、
フリーザは長く戦場を離れ、戦士としての肉体を衰えさせてしまった悟
飯をいたぶり、悦に入っているのだ。これはすでに、戦闘行為ですらな
かった。
そして、なによりも―――ついに地面に倒れ伏してしまった青年を、
さもとるに足らないもののように蔑視し嘲笑うフリーザの歪んだ満悦顔
が、ピッコロには、我慢ならなかった。
きっと今、フリーザはあの青年を、憎い仇敵への意趣返しの道具程
度にしか認識していないのだろう。自分に対抗できず、自力で難を逃
れる事もできず、なんという柔弱な存在かと、そんな風に腹の内で見
下しているに違いなかった。
だが、悟飯がただ、成す術もなくフリーザに嬲られているのは、その
圧倒的な力量差ばかりが原因ではない。そのことを声高に訴えたとこ
ろで戦局が覆る事はなく、知らしめることそれ自体が悟飯の覚悟を無
駄にすることになると解っているからこそ、ピッコロも、フリーザの嘲笑
を受け流すしかなかった。それが、何よりも歯痒く、口惜しかった。
確かに、あのフリーザを前にして、悟飯を含め、ここに居合わせた者
達の誰一人、まともな戦いを展開することなどできないだろう。自分達
は、悟空やベジータが到着するまでの間、目の前の男をこの場に足止
めし、その被害を地球全土に蔓延させないためにこそ、ここにいた。
悟飯がスーパーサイヤ人の形態をとったことで、フリーザの復讐心を
煽る結果となったことは確かだろう。だが、フリーザにとって最も憎むべ
きは孫悟空ただ一人だ。彼を苦しめ嘆かせる結果を用意する為ならば、
フリーザは、手段を選ぶことはないはずだ。
そして―――今、この場所には、悟空の第二子である悟天も居合わ
せている。トランクスとベジータの関係まで考察が及んでいるかは解り
かねたが、かつて自分を討ったもう一人のサイヤ人に酷似した幼い少
年もまた、フリーザの復讐の標的になる事は十分に考えられた。
今、フリーザの興味が自分から離れたら、次にフリーザがどのような
行動に出るのか……あの頭の切れる青年が、その事に思い至らなかっ
たはずがない。
本気で難を逃れようと思うなら、身動きを封じられるよりも先に、悟飯
には十分に時間があった。それを敢えてせずにその場に留まったのは
―――彼が、その背後に控える存在を慮ったからだ。
悟天やトランクスを、フリーザの復讐から守るために……そして、満足
な歯止め役にもなれなかった自分達を巻き添えにしないために、悟飯は、
一人フリーザに対峙したまま、その場に踏み止まったのだ。
既に戦士としての生活から離れて久しい弟子の双肩に、そこまで背負
わせてしまった己の不甲斐なさが腹立たしい。そして、そんな青年の思
いを踏み躙り卑俗な復讐心の餌食にしたフリーザの醜悪さが、心底許
せないとピッコロは思った。
いかに嬲る事を目的とした行為とはいえ、これ以上フリーザの気弾を
浴び続ければ、悟飯の命そのものが危ない。総大将の復讐に横槍を入
れさせないようにと自分達の眼前に立ちはだかる男の隙をかいくぐり、
どうにかして、青年の元までたどり着かなければならなかった。
どうすればこの俊敏な男を出し抜けるか、目の前に光景に憤激しかけ
る己を懸命に律しながら、突破のタイミングを探す。ここをしくじれば、悟
飯の救出はおろか、彼が懸命に守ろうとした少年達を含め、自分達全員
の命はないだろう事は、想像に難くなかった。
―――と、刹那……
「ざまあみろ虫けら。ざまあみろサイヤ人」
地に這う青年を思うがままにいたぶったことで、その嗜虐心に更に火が
ついたのだろうぁ。耳障りな哄笑を放ったフリーザの語調が、それまでと微
妙にその色合いを変えたのが、人並み外れた聴覚を誇るピッコロには解っ
た。
何をと考える暇もなく、ただ、このままではまずいと、直感が警鐘を鳴らす。
もう一刻の猶予も残されてはいないのだという事だけは、肝が冷えるほど
の実感を以て思い知らされた。
「―――ざまあみろ、孫悟空……!!」
剣呑な宣告の言葉と共に、悟飯へと向けられたフリーザの指先に膨大
なエネルギーの塊が凝縮する。大気を焼く波動が目に見えて膨れ上がっ
ていくのを五感の全てで感じながら、筆舌に尽くしがたい衝動が、ピッコ
ロの背を押した。
時を同じくして、崇拝する総大将が第一の復讐を果たす瞬間に興味を
奪われたのか、それまで寸分の隙もなくこちらを威圧していたギニュー
の意識が、束の間ピッコロ達から逸れる。
その瞬間を―――ピッコロは、見逃さなかった。
男の意識が自分達へと戻される一瞬の隙を突いて、立ちはだかる長
身の脇をすり抜ける。一息に目指す場所へと距離を詰めながら、そう言
えば前にもこんなことがあったと、焦慮に膨れ上がる意識の片隅で、ピッ
コロはぼんやりと回顧した。
地球を蹂躙するべく来襲した先触れの戦士によって、その存在が明
るみとなったサイヤ人という戦闘民族。そのごく限られた生き残りであっ
た孫悟空がドラゴンボールによって現世に蘇るその日まで、再び地球
にやってくるというサイヤ人達への対抗戦力として、自分は彼が残した
幼子に、戦いの術を一から叩き込んだ。
予告されていたサイヤ人来襲の日、やはり今のように、悟空は戦い
の場に向かいながらも間に合わず、その到着を待つ時間、居合わせ
た者達だけで何とか持ちこたえようと、文字通りの死闘が繰り広げら
れた。
あの時、悟飯はまだ、ようやく5歳になったばかりだったか……一年
間の修行によって、その戦闘能力は驚異的な伸び育ちを見せていた
ものの、実戦経験の皆無な幼子にとって、戦場の空気に委縮するなと
言う方が無理な話だろう。それでも、どうしても及び腰になってしまう
悟飯を一戦力として当て込むのは酷な事だと知りながらも、随一の戦
闘力を内包する少年の奮起なしに、あの場を持ちこたえる事はできな
かったのだ。
結果として、悟飯の能力は実戦の中で次第に花開いた。だが、それ
は同時に、少年の伸び代を危ぶんだサイヤ人の興味と脅威を、その
小さな体に一身に集める事にもなってしまった。
ここで何が何でも摘んでおくべき脅威の芽だと、そう見なされた少年
に、もうあの戦場から逃れる術は残されていなかった。まだまだ戦士
としては戦いぶりも稚拙だった悟飯に、当時の少年には防ぎようもな
かった気弾が浴びせかけられ―――
……そうだ。あの時も、こうして死に物狂いになって、少年の元に走っ
た。
何故そんな行動に出たのか、自分でも説明のつかない衝動が全身
を突き動かしていた。ここでこの少年の庇ったところで戦局は変わらな
いと承知しながらも、損得勘定も、今後の戦況も、一切関知しない思
いが、迫りくる気弾の前に、自分を立ちはだからせていた。
思えばあの時、自分は生まれて初めて、何かを失うことへの焦燥と
いうものを、身を持って体感したのだろう。そして、それを受け入れた
くないがために、己の命運を擲つような真似までして、襲いくる脅威に
抗った。
あの日、まだ自分の腰元にも届かないほど小さな体で自分に取り
すがってきた少年は、年を重ね己の生きるべき道を見出し、いまや、
守るべき家族を持つ一端の青年へと成長した。
歳月は流れても、互いに進む道を違えても、自分を師と仰ぐ青年
が、自分へと向ける信頼と信愛は、その幼い頃から何ら変わる事は
なかった。だからこそ、青年が伴侶を迎え愛娘を設けた今になって
も、自分達の相関は少しも変わることなく、彼との交流も続いている。
忙しなく過ぎ去っていく日常の中で、いつしか戦士としての己を忘
れ、その叡智を武器として新たな戦場へと挑み始めた悟飯。鍛錬す
ることのなくなったその肉体は目に見えて衰え、往年の雄勁さは見
る影も無くなっていったが、それが青年の望んだ生き様であるならと、
ピッコロは、ただ黙って彼の新たな道行きを見守ってきた。
そんな悟飯の胸の内に培われた覚悟を……ここまでまざまざと見
せつけられたのは、襲来したフリーザ軍の足止めのため、彼が再び
戦場に立った姿を目にした時が、初めてだったかもしれない。
迫りくる軍勢をいなしながら、いよいよフリーザ軍の幹部と思しき戦
士達が、次鋒として名乗りを上げた。セサミと名乗った屈強の戦士の
目に、今の悟飯は、さぞや貧相で非力な存在として映ったことだろう。
だが……そこで、セサミだけではない。ピッコロもまた、悟飯が静か
に胸の内に募らせてきた覚悟の程を、目の当たりにしたのだ。
セサミの絞め技につかまった―――というよりも、相手の動きを止め
るために、敢えてその術にはまったのだろう。中空で対峙した体制のま
ま相手の上腕に拘束された青年は、動じる素振りすら見せることなく、
自分を締め上げる男の顔を見上げていた。
悟飯が相手の絞め技に衝撃など受けていないことは、その戦いを見
守る同胞達の目にも明らかだった。悟飯の優勢を信じて疑わない彼ら
は、敢えて敵の術中に飛び込んだ青年の次の一手を見逃すまいと、む
しろ高揚感すら覚えながらそのせめぎ合いを見据え続けた。
あやつ、本当に締め上げられやすいの奴じゃのお―――半ばあきれ
混じりに呟いた亀仙人の声音にも、この状況を危惧する響きは微塵も
感じられない。そんな老人の不謹慎ともいうべき独語を咎めるでもなく
聞き流し、ピッコロもまた、他の同胞達と同じように、中空で微動だにせ
ず眼前の敵と対峙する青年の様子を眺めやった。
圧倒的な体格差から繰り出された絞め技に拘束されながら、それで
も平然と男の攻撃を受け止めている悟飯が何かを口にしている。互い
の距離と、完全に上体を拘束された悟飯の体勢から、地上で見守る他
の同胞達には聞き取れなかっただろう。だが、人並み外れた聴覚を誇
るピッコロの耳には、その言葉がはっきりと届いた。
全面対決を余儀なくされたこの期に及んで―――悟飯は、それでも
なお、セサミに撤退を促していた。
『子供が生まれたんだ……穏やかな場所で、優しい子に育ってほしい』
感情を気取らせない、しかし揺るぎない意志の力を感じさせる、宣誓
の言葉。
躍起になって自分を締め上げてくる男の膂力に怯むそぶりも見せず、
不自由な体勢のままそれでも毅然と顔を上げて、悟飯は続く一語一語
に、力を込めた。
『だから……お前たちのような奴らに来られると本当に迷惑なんだ』
瞬間、己の胸中を過った思いを何と名づければいいのか……ピッコ
ロには、解らなかった。
勝ち取った平和な日常の中で地に足を付けた生活を送るうちに、戦
士としてはすっかり「腑抜け」てしまった愛弟子。地上を脅かす外敵の
脅威にとるもの取りあえず駆けつけた青年は、既に道着すら用意でき
ない程に、彼が暮らす平和慣れした世界に馴染んでいた。
元来、戦いなど好まない気性をした青年である事は、彼が幼子の頃か
ら知っている。そんな彼を戦士として仕込み育て上げたからこそ、ピッコ
ロは、弟子の平和ボケを口では揶揄しながらも、その有り様に胸の内で
安堵の思いすら抱いたのだ。
今の悟飯に、地球の命運を背負って戦う力など必要ないのだと―――
この数年、青年の生き様を見るにつけ痛感した。彼がその手で守るべき
ものは、もっとずっと対象の限られた、小さな社会だ。
もちろん、この先も有事の際には、こうして戦力として当て込まれ、駆り
出されてしまうことだろう。それほどに、青年が内包する戦士としての資質
は絶大だった。
それでも、何を置いても守らなければならないと、青年が自ら望み背負っ
たものは、彼自身の家族に他ならない。そうして世帯主としての責任を自
覚した彼が「腑抜けて」いくのを、ピッコロは、むしろ好ましい思いで眺めて
いた。
フリーザ軍の地球来襲を水際で食い止めようとしている今この時に、そ
の先触れを退ける威嚇の言葉にしては、あまりにも保守的で、覇気に欠
けるものであると思う。それだけに、淡々と言葉を重ねる悟飯の語勢に、
彼の気概の程を思い知らされた心地がした。
これこそが、今、悟飯が戦いに赴いた理由なのだと知る。改めて眼前に
突きつけられた青年のその変化が……ピッコロにもまた、一つの転機を
促していた。
血を分けた我が子が、戦いとは無縁な平穏な場所で生きていけるよう
に、その拠り所を作ってやること。それは裏を返せば、追憶の日、武道家
になどなりたくないと初対面の自分に訴えていた幼い少年が、結局叶え
る事の出来なかった、夢の具現だ。
それならば……それは、父親を失い、地球を脅かす外敵との戦いに否
応なしに身を投じなければならなかった、在りし日の悟飯を戦場に引き
ずり出した、自分が果たさねばならない責務でもある。
そう己の心に刻み込んだ時―――誰よりも側近くでその成長を見守っ
てきたあの青年の為に、今後自分が取るべき道が、おぼろげに、眼下に
開けたような気がした。
実父との別離を二度も味わわされ、特異な少年時代を送った悟飯には、
自ら望んで家庭を持つ事は難しいのではないかと、そんな風に危惧した
事もある。成長期の殆どを父親を知らずに育った彼が、その事を障壁に
感じてこの先の生き様に自ら制約を施してしまうのだとしたら、自分はど
う振る舞うことでそんな彼の力になってやれるのかと、そんな仮定の想像
に、ぼんやりと思い巡らせたこともあった。
そんな悟飯が結婚し、子を設け、いっぱしの父親の顔をして自分と向き
合うようになった時……悟飯は本当の意味で父親離れしたのだと、そう
思った。
ならば、自分もまた、新たな生き様を手に入れた青年を支えてやれるよ
うに、そんな彼との相関を築き直していかなければならない。
今の悟飯が何よりも強く望むのは、己の地位でも名声でもない。自らの
精神的外傷から脱却した事で縁づいた、新たな家族との暮らしを守る事
だ。
いつの間にか、世帯を背負う男の顔をするようになっていた愛弟子。そ
の彼を、守るべき家族を置いて死なせるようなことは、あってはならなかっ
た。それは、幼い悟飯をあれほどに苦しめた、父親のいない哀傷を背負っ
た子供を、再び生み出す事だ。
自らの伴侶にも愛娘にも、それだけは味わわせたくはないと願っている
であろう悟飯の胸中を思えば、何があろうとも、悟飯を息災のまま、彼を
待つ家族の元へ返してやらなければならない。
……そう。例え、何があろうとも―――
フリーザの指先から発された気弾が次第に膨れ上がり、その爆発の瞬
間を迎えようと、標的と定めた青年に向かい唸りを上げ、迫りくる。
今まさに爆ぜようとするそれが、地面に倒れ伏した悟飯に向かって降り
注ごうとするその刹那―――ピッコロは、寸でのところで追いついた自ら
の総身を、悟飯の前に割り込ませた。
「……っ!!」
真っ向から気弾の衝撃を受け止めた自らの苦鳴に、背後で息を呑む青
年の声なき悲鳴と、人の悪い笑みを浮かべながら着弾の瞬間を待ち構え
ていたフリーザの驚愕を思わせる叫びが重なった。
こんなことが、前にもあったと……そんな風に感じているのは、自分に
庇われた青年にとっても同様だろう。
かつて自分が身を挺してその命を守った少年が、その後どれ程の衝撃
に身を焼く羽目になったのか、後に人づてに聞きもしたし、界王神界に渡っ
てからは界王神の意識を通じて、この目で見届けもした。
守るべき家族を持ったからには、今更あの頃のような無鉄砲な真似は
するなと、そう言ってやりたい。だが、今は例え念話であろうとも、会話に
意識を向けて集中を途切れさせることはできなかった。
セサミの体ごと悟飯を打ち抜いた、タゴマの例もある。ここで僅かでも
気を抜いて自分ごと悟飯まで気弾を貫通させてしまったら、こうして割り
込んだ意味がなかった。
どうにかして自分の体で押しとどめるのだと、総身を貫く衝撃と激痛に
耐えながら、着弾した自らの腹部に練り上げた気を込める。弾き返す必
要はない。自分の体でこの衝撃を吸収できれば、それでいいのだ。
戦力としてはあまりにもお粗末でも、衝撃のクッション役を担えるくらい
には、自分もまだ、この場に居合わせた存在意義はあったらしい。受け
止めた気弾は、焦れるような速度で失速しながら、じわりと綻びを見せ
始めた。
これならば、悟飯に届かせることなく、自分の体で衝撃を殺すことがで
きる。身を焼く衝動を堪えながら眼前へと視線を投げれば、向き合った
フリーザの薄ら笑いが、いつしか、衝撃を隠せない引き攣り顔へと変わっ
ていた。
声を出せば途端に苦鳴が漏れ出てしまいそうで、グッと奥歯を食いし
ばる。それでも、せめてもの意趣返しに、唇の動きだけで、「ざまをみろ」
と言い捨てた。
何を揶揄されたのか、気づいたのだろう。フリーザの顔面に、瞬時に
怒りの色が上る。そんな旧敵への意地のようにその場に立ちはだかり
続けながら、ピッコロは、受け止めた気弾の衝撃を、ついに己の体で以
て無効化した。
「……っ…ピッコロ…さん…っ!」
途切れかけた最後の意識が拾い上げたのは―――自分の名を呼ぶ、
愛弟子の震え声だった。
幼い頃から少しも変わらず、自分の感情を殺すことのできない男だと
思う。頑是ない幼子でもあるまいに、家庭を持った男がいつまでもそん
な事でどうするのだと、窘めてやりたい気持ちになった。
だが、悟飯のこういう一面を、長い師弟時代についに矯正してやれな
かったのは、自分の落ち度だ。
せめて、心優しいこの青年が、かつてのような暴走を繰り返さない事
を胸の内で祈る。自分達がこの戦いの主戦力となれなかったのは覆し
ようもない事実だった。ならば、世界の命運を背負わされる重圧から
解放された青年が、これ以上自らを痛めつけるような真似に及ぶ必要
はない。
今はただ、生き延びればいい。生き延びて、今自分を必要としている
世界へと戻ればいい。そこには、彼の叡智を待つ人々が、そして、利害
関係などなく彼の無事を祈って待っている、彼の家族がいる。
それこそが―――幼い少年がずっと夢見てきた、戦いなど無縁な場所
だ。
何を置いてでも生き延びて……お前の望んだ世界へと、帰りつけ。
視野が反転する。己の自重にしたがって、重心を崩した体が地面に向
かって傾いでいくのが解った。
最後の意識に上ったのは―――あの心優しい青年を再び戦場に引き
ずり出した挙句、結局満足な戦力にすらなれず脱落しなければならない
という無念さと……
それでも、最後の最後に愛弟子の命を繋げたという―――押し隠しよ
うもない、充足感だった。
お気に召しましたらこちらを一押ししてやってください。創作の励みになります
ドラゴンボールZの小部屋へ