旧フェニキス領の主であった鷹王ティバーンの名の元に、長く属類を分たれてきた鳥翼三
国の統一は、段階を慎重に踏みながらも、日々精力的に押し進められていた。
新興国家の樹立という大きな土台が築かれたとはいえ、これまで別個の国民性を守り続
けてきた三つの勢力を、「国家」の利害を共有する同胞として結束させるには生半ならない
忍耐と時間を必要とする。筆頭に立ち音頭をとる鷹王がどれほど他に類をみないカリスマ性
を兼ね備えた覇王であろうとも、多民族の完全な調和と統一という最終目的を、一足飛びに
果たすことはできなかった。
複合する種族から成り立つ新国家であるからこそ、その上層部を固める国家の「頭脳」に
は、それぞれの種に属する存在を過不足なく取り上げて、均等のとれた構成を心掛けなけ
ればならない。
旧フェニキス勢においていかんなくその才覚をふるった「頭脳」から提議されたその懸案
は鷹王の認可を受け、現在、鳥翼三国それぞれから偏りなく召喚された者達が、鷹王の参
謀役として彼の側近くを固めていた。
その中でも筆頭にあげられる存在が、ティバーンの昔馴染みであり旧フェニキスの双璧で
もあった鷹族のウルキ、ヤナフ。旧キルヴァスの王ネサラ。そして、旧セリノス領の白鷺王子
リュシオンである。
元々が新王の身内でもあったウルキとヤナフが、主に国内の基盤固めともいえる裏方的
な作業を任されたのに対し、統一以前はそれぞれが独立した国家の筆頭でもあったネサラ
やリュシオンは、対外勢力との折衝や国賓の接待など、表立った役割を任されていた。
それは、当然各々の特性を見極めた上での割り振りではあったのだろうが、これから国家
として機能していく新鳥翼国がどういった存在であるのかを、目に見える形で対外に示そう
としたティバーンなりの画策もあったのだろう。
ともあれ、そういった内情もあり、現在、リュシオンに任された主な「持ち場」は外交だった。
ただの一節であれ、けして呪歌を奏でないこと。声の穢れが祓えるまで、必要な会話は
すべて古代語で行うこと―――兄王子と交わした誓約どおり、日常生活を送る上で課せら
れたそれらの諸注意を、リュシオンは実によく守った。少なくとも表向きは。
元来の生まれ育ちも手伝って、母国語である古代語を用いるリュシオンの姿は実に自然
なものとして周囲の目には映っていた。また、言語特有の神秘性も手伝って、他種族との
外交の場においても、通詞を通して歓談するその様子は他を圧するカリスマ性となって、
取り交わすべき諸条約の早期締結に貢献した。
元来、鳴りもの入りの存在としてラグズ社会に認識されていたリュシオンに対する世間の
関心は高い。彼の操る古代語もまた、そのいかんなく発揮された政治的手腕を彩る、効果
的な装飾品の一つとなった。
さすがはかつて、世に一体を残すのみと噂され続けた稀有な白鷺よと、ようやくラグズ社
会の日の目を浴びる存在となったリュシオンを、彼と対面した対外勢力に与する者たちは
一様に誉めそやした。統一という形で同胞を名乗ることとなった鳥翼族の民もまた、新国主
ティバーンとは別の意味合いで国の象徴を担う白鷺王子の存在を、諸手を挙げて歓待して
いた。
その波乱に満ちた半生も手伝って、自らの一挙手投足がいかに世間の耳目を集めるのか
ということを、長年の経験からリュシオンは正確に把握している。意識するまでもなく集めら
れた多くの耳目を利用し、偽りを口にできないという種族的特性すらも逆手にとって、彼は新
たに足を踏み入れた政治の世界で、新鳥翼国王の実に有望な参謀であり続けた。
だが、それは「耳目」を意識した、表向きの話だ。
用意された舞台の上では、これ以上ないほどに理想的な「白鷺」を勤め上げたリュシオン
ではあったが、ひとたび「舞台裏」に引っ込んでみれば……
その日、新鳥翼国には獣牙族の賓客があり、リュシオンはおよそ一刻あまりの間、通詞つ
きの接待を余儀なくされていた。
元来、旧フェニキス領との国交のあるガリアは新鳥翼国の新興にも友好的であり、会談も
終始和やかな雰囲気のうちに終了したのだが……
任を終えて、舞台袖……もとい。国家の「頭脳」が集結する、鷹王の執務室に戻ったリュシ
オンの不興は、もはや一触即発の状態だった。
新組織の結成以来、執務室の一角に宛がわれた自席にどかりと腰を下ろした様子からして、
秩序を重んじる平時の彼らしくはない。雑務を取り仕切る若鷹の一人が労いの言葉と共に飲
料を勧めても、短い謝辞と共に受け取った器の中身へと胡乱気に視線を落とした若草色の双
眸は、その心情を物語るかのように半ば据わっていた。
何事かあったのかと、白鷺王子の更なる不興覚悟で、そう面と向かって切りだせる猛者な
ど、この場には―王であり彼の後見人であるティバーンですら―誰一人存在しなかった。
結果として、腫物を遠巻きに見守るかのような、白々しい空気が室内に垂れ込める。
十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……その不自然な空気に先に触発されたのは、やはりリュシ
オンのほうだった。
「王子、その……お疲れでしたら、一度お部屋に戻られては……今、誰かお部屋まで一緒
に……」
『結構だ。それから、その王子と言うのはやめてくれ。私はもうこの国の客分ではないのだ
から、余計な気を回さなくていい』
「は、あの……王、いま王子は何と……」
『いちいち私の言葉の約を求めるな!毎度毎度息が詰まる!!』
吐き捨てるなり、それまで片手間に玩んでいた器の中身を荒々しく煽ったリュシオンの風体
は、酒精に任せてくだを巻く酔いどれと大差ない。
その中身が、少しでも喉を癒すようにと用意された、絞った柑橘類の果汁に密をまぜて味
を調えたものなのだと知りつつも、あまりにも違和感のないリュシオンの『酒乱』振りに、室内
の空気は水を打ったように静まり返った。
一触即発状態の白鷺という、世にも珍しい光景は、蚊帳の外に身を置いた者の目にはさ
ぞや見応えのある活劇となったのであろうが……それが同じ舞台上で展開するとなれば話
は別だ。
内勤にあたっていた、豪の者で知られる若鷹達の視線が、白鷺のまき散らす怒気の直撃
を恐れて、思い思いの方向にそっと逸らされる。ややして、方々に四散した彼らの目線は、示
し合せでもしたかのように、時を同じくして室内の一点へと向けられた。
集められた視線の先で……言葉以上に弁明に、何とかしてくれと泣きつかれた彼らの王が、
辟易したように溜息をつく。
さも大儀そうに、彼は自らが長年その後見を務めた白鷺の名を呼んだ。
「リュシオン、くさってまわりにあたるのもその辺にしとけ。若いもんが浮足立って仕事になら
ねぇのは困る」
ティバーンの言葉は、年長者の説教としては月並みながらも逐一もっともであり、平時のリュ
シオンであれば、自らの言動を即座に顧みて、己を律せぬ未熟を恥じ入ったに違いない。
だが、昔馴染みの同胞さえ遠巻きにさせたほどに怒髪天をついた白鷺の激情は、通り一辺
倒な窘め程度では、もはや収まる気配すら見せなかった。
『くさりたくもなるでしょう!来る日も来る日も、口にできる言葉と言えばすべて古代語!それ
も毎度毎度、通詞なしには意志の疎通も図れない!私が何か口にするたびに、周りが慌
てふためいて貴方やネサラや兄上を探しに走るんですよ!?この状況の方が、よほど仕事
にならないでしょう!!』
「いや、だからな。そうやって耐性のない古代語で喚かれると、余計にまわりがお前を持て
余す羽目になるんだって事をいい加減納得してくれねぇか。俺らがそうだったように、一朝
一夕で古代語を理解しろって方が無理だ。もどかしい思いをさせてすまねぇとは思うが、な
にも一生って訳じゃねぇ。もう少しの間、辛抱できねぇか?」
リュシオンの「声」が抱える問題がどういったものであるのかは、その必要性もあって、瞬く
間に新鳥翼国上層部の知るところとなっていた。
ティバーンが第一報を受けた当初、それをもたらしたラフィエルは弟に宣言したとおり、詰問
めいた言葉を一言も口にしなかったが……その後見人であり、今となっては些か周囲の耳目
を憚る間柄でもあるリュシオンの変調は、それと察することのできなかったティバーンを少なか
らず消沈させたらしい。
報告と同時に固辞されていた謝罪の言葉をそれ以上ティバーンが繰り返すことはなかった
が、何をおいてもこれ以上の事態の悪化を避けようとした彼は、当時予定されていた公式行
事の全てから、リュシオンを外そうとした。
古代語に限定した会話に限り許可されているとはいっても、完全に声の穢れが祓えるまで
は、少しでも長く喉を休めておいた方がいいに決まっている。まだ国興しの段階である現状で
リュシオンを表舞台から引っ込めることは正直痛いが、何よりも優先されるべきなのは、リュ
シオンの体調だった。
今や大陸中を探しても片手の指の数にも満たない白鷺の不調を、軽視できる者など鳥翼の
民の中には存在しないだろう。事の次第を知った上層部の者達は、リュシオンの休養に一も
二もなく賛同した。
だが……
ラフィエルが問題なしと太鼓判を押すまでの間、公務を離れるように――そう言い渡したティ
バーンの命を、しかし、頑として受け入れなかったのは、ほかならぬリュシオン自身だ。
通詞をつけての外交活動も内勤業務も、全てはリュシオン自身が納得し受け入れたことだ。
それでも「仕事」を取り上げられたくないと、自ら願い出たからこそのこの現状に、だから、本
来リュシオンは否やを唱えられる立場ではなかった。
あらかじめ予測される弊害を承知の上で甘受した不自由に、後出しの不満をぶつけるのは
我ままというものだろう。常日頃から、事あるごとに「漢」であることに固執するリュシオンに
とって、それは自らの求める理想像には似ても似つかない、半端な醜態であるはずだ。
それでも飲み込み切れずに零れてしまう「愚痴」に、彼の切迫した心理状態も伺いしれてし
まうから……周囲はいつ爆破するとも知れない不発弾のようなリュシオンを、持て余しつつも
適当な場所に隔離することができずにいた。
言語への造詣の深いベオク社会においてさえ難解とされる古代語は、それを母国語として
馴染んできた種を除けば、ラグズにとっても同様に御しがたい言語であるといえる。
ティバーンやネサラのように、テリウス大陸において唯一古代語を操る鷺の一族との交流
を持つ者達には、その特殊な言語はそこまでの高い敷居にはならなかったが、彼らにしても、
奏でられる言葉の意味合いを直感的に理解できるというだけで、古代語の真髄そのものに精
通しているわけではないのだ。
独特の韻を何度も繰り返す、呪術的な抑揚を特徴とする古代語は、その受け取り方も、聞
き手の数だけ異なるものだ。それを母国語として用いる種でもない限り、聴覚を通して聞き手
の脳髄に直接『旋律』を響かせる彼らの言葉の真意は、けして理解することができない。
もちろんそれぞれに国交を持つ種族同士である以上、各々の言語に通じた通詞は各国に必
ず存在したが、彼らの口を通して語られる言葉は、あくまでも意訳にすぎなかった。
外交の歓談程度であれば、それで十分だろう。交わされた言葉の大意が通じるのなら、国交
に支障をきたす事もない。本人の希望もあり、だから、こうなった今でもティバーンは、職務上
の便宜扱いを嫌うリュシオンに、敢えてそのまま外交を任せている。
だが……それが、日常的に繰り返される会話となれば、話は別だ。
意訳はあくまでも意訳にすぎないから、語り手が真に訴えたかった事が、聞き手にまっすぐ
伝わらない事もある。一つ一つは些細な齟齬でも、それが連日積み重なれば、互いの食い違
いによる相乗効果で、ストレスを募らせてしまうのも致し方のないことだった。
ならば筆談という手段を用いればいいのではないかと、外野としては指摘したいところだろう
が……ここでもまた、一つの問題が生じた。
共通語圏であるフェニキスに長年身を置いてきたリュシオンは、今では生粋のフェニキスの民
を名乗っても違和感がないほどに、テリウス共通語に精通していた。発音といい抑揚といい、
彼の発する共通語は対外への手本としたい位に、流暢で正確だ。
だが、あくまでも古代語圏の民であるリュシオンにとって、言葉を発することと文章をしたため
る事は、似て非なる領域だった。
共通語で記された文章を読むことはできる。その意味するところも過たず理解できる。だが、
それを自身の手で同様にしたためられるかと言えば……
要するに、リュシオンの用いる共通語は、あまりにも正確すぎるのだ。正確すぎるが故に、口
語であれば問題なく操れる「日常会話」を、記述という形で文章に置き換える事ができない。
今現在、リュシオンは、新鳥翼族国家の長であるティバーンの幹部的役割を担っている。外交
や折衝を主な任として任されてはいるが、管理しなければならない案件はそれだけではない。
管理者という立場上、懸案一つを処理するにも、自らが動くよりも周囲の者を使って実行に移す
ことの方が多かった。
そういった、「業務」上の会話はあくまでも、下位の存在に対する「命令」の形をとることが殆ど
であったから、元来旧フェニキス領の客分的立場にあったとはいえ、リュシオンも、かつて恩義を
受けた「同胞」相手であれ遠慮はしない。そもそもがセリノス王家の生まれである彼にとって、周
囲を圧する程の存在感はもって生まれたものであったし、人を使って用を足すことを当然のものと
して育てられた幼少時の記憶から、上位者の立場で下位の者達に「命令」することにも、なんら
抵抗は覚えなかった。
そういった立場にあるリュシオンにとって、捨て置くことのできないものが、ある程度の威厳と
職位上の線引きだ。その彼が、職務上の命令、指示を筆談で行うことには、多大なる弊害がつ
いてまわる。
つまりは、口語であれば「明朝までにこの懸案に対する報告書を提出するように」と命じれば
済むところが、文章にしたためたが故に、「誠に御足労かとは存じますが、明朝までにこの懸
案に対する報告書をご提出願います」といった内容に変換されてしまうのだ。
上層部への陳情でもあればいざ知らず、これでは幹部格としての沽券が保てない。
リュシオンにしても、自らを、与えられた地位に固執して自らの足元を見失うような、権力至
上主義者などとは思っていない。だが、国家という組織の構成員である以上、守らねばならな
い分というものはあるのだ。
上に立つ者が泰然と構えて事態に向き合わなければ、下に続く者達もついてはこない。国を
預かる王としてのそんな心構えを、フェニキス王の庇護下に身を置いた当初から、リュシオンは
長い間その眼で見続け、肝に銘じ続けてきた。
今となっては、彼自身も「上に立つ者」の一人なのだ。自らの軽はずみな言動で、下位の者
達の信頼を失うことはできなかった。
通詞を通した不自由な交流も、他に手立てを見いだせない以上は致し方がない。それを承
知の上で国政の表舞台に残る決意をしたのだから、付随する負債も甘んじて受け取らなけれ
ばならなかった。
それは事態の発覚当初、当のリュシオン自身にくどいほどに念押しした事であり、今になっ
て理不尽だと訴え出る正当性はどこにもない。
結局のところ、リュシオンの癇癪は、陳情の形にすらならない子供の駄々に近かった。事態
を承知の上で、それでも飲み下し切れない憤懣をとにかくどこかにぶつけたいというだけの話
だから、その上でどうこうしてくれとは、リュシオンも口にしない。
それなりの長付き合いの末に築かれた相関はどうあれ、リュシオンに国政の一端を任せてい
る以上、ティバーンも公私の別は完全に線引きしていた。種族間の埋めようもない差異、例え
ば体力的な問題や食事などの生活習慣の違いは致し方がないが、それ以外の部分において、
執務室でティバーンがリュシオンを特別扱いすることは一切ない。それは公の場所での慣れ
合いを嫌った双方合意の上で、弁えられた一線でもあった。
だから、このリュシオンの癇癪も、「我儘を言うな」の一言で切り捨てることは容易かった。今
執務室に詰めている人員の中で、唯一彼の上位に位置する自分が納めるべき事態であると、
ティバーンにも解っている。
だが……実のところ、問題の根底にあるものがあまりにも日常に根づいたものであった為に、
リュシオンの背負った不自由の度合いを、鷹王含め、周囲の者達は誰一人として心底から共
感してやることができなかったのだ。
できないが故に、せめてリュシオンにこれ以上の負荷をかけまいとする周囲の不自然な気負
いによって、両者の距離感は微妙なものとなっている。呼吸をするように他者の感情に触れて
しまうリュシオンが日を追うごとにささくれ立っていくのを、理詰めで静めることは難しかった。
双方共に抱える要因の相乗効果で日々高まっていく負荷であるなら、片割れだけに抑制を
強いるのは酷というものだろう。溜まった欝憤を小出しに吐き出すことがガス抜きになるのであ
れば、度を越さない限りは黙認の範疇に収めてもよいのではないかと、ティバーンは腹の底で
結論付けていた。
これは互いの保つべき「公」の領域内の譲歩であるはずだと、そう内心で自問してしまった
辺りに、鷹王の詰めの甘さがうかがい知れるところではあったが。
結果として、鷺王子のまき散らした癇癪玉は、鷹王の訓戒一つで不問に処された。
「―――しかし、あれだな。古代語で話すお前に違和感があるって言うのも、考えてみりゃ
おかしな話だな」
ガキの頃のお前は、こっちの言葉に馴染めなくてキリキリしてたってのにな―――苦笑交
じりに続けられたティバーンの揶揄には懐古の響きがあり、同じ時間を共有してきたリュシオ
ンもまた、束の間の感傷を覚えたようだった。
結果として、それまでの憤懣やるかたない衝動の収めどころを与えられたリュシオンの双
眸が、追憶にわずか遠くなる。
『……そうですね…フェニキスに移住して、共通語に馴染んでからというもの、古代語は呪
歌を奏でるための「手段」でしかありませんでしたから……けして忘れた言葉ではないの
に、今となっては、古代語一辺倒の生活はひどく窮屈な感じがします』
「えらくマイナーな上に難解ときてりゃ、なかなか普及もできねぇ言葉だしな。まあ、逆を言
えばそういう言葉で育ってきたからこそ、他所の言葉に通じるのも早かったのかもしれね
えが。お前にしろラフィエルにしろ、今じゃリアーネもこっちの言葉で会話できる始末だ。
必要に駆られたといっても、そうやって自分を変えていけるんだから、お前らは逞しいな」
それは鷹王なりの、鷺の民に向けられた素直な賛辞の言葉であったのだろうが、現在古代
語漬けの毎日に辟易しているリュシオンにしてみれば、軽い牽制球を投げつけられたような
後ろめたさがあったらしい。どこか気まり悪そうな沈黙に、意図したわけではなかった仕掛け
人が耐えきれずに噴き出した。
「いや、まあ……なんだその、ラフィエルの言いつけがあるっつっても、お前もよく辛抱してる
と思うぜ?始めは、三日で音を上げると思ってたからなぁ」
『相手があの兄でなければ、どうなっていたかは解りませんが』
言外に、ラフィエルの命でなければここまで甘んじてはいないと嘯いたリュシオンの双眸が、
先刻とは異なった意味合いに遠くなる。嘆息一つの間に眼前に戻された視線は、では貴方な
ら兄に逆らえますかと、無言の問いかけと共に鷹王へと向けられていた。
リュシオンとはまた違った意味合いでの泣き所を引き合いに出され、今度はティバーンが沈
黙する。
旧セリノス王家の事実上の第一権限者であり、現在ではハタリ国を治める女王の入り婿とし
てラグズ社会に容認されているラフィエルは、ティバーンにとっても旧知と呼べる昔馴染みだっ
た。
優美な容色、繊細な気性、種族的特性を具現する儚い体躯―――そのどれをとっても自身
と対極に位置する存在であったラフィエルと、一介の若鷹であった当時のティバーンは、周囲
がいぶかしむほどに、不思議とウマが合った。
気ままな身分であったティバーンとは違い、当時から白鷺王子の肩書を背負っていたラフィエ
ルとは限られた機会にしか顔を合わせることができなかったし、同世代の若鷹達とのような、
荒っぱい交流を図る事も出来なかったが……そんな付き合いでも、彼は自分にとって得難い親
友であったと、思いがけずに再会を果たした今でも思っている。その思いに偽りはない。
相手は、吹く風にも煽られそうな風情をした、儚い白鷺である。気性の方も言うに及ばずで、
ちょっとした口論に声を荒げただけではらはらと涙を落すほどに、その精神も打たれ弱い。
猛禽としてラグズ社会に名を馳せた鷹族の、それも今となっては王を名乗るティバーンとの
力の差は歴然で、守るべき存在と思いこそすれ、そんな相手に二の足を踏む必要など、本来
あり得ないはずなのだが……
それでも、ラフィエルには説明のできない不可侵性があって、その得体の知れない一面が、
ティバーンにはどうにも馴染めなかったのだ。
今にして思えば、それは生まれついての王族である彼だからこそ持ちえた、言葉では表せ
ない風格のようなものだったのかもしれない。世襲という習慣のない鷹の民の王を名乗るため
には当然器量も必要とされたが、何よりも力ありきの社会にもまれ育ったティバーンにとって
は、敬意よりも先に違和感を覚えさせる類のものだった。
生まれつきの王族と言うなら、彼の実弟であるリュシオンも同種の存在であるわけだが、リュ
シオンの場合は成長期をフェニキスで過ごしただけに、良くも悪くも鷹の民の影響を強く受け
ている。ましてや自分を育ての親とも慕う幼いリュシオンはまだまだ未成熟な存在であったか
ら、出会いの当初、悪く言ってしまえば彼はリュシオンを、対等な相手として捉えることがな
かったのだ。
「親」が「子」に二の足を踏んでいては、子育てなどできはしないから……当初刷り込まれた、
そんな強烈な心象の差が、ティバーンの中でラフィエルとリュシオンを明確に区分した、おそ
らくは最初の線引きであったかもしれない。
今となっては親代わりの時期も過ぎ、ティバーンにとってリュシオンは対等に向き合う存在に
なったわけだが……むしろ「身内」めいた関係を作り上げてしまった今だからこそ、ラフィエルが
更なる泣き所になったとも言えた。
ハタリの女王と言う伴侶を得て、追憶に残るあの当時よりも一皮むけ、更に風格を上げたよう
に見えるかつての旧友は、自身の「身内」に対してはなかなかに手厳しい存在であるようだから。
「……まあとにかく、一息入れたら仕事に戻れ。今日中に片をつけときたい案件を一つ、お前
に任せるからな」
唐突に話題を打ち切ったティバーンの態度はあからさまに不自然で、彼がこの、彼にとって歓
迎されざる話題を力押しでうやむやにしたがっていることは明らかだった。
振られた話題に乗ったに過ぎないリュシオンにしてみれば、その強引な話題転換には物言い
の一つもあってもおかしくないところだったが……兄と情人の間の問題には立ち入らないと始め
から決めているリュシオンは、王としての顔を優先させたティバーンに異を唱えることなく、短くは
いと答えるにとどめた。
リュシオンの癇癪も収まり、鷹王が密かに抱いた狼狽もなりを潜め、内心やきもきと進退を見
守っていた周囲の者達が胸を撫であろし……執務室が平時の落ち着きを取り戻してから、どれ
ほどの時間が過ぎたころだろうか。
その日、新鳥翼国国王の執務室に、頻度からすれば珍しい人物の来訪があった。
一人は、旧キルヴァス国の王であり、国内を拠点とした外交を主とするリュシオンとは対照的に、
国外に赴いての折衝に従事する、烏王ネサラ。
そして―――今一人は、奇しくも先刻まで話題の中心に上がっていた件の白鷺王子、その人
だった。
TO
BE CONTINUED...
お気に召しましたら、こちらを一押ししてやってくださいv創作の励みになりますv
FE蒼炎の軌跡&暁の女神部屋へ