それは、これまで息をするように自然に歌い奏でる事を本能としてきた白鷺にとって、青天の霹靂ともい
うべき宣告の言葉だった。
鷺の民が生まれ持った習性である、歌うという行為を唐突に禁じられ、何事にも白黒をつけずには済ま
すことのできない気性のリュシオンが、不当な言いつけに悄然と従えるはずもない。当然のようにリュシ
オンは納得のいく説明を求めたが、その要求に対する兄王子の答えは、彼の予想の範疇に収まる類の
ものではなかった。
沈痛な面持ちのまま、しかし弟にひた据えた視線をけして外すことなく、ラフィエルは一語一語を噛みし
めるかのような慎重さで以て、こう宣告したのだ。
あなたの声は、自然治癒が追い付かない程に穢れてしまっているのです―――と。
「……声が、穢れる…」
生半なことでは動じない剛胆な気性で知られた異例の白鷺が、告げられた言葉を茫然と鸚鵡返す。そ
のまま二の句を失ってしまった彼の前にもう一歩踏み出すと、ラフィエルは順を追って事の次第を言明し
始めた。
「端的に言ってしまえば……呪歌の歌い過ぎによる反動です」
呪歌歌いとして、致命的な欠陥を指摘しているというのに、続くラフィエルの語調はあくまでも平静を崩
さない。それが自らを慮っての彼の気遣いなのだと承知しながらも、抑揚のない兄の声は、受けた衝動
に揺れるリュシオンの胸襟をひどく波立たせた。
「貴方も知っている通り、私達は正負交々の呪歌を歌い分ける能力があります。伝承のみを目的とす
る、「滅亡の呪歌」のような禁呪も中にはありますが……建前としては、それら全てを歌いこなせる
能力を持つからこそ、セリノスには何十という種類の呪歌が連綿と受け継がれてきました」
ここまでは解りますねと念押しされて頷けば、やはり起伏を感じさせない声音が、よろしいと返してく
る。その平淡さが聞き手の癇に障っているのだということを知っているのかいないのか、ラフィエルはそ
のままの姿勢で言明を続けた。
「ですが、その事と、個体としての耐性の問題は、また別の話です。限界を超えた呪歌は、歌い手の
声と喉に生半ならぬ負荷をかけます。ましてや、あなたが長く身を置いていた戦場では、必要とされ
る呪歌もひどく偏ったものだったでしょう。三年もの間、周囲に請われるままに負の属性を持つ呪歌
を歌い続けてきたあなたの声は……戦場の障気と相まって、穢れてしまったのです」
逆を返して言うなら、今まで周囲に悟らせない程度の穢れで留まってくれたことの方が、奇跡に近い
と言えるでしょうね―――続けられたラフィエルの言葉には、しかし当然ながら安閑とした響きは感じら
れず……その場の空気に居たたまれなくなったリュシオンは、無意味だと知りながらも弁明めいた言葉
を口にせずにはいられなかった。
「そんな……毎日歌っていても、私は自分では、何も…」
「声というものは、自身の体内で反響させて発するものですからね。殊に呪歌の旋律は非常に繊細な
もの……自らの内で作り上げた声と、体外に発された声と…その音叉に、自分では気づけない微妙
な齟齬があっても致し方ありません」
リュシオンが未熟な故に起きた『事故』ではないのだと言外に弟を慰めつつも、そこに要因があったわ
けではない事を承知している、ラフィエルの容色は杳として晴れない。
「せめて、あなたの側にそれと気づける方がいてくだされば、ここまで悪化させずとも済んだのでしょう
が……リアーネはまだ幼いですし、ティバーンにしても、鷺の特性にそこまで精通しているわけでも
ないでしょうから……不可抗力と、諦めるしかないのでしょうね。今ならまだ、この穢れは祓えます。
それをせめてもの救いと思うしか……」
「兄上、ティバーンは……」
話題の対象が、自分から自分の庇護者にまで飛び火した気配に、反射的に鷹王の旗色を伺うような
釈明がリュシオンの口をつく。
だが、ラフィエルは首を振って続く言葉を遮ると、向けられた弟の懸念を打ち消した。
「心配しなくても、私からティバーンに物言いする気はありませんよ。この三年間、ベオクの軍に連なっ
て戦いを続けてきたのは他でもない、あなた自身の意志でしょう?それは、よく解っています」
「兄上……」
「ですがリュシオン……これだけは、胸に刻んでおきなさい。あなたがどれほど鷹の民の強靭さに憧
れようとも、あなたは生粋の鷺の民です。気持ばかりでは乗り越えられない種族間の格差は、あな
たもいい加減、身に沁みているでしょう?」
リュシオンの無鉄砲を嗜めるというよりは、むしろ同情にも似た感情を纏いつかせた兄の言葉に……
リュシオンは、返す言葉を持てなかった。
お前は鷺なのだからと……それ以外の、それ以上の存在を求めて自らを追い詰めるなと、あの精悍
な鷹の王に、フェニキスで暮らした二十有余年、何度咎められたことだろう。そして、繰り返される嗜め
に反発し反駁し、ようやく鷺の民であるありのままの自身を受け入れられるようになるまで、どれだけの
時間を、自分は費やしてきたことだろう。
ラグズの中でも長命種に入る鷺の体感時間を以てしても、けして短くはない時間、鷹の民に交じって
暮らしながら……力ある者にはある者なりの悩みがあり挫折があるのだと、いつしか知った。自身の非
力を嘆くよりも、彼らの持ちえない呪歌歌いとしての能力をより正確により強力に切磋琢磨することで、
自らの存在価値を示す努力をする方がよほど建設的な生き様なのだと自ら納得できた時、自分で自分
を憐れむことを、ようやく自分は止められたのだ。
兄の言う、種族間の格差というものを、だから、自分は十二分に肝に銘じたうえで、あの大戦に臨ん
だはずだった。この呪歌の旋律が自分に与えられた唯一の武器であると思えばこそ、極限までに歌い
上げることが何よりの使命と信じ、自分はここまで歩みを止めることなく自らを奮い立たせてきたのだ。
より緻密に、より豊かに、そしてより効果的に―――呪歌の旋律に乗せて言霊の持つ力を大気に解
き放つ時、それは呪歌歌いならば誰もが胸に思い描く心得のようなものだ。自らを厳しく律し、より高み
へと自らを引き上げてやることで、自分は自分の理想とする「セリノスの白鷺」の具現であろうとした。
この世界にただ一体生き延びたセリノスの後継なのだと、諦観半分に自らを納得させていた時分に
は、良くも悪くも自分の言動だけが、後世に語り継がれる「白鷺」の象徴となるのだという、強迫観念に
も似た自意識があった。
様々な天の采配によって、血を分けた兄妹が存命であると、息も止まるほどの歓喜と共に知った後
には、この衝撃の事実に世界の耳目を集めてしまう自分達の風評を、型破りと呼ばれる自分が左右
してしまうことへの、数少ない郎党に対する畏服とでも呼び表すべきなのであろう、後ろ暗い思いがあっ
た。
交々の思いに後押しされるようにして、自分はこの身で以て、世界の誰もがさもありなんと頷くような
「白鷺」像を作り上げてきた。そう意識し振舞うことが、無念の仇を討ってやることもできない非力なこの
身の、今は亡き同胞達に対する、せめてもの手向けになるとも思っていた。
鷺の民の本分は、歌い奏でること。もはや絶滅危惧種であるという周囲の遠慮からか、いまでもどこ
か腫れ物に触れるような扱いを受けることの多いこの現状に甘んじて、それすらも満足にこなせない半
端ものに成り下がってしまったが最後、自分は、セリノスの王族を名乗る資格を永久に失うだろう。
故国のために、失われた同胞達の為に、残された数少ない身内のために。そしてなにより、この先の
長い半生を生き抜かねばならない自分自身のために―――堕落したお飾りの白鷺とは、呼ばれたくな
かった。
だが……そう自らを駆り立て追い立てしてきた事の結果は、結局は、この身を蝕む毒としかなり得な
かったのだろうか……
足元に視線を落として押し黙ってしまったリュシオンの心情は、同じ白鷺であるラフィエルには言葉に
するまでもなくつぶさに伝わったことだろう。だがそれでも、ラフィエルは慰めめいた言葉を一切口にしな
かった。
リュシオンの声が抱える問題を前にしては、どのような言葉で以て労わろうとも、根本的な解決には
至らない。気休めにしかならない空言を、真実のみを物語ることのできる鷺の本質が拒んだためか、そ
れとも、他に何らかの思いがあってのことだったのか……
「ですから……」
辺りの空気に重く纏いつく沈黙の帳を破ったラフィエルの続く言葉は、感傷の一切を取り払ったかのよ
うな、ひどく端的なものだった。
「―――ですから、私がいいと言うまでの間は、けして歌ってはなりませんよ。穢れが祓えるまでは、
日常の会話もすべて古代語で行うこと。この二つを破れば、いつまでたってもあなたの声は元には
戻りませんからね」
「ですが兄上……」
「本当は、一切言葉を発することを禁じたいところですが……あなたは今や、鳥翼の新王となったティ
バーンの片腕です。国政の一端を任されている以上、どうしても口を利かないというわけにはいかな
いでしょう。古代語に限定しての会話は、ギリギリの譲歩です。あなたにとっても周りにとっても不自
由なことでしょうが、これだけは守ってもらわなくてはなりません」
言って、ラフィエルは背筋を伸ばし、弾かれたように顔を上げたリュシオンと改めて向き直った。
生来の柔和な面差しはそのままに、しかしけして笑ってはいない若草色の双眸が、逸らすことを許さ
ない強さで、眼前の弟へとひた据えられる。
そして―――固唾を呑んだリュシオンにむかって続けて紡がれた言葉は、長くセリノスを離れて他種
族の中で生活してきた彼ら兄弟にとって、久しく馴染みのなくなっていた、彼らのかつての常用語によっ
て成された。
『承服しますね?我が誠実なる弟よ』
およそ二十数年ぶりに耳にした兄の古代語に、リュシオンの背筋も我知らず正される。
呪歌の原語でもある古代語には、本来それだけで呪術的な効力が備わっている。単語一つをとっても
ひどく矍鑠とした響きを宿す古の言葉は、それだけで聞く者に敬虔とした思いを抱かせるに十分な威圧
感を与えた。
敬愛する兄王子から発された、古代語による命令は、リュシオンを二重の意味で雁字搦めにする。
反駁も言及も許されない厳粛な空気が立ち込める祭壇で、言葉を失ったリュシオンと、その返答を待
つラフィエルが、向き合った体勢のまま、さながらこの光景そのものが静止画であるかのように、互いの
動きを牽制した。
重苦しい沈黙の中、十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……
『……承服いたしました。我が偉大なる先達』
静止画と化した祭壇の時間を再び動かしたのは―――結果として、ラフィエルの命に不承不承に頷く
しかなかった、リュシオンの発した古代語による承諾の言葉だった。
TO
BE CONTINUED...
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