セリノス―――類希なる体色を有した白い鷺を主と頂く、鷺の民によって構成されたラグズ三大種の一つ、鳥翼
族の一国家。
建国以前、テリウス大陸に居住する鳥翼族の一種として世界からその存在を認識された当初より、四百年の歳
月が流れた現在に至るまで、彼らの種族的特徴は大勢を損なうことなく、連綿と受け継がれてきた。
その中でも顕著な一例として―――往々にして、鷺の民の朝は早い。
視覚の制限を受けなくなる日の出と共に活動を始めることが常である彼らの一日は、自身を育む郷里の森に感
謝の歌を奉げることから始まった。その慣習は、森を焼かれた彼らがそれぞれの庇護者の元に移住し、その後紆
余曲折を経て興された、鳥翼族の混合国家に身柄を落ち着けた今でも変わらない。
鷺の民にとって、歌うことは呼吸をすることと同じくらいに自然な行為であり、血の記憶にさえ染みついた呪歌歌
いとしての性質は、意識して振舞おうともおいそれと損なえるものではなかった。
セリノスが頂く次代の指導者である白鷺の王子王女においても、その習性は何ら変わることはない。むしろ呪歌
歌いとしても民の要となるべき存在である彼らの抱える柵は、民の抱くそれよりも遥かに重い。
虐殺の憂き目に遭ったあの悪夢の日を境に同胞の殆どを失い、いまだ守るべき「民」と巡り合う事が叶わずとも。
三種に分たれていた国家の統一によって、既に自らが「王」と呼ばれるべき立場から離れても、彼らは王子王女
としての自意識を擲ちはしなかった。
世に四体を残すのみとなってしまった存在であるからこそ、そしてそう遠くない未来に世代交代の日が訪れてしま
うことを覚悟していたからこそ、種族の特性に対する若い鷺達のこだわりはいや増す。
彼らにとって終の棲家であり、拠り所でもあるセリノスの森は、再生の呪歌を奉げた後も絶えることなく奏でられた
彼らの歌によって、焼き払われる以前の瑞々しい姿をすっかり取り戻していたが……それでも、鷺としての習性に
固執した彼らは、自身を育んだ郷里の森に、日々感謝の歌と祈りを奉げることをけしてやめなかった。
長年奏でることなく放置した楽器の弦が狂い、音が荒れるように、自らを媒体として様々な音色を生み出す呪歌
歌いの喉も、使わなければ日々衰えていく。天分の才として平等に具わっているはずの、音に対する彼ら特有の
勘も、一度錆びつかせてしまったが最後、生半の努力では元に戻すことは叶わなかった。
血の記憶と共に受け継いだ、そういった本能的な警鐘を……もっとも強く感じ取っていたのは、成体になってから
郷里を離れることを余儀なくされてきた、後継の第一王子だろう。
鳥翼族が一つの国家にまとまるという歴史的慶事に際し、調停役の一人として一時的に郷里に帰参したラフィエ
ルだったが、彼が本来身を置くべき籍は、その庇護者であり伴侶でもある狼の女王が納める砂漠の先の国へと、
すでに移されていた。
今日明日を争うような急時ではないとはいえ、事態がひとまずの落ち着きを見せ、新興国家の国政が軌道に乗
れば、ラフィエルは旧セリノス領に置ける「第一王位継承者」としての身分を正式に放棄し、ニケと共にハタリの国
へ戻る事になる。
五指にも及ばないほどの希少さで、あの虐殺の日を生き延びた親兄弟がようやく再会を果たした中で、ラフィエ
ルだけが、郷里から遠く離れた幻の国で、身内と別れて生きる道を選んだ。
だからこそ、様々な天の采配によって与えられた有限の時間を、彼は殊のほか大切に愛おしんでいる。
かつて、同胞の鷺達がそう繰り返してきたように、彼は毎朝精魂込めて、すでに儀式としての意味合いを持たな
くなってしまった多くの呪歌を、自らを育んだ森に捧げていた。
未だ体調の安定しない、旧セリノス王のロライゼはさて置き、毎朝の「儀式」には残り三体の鷺が揃うこともあれ
ば、何らかの事情によって足並みをそろえられない時もあったが……この大陸上から、一度は失われたとさえ思
われていた鷺の歌が朝の清涼な空気に溶け込んでいく様は、その光景を目の当たりにした者の目に、この上も
ない僥倖を実感させた。
対ベオク、そして果てには自らの創造主でもある女神さえ相手に戦い続けた大戦の傷跡はいまだ色濃く、鳥翼
族に限らず、多くのラグズは疲弊している。
願わくばこのままこの僥倖が続くようにと……世に四体を残すのみとなった白鷺の奏でる歌は、彼らにそんな信
仰にも似た思いを抱かせるに充分な敬虔さを備えていた。
だが……まだ見切り発車を果たしたに過ぎない新興国家の若すぎる土台は、その白鷺自身によって、見えない
亀裂を走らせる事になるのだった。
その朝、森の奥地に設えられた祭壇に集ったのは、三人いる王子王女のうちの、第一王子と第三王子だった。
末姫のリアーネに外せない所用ができたために、本来男女混声で織り上げられるのが最も正式な完成形となる
呪歌の形式を守ることのできなかった二人は、それでもいつものように全霊を傾けて、互いの旋律に反響させ合い
ながら、一曲一曲を歌い上げていく。
歌い手が男声に限定されたことで、日常的に奏でている構成通りに全てを網羅することはできなかったものの、
その朝も、「儀式」は滞りなく進められていたが……定められた呪歌も最後の一節にさしかかろうという時になって、
いまや現役最年長の呪歌歌いとして要の役目を果たしている白鷺の第一王子が、ふつりと続く旋律を打ち切った。
「―――お待ちなさい、リュシオン」
言霊を旋律に乗せて大気へと解き放つ、鷺の民の奏でる呪歌にはそれ自体に外部からの干渉を許さない力が
あり、その影響の大きさ故に、一度奏で始めたが最後、途中で旋律を打ち切ることは暗黙の禁忌とされている。
完全な形をとりきらぬまま言霊に力を与えることの恐ろしさは、生まれついての呪歌歌いである鷺なら雛鳥でも知っ
ていることだった。
種族の血の記憶にすら染みついているともいえる禁忌を自ら犯した兄王子に、制止の声をかけられたリュシオン
は仰天した。それでも、複数で奏でることを前提に作られた旋律の片割れが打ち切られてしまった以上、残された
片割れだけが自身の旋律をたどったところで、呪歌はもはや完成しない。
不承不承に歌いやめ、怪訝そうな容色を兄に向けたリュシオンだったが……向き合ったラフィエルの表情は、そ
れ以上に切迫していた。
「……リュシオン、今のところを、もう一度」
「兄上?ですがこの歌は……」
「いいからもう一度。今の一節だけでいい、あなた一人で」
一人で奏でることに意味をなさない旋律を強要され、リュシオンの面に浮かぶ怪訝の色がますます色濃いもの
となる。だが、幼い頃より親代わりであった年の離れた兄にそれ以上食い下がれるはずもなく、彼は釈然としな
い思いで言われるがままに、自身に与えられた旋律を準えた。
だが、長くもない一節をリュシオンが奏で終わるより先に、再びラフィエルの制止の声がかかる。
「待ちなさい……そこです」
そこ、と告げられてみても、リュシオンには自身の奏でた旋律のどこに問題があるのかが分からない。ついには
その柳眉を曇らせてしまった弟の様子から、彼が本当に事態を理解していないことを悟ったのか、ラフィエルはい
つになく苛立たしげな仕草で、深く嘆息した。
「……本当に、解っていないのですか」
「兄上、ですから突然何を……」
「今の一節を、もう一度」
言うが早いか、優雅な仕草で伸ばされた白鷺特有の端正な指先が、リュシオンの喉元に触れる。反射的に身
構えたリュシオンが反駁する間もなく、彼はそのままの体勢で、喉奥で短い旋律を紡ぎだした。
音叉計、というものが、ベオクの構成する一部の社会には存在する。
弦や管といった、音を出す為に微妙な調律を必要とする楽器を奏でる際に、基準となる音を定めるため用いられ
るものだが……ラフィエルの取った行動は、自らの紡ぐ旋律と反響させることでわずかな差異を浮き彫りにさせる、
その応用だった。
限りなく正の気に近い存在として、呪歌歌いの能力を天より与えられた鷺の民は、例外なく音というものに敏感
に生まれついている。生まれながらに兼ね備えた音感はけして旋律を外すということがなかったし、勘の鋭い彼ら
が互いの奏でる音に引きずられるなどという事態も、ありえない事だった。
生まれたての雛鳥でもあればいざ知らず、すでに成人も果たした白鷺に、それは向けられるべき懸念ではない。
呪歌歌いとしての自らの能力にそれなりの自負を持っているリュシオンにとって、「調律」を強いられることはけし
て快いものではなかったが……それでも、兄が自身の奏でる旋律と添わせることで何事かを見定めたがっている
ことは理解できたため、結局は不承不承に、要求された旋律をなぞった。
ラフィエルの先導に従って、たった一文の古代語からなる短い旋律を、何度繰り返したころだろうか―――
ようやく、ラフィエルは歌い止めると、それまでリュシオンの喉に触れさせたままだった指先を引き戻した。
「そこまで。―――リュシオン……今更言わずもがなの事を聞きますが、歌う前にはきちんと声をあたためていま
すね?」
「はい」
「歌いながら、意識を他所事に飛ばしているといったこともありませんね?」
「はい」
「ほんの一節でも……滅亡の呪歌を口にしてはいませんね?」
「はい」
ラフィエルの質問は、彼の言葉通り、鷺に生まれついたものなら物心つくと同時に叩き込まれる呪歌歌いとしての
最低限の心構えであったから―――そこに未遂の容疑がかかることは否めないにしても―――全てに心当たりの
なかったリュシオンは、ますますいぶかしみながらも、向けられた質問に逐一首肯した。
鷺の民特有の読心能力を用いずとも、弟の「潔白」は労せずして読み取れたらしいラフィエルが、しかし浮かぬ表
情で重く息をつく。
「……それではやはり…これまでの過酷な戦いの日々が原因なのでしょうね……」
「兄上?」
「あなたは、付け焼刃で軍に加入していた私やリアーネとは違う……もう三年も前から、あなたは負の気が充満す
る戦場に身を置いていたのだから…なんというむごい……」
「兄上、ですから何を仰って……」
白い額に手を当てて悲嘆の溜息を漏らしたラフィエルの姿を見れば、これが生半ならぬ事態であるのだろうことは
リュシオンにも理解できた。だが、独語のようなラフィエルの言葉は一向に要領を得ず、元来気の長い性質ではない
異端の白鷺王子の忍耐力を、一息に臨界点まで押し上げる。
業を煮やしたリュシオンが、明瞭な説明を求めて苛立たしげに口を開いたのと……
「……リュシオン。あなたは今日からしばらくの間、私がいいというまで、けして呪歌を歌ってはいけません」
―――思いつめた様子で……しかし聞き手に反駁を許さない確固たる語勢で以て、ラフィエルが弟に向け宣告した
のは、ほぼ同時だった。
TO
BE CONTINUED...
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