castling9






 ルルーシュの呼び出しからものの一分と経たずに姿を見せた咲世子は、眠り続けるロ
ロの容体を時間をかけて検めた。
 首筋にあてた手で体温や脈拍を確かめ、呼吸に乱れがないことを合わせて確認する。
そうしてその体調に変調をきたしていない事を得心した上で、彼女はロロに向かって二
つほど短い質問を口にした。

 まず、今が皇暦何年であるかということ。
 そして、ごく最近、神聖ブリタニア帝国と講和条約を結んだ国はどこ だったか。

 どちらもブリタニア、もしくはその占領下にある各エリアの住人であれば、学識など関
係なく、良識ある全ての者が答えられるであろう簡単な質問だった。
 果たして、眠りの底で未だ自白剤の効力に捕らわれているロロは、幾分うなされなが
らもさして煩悶することなく正確な答えを口にする。その様子をつぶさに検分し、咲世子
の双肩から目に見えて力が抜けたのが、傍らで様子を窺っていたルルーシュにも見て
取れた。

 大丈夫ですと、ルルーシュに向きなおりしな彼女は告げた。


 「……大丈夫です。先程窺ったお話では、目を覚ました直後のロロ様はどんな問いか
  けにも……問いかけの形さえ取っていなくても、話しかけられるだけで過剰なまで
  に拒絶反応を示されたそうですね。とにかく『敵』から身を守るために全身全霊を張
  り詰めさせて、ルルーシュ様の声すら拒絶したと」
 「ああ」
 「今、ロロ様は私の簡単な質問に、抵抗されることなく答えられました。まだ薬の効力
  が残っているということでもありますが、それと同時に、何が何でも拒絶しなければ
  という恐慌状態から脱した証拠でもあります。この程度なら応えても大丈夫だと、無
  意識のうちに判断されているということなら、先程までよりずっといい状態になってい
  ると思います」

 今少し薬効を中和する必要はありますが、その後はゆっくり休ませて差し上げれば問
題ないかと―――続けられた咲世子の言葉には実績に裏打ちされた自信のようなもの
が感じ取れ、太鼓判を押されたルルーシュは安堵の思いにほっと息をついた。
 だが……同時に胸襟を過ったえも言われぬ衝動が、ルルーシュに、相槌を打つ事を躊
躇わせた。


 咲世子がこの部屋にやってくるまでの間、ルルーシュから一方的に仕掛けられた問答
の内容を、当然ながら彼女は知らない。
 ロロの矜持を慮ったのと、また、ロロの弱みに付け込むような真似をした後ろめたさも
あり、それを咲世子に告げるつもりはなかったが……咲世子の言葉を借りるなら、ルルー
シュの言葉に「無意識に判断して」返答したロロの胸中を思うと、ルルーシュの心中も
複雑だった。


 本物の弟ではないから自分に見捨てられると、うわ言のように呟いたロロの言葉。そ
れを自分の中でどう昇華したものか、今更のように、ルルーシュは量りかねていた。

 医術薬術全般を修めた忍びの出身である咲世子の診立てが、診立て違いであるとは
思えない。ロロは、ずっとその胸の内に秘めていた思いを、頑なに口を噤んできたその
裏で、自分に気付いてほしいと望んでいたという事なのだろう。
 そんなロロの矜持を傷つけることなく、負い目を抱かせることなく、彼をそのしがらみ
から解放することは、かつて、突きつけられた銃口に内心怯みながら彼を籠絡する言葉
を必死に探したあの時よりも、余程困難であるように思われた。


 そんなルルーシュの心情を知ってか知らずか、咲世子は平時と変わらない落ち着い
た声音で、後は自分一人で大丈夫だと言葉をつないだ。

 「ここから先の処置は、少しずつ中和剤を薄めながら投与していくだけの、単調ですが
  微妙なさじ加減を問われるものになります。それさえ見誤らなければ、ロロ様の容
  体は時間が解決します。後は、私が……」
 「だが……」
 「ロロ様がご心配なのはわかります。ですが、この先の治療の見極めは、専門的な知
  識の裏打ちがなければ無理です。どうか、私にお任せください」

 語調こそ穏やかなものだったが、言外にルルーシュの同席を固辞する響きが、その声
音には感じられた。
 恐らくは、その道に精通する咲世子の知識と経験を以てしても、この先の治療には相
当の集中を強いられるという事なのだろう。だとすれば、容体の見極めどころか彼女の
指示なしにはこの先の投薬のさじ加減も決められない自分では、確かに同席しても邪
魔なだけだろう。
 せめて雑用なりとも引き受けたいと思ったが、その結果、自分に気を遣った咲世子の
集中を乱す羽目になるのであれば、本末転倒だ。
 ここは自分が早々におれるべきだと、ルルーシュはそれ以上食い下がることを諦めた。


 「……解った。それなら後の事は頼む。処置がすんだら教えてくれ」
 「畏まりました。……ルルーシュ様、明日の御予定をお伺いしておいてよろしいですか?」

 思い出したような語調で付け加えられた咲夜子の言葉には、ロロの施療に今夜一杯
費やす事になるかもしれないという彼女の覚悟が込められていた。そして、今夜一杯ロ
ロの様子を窺う事は出来ないだろうから、起きて自分の知らせを待つ必要はないという
言外の牽制も。

 逸る思いに水を差され、これは長丁場を覚悟しなければと僅かに嘆息したルルーシュ
は、それとなく退去を促す咲世子の言葉に従ってその腰を上げた。


 「明日は、とりあえず通常通り授業に出る予定だ。その後は視察でイケブクロの方に
  出かけるつもりだが……ロロは、明日の調子はどうあれ残していった方がいいな。
  ついてきたがるだろうが、明日は一日寝かせておいてやってくれ」

 答えながら、こんな時でさえもっともらしい理由をつけて、自分の保身行為を誤魔化そ
うとする臆病さに辟易となる。それでも、施療に今夜一晩費やす事になるだろうという咲
世子の言葉が、ロロを一昼夜遠ざける名分となる事に、その静養を望む思いとは別の
部分で安堵している自分がいた事も、ルルーシュは認めない訳にはいかなかったのだ。

 了承の印に頭を下げる咲世子に後を託し、ロロの眠る部屋を後にする。
 自分の為に今も苦しんでいるロロを思えば、情けのない振る舞いだ。その施療に携わ
ることはできずとも、自身を蚊帳の外に置く以外にも、ロロの為に自分がしてやれた事
はほかにもあっただろうに。

 だが、それでも……ロロの抱える鬱屈の一端を目の当たりにさせられたルルーシュ
にとって、それは、必要な措置だった。

 自分の思う以上に自分を必要とし、望ましくない方向に向かって自分に依存し始めた
ロロとこの先向き合うために……そんな風にロロを変えてしまった自分こそが二人の
相関を修正しなければならないという確固たる覚悟を、自分の中に固めるために……
その手立てを誤らないためにも、せめて今だけは、ロロとの距離を隔てておきたかった
のだ。

 退去した部屋の外に数瞬立ちつくし、閉ざされた扉越しに室内の様子に聞き耳だて
る。当然のように物音一つ返さない静寂に自分を納得させたように、ルルーシュはよう
やくその場を後にした。
 気がかりが大きすぎてどうせ満足に眠ることなど叶わないだろうが、だからと言って
体力のない自分がこのまま無為に室外で悶々と過ごし、結果困憊して外敵に隙を晒
せば、自分を守り抜こうとしたロロの思いに水をさす。

 思い切りよく踵を返し、後はそれ以上振り向く事もなくまっずぐ自室へと足を向ける。
それは、ロロの施療にこれ以上携わる事も出来ず、ロロとの相関を改める為の手立て
も思いつけない中途半端な自分自身に対し、せめてもの矜持で貫いたルルーシュの
意地だった。





                                    TO BE CONTINUED...



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