castling3  




 物心つくかどうかの幼い時分から裏社会を生き抜くことを余儀なくされてきた、こ
れこそが、ある意味では彼の本質なのだろう。非情な暗殺者の顔を取り戻した、
ロロの発する取り違えようのない殺気に、ルルーシュは完全に威圧されていた。

 言葉もなく自分を睥睨するロロを触発するかもしれないという恐れが、自らへの
抑止となって彼の名を呼ぶこともできない。
 結果として、二人して押し黙ったまま十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……放った殺
気で牽制しながらも、状況判断とルルーシュの「観察」を終えたらしいロロは、互い
の戦闘能力差を、過たず把握したらしかった。


 その総身から束の間力が抜け……しかし、視線だけは油断なくルルーシュに釘
付けたまま、拘束されたままの両足を振り上げるようにして、ロロが寝台脇のサイ
ドテーブルを蹴倒す。その弾みで投げ出された気付け薬入りの容器が、床の上で
耳障りな音を立てて割れた。

 「……っ」

 ロロの次の行動をおぼろげに予想しながらも、威圧されたまま動けないルルー
シュを前に、その動きだけで息を上げた少年は、それでも隙のない動きで、床に
飛び散った容器の破片へと、勢いよくその拘束された両足を叩き落とした。

 陶器の切っ先へと躊躇いなく下ろされた足の間で、かすかに、だが聞き逃しよ
うもないブツリという音が上がる。
 まるで自身の体に頓着していないかのようなその大雑把な動きは同時にロロの
足首をも傷つけたが、同じ動作を二度、三度と繰り返すうちに、その足首で拘束さ
れていた戒めは、完全に断ち切られてしまった。

 自由になった両足で寝台から立ち上がったロロが、覚束ない足取りでルルーシュ
に向き直る。一歩の距離がその体に与える負荷は想像に難くなかったが、その困
憊しきった外見を裏切って、線の細い総身からは壮絶なまでの殺気が立ち上り、
容赦なくルルーシュを威圧した。
 残された両手の拘束に頓着することなく、不自然に乱れる足取りがじりじりと互
いの距離を縮めていく。足の拘束を断ち切った際に掌中に収めていたのか、その
指の間には、件の陶器の欠片が挟まれていた。



 「……ロロ…」

 我知らず数歩の距離を後ずさりながら、それでも、かき集めた矜持でルルーシュ
がロロの名を呼ぶ。
 だが……今のロロにとって、それは抑止どころか、彼を触発することすらない無
感動な声音にすぎなかった。



 一歩、また一歩と、ロロがルルーシュに近づいてくる。
 ロロの意識の中では、彼を拘束し訊問した連中との鬩ぎ合いが、いまだに継続
しているのだ。このまま無抵抗にロロを迎え入れれば、自分を「敵」だと錯覚した
ままの彼に容易く殺されてしまう。

 正面から抵抗したところで、プロの軍人でもあったロロには到底かなわない。純
粋な戦闘能力という点では彼に引けを取らないであろう咲世子を呼ぼうにも、その
数瞬の間に自分は命を落とすだろう。

 今のロロは、自白剤の副作用で敵味方の区別もつかないほどに混乱していた。
いわば、彼本来の姿ではない状態のロロに、殺されてしまうわけにはいかなかっ
た。そんな羽目になれば、苦しむのは後から正気を取り戻したロロ自身なのだ。

 何とかしてやらなければいけない。彼に未来の安寧を約束した自分が、ロロ自
身の手によってそれを反古にさせるわけにはいかなかった。

 背中を嫌な汗で濡らしながら、それでも近づいてくるロロへと顔を上げ、グッと奥
歯を噛みしめる。そんなルルーシュの様子に何事かを感じ取ったのか、ロロも進め
ていた歩みを一瞬止めた。

 互いに発する言葉もないまま、息詰まるような静寂を、二人は共有した。
 ―――と、刹那……


 「…っ!?」

 どこか戸惑ったようなかすかな狼狽の叫びは、圧倒的に優勢であったはずの、
ロロの口から放たれたものだった。
 殺気交じりの壮絶な表情を浮かべていた幼い容色が瞬時に凍りつき、何事か
と居住まいを正したルルーシュの前で、それまで覚束ないながらも確実に歩みを
進めていた下肢が、唐突に脱力する。

 「ロロ…っ!?」


 身の内から警鐘を鳴らすロロへの危惧を敢えて無視して、ルルーシュは弾かれ
たように、床にくず折れたその体を支え起こした。

 「ロロ!ロロ、どうした!」


 荒く息を吐くロロの総身を胸に抱き支えながら、再びその目を閉ざしてしまった、
相変わらず血色の悪い幼い容色を覗き込む。彼の困憊状態は彼がクラブハウス
に逃げ戻った時から続いており、ここにきていよいよその限界が来たのかと、複
雑な思いで、ルルーシュは脱力した体を抱く腕に力を込めた。

 ―――と、その視線が、拘束されたままのロロの手先へと注がれる。鋭利な陶
器の欠片をはさみ持っていたその指先は、今の転倒で傷を負ったのか、滲み出
した血に濡れていた。


 「……っ」
 「……ぅ……」

 傷の手当てをしなければと、慌てて手首の拘束を解こうとしたルルーシュの腕
の中で、その眉宇を顰めたロロが僅かに呻いた。ルルーシュが何事かを考える
よりも早く、同じ色彩を宿した若紫色の双眸が、どこかぼんやりと押し開かれる。

 「……に…さん……?」

 吐息交じりに喉奥から発された呼びかけは、紛れもなく、平時のロロのものだっ
た。

 「…ロロ……」

 自白剤の効力で、敵味方の区別もつかないほどに錯乱していたロロの意識は、
皮肉にも、彼がルルーシュに向けようと手に取った「武器」による自傷の痛みで、
正気を取り戻したらしい。安堵をおぼえるよりも先に思わず脱力しながら、ルルー
シュは支えた体を寝台へと戻すべく、その腕に抱え上げた。


 「……にい、さん…ごめん…僕……」
 「無理に話さなくていい。今、手当てしてやるから」
 「ごめ…なさい……怪我……ない……?」
 「話すなと言ってるだろう!」

 切れ切れの息の下から、それでも、正気を失った自分がルルーシュに危害を加
えたのではないかと気に病むその気遣いが胸に痛くて、思わず声を荒げてしまう。
大人しく言葉を噤んだロロの体を再び寝台へと横たえると、ルルーシュは、自ら
の激情を取り繕うかのように、その額の上に手を置いた。

 「…大丈夫だ。お前はほんの少しの間、動揺で訳が解らなくなっていただけだ。
  俺に怪我はない。何も気にすることはなかった。……むしろ、お前の傷の手当
  てをしないとな」
 「…兄さん……」
 「急に薬で起こしてしまったからな、混乱したんだろう。俺のほうこそ、お前をちゃ
  んとフォローしてやれずに悪かった……」


 言いながら、とにかく正気を取り戻したロロの戒めを解いてやろうと、縛られたま
まの手首に手を伸ばす。だが、手心を自分に許すまいとするあまり、思いのほか
固く結ばれてしまったそれは、指の力だけでは外すことができなかった。
 思わず舌打ちし、束縛を断ち切るべく刃物を探しかけたが、そうしている間にも、
ロロの指を濡らす血は止まらない。これは手当てが先だと、胸の内でロロに詫び
ながら、ルルーシュは彼が自らつけてしまった指の傷口を検分した。

 幸いにも、鋭利な破片が抉った割には、その切り口は浅かったらしい。陶器の細
かな欠片が傷口に入り込むこともなく、消毒してしばらく清潔にしておけば、化膿
せずに済みそうな奇麗な傷口だった。
 安堵の思いに息をつき、備え付けの救急キッドで手早く手当てを施していく。まだ
出血の止まらない指先を優先し、次に足首にも残された傷を消毒すると、ルルー
シュは今度こそ刃物を探すために、ロロに一言断ってから室内へと踵と返した。

 だが……


 「……に、さん……いい、から……」

 だが……ロロを解放しようとしたルルーシュに制止の声を上げたのは、当のロロ
自身だった。


 「……いいから……まだ…ほどか、ないで……」
 「ロロ?」
 「……僕、まだ……多分…普通、の状態じゃ…ないと…思う……なんだか…ま
 だ…あたま…ぼうっとして……」

 怪訝そうに寝台へと戻ったルルーシュに向かい、ようやく言葉をつないでいたロ
ロの呼吸が、再び荒くなっていく。自白剤のしつこい副作用に苛まれ続けている
のだろう弟を早く楽にしてやらなければと、先刻咲世子と交わした会話を苦い思
いで胸に反芻したルルーシュは……しかし、続けられたロロの言葉に、その双眸
を我知らず瞬かせていた。



 「…くそ…っ…あいつら…結局、すぐ解放する気…んて…なかったんじゃ……っ」
 「ロロ?どうした?」
 「にいさ……ごめ……はな、れて……」
 「ロロ……?」


 要領を得ない独白の意味が分からずに問いかけながら、ふと、ルルーシュの視
線が改めてロロの幼い容色へと向けられる。先刻まで血の気を失っていたその頬
に、気づけば、ようやく血色が戻ってきたように見受けられた。

 ……否。平時のロロを思えば、はっきりと目にわかるほどのその変化は過剰すぎ
る。これは、血の気が戻ったというよりも、むしろ―――


 「ロロ、お前……」
 「ごめん、なさい……っ」

 よもやの思いで口にした問いかけと、上がる息の下から切れ切れに続けられた
か細い謝罪の声が重なる。
 思わず続く言葉を飲み込んでしまったルルーシュの前で、ロロは、いつしか朱を
刷いたその容色を、今にも泣き出しそうに歪めて見せた。


 「……あ、いつら……自白、剤だけじゃなくて……保険、か何かのつもりで……
  僕に……くすり……っ」



 最後は、半ば嗚咽交じりとなったロロの訴えに―――ルルーシュは、咄嗟に何
と言葉を返せばいいのか、わからなかった。




                                    TO BE CONTINUED...




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