castling2




 昏倒したロロの容体に後ろ髪をひかれながらも、その言葉に従い、機密情報局
の活動拠点であった学園の地下室に向ったルルーシュは、同行した咲世子と共
に、それからおよそ四半時あまりを、事後処理に費やした。


 時間帯もあり、出入りもまばらな地下室は人気が絶えてガランとしており、多少
室内が荒らされたように感じるほかは、平時とほとんど変わらない様相を見せてい
る。ロロの供述通り、彼を訊問した情報局員と思しき遺体もすぐに発見されたが、
薬で朦朧とした意識のままその場を逃げ出したのであろうロロは、しかしその「処
理」に周囲の耳目を意識した隠蔽を施していた。

 情報員の休憩室として使われていたのであろう、モニタールームの隣室でテー
ブルに突っ伏していた彼らは、一瞥しただけなら、それこそ任務の合間に仮眠を
取っているようにしか見えない。あんな状態で、よくもそんなところにまで気を回せ
たものだと思わず感心しながら、ルルーシュは敢えて何も考えないように意識しな
がら咲世子と共に現場の後始末を済ませ、その荒れた二部屋に残る痕跡を一つ
ずつ消していった。

 と、手落ちはないかと確認のために部屋の隅々まで歩きまわっていたルルー
シュの靴先に、ふと硬い感触が伝わる。
 違和感に自身の足元を確かめれば、それは、注射器のシリンダー部分と思し
き、容器の欠片だった。

 隠蔽を急いだロロの意識に上らなかったのか、それともそこまで手を回せる身体
的余裕が彼に残されていなかったのか……ロロの口にしていた、自白剤を用いた
際の物に間違いない。
 まだ僅かに内容物が残されたそれを、慎重な仕草で拾い上げる。そのまま、ル
ルーシュは傍らに控えていた咲世子に、言葉を重ねることなく、手にしたものをそ
のまま託した。
 心得た様子で容器を受け取った咲世子が、同じく無言のまま、その内部に付着
した液体を爪の先に掬いとる。躊躇うことなく、ごく少量のそれを舌先に触れさせ
た彼女は、次の瞬間、その眉宇を僅かに寄せた。


 「ルルーシュ様、ここにはこれ以上の痕跡は残されていないようです。外部から
  の介入もその後なかったようですし、ひとまずクラブハウスの方に戻られた方
  がよろしいかと」

 どこか固さを増したその声音に、引っ掛かりを覚えたルルーシュが咲世子へと
改めて向き直る。そんなルルーシュの顔を平時のようにまっすぐに見上げながら、
しかし彼女は、申し訳ありませんと言葉を繋いだ。


 「状況判断が、甘かったかもしれません。私の認識不足です」
 「咲世子?」
 「ロロ様の容体ですが……早めに処置を施さないと、少し面倒なことになるかも
  しれません」







 咲世子の言葉に、最低限の処理を終えて取って返したクラブハウスの一室では、
出かけた時と同じく、ロロがぐったりとした様子で昏睡していた。
 やはり血色そのものは悪いものの、安定した寝息を漏らすその姿は、それほど
に急を要する状態にも見えない。だが、戻りしな咲世子の口から事の次第を聞か
されていたルルーシュには、その容態を見た目通りに受け取って安心することは
できなかった。


 「……薬か何かで、楽にしてやることはできないのか?」


 それは、地下室からこの部屋に戻るまで、咲世子の言葉を押し黙って聞いてい
たルルーシュが、初めて発した問いかけだった。

 早めに処置を施さなければ、面倒な事態になるかもしれない―――そう口火を
切った咲世子には、自らの舌で確かめた薬物の効果の程と弊害に、容易く見当
がついたらしい。
 ひどく中毒性の高い薬だと、咲世子は言っていた。体から完全に抜くにはそれな
りの手順と時間がかかる薬だとも。

 ロロに打たれたと思しき薬は、それこそ服用者の深層心理にまで影響を及ぼす
ような、強力無比な代物であったらしい。意識の奥底に封じ込めた情報まで強引
に引きだすことを目的としたその薬には、当然ながら、服用者の身体に対する配
慮など一切なされていなかった。


 咲世子が最も懸念したのは、こうして意識を失っている間にもその深淵へとつけ
込んでくる薬の副作用に、ロロの体が耐えきれるのか、ということだった。
 眠りの淵まで追いかけてくる、休みない薬の責め苦に発狂するよりも先に、心臓
に欠陥を抱えるロロの場合、その身体の限界がまず危ぶまれた。




 「中和剤に近いものは、用意できます。ただ……」

 言って、咲世子はその先を続けることを躊躇うように、言葉を切った。目顔で促さ
れ、改めてルルーシュに向き直ったその容色が、彼女には珍しく感情の揺らぎを
伺わせている。


 「……ロロ様は、心臓が御丈夫ではないとのことなので……成分的に、強心剤を
  多飲するような状態になりますので、今度は激しい嘔吐や不整脈といった中毒
  症状を伴ないます。今のロロ様には、反って危険かと……」

 反ってそれがロロの心臓を止めかねないと言外に語る咲世子の言葉に、つられ
るようにルルーシュの表情も曇った。


 「……じゃあ……どうすれば、いい…?」
 「ロロ様が完全な健康体ならば、中和剤に頼るか、いっそ完全に症状が抜ける
  まで、強制的に薬で眠らせるかするのが、もっとも弊害のない方法だと思いま
  す。……ですが、そのどちらにもお身体が耐えられないとなると…」

 いったん言葉を切った咲世子の視線が、ルルーシュから外される。ルルーシュも
また、自然とその動きを追いかける形となり、結果として二人の視線が、寝台に眠
るロロへと向けられた。



 「そうなると……無理やりにでも正気付かせて、拒絶反応を起こさないギリギリ
  のところで少しずつ薬を抜いていくしかありませんが……」

 苦しませることになると、咲世子は続けた。それでも、不憫だからと手を下さず
にいれば、この危惧は、それこそロロの命にまでかかわってくる。

 どうするのかと目顔で促され、判断を迫られたルルーシュの視線が束の間逃げ
を打つかのように、自らの足元へと逸らされた。その逡巡の程を伺わせるようにじっ
と床を見据えていた眼差しが、焦れるほどの時間をかけて、ようやく動き出す。
 寝台に眠るロロを見、逸らした流れで咲世子を見……そして再びロロへと視線を
向けたルルーシュは、それまで内に溜めこんでいたものをすべて吐き出そうとす
るかのように、大きく嘆息した。


 「……解った。ロロを起こそう」



 どれほど薬物の扱いに精通し、その事後処理において頼りになろうとも、決断を
下すのは咲世子ではなかった。その役目は、世間向けの擬態であれ、彼の兄を名
乗ってきた自分にしか担えない。
 これからロロに強いる苦しみを、自らもまた背負うためにも……それを自ら決断し
たのだという、覚悟と後押しが必要だった。

 ルルーシュの決断を傍らで待っていた咲世子が、承諾の印に小さく頷いてみせ
る。そして、既に事態に備えて用意してあったのだろう、陶器製の容器を彼女はル
ルーシュに差し出した。


 「気付け薬です。これを、ロロ様に」

 手渡された容器を受け取り、寝台に眠るロロへと踏ん切りをつけるように向き直ろ
うとしたルルーシュを、しかし、促した咲世子が制止する。何だと目顔で尋ねれば、
彼女は常と変らぬ語調で、一言、準備が済んでいないと続けた。

 「手足は、拘束された方が安全です」
 「…っ」
 「目を覚ました途端、激しく暴れる事を覚悟しておかなければなりません。それ
  こそ、相手がルルーシュ様だと理解できないほどに混乱した状態で」

 対象が自ら心を許した「身内」であると判別できなかった場合、眼を覚ましたロロ
にとって、自分達は彼を薬で追い詰めた連中と同種の存在だった。そうして敵対関
係に陥ったと仮定すれば、対峙すべき少年は、本来暗殺を生業としてきた戦闘の
プロだ。真っ向から挑まれて、ルルーシュに太刀打ちできる相手ではない。


 長い沈黙の末、ルルーシュは咲世子の言葉に頷いた。
 そして、その意思に従い、ロロを正気付かせるための準備に入ろうとした咲世子
に、彼は室外への退去を依頼した。

 「ルルーシュ様?」
 「処置は、俺がする」
 「ルルーシュ様、ですが……」
 「もちろん、薬を抜くのにお前の協力は必要だ。……それでもきっと、こいつは自
  分のこんな姿を、身内でも人目に触れさせたくないだろうから……」

 だから、できるところまでの処置は自分がする―――言って、ルルーシュが再び
頼むと頭を下げる。
 束の間もの言いたげな視線を向けたものの、咲世子はルルーシュの意向に否や
は唱えなかった。


 「―――承知いたしました。何事かございましたら、すぐにお呼びください」

 平時と変わることのない、抑揚にかける声音で短く諾意を示すと、咲世子は辞去
の挨拶に代えて静かに頭を下げた。
 そのまま室外へと立ち去りかけた迷いのない足取りが、しかし、扉までの数歩を
残したところで不意に止まる。

 「……ルルーシュ様」

 室内を振り向いた、感情を気取らせない容色がわずか引き締まり、彼女は念押し
をするように、その視線をルルーシュに据えた。


 「処置が始まれば、途中でお止めになることはできません。手心など、お加えに
  なりませんように」

 いっそ冷酷な響きすら感じさせる、敢えて告げられた釘刺しの言葉に……ルルー
シュは、ただ頷くことしかできなかった。







 意識のない少年を自らの意思で拘束するというのは、なんとも不自然である種の
居た堪れなさを覚えさせる行為だった。
 目を覚ました弟が自らの置かれた状況を知覚した時、彼はそれを施した自分を何
と思うだろうかと考えると、何度となく意思が揺らぎそうになる。それでも、結局はそ
の躊躇が彼を苦しめる結果を招くのだと自らに言い聞かせ、ルルーシュは昏倒し抵
抗を見せるはずもないロロの手足を、手心を加えることなく固く縛った。

 完全に拘束されたその姿を複雑な思いで眺めやりながら、咲世子から託されたも
のを手に、改めて眼前の弟に向き直る。


 寝台で眠る弟は、いまだに続いているのだろう自白剤の効力に意識の底で抗い
続けているのか、その幼い容色を苦悶に歪めながら、時折喉奥から言葉にならな
い呻きを漏らしていた。
 ゼロの正体、その目的。そして、監視役であったはずのロロ自身や機密情報局員
の包囲を一つずつ外していったその経緯――――それらを浮き彫りにしようとした
追及の手から命がけで「ゼロ」を守ろうとして、こうして意識を失った今でも、ロロは
苦しんでいる。

 眠りの淵からそれでも自分を守ろうとする、少年の苦悶の程が、結果として彼に
それを強いる事になったルルーシュの胸襟にきつく爪を立てる。せめてこの強迫観
念から楽にしてやりたいと思うのに、ロロの体にかかる負担を思えばそれすら満足
にしてやれない自らへの歯がゆさに、ルルーシュはグッと唇を噛みしめた。


 少しずつ薬を抜いていくしかないと言う咲世子の言葉を胸の内で苦く反芻しなが
ら、寝台に横たわる華奢な体を腕の中に抱え起こす。上体を自身の胸で支えるよ
うに体勢を固定すると、気付け薬と称して渡された容器の端を、うなされ続ける口
許へと近づけた。

 目を覚ませば暴れるだろうと、咲世子は言っていた。正気を取り戻しても、体内に
残る薬の後遺が完全に抜けるまで、ロロは苦しみ続ける事になる。それを思うと酷
く居たたまれない心地になったが、ロロの体にかける負荷を考えれば、身勝手な二
の足を踏んで、処置を遅らせる事は出来なかった。

 嚥下しやすいようにと軽くその首をのけぞらせながら、傾けた容器の中身を薄く開
かれた唇の隙間から慎重に流し込む。―――だが、突然喉奥を浸したものへの反
射的な反応だったのか、含まされた薬の風味への厭悪からか、支えるルルーシュ
の腕の中で、ロロは激しくむせ返った。


 「…っ」

 吐き出された薬がロロの口元や、彼にそれを施そうとしていたルルーシュの手元
を汚す。濡れてしまった口周りをひとまずは拭ってやり、再び手にした容器に視線
を戻したルルーシュは、束の間途方に暮れたような表情を浮かべた。

 とにかく、今はロロを正気付かせることが最優先だ。自分との折り合いなら、後か
ら一人で、気が済むまでつければいい。
 そう自らに言い聞かせながらも、今自分が成すべきことを、ルルーシュは即座に
行動に移すことができなかった。

 腕と胸で支えたままのロロと、手にした容器とを交互に見比べながら、我知らず
喉奥から押し出された嘆息が漏れる。そんな自らの煮え切らなさに踏ん切りをつけ
るかのように奥歯を噛みしめると、さらに一呼吸ほどの間を置いてから、ルルーシュ
は手にしたそれを自ら煽った。

 口腔内に広がった、予想に違わない苦味と臭気に思わず顔を顰めながら、それ
でも機を逃さずに、含んだそれを口移しでロロに飲み下させる。
 その途端、意識のない幼い身体が抗議するかのように小さく跳ねたが、強引に
抑え込んだまま、ルルーシュはロロを放さなかった。


 流し込んだ薬を完全に嚥下させるために、強引に唇を重ねていた時間は、果して
どれ程のものだったのか。
 反らされたロロの喉奥から呻きが上がり、それを契機としたかのように顔を離した
ルルーシュの腕の中で、いまだ幼さを残す容色がきつく歪められた。ほどなくして、
顰められた眉宇につられるようにして、閉ざされたままだった両の瞼が震えながら
持ち上がる。

 「……ロロ?」

 気付けが効いたかと、その名を呼ぶルルーシュの肩から、思わず力が抜けた。
手にした容器をサイドテーブルに移し、ようやく覚醒の気配を見せた、自分と同じ色
彩を持つ弟の双眸を覗きこむ。


 薬の効用で無理やりに意識を呼び戻された状態にあるロロは、目を空けては
いても、完全に覚醒できてはいないようだった。ぼんやりと開かれた双眸は焦点
すら結べてはおらず、その意識がいまだ眠りの淵と現実との狭間でたゆたってい
る状態である事をルルーシュに教えている。

 昏倒状態から強引に覚醒へと導いたのだから、しばらくは意識が混濁してしま
うのも致し方ないのかもしれない。これ以上声をかけたりその体を揺すり起こして
ロロを正気付かせる事も躊躇われ、ひとまずは咲世子と今度の対処を再確認しよ
うかと、ルルーシュは腕に抱き起こしたままだった体を寝台に戻そうとした。

 と、刹那―――それまでぼんやりと空を眺めるばかりだった若紫色の双眸に、
前触れもなく正気の色がよぎった。弾かれたように再びその顔を覗きこもうとした
ルルーシュの前で、半眼状態で何も映していなかった両の眼が、そのままカッと
見開かれる。


 「ロ………っ!」

 呼びかけの言葉は、しかし最後まで口にすることができないまま、次の瞬間、
腹部への衝撃を感じると同時にルルーシュの体は床の上に叩きつけられていた。
 内臓そのものを吐きだしてしまいそうな嘔吐感がせりあがり―――拘束された
ままの両足で、ロロが自分を蹴落としたのだと、遅ればせながら理解する。


 「…っぐ…っ……ロ、ロ……?」

 込み上げてくる嘔吐の発作を何とかやり過ごしながら、苦痛にかすむ目をを凝ら
して視界の先にいるはずの少年を探す。
 自分を蹴り落とした反動で跳ね起きたのであろう、華奢な体はその手足を拘束
されたまま、いまだ寝台の上にあったが……自分を見下ろすその容色だけが、ル
ルーシュの知る平時の彼のものとは、全く様相を違えていた。


 自分と偽りの兄弟関係に納まるまでに、この少年がどのような環境でどのよう
な暮らし振りをしてきたのかは、その記録を網羅したルルーシュも承知している。
 だが……そんな過去を持っていると言う認識だけで、ロロが実際に「暗殺者」と
しての任にあたる現場を、ルルーシュはその目で見届けたことがなかった。

 自分に与えられた偽りの記憶がその役割を終えた時、同時に弟としての仮面
を捨て去ったこの少年と、一度は対峙したこともあったが……それでも、あの時
の彼には外部からの刺激に揺らぐことのない、確かな理性があったのだと、今に
なってルルーシュは思い知らされていた。



 『――それこそ、相手がルルーシュ様だと理解できないほどに混乱した状態で』


 気付け薬を与える前に、ロロの手足を拘束しておけと言い置いた、咲世子の言
葉が脳裏をよぎる。
 あれはこういうことだったのだと……今更のように生々しく知覚させられた事実
と自らの認識との齟齬に、我知らず、その背を冷たいものが流れた。



 不自由な体勢のまま、それでもあからさまな殺気を帯びてこちらを睥睨するロ
ロの容色は、ルルーシュの馴染んだ弟のものでは、既になかった。




                                TO BE CONTINUED...





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