castling15








 それきり―――辺りの空気を支配した重い沈黙を、二人してどれほどの時間、共有して
いたのだろうか。

 告げられた言葉を一つ一つ、自分の中で消化しているかのように、ロロは応えの声を発
しない。闇雲に事を急く事が、事態の解決を遠ざける要因になる事をこれまでも事ある毎
に思い知らされてきたルルーシュも、逸る気持ちを持て余しながらも、じっと少年の反応を
待ち続けた。

 そして……


 「……僕と、一緒に……?」

 たっぷり百は数える程の時間が過ぎた頃……震えるようなかすかな声が、沈黙の帳を
破った。

 「一緒に……同じ未来を……?」
 「ロロ……」
 「……兄さんの側に…ちゃんと、僕がいてもいい……同じ、未来を……?」


 問いかけというよりは、自らに言い聞かせているかのような、鸚鵡返しの口調。途切れ
途切れの語調とは裏腹に、こちらの真意を窺うように真っ直ぐ自分を見据えてくる、自分
とよく似た色彩を持つ少年の双眸を、ルルーシュもまた、正面から受け止めた。
 肯定の言葉に変えて頷いて見せれば、つられる様に、血色の戻っていない幼い容色が、
どこかぎこちなさを残した笑みを浮かべる。……だが、それは長くは続かなかった。

 「……ロロ?」

 一端は笑みの形に持ち上げられた少年の口角が、程なくして、小刻みな震えを帯びる。
いぶかしんだルルーシュがその名を呼ぶのと時を同じくして、ルルーシュを仰ぎ見る若紫
色の虹彩が、隠しきれない情動の揺らぎを見せた。
 そして……中途半端な笑顔の名残を残したまま、ロロは、ゆるゆると頭を振った。



 「……見捨て、ないで…」
 「…っ」


 囁くように紡がれた言葉と共に、血の気を失ったままの頬桁を、筋を描いて伝い落ちて
いく透明な雫。
 自分に縋る言葉のようでありながら、それは、自分を信じきれないと訴える、少年の悲
鳴のように、ルルーシュの耳には届いた。

 何故信じてくれないと、そんな風には返せなかった。その問いかけが、これまでの自分
の行いを省みればどれほどに傲慢なものとなるのかは、誰に指摘されるまでもなく、この
身に沁みて解っている。
 箍の外れる限界まで耐えたのだろう、少年の思いの発露が堰を切って溢れだす様を、
ルルーシュは宥めることなく、しかし見て見ぬ振りをすることもなく、ただ黙ったまま見つ
めていた。

 自分の焦りのままに、自分の言葉をただ押し付けては駄目だ。それでは、自分とこの少
年との間にこれまで積み上げられてきた、見えない壁を更に高く厚くするだけだ。
 ロロが自分にぶつけることなく飲み込み続けてきた屈託が、こればかりではないことな
ど、とうに気付いている。ならば、彼が全てを吐き出し終わるまで、自分は彼のこの激情
に、歯止めをかけるべきではないと思った。


 「……僕の事を、必要として……」

 果たして、ルルーシュの無言の後押しに促されたのか、震える口調で、ロロが陳情の
言葉を繋ぐ。本当に限界まで己を追い込んだその上で、やっと吐き出す事の叶った言葉
だったのだろう。ルルーシュと向き合う少年の華奢な体は、嗚咽を堪えているかのよう
に、小刻みに震えていた。


 「ナナリーのところに……僕を放り出したまま、行ってしまわないで……っ」
 「ロロ……」
 「ナナリーの、代用品じゃなくて…っ…そのままの僕を見て…っ」


 それきり―――室内の空気を、押し殺した嗚咽が震わせる。
 その言葉が、彼がこれまで飲み込み続けてきた、どれほどの思いによってなされたも
のであったのかを……ルルーシュは、思い知らされずにはいられなかった。


 皇帝のギアスによって改竄された記憶を取り戻し、機密情報局の監視員として自分と
相対したロロとの間で、それは幾度となく取り沙汰されてきた命題だ。

 監視の任務を果たす為にナナリーと成り代わったロロの存在を、当初、自分はこれ以
上ないほどに厭悪していた。彼が何食わぬ顔で居座り続けるナナリーの立ち位置から、
幾度、引き摺りおろしてやりたいと思ったか解らない。
 その後、当のナナリーがこのエリアの総督に名乗りを上げたことで、少年との間に結
んだ一時的な共犯関係は、一度はご破算になった。自暴自棄になり、何にもかもを投げ
出しかけた、そんな自分に対し―――ロロは自分に、ナナリーの代用品になるつもりは
ないと告げたのだ。

 お前をナナリーの様には愛せないと、そう口にしながらその実、癒されたがっている自
分の思いを見透かしたかのような、自分にばかり都合のいい、救いの手。打ちひしがれ、
疲弊しきった心にそれがあまりにも心地好くて、臆面もなく、年下の少年から伸ばされた
手に自分はすがった。

 必要とする内は側においてほしいと、そう続けられた少年の言葉は、少し落ち着いて
考えればあまりにも不公平な制約であった事が、解りそうなものだったのに……差し伸
べられた手にしがみつく事に必死だった自分は、無意識のうちにその事から目を背けて
しまった。


 新たな関係を築きあげていく内に、いつの間にか互いの間で口にされる事がなくなっ
ていったナナリーの名前。暗黙の了解事であるかのように飲み込まれ続けた少女の名
を、自分の中に閉じ込め鍵をかけておくことで、少年との相関は円滑に築いていけるの
だと思っていた。
 だが……それは、何を根拠とした確信だったというのだろう。

 ロロという少年が、その出自からも育った環境からも、ひどく不安定な存在である事に、
記憶を取り戻した当初から、自分は気付いていたはずだ。機密情報局の監視者として
の自身の役割にあれほどに固執した事を思い返せば、任務であれ「身内」という存在で
あれ、彼が、その未来をもたらすものにどれほどに飢えていたのかを、推測する事は容
易かったはずなのに。

 彼を籠絡する目的で口にした、彼の未来を保証するとの口約束。その後互いの立場
が微妙に変わり、自分の方こそが弱者と成り変わった時、相手の弱みに付け込んだそ
んな甘言が、どれほど相手を縛る枷となるのか、自分は身を以て味わわされたはずな
のに。


 「ロロ……」

 気づく機会は、いくらでもあった。言葉ででも、態度ででも……相手に解る形で関係
の修復を図る機会は、いくらでもあったはずなのに……自分は、それを怠ったのだ。



 「ロロ、すまない……俺は……」

 そんなことはないのだと、お前をお前として見ているのだと、そう言ってやりたくて…
…それでも、眼前で嗚咽する少年の姿に自らの怠慢を見せつけられたルルーシュは、
呼びかけの言葉の先を、続ける事が出来なかった。

 ナナリーとの決別に絶望した自分を立ち直らせ、現実へと引き戻した、少年の今に
も泣き崩れそうだった笑顔を思い出す。妹の代わりにはなれないと言い切った、少年
の声の硬さを思い出す。
 どれほどの思いで以て、それは成された誓約であったのだろう。その懸命の笑顔と
声に、もっと早くに、自分は思い至らなければならなかった。
 そして……後手に回ってしまった自身の失態に気づいてしまったからこそ、自分には、
今のロロに対して、気安くかけてやれない言葉があった。


 『ロロ、愛している』


 自分だけを見てほしい。気にかけてほしいという、ロロの願いは明白だ。ロロに対し、
余人と隔てた確かな情を、自分が抱いていることも嘘ではない。自分がそう口にする事
で、彼がどれほど安堵するのかも、ルルーシュには解っていた。
 だが……今のロロにそう言ってしまえば、自分は彼がこれまで自ら抑え込んできた
自分に対する独占欲を、取り返しのつかない形で煽る事になる。

 あの頃なら……ロロと新たな関係を始めたあの当初なら、自分の思いは、きっと過
たずロロに届いた。彼は重すぎることなく軽すぎることなく、自分の言わんとする等身
大の思いを、そのまま受け止めてくれただろう。
 だが、自分は自分の臆病や保身や、そしてつまらない矜持の為に、そのきっかけを
自ら見送ってしまった。

 これまでずっと、自分に対する満たされない独占欲や不信を飲みこみ続けてきたロ
ロにとって、自分の言葉は諸刃の剣だ。これまで中途半端に距離をとることで燻らせ
てしまった彼の鬱屈を、自分は自分の一言で、暴走させてしまうかもしれない。
 それこそが……これまでは杞憂と振り払う事も出来た、ルルーシュを苛む「恐怖」の
具現だった。

 
 『俺はお前を、憎まなければならなくなる』
 『お前を、処断しなければならなくなる』


 自身の奥底で警鐘を鳴らし続ける危惧を回避するために、敢えて口にして自らの覚
悟を後押ししたあの言葉は、今でも十分な戦闘能力を有するこの少年がその箍を外し
てしまえば、今度は現実となって自分に返ってくる。

 自分一人をこれほどまでに慕う、他によりどころもないこの少年を……
 生きる理由すら取り上げられ、麻薬にすら逃げようとした、抜け殻のようだった自分
の手を引き戻し、再び歩き出す力を自分に与えてくれた、この少年を……
 切り捨てるのか?自分のこの手で……

 つと、眼前で嗚咽する華奢な少年の面差しが、驚嘆と悲憤に歪む様が、ルルーシュ
には見えたような気がした。


 「…っ」

 現実のロロが、自分にそんな顔を向けた事はない。あくまでも、自分の妄想だ。
 それでも、そう自らに言い聞かせながらも……総毛立つような衝撃を、ルルーシュ
は感じずにはいられなかった。


 信じられないと、言いたげな口元。何故と問う事も出来ず、ただ凝然と見開かれた
双眸から、留めきれず零れおちた情動の発露。
 そうして……最後の力を使い果たしたかのように、呆気なく閉ざされる、若紫色の
瞳―――


 「ロロ…っ」
 「…っ」


 それが現実の光景ではない事を知りながら、少年を呼ばわる声に悲鳴のような響
きが宿る。たまらず伸ばした腕の中にその体を抱き込みながら、ルルーシュは自身
の妄想を振り払うかのように、きつく歯を食いしばった。


 もし、このままロロの屈託を放置し、暴走させてしまったら……自分はいつか、ああ
してロロをこの手にかけるのだろうか。自分をひたすらに慕うこの少年を、あんな顔を
させたまま失ってしまうのか……


 「……誰が…っ」

 ―――そんな未来を……誰が、見たいなどと願うものか!



 「……頼む……変わってしまわないでくれ…っ」
 「…っ」
 「解ってる、俺のせいだ……お前は悪くない……それでも、お前がああいう風に変わっ
  ていってしまったら……俺は…っ」


 腕の中の少年には、自分が何を訴えているのかきっと解らないだろう。それ程に支
離滅裂な事を言っているという自覚はあった。
 それでももう……自分の抱く危惧が見せる、一つの未来の可能性を―――どれほど
無様な足掻きに見えようとも、自分はこれ以上、知りたくはなかった。

 「ロロ……お前が必要だ。俺はお前を、失いたくない…っ……お前が俺の世界の全
  てではなくても…お前を失ったら、俺は俺の拠り所を失う…っ」
 「に……」
 「それは!……お前を失ってしまった後の喪失感も空虚感も……いつか俺は、お前
  以外の存在で埋めるんだろう……浅ましいとどんなに自分を罵っても、俺は生きて
  いく為に、きっとそうするんだろう…っ…それでも…っ」

 腕の中にきつく抱き込んだままのロロに、自分の表情を晒さずに済んでよかったと思
う。きっと今、自分は焦燥や恐怖に追い詰められて、目も当てられない顔をしているに
違いなかった。
 我ながら、余りにも身勝手な理屈を並べ立てていると思う。ロロを失いたくないと訴え
るその側から、ロロを失っても自分は新たな拠り所を見つけて生き続ける事を選ぶと、
そう口にしているのも同じだった。これほどに相手の矜持を無視した、身勝手な陳情は
ないだろう。

 だが……どれほど自分の言葉が残酷で厚顔なものであるかを承知した上で、それ
でも、ルルーシュは、今口を噤む訳にはいかなかった。
 相手の耳に心地いい、演出された甘言ばかりを操り続けてきた、これは自分が負う
べきツケだ。自分に対する渇望と不信のあまり、これほどに自らを追い詰めてしまった
ロロにはもう、取り繕った弁明の言葉など届かない。


 ロロの中に鬱屈する負の衝動を全て吐き出させてやるためには、それを受け止める
自分こそが、腹の底に作り上げた防御壁の奥に、これまで平静を装い押し込め続け
てきた様々な暗部を、曝け出さなければならなかった。
 そして何よりも……ルルーシュ自身、中途半端な距離を牽制し合っているようなロロ
との関係に、耐えきれなくなっていたのだ。


 「それでも……俺はもう、失ってから気づくのは嫌なんだ……自分を責めながら、後
  悔を繰り返しながら、お前を失った喪失感を埋めていくのは、嫌なんだ…っ
  お前にも、ナナリーにも……今でもどちらにも手を伸ばしたがっている俺は、ずるい
  んだ…解っている……それでももう、俺は……」


 刹那、室内の空気を震わせた苦鳴は、きつく抱き寄せられた痛みを訴える少年のも
のだったのか、自ら紡ぐ陳情の言葉に耐えきれずに音を上げようとする、語り部の嗚
咽であったのか……
 それでも、引き寄せた少年の体を頑なに腕の中に留めたまま、言葉の継ぎ穂を息継
ぐルルーシュの呼吸が、会話に要するものとは思えない程に、次第に荒く弾んでいっ
た。
 そして……

 「俺は、お前を憎みたくない…っ…お前の事を、処断なんてしたくない!俺の弟でい
  てくれ!変わってしまわないでくれ…っ!」
 「…っ」
 「ナナリーとお前のどちらかを、諦める事は俺にはできない!ナナリーがいないから、
  だからお前を手放せないわけじゃないんだ!お前のことを…お前のことも…俺は、
  必要なんだ…っ…それじゃあ、駄目か?なぁロロ……そんな理由じゃ…お前は俺
  のそばに、弟のまま、いてはくれないか…!?」
 「にい、さん……」
 「愛している…っ…ナナリーと、全く同じ形じゃなくても!」



 今のロロには、かけられないと思っていた禁忌の言葉。精神的に不安定な状態にあ
るロロの、抑圧された衝動を煽ってしまうかもしれない危惧に、今は腹の底に押し込め
ておかなければと、一度は思い定めた自らの本音。

 胸襟に収め切れず、溢れ出した情動に押し切られるようにして口にした刹那―――
その言葉に、ロロ以上に飢えていたのは他ならぬ自分のほうだったのではないかと、
膨れ上がる感情に乱れた意識の下で、ルルーシュは思った。
 ルルーシュを唯一の拠り所とするあまり、己の飢えを満たすために己自身すら壊し
かねない危うさの内在した少年。そんな彼へと向かうルルーシュの執着もまた、もう、
修復などできない深みにまではまり込んでしまっていた。


 「……本当に…ずるいな、俺は……」

 ロロの将来の為に、自分達の未来の為に、彼に報いる為にと、そんな建前で自分の
「説得」を正当化しておいて……結局はただ、この少年を自分の側から遠ざけたくない
というのが、明け透けな自分の本音なのだ。

 自分から離れていかないでくれと―――なりふり構わず、そう訴えてしまいたかった
のは、自分の方こそだったくせに……


 一度知覚してしまった未練は、これまで自分が頑なに守ってきた、兄として、年長者
としての沽券で塗り固めた「壁」のこちら側に、引き戻す事は出来なかった。

 「ロロ……側にいてくれ。今だけじゃなくて、この先の未来も……俺から離れて、いか
  ないでくれ……」
 「…っ」
 「俺と一緒に……この先の未来も、一緒に生きていく事を……諦めて、しまわないで
  くれ……」


 恐らくは、ロロがずっと自分に求めてきたであろう、彼の「兄」としての慈愛や余裕や
包容力といった、理想でできた被りもの。
 捨てきれなかった矜持の為に、自ら頑なに被り続けたそれを、衝動のままに脱ぎ捨
ててみれば―――伝えたかった言葉は、なんと端的で容易いものであったのだろうと、
ルルーシュは、今更のように感じ入らずにはいられなかった。






                                     TO BE CONTINUED...


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