castling13








 腕の中に抱き支えた体が、断続的な震えを帯びているのが伝わってくる。きっと
それを支える自分もまた、同じように意気地なく震えているのだろうと思ったが、そ
んな無様を承知の上で、ルルーシュは、密着したロロの体を離さなかった。

 味わわされた衝動にその気力を奪われ、されるがまま、自分にその体重を預け
ている状態であるはずなのに……軽いものだと、ふと思う。自白剤による錯乱の
最中には、基礎体力のない自分を容易く蹴り飛ばしてのけたはずの弟は、今はひ
どく小さく、頼りない存在に思えた。

 一度は麻薬にさえ逃げようとした自分を、全身でぶつかりあい現実へと引き戻し
てくれたロロ。いくばくかの休息を求めて、それこそ文字通り、最後の一線を越え
てまで癒されたがった自分を、黙って受け止めてくれたロロ。
 その厚意に、臆面もなくもたれかかったあの時、自分など及びもつかない程に、
この少年の器量は大きいのだと思い知らされた。年長者としての沽券を脅かされ
る焦燥すら、自分はロロに対して抱いたものだというのに……


 こうして自分の腕の中で震えている頼りなさもまた、たしかにロロという人物を
形成する要素の一つであったのだと、遅ればせながら思い知らされる。そして、
そんな少年にさらに追い打ちをかけるような真似をしようとしている自分の身勝手
さに、ルルーシュの胸襟が鈍く疼いた。

 だが、今更ものの足しにもならない罪悪感に尻込みして、ロロをこのままにして
おくことはできなかった。一年以上もの時間をかけて蒔き続けてしまった後悔の種
は、自分の手で刈り取らなければならない。



 「……ロロ。これから言う事に、答えなくていい。ただ、最後まで聞いてくれないか」


 腕の中の少年が満足に口を利ける状態ではないことを承知した上で、できうる
限り相手の興奮を煽らない語調を意識する。支えた少年の背中を宥めるように軽
くさすり、それ以上は無理に相手の言葉を求めないまま、ルルーシュは先を続け
た。


 「……今更埒もなさない、ただの気まずい思い出だ。それでも、そういう後悔を
  繰り返したくないという俺の身勝手な予防線なんだと思って、聞いてほしい」


 どう言葉にすれば、本当の意味でロロと自分の相関を変えられるのかは解らな
い。そもそも、表面上の、建前の平穏を目的として、とりあえずこの場を治められ
ればいいというものではないのだから、そう簡単に都合よく、「正解」が転がって
いるはずもないのだ。

 だから、自分が言葉を尽くすのは、相手を籠絡するためではないのだと、それ
だけをしっかりと肝に銘じておけばいい。相手の理解を求めての説得なのだと思
えば、どれほど整わない不格好な言葉でも、形振り構わずに訴える気持にもなれ
る。これまで、自分がロロと向き合う上で足りなかったものは、きっと、そういう真
摯さだった。



 「……俺は、きっと人との距離の測り方が下手なんだ。そして、相手と向き合お
  うとした時に、肝心なところで言葉足らずになる事がある。最悪な事に、その
  事に気付いた時には、もう色々なものが修復不可能な状態になっていたりす
  るんだ。事態そのものや、相手との関係や、自分の立場や、色々な物がだ。
  それこそ……相手のこの先の人生、そのものだったり……な」

 問わず語りのその独白が僅かに語調を変えたことに気づいてか、ルルーシュの
胸元に抱き込まれたままだったロロが微かに身じろぐ。思い出したように支え手
から力を抜き、しかし後は離れるも縋るも相手に任せる姿勢をとりながら、ルルー
シュは言葉をつなげた。


 「俺の監視者となる時に、お前は資料で把握している事かもしれないな。……例
  えば、腹を割って話し合う機会を避け続けたばかりに、命どころかその名誉さ
  え、踏み躙ってしまった相手もいた。互いの立場から、解り合えないと決めつけ
  て敬遠していた相手だ。実際に機会を持ってみれば、拍子抜けするほど簡単
  に歩み寄れる存在だったのに……気付いた時には手遅れで、過失なんて言
  葉では済まされない、俺の失態の巻き添えになって……恐らく、本人も何が
  起きたのかろくに把握できないままに、死なせてしまった。―――俺の、手で」

 暴走したギアスに支配され、自ら守ろうとした、社会的な弱者であるこのエリア
の住民達に、虐殺の限りを尽くした腹違いの妹。他に止めだてる手段もなく、断腸
の思いで銃器の引き金を引いた自分を、彼女は最期まで、純粋な疑念の目で見
つめていた。


 「生きていても……いや。生き延びさせることを口実にして、体よく遠ざけてしまっ
  た相手もいる。「活動」の障害を取り払う為の措置に身内を巻き込まれて、そ
  の人は家族を失った。後になって、その裏事情をその人は知ってしまって……
  なぜ父親を殺したと、泣きながら銃を突きつけられた。そんな彼女をこれ以上
  巻き込んで、これ以上取り返しのつかないことになるよりはと、ギアスで彼女の
  記憶を操作した。彼女の中で、俺は見も知らない他人になった。……せめて彼
  女自身には危害が及ばないように、と言えば聞こえはいいが……結局は、俺の
  保身がそうさせたんだ」

 自分一人が罪の記憶を抱えたまま、彼女から赤の他人扱いされている内は、そ
れが償いになどならないことを承知の上で、それでも罰されている気持ちにはなれ
た。
 だが、父であるブリタニア皇帝によって改竄された記憶を植え付けられ、かつて
のように、無邪気に自分を慕ってみせる今の彼女は……
 その衒いない笑顔を向けられるたびに、彼女の中で行き場を失ってしまった、彼
女の悲しみや怒りや憎しみを考えずにはいられない。降りしきる雨に打たれなが
ら、何故父を殺したと自分を詰った、彼女の叫びを思い出さずにはいられなかった。



 指折り数えるにつけ、自分のこの性分には呆れるばかりだ。何度痛い思いを味わ
えば、自分は「懲りる」という事を覚え、転ばぬ先の自制を学ぶことができるのか。
 そもそもが、これは、こんな風に人に聞かせていい話ではない。それを他の人間
との相関修復の水向けにしようなどと、ユーフェミアにもシャーリーにも、輪をかけて
不躾な行為だった。

 だが……


 『僕は、本物じゃないから』


 だが、それでも……もうこれ以上、自分は同じ轍を、繰り返したくはない。
 その距離を測りあぐねて、肝心な言葉を伝え損ねて……自分の手で、ロロを抹
殺するような羽目にはなりたくない。これ以上言葉を誤魔化し、危惧される事態を
先送りに引き延ばし、揚句、土壇場まで追い詰められた急場からロロを引き離す
ために、自分の世界から彼を弾きだすような真似はしたくなかった。

 だからこそ――――今、自分は口を噤むべきではない。
 これからロロに聞かせようとしている言葉が、どれほど身勝手で情けない、己の
狭量さを曝け出す結果を招くものであっても……それを回避したがために突きつけ
られるであろう保身の代償を、取り返しのつかない悔悟の念と引き換えに払う事
には、耐えられなかった。


 「……本当は…」

 まるで未練であるかのように、喉奥に留まろうとする言葉の継ぎ穂を意志の力で
押し出すために、腕の中に抱き支えたままだった少年の体をゆっくりと離す。そうし
て向き合う形となったロロの双眸に射すくめられるような思いで、ルルーシュは、未
だに彼に依存したがる自身の臆病を、強引に自分から切り離した。

 「……本当は……お前が、俺一人を頼って俺だけに依存して、そうやって生きて
  いく姿を側で見ていることは、とても……そうだな、的確な言葉ではないかもし
  れないが……とても、心地好かったんだ」
 「……っ」
 「お前が俺を裏切らないことを、お前が俺に敵意を持っていないことをそのたびに
  確認できた、という事もあったが……そういう風に、お前に寄りかかられている
  自分を意識することに、とても、安心できたんだ」

 このロロなら、自分に害をなさないと……己の身の安全を再認識しては内心ほく
そ笑んでいたのは、きっと、二人の関係をやり直した、本当に始めの頃だけだった。
 自分の事を、彼を取り巻く世界の全てのように扱うロロの依存が、後ろめたくも心
地好くて。それほどに重い思慕が自分を求めているのだという事実が、いつしか、
不安定だった自分を支える強固な拠り所となっていた。

 ―――求められているという事実に、安堵する。そんな自分を大っぴらに認めるこ
とがひどく面映ゆく、情けなく思えて……年長者としての余裕を見せることで、ロロ
と自分の間に透明な壁を作り上げてきた。色素のない壁は、その向こうを見通す事
に何ら支障を生じず、そうして適度な距離を保つことが、自分にとってもロロにとって
も、この先の関係を築いて行く上で必要なのだと思っていた。

 だが……それは過程を踏む為の手段の一つであって、根本的な解決を求めたも
のではなかった。
 自分に切り捨てられる「未来」を恐れるロロの葛藤は、それが仮想の事態である
だけに、ただ否定の言葉を繰り返すだけでは、根底から払拭できない。

 本当に自分達の未来を思うなら、自分はまず、自ら作り上げた壁の向こう側へと
抜け出さなければならなかった。
 自分の足で、この目に見えない境界を踏み越えて……そして、自分の感情も価
値観も、屈折させる外的要因の一切存在しないまっさらな場所で、自分はロロと向
き合うのだ。


 「それでも、俺は……」


 その為には、仮想敵に怯えているも同然のこの少年以上に、自分は、自分の思
いに従順になる必要があった。
 思いのままに告げる言葉が、どれほどロロを傷つけるものであろうとも……彼を
失わない未来を、手に入れたいと願うなら。


 「……ロロ…俺は、その安心に依存して、目を瞑ってしまう事が、今、とても怖い
  んだ。けして俺を裏切らないお前を、俺一人に未来の全てを預けてくれたお前
  を、こうして側近くに感じる心地好さに浸ってしまう事が、本当に怖い」
 「……兄さん…」
 「解っている。お前はきっと、この先も俺を裏切ったりはしないんだろう。俺と築く未
  来の為に、お前はお前の価値観すらも、俺に擬えてくれるんだろう。本音を言っ
  てしまえば、俺にとって、これ以上の安心はないんだ。お前と一緒にいる限り、
  俺は俺の拠り所を、失う事はないんだから。……でも…」


 ―――でも……きっと、それでは駄目なのだ。自分達は。


 「このままお前に依存して生きていったら……俺はいつか、また、お前との距離
  の測り方を見失う。心地好い安心に浸りきって、また、必要な言葉まで解らな
  くなってしまう。……そうして、また…いつか、修復不可能なところまで行き詰っ
  てから気がついて……俺は、お前を失ってしまうのかと、そう思ったら……っ」
 「に…っ」
 「杞憂だと思うか?馬鹿な妄想だと思うか?……それでも、俺はこの恐怖を俺
  の臆病だとは笑い飛ばせない。……結局は……どんなに今が心地好いと、
  そう思っても、結局は……お前は……」


 これ以上を口にすることは酷だと、ルルーシュにも解っていた。ロロを籠絡する
ために、事あるごとに彼の意識を自分に向けさせてきたのはルルーシュ自身だ。
身勝手な目的の為に、自分に傾倒させるだけ傾倒させておいて、今更それを彼
に突きつけるのはあまりにも卑怯だった。

 解っている。この複雑な相関の原因は、自分にあるのだ。その責任の重さから、
逃れようとは思わない。
 だが―――それでも、ここで彼に現実を自覚させなければ、自分の言葉は、きっ
とロロには届かない。


 「……すまない。俺が悪いんだ。俺がそうなるように仕向けたんだから、お前の
  せいじゃない。それは、解っているんだ。……それでも、お前は……」

 続く言葉を振り絞る契機を掴もうとするかのように、一度は自分から遠ざけた少
年へと腕を伸ばす。まだ到底本調子とは言えない弟の両肩を、極力慮った動き
でルルーシュは引き寄せた。


 「それでも……このまま目を瞑り続けていたらお前は……」
 「……っ」

 押し殺しきれなかった動揺に煽られて、華奢な肩口を掴んだ指先に我知らず力
がこもる。苦鳴の様な吐息がロロから漏れたのに気付いたが、それでも、ルルー
シュはその手を離せなかった。



 「……お前は…お前はきっと、このまま世界を閉ざしてしまう」







                                  TO BE CONTINUED...


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