castling11








 その「恐怖」と非常によく似た悪寒を、ルルーシュはこれまでにも味わわさ
れた記憶があった。



 身分を詐称する必要もなく、まだ自分がブリタニアの皇子として公式に認
められていた幼い昔、母や妹を襲った突然の悲劇。その、時を同じくして覚
えた戦慄。
 成長するにつれ、互いの足場を完全に分かってしまったのだと思っていた、
幼い日に淡い思慕すら抱いた事もある、片腹繋がりの妹。政治の表舞台
に出る事のなかった彼女が、母国の植民エリアであるこの日本に行政特区
を立ちあげると宣言した時、全身を駆け抜けた激情。

 ブリタニアを追われるようにしてやってきたこの日本で、初めてできた同世
代の友人。生粋の日本人である昔馴染みの彼と時を隔てて再会し、そして
彼が名誉ブリタニア人として軍籍にある事を知らされた時の、得体のしれな
い衝動。




 その度合いは、必ずしもその後に起こった事件の規模と比例するわけでは
ない。事が起こり、後から思い返してみた時に、あれはそういう事だったの
かと不承不承に納得させられるばかりで、結局その警鐘を、対象も時期も
読めない事件発生の未然防止に役立てる事はできずじまいだったが……
ともあれ、今、自分がその警鐘を自分の意識の奥底から受け取ったことは
確かだった。

 それで何が起こるというのか、全く見当もつかない。それでも、今日一日
ロロを咲世子に任せ、彼との接触を避けようとすることで、きっと何かが起こ
るのだ。

 取るに足らない事であるかもしれない。こんな杞憂に気を取られてこの先
の暗躍が成し遂げられるのかと、自分の弱気を叱咤したい気持ちにもなる。
 だが……この警鐘に従う事で避けられる事態があるのなら、それがとるに
足りない内容であれ、後からやはり杞憂だったと、自分を笑い飛ばせる結
果に終わる方が余程ましだった。


 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとして、良くも悪くも世界から与えられていた
人生の「保証」も。母の命も、五体満足だったはずのナナリーの身体も。
 一度失われたものは、もう取り戻す事が出来ない。そして、自分はこれま
でずっと、そうやって自分の周囲から奪われていくものを、後から思い知ら
されては嘆くばかりだった。

 もう一度あの絶望を味わわされる苦痛に比べたら、この程度の臆病など
何を気負う必要があるだろうか。杞憂に過ぎない気がかりをやり過ごす事
が出来なかった……そんな虚栄丸出しの自己嫌悪など、いくら繰り返して
も、自分の痛手になどなりはしない。

 臆病というなら―――今、自分を守り通そうとした少年との距離を測りあ
ぐねて逃げを打とうとしているこの弱気こそ、自分は嫌悪するべきだった。


 今日一日、ロロとの距離を隔てられるならそうしたいと、未だに思う。自分
との関係を掴みあぐねているロロと揺らぐことなく向き合うには、自分にも
相応の覚悟が必要で……その為の気持ちを整える時間が、まだ自分には
足りなかった。
 きっと、今ロロと向かい合っても、ロロの鬱屈を晴らしてやる術を自分は見
つけられない。自分自身でさえ確証の持てない懸案に対し、他者を納得さ
せようという方が無理だ。だから、本音の部分ではこんな中途半端な状態
のまま、ロロと顔を合わせたくはなかった。

 だが……


  『僕は、本物じゃないから』


 寄せられる好意に甘えて自分の思いを明確な言葉に置き換える事もせず、
自分からは何一つ行動を起こさないまま、ロロとの生活に依存した。そんな
自分の慢心が、きっと彼が一番知られたくなかったであろう鬱屈を、彼から
吐き出させてしまった。

 自分自身の覚悟が固まっていないまま、そのためらいの原因であるロロ
と話してみたところで、この事態に対する明確な打開策が見つかるとも思え
ない。自分の及び腰や言葉の曖昧さが、反って事態を複雑にし、ロロを傷
つけてしまう結果を招いてしまうかもしれなかった。
 だが、それでも……



 「……いや。やはり学園にはいつもの時間に登校しよう」

 自身の奥底で警鐘を鳴らす、この悪寒をその場凌ぎの言い訳で誤魔化す
事は容易かったが……そうして安易な逃げ道を選んだツケが、取り返しのつ
かない後悔に苛まれることで相殺させられるあんな思いを、二度と味わいた
くはなかった。


 「食事の支度は、こちらでやる。……胃に負担をかけない程度にすれば、
  ロロも普通食で問題ないのか?」


 唐突に話題の方向を翻した気まずさと、それによる咲世子からの必要以
上の追及を避けるために、敢えて事務的な口調で要点のみを確認する。一
瞬怪訝そうな様子を見せたものの、咲世子も心得たもので余計な口は一
切はさまず、一言、消化に悪い物にだけお気を付けくださいと答えただけ
だった。
 そんな咲世子の心遣いに目顔で謝辞を伝えると、ルルーシュはその厚
意に敢えて甘え、あと三十分後にもう一度だけロロの様子を見てきてほし
いと言葉を重ねた。











 三十分後―――咲世子から、ロロが目を覚ましたという知らせを受けたル
ルーシュは、ロロの朝食を持ってロロの休む部屋のドアを叩いた。
 ほどなくして、室内から小さいがはっきりとした応えの声が返る。一瞬の
躊躇いの後、ドアを開くと室内の寝台の上、その背板にもたれるようにして
ロロがその上体を起こしていた。



 「……兄さん」
 「気分はどうだ?食事を持ってきたが……食べられそうか?」


 心配はいらないと咲世子の太鼓判をもらってはいたが、やはり一晩中薬
の作用と戦い続けたロロの消耗は深刻なものらしく、その顔色にはさして回
復の兆しがうかがえなかった。

 いかに訓練を積んだ体であれ、発育途中の少年の体力には限界がある。
その上、施療目的とはいえ音を上げるほどの荒淫を強いられた後だ。体力
面からも、そしてなにより精神面からも、「何事もなかったように」自分とい
つも通りの兄弟の会話を続ける事は、今のロロには苦痛だろう。

 相手に抱く気まずさや居た堪れなさはお互い様だが、ここで尻込みしあっ
てロロに余計な負担をかけるのは忍びない。こうしている間にも室内の空気
を支配しようとする、得も言われぬ緊迫をかき消す為に、ルルーシュは言葉
の継ぎ穂を切り出す役割を、敢えて自ら選んだ。

 持ち込んだトレイをサイドテーブルに乗せ、その上に並べた物を示しなが
ら、食べてみるかともう一度水を向ける。まだ回復していないロロはどこか大
儀そうに差し出された食事を見遣ったが、それでもいらないとは言わなかっ
た。


 少しでも食事をしようとする気力があるのなら、今はそれに専念させること
だ。けして無理強いはしないように意識して介助しながら、ルルーシュは、
ゆっくりと食事を口に運ぶロロの様子を複雑な思いで見遣った。

 その心肺機能に欠陥を抱えた体だと聞いてはいたが、とくに病がちなわけ
でもなく、日常生活を送る上では健康体と呼んで差し支えないであろうロロ
に対し、ルルーシュがこんな風に世話を焼くのはこの一年余りの記憶を振り
返っても、恐らくこれが初めてだった。

 次に食べようとしている料理の器を取って、手渡してやる。落とさないように
と、手渡した器にそれとなく手を添えて、支えてやる。伏せった後で喉を乾か
しているだろう相手の為に、適宜飲み物の世話も焼く。
 ……そんな風に、誰かの食事の介助を行う事は、ルルーシュにとって、日
常に根づいた、ひどく自然な行為だった。だから、気負うまでもなく自然と体
が動く。
 ただ、当たり前のように行ってきたそれらの行動が、いま眼前で心許なさそ
うに食事を続ける、この少年の為ではなかったというだけで……


 習慣となるほどに頻繁に、自分が食事の介助をした相手―――その存在
に図らずも思いをはせる結果となり、胸襟を過った実妹の面影と眼前の少年
の姿が、ルルーシュの中で我知らず鬩ぎあった。


 『そうしないと、兄さんに見捨てられる』
 『僕は、本物じゃないから』


 自白剤の薬効に引きずられるようにして夢現のロロが吐き出した、彼の腹
の底からの本音。その鬱積の根幹をなすものがなんであるのか、ルルーシュ
には解りすぎるほどに解っていた。

 ロロに対して中途半端な関係を続けてしまった自分の煮え切らなさが、彼
の鬱積の最たる要因だ。だが、その根幹には常に、ロロの目から見て『本物』
であるナナリーの存在がある。
 ナナリーとロロとが、自分の中で同じ存在になる事はないと、ロロは自分で
始めから承知していた。互いに別個の人格を持つ存在である以上、それを相
手の耳に心地いい空事で誤魔化しうやむやにしなかった事を、自分は今でも、
ロロと向き合う為に必要な要素であったと思っている。
 お前をナナリーと同じ様には愛せないと―――そう敢えて口にした事が、こ
の先ロロと新たな相関を築いていこうとした、自分自身に対する禊だった。だ
から、その事を今でも自分は後悔してはいない。

 だが……
 自分の内面にばかり目が向いて、一刻も早く、互いの相関を再構築する事
ばかりに囚われすぎて……自分はロロに対し、言葉足らずではなかっただろ
うか。
 ナナリーの代わりになどけして成り得ない、かつて自分の監視者であった『偽
物』の弟。それでも自分と共にあってほしいと願ったあの日の衝動を……それ
こそロロが自分にしてくれたように形振りすら構わずに、自分はロロに、伝えて
いなかった。


 ロロと向き合う際、常に自分が纏っていた年長者としての余裕。それは言い
かえれば、年少のロロに余裕のない自分の姿を見せたくなかった、身勝手な
見栄だ。その『壁』すら取り払うほどに懸命に、素の自分を曝け出して言葉の
限りを尽くさなければ、自分の思いは、結局ロロには届かない。自分がそうさ
せてしまった以上、自ら作り上げた壁は、自分の手で崩すしかなかった。



 「……よし、完食できたな。よく食べた」

 頃合いよく、それまで介助していたロロの食事が終了する。まだ大儀そうに
しているロロを再び寝台に寝かせると、ルルーシュはベッド脇に据えた椅子の
上で居住まいを正し、改めてロロへと向き直った。

 「まだ辛そうな顔をしてる。今日は一日、ゆっくり休め」
 「兄さん、でも……」
 「騎士団の方は心配ない。とくに差し迫った予定もないから、今日一日位は
  オフにして構わないさ」

 本当は―――この部屋の扉を叩く前までは、食事の後ロロを休ませて、自
分はそのまま登校しようと思っていた。自分の中で警鐘を鳴らす悪寒を解消
するためにロロの顔だけ見て、その後のロロとの対話はもう少し自分の中で
気持ちに整理がついてからと、考えていた。
 だが……恐らくそれでは間に合わないのだと、何に対してかも解らずに、こ
の時ルルーシュは新たな懸念を抱いたのだ。


 差し迫った予定がないというのは、あながちロロに対する方便ばかりでもな
い。今日一日、自分が『活動』を控えたところで、後から巻き返せない程の遅
延が発生するとも思えなかった。
 機密情報部員の動きも気になるところだが、彼らが監視を続ける自分がロロ
と終日引きこもっている以上、それ以上の行動には移れないだろう。
 ならば……自分が取るべき優先事項は、この少年との間に生じた溝を、埋
める事だ。


 「今日は、一日ついているから。何も気にせず、ゆっくり休め」
 「兄さん……」


 自分の為に、ルルーシュが今日一日の予定を棒に振った事が面映ゆくも嬉し
かったのか、まだ疲労の色濃いロロの容色に隠しきれなかったのだろう喜色が
浮かぶ。その屈託のなさがルルーシュの呵責を煽ったが、それでもルルーシュ
は続く言葉を躊躇わなかった。


 「……ああ、でも……体が許すようなら少しだけ、お前と話をしてもいいか?」
 「あ、うん。それは、もちろん……」
 「なあ、ロロ……」

 ロロに懸念を覚える時間を与えないため。何より、これ以上本題を引き延ばし
て自分自身に躊躇を許さないため……敢えてロロの言葉の続きを待つことなく、
機先を制したルルーシュが再び口火を切った。


 「……本当は……いや、違うな」
 「兄さん……?」
 「なあロロ。お前、今は……」

 一端口に出した言葉に何事かを考えこみ、それを敢えて引き戻したルルーシュ
の様子に、ロロの表情が怪訝そうなものとなる。
 だが……ロロがその懸念を口にするよりも早く、ルルーシュは、落ち着かなそう
に自分の様子を窺うロロの双眸を、まっすぐに見遣った。
 そして……



 「お前、今は……」

 そして―――切り出すまでにかけられた時間を思えばずっと気安く単調な語調
で、続く問いかけは、なされた。



 「ナナリーの事を……どう思っている?」






                                   TO BE CONTINUED...



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