castling10








 前夜の言葉通り、ロロの容体が完全に落ち着いたという知らせを持って咲世子が
ルルーシュの自室を訪ねたのは、翌日の明け方になってからだった。


 ロロの誠意を無にしない為、咲世子に対する体裁の為、そして、自分自身に対し
て捨てられなかった意地の為に、ルルーシュはあの後まっすぐに戻った自室で軽
食を摂り、最低限の身繕いと寝支度を整えると、すぐに寝台に横になった。
 予想通り眠気は訪れず、明け方近くになって少しの間うとうととしただけで目が覚
めてしまったが、それでも辛抱強く体を休めた甲斐があったのか、報告に訪れた咲
世子の前で憔悴状態を晒す事だけは免れる。そうして聞いた、ロロはもう心配ない
という言葉に安堵の息をつくと、ルルーシュは一晩中ロロの施療にあたってくれた
咲世子に改めて謝辞を述べ、彼女にも休むようにと重ねて促した。

 咲世子の報告によると、ロロの体内から自白剤の薬効は完全に抜けたものの、
やはり一晩中その中毒状態と戦い続けた彼の体は困憊しており、今は深く眠って
いるという事だった。消耗した体力を回復させるためにも滋養はつけさせるべきだろ
うが、今はとにかく体が休息を求めている状態なので、目を覚ますまでは無理に起
こしてまで食事をさせなくてもいいだろう、とも。
 とにかく若い少年の体力は回復も早く、とくにロロのように専門的な訓練を積んで
きた存在であれば尚の事心配はいらないと、ルルーシュを安心させるように最後に
太鼓判を押して、咲世子はルルーシュの自室から辞去する。……と、立ち去り際、
彼女は思い出したように室内のルルーシュを振り返った。


 「ルルーシュ様、今日は通常通りご登校の御予定でしたね。よろしければ、何か
  軽いお食事をご用意いたしますが……」

 いつ目を覚まされてもいいように、ロロ様にも胃に優しいものを何か―――続く言
葉に幾分遠慮がちな響きが感じられたのは、ルルーシュの洗脳がとけた後も、変
わることなくルルーシュが兄弟二人の食事の用意をしてきた事を、彼女が承知して
いるためだろう。それでも尚、敢えて今日に限って名乗りを上げようとしたのは、昨
夜のやり取りの中で、何らかの違和感を彼女がルルーシュに覚えた為か……

 昨夜、ロロを一昼夜休ませてやるようにと告げた折、口に出して彼女が問いかけ
ることはなかったが……恐らく、自分がロロに対してある種の鬱屈を抱いている事
を、彼女は薄々察していたのだろう。
 その上で、出すぎることなく、しかし必要があれば自分が頼みやすいように、さり
げなく水を向けてくれた彼女の気遣いが、疲弊した神経にはありがたかった。水向
けに乗って彼女に任せても任せなくても、不自然な応酬とならずに済む。


 「……ああ、そうだな。それなら……」


 一瞬―――このまま今日一日は、咲世子に後を任せてしまおうかという考えが頭
を過った。



 自分自身、平時に比べれば明らかに疲弊している今、毎日こなしている家事で
あれ、正直キッチンに立つのが億劫だという気持ちがないわけでもなかった。だが、
それとこの逡巡とは別問題だ。
 元々大して食欲もない自分の口に入るものはともかく、一晩消耗戦を強いられた
ロロには、咲世子の言葉通り、滋養のあるものを食べさせてその回復の助けになり
たいと、ルルーシュも思っている。その為の台所仕事なら、少しも苦ではなかった。

 だが……

 
 「通常通り」と予定している登校時間まで、まだ大分余裕がある。キッチンに立って
二人分の朝食を支度するのみならず、それをロロに届けて食べさせるだけの時間は
充分あった。

 無理に起こしてまで食事をさせるよりは睡眠を優先にと、そう咲世子の言葉を借り
れば、支度だけ整えて後は咲世子に任せるというやりようもあるかもしれない。しか
し、それはロロがルルーシュの登校時間近くまで熟睡しているという事が大前提で
あり、後を任せるにしても、ロロの様子の確認すらしないというのはあまりにも不自然
だった。


 そういった機微を、恐らくは全て承知の上で、咲世子はこんな聞き方をしてきたのだ
ろう。どうなさいますかと重ねて問いかけられ……ルルーシュは、続く言葉を選びあぐ
ねた。


 いっそのこと、予定が変わったと言ってすぐに出かけるか。自分の分の食事の用意
も断ってこのまま出かけてしまえば、それはそう不自然な行動ではなかった。
 ロロにしても、施療の一環とはいえ自分とあんな関係になり―――同様のきっかけ
で、ロロの方から互いの相関を変える一歩を踏み出したことも確かにあったが、仕掛け
る側と受け入れる側では、強いられる覚悟も別種のものだろう―――その昨日の今日
で、自分と顔を合わせるのも気まずいはずだ。
 ならば、昨夜咲世子に仄めかしてしまったように、今日一日、ロロと距離を置いてみ
る事は、互いの為にも有効な手立てであるかもしれなかった。

 なにも、ずっとこの問題を先送りにしようとするわけではない。離れるといってもどうせ
今日一日の事だ。今日一日を先送りしたからといって、大勢にもロロとの関係にも、影
響が出るはずもない。
 それよりも、今日はとにかくロロを部屋で休ませ、どこまで事の真相に迫っているか確
証の持てない機密情報局員の目から、彼を隔離させたほうがいい。自分が素知らぬふ
りで「いつも通り」に一日を過ごした方が、連中の追跡をかわしながらその裏をかく勝算
も上がる。


 「ルルーシュ様?」
 「……ああ、いや」


 全ては仮説であり、「かもしれない」という程度の可能性でしかなかった。それでも、い
つまでも煮え切らない自分の態度を嗜めるかのように呼びかけられ、ルルーシュは、己
の中で主張を始めた「可能性」を、自分とロロの未来を守る必須条件だと信じた。
 ―――否。そう、思い込もうとした。


 だが……


 「……そうだな。昨日の事もあるから、今日は生徒会の用事という事でこのまま登校し
  て……」



 だが……これが最良と自ら思い切った手はずでありながら、その言葉を最後まで口に
する事が、ルルーシュにはできなかった。


 「ルルーシュ様?」
 「…っ」



 それは、自分の中にしこる単純な後ろめたさだったのかもしれない。自らの臆病に辟易
した自分自身から発せられた、自責の念がそう感じさせただけであったのかもしれない。
 だが、それでも……


 その「手立て」を最後まで言葉にする事に―――何故か、今自分の生きるこの「世界」
が、全く別種のものに創りかえられてしまうかのような得体のしれない恐怖を……

 前触れもなく唐突に……ルルーシュは、覚えたのだった。






                                       TO BE CONTINUED...



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