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 ロロの帰りが、遅すぎる―――
 
 部屋の時計に視線を流したルルーシュは、その苛立ちを発散させるかのように、その
日何度目かの嘆息を落とした。



 平日の、午後6時半――――薄闇に包まれはじめた辺りの風景は、まだ辛うじて陽光
の残滓を感じさせはしたが、部活動にも参加していない弟が帰ってくる時間は、平時で
あればとうに過ぎている。だが、とうにホームルーム棟を後にしているはずのロロが、自
分達の居住区であるこのクラブハウスに戻ってくる気配はいまだなかった。


 表向きには実の兄弟を名乗って同居しているとは言っても、それぞれが独立した存在
である以上、ルルーシュとしてもロロの行状に必要以上に口を挟むつもりはなかった。
 現在生き別れたままになっている実妹とは異なり、彼は五体共に健常な、それも男子
だ。多少こちらの気にかかろうが、逐一口を出していては、ロロも息が詰まるだろう。

 故に、それが必要と思われる場合を除き、極力ロロへの放任を心がけるようにしては
いたが……連絡もなく家を空けるには、この時間は遅すぎる。割に几帳面な気性をした
彼が、ここまで連絡をよこさなかった前例はこれまでなかった。


 なにより、十分ほど前に思いきって鳴らしたロロの携帯電話が何の反応も返さなかっ
たことも気にかかる。着信に気づいていない可能性ももちろんあったが、暇さえあれば、
癖のように携帯電話と、そこに下げられたストラップ式のロケットをいじっているロロから
追って連絡が入らないというのは、それもまた違和感を感じさせる事態だった。


 気の回し過ぎかもしれないが、自分達兄弟にとって、今のこの学園は、完全に安全が
保障されている場所とは言い難い。僅かな目こぼしが、後々大きな禍根となる危惧を、
常に意識の片隅に残しておかなければならなかった。

 杞憂ですめばそれにこしたことはないのだから、過干渉覚悟で外に探しに行くべきだ
ろうか……そんな考えを打ち消し切れず、それまで所在なく体重を預けていた椅子から、
中途半端に腰を浮かす。



 と、その時―――まるで示し合せでもしたかのように、彼らが居住区として提供して
いるクラブハウスの玄関が重い音を立てた。どうやら、機を揉んでいる間に当の本人が
ようやく帰還したらしい。
 杞憂だったかと苦笑し、ルルーシュが一度は椅子から浮かしかけていた腰を下ろす。
だが、すぐに部屋に顔を出すかと思っていた弟は、予想に反してなかなか居住階まで
上がっては来なかった。

 それは、後から考えれば、気に病むほどの時間ではなかったのかもしれない。しか
し、何故かその時に限って、ロロを待つ僅かな時間が、ひどく冗長に感じられた。

 無視することのできなかった胸騒ぎに駆り立てられるように、部屋の外へと足を運ぶ。
 そして……自分達の居住階へと続く階段の踊り場で、ルルーシュは、床に蹲ったロ
ロの姿を目の当たりにした。




 「…ロロ!」

 弾かれたようにその傍らに駆け寄って、床にくず折れたままの華奢な体を抱き起こす。
抵抗することなくルルーシュの腕の中に収まったロロは目に見える外傷こそなかったも
のの、その血の気の引いた容色は、平時の彼のものとはほど遠かった。

 その体にかかる負荷を危惧しながらも、動揺から思わず揺さぶってしまった腕の中
の体にもう一度呼びかける。すると、それまで半ば意識を飛ばしていたのであろうロロ
が、ぼんやりとその瞼を押し開いた。


 「……に…さ…」
 「ロロ!どうした!?」

 ようやくのことで言葉を絞り出したらしいその唇も、血色の悪さに半ば紫色へと変色
している。とにかく事情の確認よりも、今はロロを部屋に運び込むのが先決だと、ルルー
シュは自分に体重を預けきった体をその腕に抱え上げようとした。
 だが……その手を、相当の困憊状態にあるだろうはずの、ロロ自身が制止する。

 「…に、さん……カメラ…は……」
 「大丈夫だ、ここはカメラに映らない。それより早く部屋へ……」
 「だ、めだよ……部屋には…カメラが…それじゃ…話せな……」
 「ロロ!」


 こんな時に何を余計な気回しを、と、思わず声を荒げたルルーシュを、なおもロロは制
止する。

 自分達の居住区を中心に張り巡らされた監視の手は、この偽りの共同生活を改めて
始めた初期の段階で、既にルルーシュが無効化していた。いまだにカメラや盗聴器の
類を始末していないのは、自分達を監視する機密情報局の、その更に背後にいる舵
取り役に対しての牽制と擬態にすぎず、そこから得られる情報を取捨すべき立場にあ
る監視員達をギアスの拘束下に置いている以上、それらは本来、自分達にとって害を
なす代物ではなくなっている。

 だというのに、執拗に監視カメラを意識するロロの様子が、ルルーシュの懸念を煽っ
た。考えてみれば、立ち上がる事も出来ないこんな状態のロロが、カメラの死角を探し
てここまで階段を上がってきたというのも、不自然な話だった。

 これほどの困憊状態に耐えながら、それでもどうにかしてこの場所まで逃れなけれ
ばならない、何かがあったということなのか――――



 「……何があった?」

 今はひとまず、ロロの意を汲むことだと、その耳元口を近づけて、端的に促す。その
声音に含まれた意図を感じ取ったのか、ロロはホッとしたように大きく息をついた。


 「…兄さん……早く…地下に行って……一人じゃ駄目…咲世子か…誰かと……」
 「ロロ?」
 「…っ…兄さんの、ギアスが……解かれてる…っ」
 「…っ」


 振り絞るようにして紡ぎだされた、震える声音が語った言葉に、虚を突かれたルルー
シュの双眸が大円に見開かれる。そんなルルーシュの腕にしがみつきながら、懸命に
意識を繋ぎとめているのであろうロロは、なおも言葉を続けた。


 「機情の……兄さんが、ギアスをかけたはずの……さっき、顔を合わせたら…二人
  ……ギアスに…かかって、なかった……っ」
 「…どういう、ことだ……?」
 「にい、さんがギアスをかけた…情報員の顔は、全部覚えていたから……だから、
  中にいるの、解ってたけど…普通にさっき、地下に下りて……そしたら…ルルー
  シュの、行動に…異変はないか…って…」

 それは……ロロがそれと察するに誤りようがないほどに、明確な判断材料だった。
 封じられていた記憶を取り戻したルルーシュがまず最初に手を打った、自分達を監
視する機密情報局員達への隠蔽工作。その際に、自分達の言動に関するイレギュ
ラーの全てを見逃せと、ルルーシュは彼らに命じていた。

 以降、完全に飾りと化した機密情報局に、それでも外部向けに籍だけを残させた彼
らが、一人でも、自分の言動を気にかける素振りを見せるはずがない。
 ――――そう。自分のかけた、ギアスそのものが無効化されているのでもなければ。


 これほどの困憊状態で、それでも事態を自分に知らせるために、懸命にここまで戻っ
てきたロロの焦燥を、ルルーシュはようやく得心した。
 自分に体重を預けきって呼吸を荒げている華奢な体を、抱き寄せる腕に我知らず力
がこもる。


 「…解った。咲世子を連れて、地下の様子を探ってみよう。お前はとにかく、部屋で
  休め」

 労わるようにその背を軽く叩き、ロロの体をその腕に抱え上げる。言うべきことを伝
えたロロは今度は抗わなかったが、それでも、抱え上げた胸にその顔を埋めるように
して、彼は小さく、ごめんなさいと呟いた。



 「……ごめん、なさい…兄さん……僕…油断、して……」
 「ロロ…?」

 次第にかそけくなっていく弟の言葉を聞き逃すまいと、その口元に顔を近づけたル
ルーシュに向って、再び、ロロが謝罪する。


 「兄さんの…様子を、聞かれて……咄嗟に…うまく、ごまかせ、なくて……それで
  ……怪しまれて……薬、使われて…」
 「薬?」
 「多分……自白剤……ほかにも、何か打たれたけど……なんだか、朦朧としちゃっ
  て…何を聞かれたか、思いだせないんだ……そんなに重要な、事は、まだ…聞
  かれてなかったとは思うけど……」

 それでも、抗い切れずに答えてしまったものもある、と、言葉を続けながら、ロロは
込み上げてくるものを堪えるかのように、その容色を歪ませた。

 「解らなくて…もう、判断もできなくて……殺して…口…塞ぐしか……」


 ごめんなさい―――繰り返された謝罪と時を同じくして、伏せた瞼を押し上げるよう
溢れ出した滴が、まだ少年の輪郭を残す頬桁を伝い落ちる。
 その謝罪と涙の意味を、それ以上言葉にして聞かなくとも、ルルーシュは過たず理
解した。


 自らの進退に都合の悪い事態とぶつかるたびに、その要因となった存在を屠ること
で簡単に障害を取り除こうとするロロの悪癖を、諫めたのはほかならぬルルーシュ自
身だ。
 簡単に人を殺すなと、折を見ては言葉を重ねてきた自分の言いつけを、反古にして
しまった事を、ロロは涙ながらに詫びていた。


 「ロロ……」

 その体を支える腕に、再び不自然な力がこもる。
 ロロの行為を考えれば、秘密を守るためによくやったとは、言ってやれなかった。そ
れでも……そこにたどり着くまでに味わったのであろうロロの内心の葛藤と、こうして
焦燥に涙を見せるその姿が、互いの相関を築き直したあの当時とは明らかな変化を
見せていることは、確かだった。

 その上で、手を下さざるを得ない状況であった事は想像に難くない。けして気軽く選
んだ処置ではないと解っていればこそ、そんなロロを諫めるには、自らもまたその手を
汚し過ぎている事を肝に銘じているルルーシュには、なにも言うことができなかった。

 理性で固く蓋をした、自身の胸襟のもっとも奥深いところから――――とにかくロロ
が無事に戻れてよかったと、そんな風に主張したがる自分がいる事を、否定できない。


 「……解った。それも含めて、後は何とかする。とにかく、お前はもう休め」


 かすかな嗚咽を漏らすその背中を宥めるように軽く叩きながら、ルルーシュはロロの
体を彼の部屋まで運びこんだ。途中、呼びつけた咲世子に手短に事情を説明しなが
ら、矢継ぎ早に指示を出す。


 クラブハウスに逃げ戻るまで、余程気が張っていたのか、自室の寝台に横たえてや
ると、数を数える間もなくロロは意識を失った。ルルーシュから経緯を聞かされ、また
実際にその様子を見聞した咲世子が、ひとまずはこのまま眠らせて問題ないと診断
する。

 その上で、ロロから聞かされていた地下室の「後始末」に向うのが優先だと理性で
は解っていたが……その決断は、ひどく勇気のいるもののように、今のルルーシュに
は思われた。

 血色の悪い弟の寝顔を眺めやりながら―――痺れを切らした咲世子が控え目にそ
の名を呼んで促すまで、ルルーシュはその場を動くことができなかった。



                                    TO BE CONTINUED...


 




 コードギアスR2の小部屋