forgery 3


 自ら口にした言葉でありながら、それは、いざ舌に乗せてみると予想以上に重い柵と
なってロロの双肩にのしかかった。


 ナナリーの抱える障害の裏に、彼女の実父である先代ブリタニア皇帝による目論見
があったという事を、ルルーシュと共に垣間見たCの世界でロロは知らされていた。
 面識もない少女が背負わされた命運は、それでも他人事として完全に無関心を装え
るほど単純なものではなかった。彼女に対する、負の情動以外の思い入れをもたない
自分がそう感じたほどなのだから、その幼いころから彼女を溺愛してきたルルーシュの
味わわされた衝動は、いかばかりだった事だろう。

 ブリタニア皇帝が自らその手をかけた記憶改竄のギアスに、ギアスキャンセラーの
効果を持つジェレミアの力がどこまで太刀打ちできるかは解らない。それでも、せめて
接触の機会さえあれば、何としてでもナナリーの改竄された記憶を戻してやったのにと、
ルルーシュは一人ごちるかのように重く呟いた。

 ブリタニアの新皇帝を名乗り、ほぼ時を同じくして、思いもかけない形でナナリーの
生存を知らされた刹那、ルルーシュの脳裏をよぎったのは、紛れもなくあのCの世界で
の記憶だろう。だが、相対した少女は既にシュナイゼルの傀儡と化しており、解術どこ
ろか直接の接触を果たす事もできない程に、遠い存在となっていた。

 そのナナリーと、じきにここまでやってくるだろうルルーシュは、敵対する勢力の頭角
に立つ者同士として、初めて直に対面する。
 彼は……今でも、ナナリーの解術を望むだろうか。最後まで敵対する姿勢を彼女が
崩さない時には、自分も皇帝を名乗る者として彼女を討つのだと覚悟を決めたはずの
彼は、自ら封印したはずの情を乗り越えることができるのか。


 再会した実妹とどのような顛末を迎えようとも、それはルルーシュ自身の選択の結果
であり、この一件に関しては部外者にすぎないロロが割って入るべき確執ではなかっ
た。自分はただ、彼の傍らでその選択を見守ることしかできない。

 ただ……このまま己の目を閉ざし、外部から意図的に選りすぐられ不要な脚色を加え
られた情報だけを鵜呑みにする彼女と対峙するには、彼が自らに課した覚悟はあまり
にも不憫で不平等だと思った。
 心底政敵として向き合うというなら、相対する少女にも、全てを見定め見通した上で
この相関を選びとるだけの覚悟が必要だ。それすら受け入れることのできない相手な
ら、ルルーシュの覚悟には、彼がそれほどの思いを擲った意味すらない。

 だから、ナナリーにその覚悟を問いたかった。越権行為と知りながらも、自分は自分
を制しようとしなかった。
 その望みの最たるものを敢えて捨て去ったルルーシュの葛藤を、知ることすらせず
に彼を否定することだけは、どうしても我慢がならない。
 仕掛け人である当のルルーシュ本人が、見返りも救済も望んではいないと承知して
いても。



 「…・…それは…」

 出し抜けに突き付けられた言葉は、仕向けたロロの予想を過たず、ナナリーに衝動
を与えたようだった。

 「それは……どういう、ことですか……?」

 閉ざされた両の瞼が震え、威儀を保とうとしているのだろう問いかけは、それでも押
し殺しきれなかった動揺に、その語尾を掠れさせる。
 少女の味わわされた衝撃を十分に理解しながらも、それこそを目的としたロロは、
続く言葉を躊躇わなかった。


 「君のその目……君が憎んでいる、ギアスの影響で、見えないって思いこまされて
  いるだけなんだって聞いたよ。見ようと思えば、見えるはずだって」
 「……っ」
 「だから、見定めてみなよって言ったんだよ。自分から、兄さんの手を放したんだ。た
  だ守られるんじゃなくて、自分の目で、この世界を見据える覚悟はあるんだろ?」


 この少女の事を、それこそ自身の命よりも優先させるようにして、大切に愛しんでき
た兄の姿を思い出す。
 記号としてのゼロを彼女に否定されたという、それだけの事で自暴自棄に走ったほ
どに、彼はナナリーを溺愛していた。表向きの立場ではいったん決裂を見せたあの
時にナナリーの自立が始まっていたのだと考えれば、そこで彼女の成長を促す形で
繋いだ手を離す事の出来なかったルルーシュにも、今のこの縮図を作り上げてしまっ
た責任の一端はあるのだろう。ギアスによる思い込みの結果とはいえ、その不自由
な目と足で満足な情報も得られなかったのであろう彼女一人を責められないとも思う。

 だが……それならば、彼女は一度でも、ルルーシュと正面から向き合ったことがあっ
たのだろうか。
 まだ自分が監視役としてエリア11に送り込まれてくるそれより以前、ただ二人の
兄妹として寄り添うようにして暮らしていたその時分に……密かにゼロとしての暗躍
を続けていたルルーシュに対する不審の念もあっただろうに、彼女は、一度でもその
ことでルルーシュに意見したことがあったのだろうか。

 そんな生き方をしてほしくはないと。それが自分の為でも、これ以上のその手を罪
に染めないでくれと。

 そこに血の繋がりがあってもなくても、誰かと真っ向から向き合って互いの胸の内
を曝け出す行為には、少なからず苦痛が伴うものだ。できることならそんな痛みを味
わうことなく、それが表向きの安寧と知りながらも、潤滑な人間関係を望めるものなら
そうしたいと、人は思うものだろう。それは一種の処世術であり、波風を立てまいと
するそういった気骨の全てを、人の気弱さから生じた逃げの行為だとは思わない。

 だが……そこにどれほどの衝突が生まれたとしても、口に出さない限り生涯伝わ
ることのない思いというものも、人にはあるのだ。
 敬愛する兄に、一度は本気の殺意さえ向けられたことのある今だからこそわかる。
もうこれで繋がりが断たれたかと思えたほどのあの衝突は、自分達がこの先衒い
なく向き合うためには必要な障壁だった。

 あの衝突を乗り切るために、自分もルルーシュも、それぞれ強いられた代償は大
きい。その上で、同じ痛みを共有し、自ら飲み下したからこそ、自分達は今でもこう
して、兄弟を名乗ることができているのだ。
 それぞれが必要を感じたからこそ、敢えて払った代償だ。その痛みも労苦も、他
の誰かに解ってもらおうとは思わない。

 それでも、互いを理解するために享受したあの痛みを知ることもせず、ひとり安全
な防護壁に守られた場所から兄を非難されることは、どうしても許す事が出来なかっ
た。

 お前はどうなのかと。お前には、あの痛みを背負ってまでルルーシュとぶつかる覚
悟があるのかと。
 血の繋りを免罪符にして、ここまで苦渋の末に残してきた彼の足跡を、色眼鏡を
通して見極めたつもりになった挙句、それを容易く否定してほしくはなかった。



 「……君のその不自由な目は、先天的な障害じゃない。君自身にかけられたギア
  スの力で、見えないと思い込まされているだけだ。君が望めば、その目はちゃん
  と開くはずだ」

 意図して冷淡な語勢を保ちながら、そのまま言葉を繋いだロロの視界に、床に転
がったままだった発射装置の形状の一部が過った。
 庭園の片隅にでも蹴り飛ばしてやろうかと一瞬考えて、しかし、この盲いた少女に
反って対象との距離を知らせるだけだと、思い直す。
 そのまま、彼は居丈高に床上の少女を見下ろした。


 「君が何を思って何を行動しようと、そんなこと僕にはどうでもいい。でも、そのこと
  で君が兄さんを苦しめていることだけは、我慢できないんだ。……覚悟の上で兄
  さんと敵対し続けるって言うなら、好きにすればいい。血の繋がった兄妹だからっ
  て、なんでも無条件に相手を受け入れるべきだなんて、僕も思わないよ。これま
  で君が独り占めしてきた兄さんの愛情を信じられないっていうなら、それだけの
  理由ができたっていうなら、そう言って切り捨てればいい。……でもそれなら、君
  はちゃんと君の目で現実を見て、兄さんと向き合って、その上で答えを出すべきだ」

 だって、君は今本当の意味で、兄さんの事を見てはいないんだから―――続く言
葉に、あからさまな険がこもる。

 「今の君は、周りから与えられた情報を鵜呑みにして、君自身が作り上げたルルー
  シュという人間のイメージに、勝手に幻滅して切り捨てようとしているだけだ。兄
  さんの罪を討つだとか、随分御大層な事を言っていたけど……結局は、それが君
  の本音だろ?」


 何も知らない癖にと、そう詰りたくなる自分を、寸でのところでロロはこらえた。
 自分の言い分が聞き入れられないからと、子供のように駄々をこねるだけなら、自
分がわざわざこの場に足を運んだ意味がない。感情のままに彼女に当たり散らし
てしまえばこの身に抱えた鬱積は晴れるだろうが、それでは自分の言葉は……ひ
いては自分が語ろうとしている兄の思いは、この少女に永久に届かない。


 無条件に与えられる愛情に、衒いなくよりかかれる彼女の無垢さが憎いと思う。
 あれほどの惜しみない思いを、自分に向けられたものと疑いもせずに受け取ること
のできる、無意識下の彼女の自信が、それを構築したであろうその半生が、恨めし
いと思う。だが、自分は自分の中の劣等意識を払拭するために、志願してこのダモ
クレスに踏み入ったわけではなかった。

 それでも、じわりと胸襟に浸透していく追憶の痛みに、喉奥が詰まるような心地に
なる。
 互いを信じられるようになるまで、その背中を預け合えるようになるまで、どれほど
の遠回りを自分とルルーシュは強いられてきたことだろう。自分に向けられた彼の愛
情を、確かに意識できるようになるまでに、どれほどの時間を自分は費やしてきたこ
とだろうか。

 自分にとっての畏怖と嫌悪の象徴であったこの少女に、身の内で限界までに育て
上げてきた殺意を思い出す。冷徹な暗殺者として、障壁となるものはためらいなく排
除し続けてきたかつての自分に、戻りたがる自分の中の衝動を、呼気と共に大きく吐
き出す事で、ロロは宥めた。


 苛立たしげに辺りの空気を震わせた嘆息は、それまでの話題の流れから、侮蔑
の表れであるかのように少女の耳には届いたことだろう。そうして彼女をたきつける
ことは、兄を出し抜いてまでこの庭園に足を運んだ目的の一つでもあったから、わず
か剣呑な雰囲気を増したその場の空気を、ロロは取り繕わなかった。



 「ナナリー……兄さんのギアスを、君は人の意思を無視して一方的に服従させる力
  として憎んでいるようだけど……じゃあ、君は実際に、その「罪」がどういうものか
  知っているの?人伝に聞かされた情報を頭から信じこむんじゃなくて、ちゃんと君
  自身が触れて納得したうえで、兄さんの「罪」を、敵として切り捨てるしかないほど
  救いがたいって思ったの?……その救いがたい力に、陰でずっと守られてきた君
  が」
 「それは……っ」
 「それが与えられた情報や、君自身の先入観からくる断罪なら……僕にも、口を挟
  む権利はあると思うんだけどね」

 一瞬怪訝そうな表情を浮かべた少女を前に、彼女に見えない事を承知の上で、ロ
ロの口角が微苦笑の形に持ちあげられた。



  「……僕も、ギアスユーザーだから」




                                  TO BE CONTINUED...






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