forgery 2





 ようやく対面の機会を得た、複雑な衝動を抱き続けた少女の姿を目前にして、ロロは、
咄嗟に彼女を呼ばわることも、その傍近くにまで足を進めることも、できなかった。


 庭園の床を這い、伸ばした手で何かを掴み取ろうと石床の上を探っている少女の数
歩程先に、彼女の探し物と思しき何かが転がっている。
 ふわりとした外見の少女に合わせたというわけでもないのだろうが、無造作に転が
るそれは、彼女の必死の形相にも現在の戦境にもまるでそぐわない、どこか愛らしさ
さえ感じさせる形状をしていた。平時に、このような場所ではなく目にしたなら、その少
女趣味な外見を一瞥しただけで、ロロはそれに対する一切の興味を失っていただろう。

 だが、ここが空中要塞ダモクレスであり、その全権を担う少女の待機場所である以
上、床に転がるそれを呼び表す名称は、一つしかなかった。
 この要塞が要塞としての機能を維持し続けるための鍵であり、その最たる攻撃手段
であるフレイヤの発射装置……ルルーシュが、スザクが、そしてダモクレスへの突入
部隊がその奪取を最終目的とした、戦局を覆す、それは、双方にとっての切り札だっ
た。


 ここにこれが転がっているという事は、これまで自分達を苦しめてきたフレイヤの弾頭
を打ち続けていたのは、やはりこの盲いた少女だったということか……
 その背後で戦局を操っていた、黒幕の青年が控えていたとはいえ、こうして鍵を託さ
れた彼女のとった行動に、ロロは、我知らずその背筋を冷やしていた。

 その存在が傀儡にすぎなくとも、外界の情報から体よく遠ざけられ、唆された結果だっ
たとしても、フレイヤ発射は紛れもない彼女の意志だ。その手でどれほどの命を奪い取
る結果となるのか承知の上で、彼女はフレイヤを打ち続けたのだ。そう思うと、これまで
面識すらなかったナナリーに対し、さすがはあの兄の実妹だと、良くも悪くも感じ入らず
にはいられない。
 これまで闇雲に抱き続けてきた彼女への嫉妬も厭悪も、訳もわからず気押される自身
を、奮起させることはできなかった。

 そうして言葉もなく、遠巻きに少女の様子をうかがっていた時間は、果してどれ程の
ものであったのか……
 庭園の静寂を破ったのは、その身に背負う障害故に、余人よりも研ぎ澄まされた聴
覚を持った少女の方だった。

 それまで一身に石床の上をいざっていた、少女の面差しがまっすぐにロロへと向けら
れる。


 「……どなたですか?ここは、許可のない者の出入りを禁じた場所のはずです」

 凛と響く誰何の声に、先刻までの取り乱した少女の心許なさはない。それが、兄に
なり替わりブリタニアの帝位を主張しようとする彼女の覚悟の表れだと考えれば、そ
の外見に似つかわしくない居丈高な物言いも、反って好ましいものとしてロロの耳に
届いた。
 だが……それと同時に、相反する感情が身の内で沸き起こる。

 その頼りなげな外見を裏切って、これほどの矜持を示す覚悟があるのなら……何故、
この少女は兄と向き合うことすらしないまま、兄と敵対する道を選んだのか。
 彼女の背後には、ルルーシュの腹違いの兄であるシュナイゼルが控えている。ナ
ナリーの離反は、そのシュナイゼルの画策だろうと、ジェレミアは言っていた。

 ナナリーの傍近くで彼女を守り続けてきた咲世子からの情報を得た推測であれば、
それは真相と的違いの当て推量ではないだろう。彼女の唐突な敵対宣言は、シュナ
イゼルの誘導によってなされたものだ。
 そこに込められたナナリーの真意はどうあれ、彼女の決断が、直接ルルーシュと相
対することなく為されたものであることは確かだった。互いの人生を覆しかねないこれ
ほどの転機に対し、その最たる判断材料となるだろう兄との対面を待たずに彼と袂を
分かった、その軽率さがひどく癇に障る。

 胸襟をざわりと揺らがせたその衝動が、一度は気押されかけた自分の中の弱腰を、
後押しする。
 意図的に数度瞬かされた若紫色の双眸が、次の瞬間、すっと眇められた。



 「……はじめまして、ナナリー」

 その気さえあれば容易く忍ばせることもできる靴音を敢えて響かせながら、床に這
う少女との距離を数歩詰める。警戒も露わに身構える彼女の様子に頓着することなく、
ロロは、手の届く位置にまで近づいたその姿を斜に構えた目線のまま見下ろした。


 「僕はロロ・ランペルージ……ファーストネームで解ったと思うけど、ルルーシュ・ラ
  ンペルージの弟だよ。血の繋がりはないけど、同じランペルージの姓を、彼から
  許された」
 「…っ」
 「同じ姓って言うのは、今じゃ語弊があるかもしれないけどね。兄さんは…皇帝陛
  下は、ブリタニアの姓を名乗られているから」

 名乗りを上げたことで、侵入者の身上に確証が持てたためだろう。閉ざされたまま
の少女の瞼が微かに痙攣し、その眉宇が潜められた。そんな険しさを増した容色を、
少女はまっすぐにロロに向ける。

 「……では…貴方はお兄様側の人間として、ここにいらしたのですね?スザクさん
  と同じように……貴方も、お兄様の補佐をなさっているのですか?お兄様の持つ、
  ギアスの力を承知の上で」

 それならば自分にとっても敵だと、そう言及せんばかりに含むものを感じさせる少女
の語調に、我知らずロロの口角がたわむ。皇族として生まれ持った品格もあって、平
時にはそうそう露出することはないが、こうしていざという時に見せる気性の激しさは、
やはり実の兄妹だけあってよく似ていた。

 だからこそ、自分とよく似た心を持つ存在だと知りながら、そんな兄の姿を、用意さ
れた色眼鏡を通してしか見ようとしない彼女の偏見が気に障る。
 兄の命令に逆らってまで、この投入部隊の一員に志願した自分の底意を……この
時ようやく、はっきりとロロは知覚した。

 「その通り、と言いたいところだけど、ちょっと違うかな。補佐って言っても、僕はあ
  の国で、表向きの権限を何も持っていない。皇弟なんて言うと仰々しい身分に聞
  こえるだろうけど、あくまでランペルージ姓を継ぐものとして、ルルーシュ皇帝の影
  として、あの国の暗部を担うのが僕の役目だ」

 なんて、こんな話を皇族の君にするのは今更か―――言って、ロロが微苦笑する。
だが、曲がりなりにも友好的な声音で紡がれた言葉は、続く呼ばわりを以て、ガラリ
とその語調を変えた。

 「今の僕は裏方専門だから、ここへの突入部隊に加わるのは、本当は御法度なん
  だけどね。―――ナナリー。君にどうしても、一言聞いておきたいことがあって」

 声音に含まれた温度差を感じ取ったのか、少女の閉ざされた瞼がピクリと痙攣す
る。そんな少女の警戒を意に介するでもなく、ロロは殊更ゆっくりと、続く言葉を繋い
だ。


 「君の言う、『やさしい世界』って……何?」
 「…っ」
 「君は、君の望んだ『やさしい世界』を実現させるために、ゼロと…兄さんと敵対して
  でも、エリア11の総督になったんだろ?資料で読んだ内容以外、僕は君のことな
  んて何も知らなかったけど、それでも、目も足も不自由な君が自力で何かを成し遂
  げようとしている姿は、見ていて小気味よかったよ。君の事はどうしても、兄さんを
  間に挟んで見てしまっていたけど……でも兄さんと離れてまで思いを貫こうとした、
  君の強さは嫌いじゃなかった」

 でもね―――一端言葉を切ったロロの双眸が、すっと眇められる。その手を伸ばし
て抱き起こすでもなく、床に倒れたままの少女を見下ろす眼差しには、侮蔑の色さえ
のぞいていた。

 「……ねえナナリー。『やさしい世界』って、何?どんな世界を作れば、それは君に
  とってやさしいって言えるの?ゼロを……今までずっと自分を守ってくれた相手を
  切り捨ててまで、君が目指す世界は君にとって必要なものなの?」

 明らかな揶揄を含んだロロの言葉に、それまで気押されるばかりだったナナリーが
僅かに気色ばむ表情となる。そんな少女の様相を知りながらも、ロロは意図した語調
を改めなかった。

 「君の望む世界に、ゼロはそんなに邪魔な存在?一度は自分も巻き込まれかけた
  フレイヤを、彼に向けて打たなければならないほど、ゼロは、君にとって害をなす
  存在なの?」
 「そ…っ」
 「武力に頼ってでも君を守りたかった兄さんの思いを否定した君が、そんなものに
  頼るんだ?そうやって君の信念を邪魔する存在をみんな否定して強制的に排除
  して、そうやって作り上げていくのが、君の言う「やさしい世界」?……すごい理
  屈だね」

 エリア11の総督に就任した時、ルルーシュに敵対してブリタニアの皇統を引き継
ぐと宣言した時……目も見えず足も不自由な少女が自らに課した決意のほどは、筆
舌には尽くせないものがあったことだろう。それほどに硬い覚悟を、今はじめて顔を
合わせたような他人に揶揄されれば、誰しも平静ではいられないはずだ。
 それを承知の上で、敢えて言葉を選ばなかったロロの思惑通り、陶器を思わせる、
透けるような色合いをした少女の容色が、瞬時に朱の色に染まる。



 「……そんな事を、貴方に言われる謂れは…っ」
 「あるさ。そんな君の事が全てだった兄さんに、僕は一度は殺されかけたんだから」

 激した少女が無遠慮を咎めるよりも早く、機先を制したロロが、その内心を気取ら
せない鉄面皮でにべもなく少女の言葉を切り捨てる。
 思いもかけなかったのであろう言葉に続く非難を奪われたナナリーに向かい、その
閉ざされた目には届かない事を承知の上で、ロロはただ笑って見せた。

 「それくらいの修羅場を、僕も兄さんも、味わってきたってことだよ」
 「…っ」
 「兄さんが皇帝を名乗るようになるまでには、本当に色々な事があったよ。君の為
  にゼロを名乗り、君の為に、一度はゼロを捨てようとして……それからも、言葉に
  できないほどの沢山の思いを背負いながら、兄さんは今の身分にたどり着いたん
  だ。……それは僕が話していいことじゃないから、これ以上は言わないけど。後
  からやってくる兄さんの口から、直接君が聞いてみるといい」

 ただ、と続けられた言葉が、自身の感情を折り合いをつけるかのように一瞬飲み込
まれた。
 口元に浮かぶ笑みはそのままに、しかし少女を見据える双眸は、いっそ冷やかに
凪いでいる。

 「ただ、これだけは言っておくよ。兄さんにとって、君は全てだった。僕では駄目で、
  他の誰でも君の代わりにはなれなくて……そんな兄さんに、その全てだった君
  を切り捨てさせるほどの決意を、君はさせたんだ。それが周りにいいように煽ら
  れただけのただの感傷だったなんて、絶対に言わせない。君には、君の決断に
  最後まで責任を持ってもらう」

 言葉もない少女を前に、ロロは意図を感じさせる動きでその靴音を鳴らし、進み出
ることで相向かう距離を一歩縮めた。


 「その目で見極めなよ」
 「……っ」
 「覚悟があるって言うなら……それでも兄さんと敵対するだけの理由があるって言
  うなら、ちゃんとその目で全てを見定めなよ。自分の選択の結果、世界がどうなっ
  ていくのか、君自身の目で確かめてみなよ」

 これ以上は自分が口を差し挟む範疇ではないと、理性ではそう解っていた。後から
ここにやってくるだろう兄も、自分にこんな役割を望んではいないだろう。
 これでも彼の補佐役だ。彼が公私共に、自分に対して望んでいることなど解ってい
る。良かれと思い先走った、自分の差し出た行為が、往々にして彼の本意に沿わな
い結果を招いてしまうということも。

 だが、それでも……頑なに兄の存在を否定し続ける眼前の少女に対し、彼女の知
りえない、この一年あまりの兄を見続けてきたロロは、続く言葉を呑みこむ事がどうし
てもできなかった。




 「君のその目は……君が望めば、ちゃんと世界を見通す事が出来るんだから」





                                  TO BE CONTINUED...







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