forgery




 ブリタニア皇帝専用の移送機であり、その護衛も同時に兼ねる、移動要塞重アヴァ
ロン。重厚な装甲と、そして皇帝機という用途に恥じない洗練された装飾を施された
その機体は、現在外交目的に赴いたエリア11にて、停滞を余儀なくされていた。


 エリア11における諸勢力との中立地帯、アッシュフォード学園で開催された、神聖
ブリタニア帝国を超合衆国の一員として迎えいれるか否かを裁定する首脳会談。その
議場は、旧皇帝派の筆頭に位置するシュナイゼルの放った一手によって、決議をうや
むやにされたままなし崩し的に閉場した。
 世界に名乗りを上げた、新ブリタニア皇帝への誇示行為と呼ぶにはあまりにも過激
なやり様で、彼は秘密裏に回収させていたフレイヤ弾頭を、ブリタニア帝国の帝都ペ
ンドラゴンに打ち込んだのだ。


 国の中枢部を壊滅状態へと追い込まれたことで、ブリタニアの軍事機能は大幅な
低下を余儀なくされる。元来中立地帯とはいえ、対抗する軍事勢力の肉薄するこの
地で迂闊な動くを取ることもできず、結果として、新皇帝の護衛として追従した新皇
帝軍は本国や世界各地に散らばった残存勢力との連携を待つ間、旧皇帝派勢力の
出方を警戒しながら、制圧したエリア11にて軍勢の立て直しに追われることとなっ
た。

 議場となったアッシュフォード学園には、その裁定の為に各国の首脳陣が一堂に
会している。それを逆手に取り、シュナイゼルや彼が取りこんだ黒の騎士団への牽
制として彼らを人質に取った新皇帝の空軍は、軍の再編成が整うまでの間、これ
見よがしに学園上空での待機を続けていた。
 一個師団に上空を覆われ、異様な緊張に支配されたアッシュフォード学園には、
合流部隊や外部の偵察から帰還した者達が、三々五々集まってくる。
 皇帝を擁する重アヴァロンに隣接し、互いの連結した通路を通して搭乗者をその
内部に送り込んだ軽アヴァロンも、そのうちの一つだった。




 重厚な外装とは打って変わって、実用性を重視しながらも相応の格調を感じさせ
る内装を施された重アヴァロンの通路を、小柄な少年が、幾分足早に通り過ぎてい
く。
 急場を想定してか、身に纏う装いは略式ではあったものの、その独特の意匠が施
された礼服から、彼が神聖ブリタニア帝国の皇統に連なる身分であることが見て取
れる。僅かな配下に周囲を守られながら重アヴァロンへの帰還を果たした少年はそ
の段階で彼らの追従を遠ざけると、単身アヴァロンの深層部へと向かっていた。

 と、目的地へと向かう少年の背後から、控え目な呼びかけの声が掛けられる。

 「皇弟殿下」

 意識が余所事に向けられて聞こえていないのか、その足を止めようとしない少年
の背中に向けて、もう一度同じ呼ばわりがなされた。

 「皇弟殿下」


 そのまま通り過ぎようとしていた細身の体が、二度目の呼びかけにようやく気付い
たかのようにその足を止める。
 遅れて背後を振りかえった、まだ少年の面影を残した容色が、自分を呼びとめた存
在を認めて僅かにその表情を和ませた。


 「……ああ、ジェレミアか。君も戻っていたのか」

 気安く名を呼び捨てられたことに抵抗を見せる素振りもなく、ジェレミアと呼ばれた
長身の男が、回廊の脇に片膝をついて臣下の礼を取る。

 ジェレミア・ゴットバルト……かつて、ルルーシュと敵対する存在として対峙を繰り返
した、ギアス嚮団の教主V.V.の手のものを装い、周囲の耳目を欺きながらルルー
シュに接触してきたブリタニア貴族の青年は、現在、その忠実な僕として、新たに新
皇帝の騎士位を与えられている。
 新ナイトオブラウンズの一員となった彼にとって、攪乱目的とはいえ一度は対立した
こともあるロロは、その直下ではないとはいえ、使えるべき主筋の一人だった。


 まだその耳に慣れない敬称に、どこか面映ゆさをのぞかせた少年に対し、彼はそ
れまでの互いの複雑な相関をちらとでも匂わせることなく、一騎士の顔で再びその首
を垂れた。
 そんな青年の実直さに思わず微苦笑を浮かべたロロの前で、ジェレミアは、平時よ
りも幾分硬い声音で言葉をつなげた。


 「皇帝陛下には、これからお目通りを?」
 「ああ、うん。僕も各地に残した部隊から上がってくる報告にかかりきりだったから、
  まだお目にかかっていないけど…」
 「殿下、陛下へのお目通りの前に、お耳に入れておきたいことが」


 それがどうかしたのかと続けかけた言葉が、その硬さを残したままの声に遮られる。
不敬を詫びるかのようにさらに首を垂れながら、それでも続く言葉を引き下げない、い
つにない青年の様相に、ロロの口角からも、つられるように苦笑が消えた。

 そして……少年の許しを得て顔を上げたジェレミアは、ロロをまっすぐに見上げるなり
唐突にその本題を切り出した。


 「ナナリー様が……皇女殿下が、ご存命であらせられました。……ルルーシュ陛下
  に対し、叛意を示されて」






 神聖ブリタニア帝国―――先代皇帝が排斥され、彼を廃位へと追いやった青年が、
新皇帝として全世界に向け名乗りを上げてから、およそひと月余りの時が経過してい
た。


 国の権力を握っていた旧体制を一掃し、まったく新しい形で徐々にその基盤が固め
られていく、新皇帝府による様々な改革。

 神聖ブリタニア帝国の第九十九代皇帝を名乗ることを決意した後、ルルーシュがま
ず取り組んだのは、新皇帝のもとに新たに構築される皇帝府の組閣だった。



 互いに納得のいくまで時間を費やし、ようやく正面からルルーシュと向き合うことの
かなったスザクの地位は、さほど問題を残すことなく収まるべきところに定まった。
 ナイトオブゼロ……ブリタニアという国を内部から変革する力を求め、その足場とな
る確かな地位を望み続けてきたスザクにとって、皇帝ただ一人がその任命権を持つ、
ナイトオブワンを超える存在である皇帝直属の騎士位は願ってもない保険となるだろ
う。それまで根深く蓄積し続けてきた因縁を完全に払しょくすることは生半なことでは
なく、幾分複雑そうな表情を浮かべながらも、彼は与えられた称号を享受した。

 彼らが表世界から身を隠してからおよそ半月ほどが経過した頃、ようやく連絡が繋
がり合流を果たしたジェレミアを迎え入れ、新皇帝ルルーシュの左右を固める布陣は
完成した。

 後に残されたのが、新皇帝府におけるロロの位置づけをどうするかという問題だった。

 表向きはルルーシュの弟としてその存在を認識されているものの、ルルーシュとロ
ロに血の繋がりはない。また、ギアスの使用がその心肺に負担をかけるという問題を
抱えるロロに、時に激務を強いられる皇帝直属の騎士の任は荷が勝った。
 そもそもロロの生業は情報操作や暗殺といった諜報である。皇帝府という表立った
場所に名を連ねるには不向きだと、ロロ当人を含め、その組閣の場に居合わせた者
の誰もがそう思った。



 そんな自身の立場を誰よりもよく承知しているのはほかならぬロロ自身だ。彼は当
初、これから皇帝として国政に乗り出そうとしているルルーシュの陣営に、表だって
名を連ねようとは思っていなかった。

 だが、そんな配慮から一線退いた場所に身を置こうとしていたロロに対し、ルルー
シュは彼に皇弟の身分を与えたのだ。そして、その代わりのように、彼はロロに、直
接の諜報活動に携わることを禁じた。

 皇帝となったルルーシュを支える近親が、あからさまに血生臭さを感じさせる存在
であってはならない。国政の暗部はある種の必要悪であるとは言え、建前としての
清廉さは必要だった。

 そうして表舞台でその手を汚さない事を言い聞かせたうえで、しかし、ルルーシュ
がロロに託したのは、新皇帝府が陰に抱えることになる諜報組織の統括だった。
 自らの手は汚させず、その実、国の暗部を牛耳らせるというのは、体裁だけを取
り繕ったさもしい采配と周囲の目には映ったかもしれない。それでも、改めてそう命
じられることで、それまで急場に自己判断を迫られることはあっても、基本的に上層
部の命じるままにその手を汚してきたロロは、一転して一切を自己責任で、配下の
手を汚させる立場となった。

 ロロの下す判断の一つ一つが、彼の抱える手の者達の命運を左右する。任に当
たる際、そのつど配下につく形となった上層部の意向によって命運を二転三転させ
られてきたロロの半生を、立場を変えて準えさせるような、それは采配だった。

 公の身分を得て、不用意な暗躍に走ることのないように。自らが組織の暗部に身
を置いてきたその経験から、より効果的な采配を期待し、そして実行の任に当たる
者達をけして無為な駒扱いはしないだろうという希望的見地のもとに。ルルーシュ
はロロに、新たな身分と任を与えた。

 それは、時に成熟しきっていない感情が先走り、暴走を自分に許しそうになるロ
ロへの抑止であると同時に、ルルーシュがロロにかけた期待の表れでもあったの
だろう。

 そんなルルーシュの本意を、これまでのような筆舌に表せない不安に駆られ、
闇雲に疑ってかかるには、今のロロは、ルルーシュという人物を知りすぎている。
それは、文字通り命がけで互いを曝け出しあったルルーシュにしても同様だろう。
 その上で、たってと願うルルーシュの言葉を、ロロは断ることができなかった。


 そして一か月―――ロロは、新皇帝と血の繋がりをもたない皇弟として、新皇帝
府にその名を連ねることとなったのだ。




 思いもかけないジェレミアの言葉に、ロロの双眸が大円に見開かれる。そのまま
息詰まるような沈黙を共有した二人の目線が、言葉よりも明確な緊張を、互いの中
に見出した。


 「……それは…一体どういうことだ?」

 問いかける声が、押し殺しきれなかった動揺に掠れを帯びる。我知らず息を呑み
こみながら、ロロはジェレミアを凝視した。


 トウキョウ租界における決戦で、戦局を打破すべく戦場のただ中に放たれたフレ
イヤの弾頭。その被爆を受けた総督府に残されたナナリーに、万に一つも生き延
びる可能性が残されていたとは到底考えられなかった。
 ましてや、ルルーシュがあれほどに思慕を傾け、一心にその幸甚を願い続けて
きたかの少女が、ルルーシュに対して敵意を示すなど。

 ルルーシュがナナリーと生き別れた後に、偽りの弟としてその懐に入り込んだの
が彼との相関の始まりであったロロに、件の少女との面識はない。監視者時代、
与えられた資料から記録としてのみ仕入れた、その為人についての僅かな知識が
あるだけだ。

 どこまで互いを隔てる壁を壊そうと努力しても、偽りの関係しか築けなかった時
間の苦い記憶。互いの中に根付く要因とは別に、そこには確かにナナリーという、
ルルーシュの実妹である少女の存在が楔となって打ち込まれていたから、彼女
に向けられた自分の感情は、けして好意的なものであるとは言い難かった。

 互いを遠ざけてきた誤解や思い込みが解け、ようやく衒いなくルルーシュと向き
合えるようになった今でも、ロロの中に残るナナリーへの複雑な思いは変わらない。
かつてのような、殺意さえ混じった畏怖の念は払拭されても、それでも、諸手をあ
げて歓待できるほど、彼女に対して抱いてきた感情は単純なものではなかった。

 だが……そんな風に、ある種の色眼鏡をかけた自分の目を通してみても、ナ
ナリーがルルーシュと敵対するという構図が、ロロには俄かには信じられなかっ
た。


 「あのフレイヤから逃れられたとしても……にいさ…皇帝陛下に、彼女が叛意を
  示す理由が、どこにあるんだ?」

 問いかけというよりは、自らに言い聞かせているかのようなどこか呆然とした独
白に、律儀にジェレミアが同意を示す。そしてその上で、彼はここに至るまでの、
彼が知る限りの情報を、開示して見せた。

 「……ナナリー様は、現在、シュナイゼル殿下のもとにいらっしゃるのです。その
  御本心までは解りかねますが、懐柔された状態にある可能性は、十分にある
  かと……」

 そこまで口にすると、ジェレミアは居住まいを正してロロを呼ばわった。

 「殿下……どうか、陛下の許へ。陛下は今、プライベートエリアにいらっしゃい
  ます。私には、お目通りはかないません」

 だから、公私の制約を受けない立場にある貴方が―――言外の訴えを受け、
ロロもまたその背筋を伸ばす。
 忘我の献身をルルーシュに捧げようとするジェレミアの思いは、自分の持つそ
れとなんら変わるものではなかった。その上で、公私の線引きを弁えて自分に
後を託そうとする彼の忠意が、心地よい重みを持ってロロの双肩に負荷をかけ
る。

 ラウンズを超えた権限を与えられたスザクはまた別格にしても、こういった局面
に直面した時、一国の皇帝となったルルーシュの私的な空間にまで、側近くに控
えられる存在はごく僅かだった。その中の一人に自分が加われたという事実だけ
でも、皇弟などという重苦しい身分を拝受した意味があったと思う。

 あくまでも臣としての分を離れることなく、内心抱えているであろう自らへのもど
かしさをおくびにも出さずに自分を促してみせる実直な青年に、ロロはせめてもの
謝意を込めて頷いて見せた。


 「……解った。君はひとまず、咲世子が身を落ちつけられるように手配をしてあげ
  て」
 「御意」


 深く首を垂れたジェレミアをその場に残し、足早に踵を返す。
 促されたルルーシュの資質へと向かう足が急いてしまうのを、身分に相応の立
ち居振る舞いを求められていることを承知しながらも、ロロは留めることができな
かった。



 入室を求めて名乗りを上げた扉は、しかし、来訪者の要求に反して一切の反応
を示さなかった。

 皇帝のみに居住、使用が許される、皇帝専用の私室。そこに出入りするために
近親の者といえども皇帝その人の許可が必要で、その諾意が得られるまでは、ロ
ロも室内に足を踏み入れることはできなかった。

 「陛下、ロロ・ランペルージです。入室のご許可を」

 再三の訴えにも関わらず、室内からは諾とも否とも、言葉は返らない。
 平時であれば、公私の線引きを頑なに守ろうとするルルーシュの意向を尊重し、
ロロも弟の立場に甘えての無理強いは慎んだだろう。ロロにも他への範となるべく
公私のけじめを守らせようとするルルーシュの意向は、彼がロロを身内だと思えば
こそ出てくるものであり、忘我の覚悟でその補佐役を担ったロロが、安易な気持ちで
否やを唱えることはありえなかった。

 だが、今は状況が違う。
 かつて、生き別れていたナナリーとようやく再会を果たしたものの、互いの目指す
方向性の違いから、彼女と政治的立場を違えることになってしまった時、ルルーシュ
は目も当てられない程に消沈した。当時のナナリーはルルーシュがゼロであること
を知らず、決裂と言っても表面上の事にすぎなかったにも拘らずだ。

 そのナナリーが、今度は自らの明確な意思で以て、ルルーシュとの敵対を露わに
しているという。あの当時とは状況も、ルルーシュの背負うものも違うとはいえ、兄が
心に負ったであろう痛手の程が、ロロには気がかりだった。


 「……兄さん、入るよ」

 公の立場を放棄して、この一年あまり彼と共にあった弟としての顔で、あえてそれ
以上の断りを入れず、閉ざされたドアの暗証キーに手をかける。ドアには、外部から
容易く解除することが可能な、簡易ロックしかかけられていなかった。


 プライベートエリアとして外部から隔離された、皇帝ルルーシュの私室は簡易応接
室を兼ねたリビングと、部屋続きの寝室から形成されている。ロロが足を踏み入れた
リビングに目的の人物の姿はなく、室内を一巡したその視線は、ややして寝室へと
続く扉に据えられた。

 ルルーシュが即位を宣言してからひと月余り、皇帝府に移り住んだルルーシュと
ロロは、その生活空間を意図的に隔てていた。居住する棟や階こそ同じでも、二人
が互いの寝室を行き来することはけしてない。それは、階を隔てたそれぞれの私室
に、それでも気安く足を運んでいたアッシュフォード学園のクラブハウスでの生活よ
りも、よほど距離を置いた暮らしぶりだった。

 公私の別を分けるため、そして、兄弟の関係に甘えすぎず、対外への体裁を保つ
ため、二人で納得の上取り決めたその不文律は、それでも、ロロが偽りの兄弟とし
て互いに思う所を秘めながら暮らしていた当初の精神状態であれば、到底耐えられ
るものではなかっただろう。それほどに、かつての彼は、ルルーシュとの「距離」に
こだわっていた。


 そういった過程を経て、今となっては高い敷居を二人の間に築き上げることとなっ
た、それまで一度も足を踏み入れたことのない扉の前で、束の間、ロロは逡巡する。

 こうして生活空間を隔てるのは、新皇帝府の政策が軌道に乗るまでの暫定措置
だった。互いに担った新たな身分に重圧され、それまでの気軽な兄弟としてだけの
関係に逃げ込むことでその足場を見失わないよう、二人で話し合った上でそう決め
た。
 これは互いの関係に甘えた過剰介入ではない、と自らに言い聞かす。自分達の
未来を確たるものとする為に、今ルルーシュを消沈させたままにしておく訳にはい
かないのだ。その上でと背を押してくれた、かの騎士の思いにも添う行為を、ルルー
シュも杓子定規に退けはしないだろう。


 敢えて入室の許可を求めることなく、意を決した様相で、ロロは扉に施されていた
簡易ロックを解除した。


 目的の人物は、すぐに見つけることができた。部屋の中央に置かれた寝台にぼん
やりと腰かけたまま、焦点の合わない視線を虚空へと向けている。
 小さくその間を呼び掛けると、初めて入室者の存在に気づいたかのように、ルルー
シュはその双眸を瞬かせた。

 それまで一切の表情を放棄しているかのようだった整った容色が、身内の気安さ
を思わせる脱力に和む。その気の抜けた無表情のまま、ルルーシュはロロの帰還
をねぎらった。

 「……ああ、戻っていたのか。一日中強行軍を押しつけてすまなかったな」
 「平気だよ。兄さんに言われた通り、ちゃんと工程を割り振って周りを動かすように
  したから。僕は上がってくる報告をまとめて指示を出していただけ。…それより
  兄さん……さっき、ジェレミアと顔を合わせた時に聞いたんだけど……」

 話の本題に直接触れるには思い切りが足りず、言葉尻を暈した相手をうかがうよ
うな語調になってしまう。そんなロロの歯切れの悪い水向けに、向き合った血色の
悪い端正な容貌から、思わずといった風に小さな嘆息が漏れた。

 「……今度はお前か。誰もかれも、入れ替わり立ち替わりよくもまあ…」

 辟易としているというよりは、諦観の色濃く続けられたルルーシュの言葉に、束の
間ロロは相槌を忘れた。

 皇帝の私室への出入りを許されているのはルルーシュの近臣の中でもごくわず
かだった。命がけでルルーシュへの忠義を貫き、ルルーシュからの信任厚いジェレ
ミアでさえも、時期が微妙だという配慮から、このプライベートエリアへの立ち入り
は許されていない。
 残されたのは、ナイトオブゼロとしての権限を有す枢木スザク、ルルーシュと共犯
関係にあるC.C.、後は、微妙な線引きがあるとはいえ、彼の弟である自分くらい
か。
 皇帝の身の回りを整えるメイドの存在も希少数認められたが、彼女らは与えられ
た仕事としてこの部屋に出入りするに過ぎないので、対象として数えるには不適格
だった。

 そのごく限られた対象に、敢えて「誰もかれも」という言い方をするのであれば、
自分がここに来る前にC.C.もスザクも、何らかの形で兄と接触したということなの
だろう。
 基本的に、向けられた情を無碍にすることのないルルーシュだが、この状況で自
分まで慌てて駆けつけたのでは、反って彼に煩わしさを覚えさせてしまったかもし
れない。

 ルルーシュから何らかの意思表示があるまで、性急に彼と接触すべきではなかっ
ただろうか……そう考えて、一端出直そうかと辞去の言葉を選びかけたロロに向か
い、しかし、ルルーシュは彼を遠ざけることなく、気安く言葉をかけた。



 「……そういえば…ナナリーの事で何かあった時には、いつでも傍に、お前がい
  てくれるんだな」
 「兄さん?」
 「落ち込んだり、当たり散らしたり……そのたびに俺を宥めるのは、大変だったろ
  うにな…」

 僅かにその口元を持ち上げたルルーシュの整った容色に、束の間自嘲を思わせ
る色が宿る。自ら並べ上げて見せた当時の感情を追体験しているかのようなその
様相に、ロロもまた、同じ追憶へとその意識を引きずられた。


 ナナリーと繋がれた手が振り解かれたと思い知らされた絶望に、リフレインにす
がってまで望む過去に浸ろうとしたルルーシュの虚ろな姿を思い出す。あのフレイ
ヤの一件でナナリーを失ったと思い込み、その衝動をそのまま自分にぶつけたル
ルーシュの叫びを思い出す。
 それらの追憶に残るナナリーの姿は、ルルーシュにとって、それでも彼を心から
慕ってやまない、彼の記憶に刻まれた在りし日のままの彼女であったはずだ。そ
れでも、足場を分かたれたということに、その存在を失ったかもしれないという畏
怖に、彼は自分自身を失う程に落胆し、激昂した。

 ならば……生きて対面のかなった彼女の口から、明確な敵意を突き付けられた、
今のルルーシュが味わわされた衝動は、如何ばかりなのか。


 「……兄さん」

 かける言葉も見つからず、それでも口先だけで笑うルルーシュをそのままになど
しておけなくて、伸ばした両腕で寝台に腰掛けた体をゆるりと包む。腕の中の体が
抵抗を示さないことに後押しされて、ロロは、ルルーシュを抱き寄せる腕に力を込め
た。

 自分がいるからと……かつて彼に語りかけたように、そんな言葉で以て、彼の焦
燥を宥めることはできなかった。
 ナナリーになり替わろうと必死だったあの頃の気持ちには、もう戻ることはできな
い。ナナリーの身代わりなどではなく、自分自身の存在をを正面から認められ、受
け入れられた今だからこそ、そんな言葉ばかりの慰めがどれほど空虚なものであっ
たのか、ロロにもようやく解るようになった。

 ロロはロロで、ナナリーはナナリーだ。どちらかが残ったからと言って、失われたも
う一方の存在まで肩代わりすることはできない。
 だからこそ、敢えて言葉をかけることなく、ただルルーシュを抱きしめたロロの腕の
中で……ややして、小さな声が、大丈夫だ、と呟いた。


 「ロロ、大丈夫だ……これでこの先の計画を投げだせるほど、今まで犠牲にして
  きた命は軽くない」
 「兄さん……」
 「ナナリー一人を、今更特別扱いはできないんだ……この先ナナリーを切り札に
  したシュナイゼルがどう出てこようと、計画に変更はない」
 「兄さん、でも……」
 「……大丈夫だ」

 言って、それまでされるがままになっていたルルーシュの両腕が、自分を抱きし
める少年の背中へと回される。

 「今すぐには無理でも……俺は、大丈夫だ。少し時間を置けば、立ち直れる。皇
  帝の顔に、ちゃんと戻れる…後、少し時間を置けば……」
 「に…」
 「それまででいい……傍にいてくれ、ロロ。俺が立ち直るまで、お前の力を貸して
  くれ」

 つながれた言葉は、語調こそ微かなものであったが、けして衝動に濡れた響きを
宿してはいなかった。皇帝としての顔を一時的に放棄すると言外に告げながらも、
それでもけして揺らがないその声が、ルルーシュの抱く決意のほどを向き合うロロ
に知らしめる。
 

 「……うん。傍にいるよ」

 その覚悟を後押しするように……ロロは、ただきつく、腕の中の体を抱きしめた。

 「どれだけ時間がかかっても……ちゃんと、ここにいるから……」


 囁くように告げた言葉を契機としたかのように、ロロの背に回された腕にぐっと力が
こもる。それきり何を言い交わすでもなく、二人は互いの体温が互いに伝わるほどの
時間を、そうしてただ寄り添っていた。




 そしてこの時―――
 懸命に自らを立て直そうとするルルーシュの思惟の及ばぬところで、ロロもまた、
ある決断を自身に下していたのだった。





 「いまだ、飛び込め!」


 黒の騎士団、及び超合衆国を抱きこんだシュナイゼルを筆頭とする旧皇帝派と、ル
ルーシュ率いる神聖ブリタニア帝国軍との最終決戦の火蓋が切って落とされた。

 フレイヤの臨界反応を停止させ、その効力を無効化させた皇帝軍の精鋭が、突入
の契機を作り出したルルーシュの後押しを得て空中要塞ダモクレスの内部に特攻す
る。その中には、量産型のナイトメアを駆るロロの姿もあった。
 敢えて指揮官機に搭乗せず、投入部隊の一戦力として参戦したロロは、同行機
の支援に徹しながら要所でギアスの力を解放し、味方の突入経路を切り開いていった。


 話は、ダモクレス突入の前日にまで遡る。
 その様子をうかがいに出向いた、皇帝のプライベートエリアで―――ルルーシュ
が自分を立て直すまでの間、乞われるままにその傍らに控えていたロロは、ルルー
シュが平静を取り戻したと見てとると、最終決戦への参戦を彼に願い出ていた。

 おそらく快諾を得られることはないだろうと覚悟していたロロの予想通り、それま
で縋りつくかのようにその体を抱きしめていたルルーシュが、即座に渋面を見せる。

 『駄目だ。お前を戦場には出さない』
 『体の事ならもう心配ないよ。取り返しがつかなくなるような無茶は絶対にしない。
  僕のギアスはフレイヤには効果がないけど、ダモクレスに突入する時の援護は
  できるでしょ?』
 『ロロ、お前には他に任せた役目があるはずだ』


 戦場でナイトメアを駆り、ギアスの力を解放することでその体にかける負担を承知
しているのみならず、皇弟の身分を与えたロロに後方支援の全権を託そうとしてい
たルルーシュは、頑としてその首を縦には振らなかった。
 だが、皇帝としてのルルーシュの命にこれまで背いたことのなかったロロもまた、
この一件に関しては頑なだった。

 『後方からの支援体制なら、僕が離れても問題がないように引き継ぎを済ませて
  あるんだ。それに指揮官機なんていらない。突入部隊の一戦力として、僕も一
  緒に連れて行って』
 『ロロ…!』
 『作戦が成功したら、兄さんが必要だって言うまでもう戦場には出ない。兄さんの
  望む形で、兄さんの補佐役を努めるよ。約束する』
 『ロロ……』
 『今回一度だけでいい。一兵卒としてでいい。だから……っ』


 ルルーシュが新皇帝を名乗ってからひと月余り、公私の別なくその意向に沿い続
けてきたロロが初めて貫こうとした我の強さに、ルルーシュもまた、感じ入る所があっ
たのだろう。その後、彼は念押しをするかのようにロロを戦線に加えない理由を説明
したが、それでもロロが我を譲らないのを見て取ると、諦めたかのように嘆息した。

 そして……ナイトメアのパイロットとしてもギアスユーザーとしても、その体に致命
的な欠陥を抱えたロロに対するせめてもの保険であるかのように、改めていくつか
の制約を承諾させた上で―――最後にはルルーシュが折れる形で、戦線に復帰す
るというロロの望みは叶えられた。



 ダモクレスの内部に突入し、向かい来る敵ナイトメアの大半を退けると、ルルー
シュ達突入部隊はその最深部を目指して進行を開始した。
 目指す標的、シュナイゼルがこの状況下でとるであろう行動に確信めいた予想を
つけて、追手への対処を同行者達に任せたルルーシュが、ダモクレスの深部に設
計された格納庫を目指す。その動きを契機に、一行は目的別にその戦力を分散さ
せた。

 皇帝ルルーシュが突入の目的を果たしたその後、退路の妨げとなりうる旧皇帝
派の残存兵力を削ぐための掃討作戦へと移行した味方の動きを見計らい、ロロも
また、それまで集結していた一団から離脱する。
 シュナイゼルとの対峙の後、ルルーシュがどこへ向かおうとしているのか過たず
理解していたロロが、後から追ってくるであろう兄の先触れとしてその進路を切り開
いた先に存在したのは、ダモクレスの上層部に設えられた、人工の庭園だった。


 この先に、生まれて初めて、人としての負の感情をロロに抱かせた少女が待っ
ている。
 ナナリー・ヴィ・ブリタニア―――ただの一度として面識を持つことのなかったル
ルーシュの実妹に対して、この一年あまり、ロロが抱いた衝動は、あまりにも苛
烈で救いがなかった。

 嫉妬も、羨望も、畏怖も、殺意も……およそ人に対して向けられる負の衝動の全
てを一身に抱かせた、件の少女への歪んだ執着は、当初その要因となったルルー
シュがロロという存在を無条件に受け入れたことで、ようやく解放の契機を得た。
 黒の騎士団が離反するという憂き目にあい、命からがら逃げ出したあの脱出劇
を経て、腹の底から互いを曝け出しあった今となっては、ロロの中に凝り固まって
いた後ろ暗い思いも、次第にその色合いを薄れさせていったが……

 しがらみから解放された今でも、ナナリーが、ロロにとって好んで向き合いたい
存在ではないことに変わりはない。ルルーシュと出会って以来、ずっと厭悪の対
象であった相手と含む所なく相対する程には、まだロロの中で気持ちの整理がつ
いていなかった。

 だが、それでも敢えてルルーシュに先行して彼女の許を目指したのは、兄の思
いを裏切って彼女を排除するためではけしてなかった。ナナリーの存在を抜きにし
ても、ルルーシュがロロ個人を認めてくれるようになった今、ロロが敢えてナナリー
をその手にかける理由はない。
 だからといって、先行した動機がナナリーに対する好意的なものであるかといえ
ば、それもまた偽りの供述となったが。


 この手で救い出そうと思えるほどに、好意を抱く対象とは結局なり得なかった件
の少女に、ルルーシュを出し抜いてまでなぜ会おうと思ったのか、実のところ、明
確な理由はロロにも解らない。
 殺意を覚えるほどの憎悪からは解放されても、ナナリーに向けられた複雑な思
いの全てが払拭されたわけではなかった。そんな少女と、当のルルーシュが状況
如何では敵として相対する覚悟を固めた以上、本来自分は、この状況になんら手
出しをする必要はないのだ。

 ダモクレスへの突入をサポートした時点で、戦力として最も自分の力が必要とさ
れたであろう戦局は終結している。内部に踏み入った兄が、シュナイゼルやナナ
リーとどのような形で決着をつけるにしても、自分は兄の望んだ通り、後方支援に
徹しながらその帰還を待っていればよかったのだ。

 それでも、そうはできなかったこの衝動を、自分は、自分に何と言い聞かせて鎮
静させればよかったのか……


 それ以上の自問を敢えて続けることなく、ダモクレスの上層部を目指してロロは
機械的に足を運んだ。
 とにかくナナリーに会うのだと、非常時の脱出経路と思しき階段を足早に逆行す
る。そうやってどれほどの時間を、気の急くままに移動に費やした頃だろうか。

 長い螺旋階段を上り詰め、突如開かれたロロの視界一面に―――要塞の内部
に作られたとは俄かには信じがたい規模を有した豪奢な庭園が、その景観の全
貌を顕わにした。
 ここに至るまでの内装とは色彩を一転させた眼前の風景に一瞬気押され、咄嗟
に逸らされた視線が無意識の内に、それまで目に馴染んだものと同種の色合い
を残す庭園の床部分へと流される。
 そして……流した視線の先に、ロロは、半狂乱の態で床を這い、何かを探す素
振りを見せる少女の姿を見咎めた。


 ルルーシュの監視役として、彼の弟役を演じた当初から、およそ一年と数か月
―――与えられた資料でその名と為人を知るのみだった件の少女との、それは、
あまりにも遅すぎた邂逅だった。



                                   TO BE CONTINUED...




 コードギアスR2の小部屋