forgery 9









 空中庭園へと繋がる短い階段の、最後の一段を固い靴音が叩いた。
 同時に、その場に居合わせた誰の口から発されたとも知れない、息を飲みこむよ
うな鋭い呼吸音。

 それきり―――一帯は、束の間の静寂に支配された。


 それは、未だに激しい総力戦を繰り広げている外部の喧騒と比較するには、滑稽
なほどに静観とした……さながら、出来の悪い静止画であるかのような、光景だっ
た。

 この庭園の、最後の来訪者であるルルーシュの視線が、互いの立ち位置から自
然と向き合う形となった、ロロの反射的に見開かれた双眸にまず向けられる。どこ
か仰然とした眼差しが、ややしてもの言いたげな色を宿すのに僅かに目顔で頷くと、
彼はようやく、この庭園の来訪目的である血縁の少女へと、焦れるような速度でそ
の目線を流した。

 よく似た色彩を宿した二対の虹彩が、言葉もなく互いの姿を見据え合う。
 相対した少女の開かれた双眸に、一瞬驚嘆の表情を覗かせたものの、ルルーシュ
は、言葉を発しなかった。臆することなく、兄の視線を真っ直ぐに受け止めて見せた
ナナリーもまた、再会した兄に声をかけなかった。
 互いに無言で見据え合う兄妹の姿に、本来この対峙の部外者である事を自覚し
ているロロもまた、沈黙を守る。

 三様の意図によりもたらされた静寂は、果して、どれほどの時間庭園を支配して
いたのか……


 「……お兄様」

 外界から閉ざされた空間に、再び活動の契機を与えたのは、少女の、静かな呼
ばわりの声だった。



 「……八年ぶりに、お兄様の顔を見ました」

 石床の上に直接座り込み、ルルーシュとの距離を取るにも難儀する不自由な下
肢を抱えながら、それでも、少女は眼前の兄に向きなおり、見苦しさを感じさせない
所作で居住まいを正す。
 そうして、互いの視点の高低差に怯む素振りもなく、敢然とナナリーは言葉を続
けた。

 「それが、人殺しの顔なのですね」
 「ナナリー」
 「おそらく、私も同じ顔をしているのでしょうね」


 直接相対する機会すら、久しく与えられていなかったはずの、兄妹の会話。しか
し、互いの声音は硬く、そこにはいっそ不自然な程に、含むものを感じさせなかっ
た。
 相手に対する思慕も、未練も、純然たる敵意すら……生じてしかるべき、感情の
揺らぎを表す何もかも、そこには存在していなかった。


 相手の真意を探り、交渉の―――あるいは互いの構える「盾」の綻びを突く為の、
反撃の契機を探っているのだと、その対峙を傍観する形となったロロは思い至る。
 不思議なものだと思った。性格も、抱く価値観も、その外見も、さほど似ているとも
思えない兄妹なのに……こうして向き合う姿を見ていると、この二人の意外な相似
を思い知らされる。
 そして、今更のように突きつけられた、彼ら兄妹と自分とを隔てる見えない壁の存
在に、ロロは、場違いな寂寥感を覚えずにはいられなかった。

 ルルーシュとナナリーの対峙に口を挟むことなく、第三者として沈黙を守りつつも
隙なく外界の様子を窺いながら、ロロは、胸襟によぎった自身の未練を、作り上げ
た無表情の下で嘆息と共に飲み込んだ。



 ―――馬鹿な話だ。こんな未練など、それこそ今更だ。
 ナナリーの身代わりとしてルルーシュの懐に潜り込み、その愛情を自分に向ける
事ばかりに躍起になっていたあの頃の自分のままなら、自分は今、ここでこうして
ルルーシュを守るべき立場を勝ち得ていない。
 ここがルルーシュの正念場だ。彼が実妹の少女と真っ向から対峙する、今この時
の為に、自分は難色を示したルルーシュを説き伏せてまでダモクレスの突入部隊
に志願したのだ。

 私心にかかずらわってなどいられない。ルルーシュの、次の一挙手一投足が少し
でも有利に運ぶようにこの現状を動かす事が、今の自分に求められる役割だ。
 この少女を切り捨てるにしろ取り込むにしろ――――ルルーシュの望む展開をこ
ちらに引き寄せる為に、自分は冷静さにおいても、空気の流れを読み取る機敏さ
においても、ナナリーの上を行かなければならなかった。


 三者三様の思惑から、庭園の空気は厭が応にもその緊迫を高めていく。
 そして……そんな張り詰めた空気の中、庭園に到着してから後、微動だに己の立
ち位置を変えなかった最後の来訪者が、眼前の少女に向けて、おもむろに一歩を踏
み出した。
 互いの視点の差を気遣うでもなく、僅かに身を屈める事すらしないまま、彼は相対
する妹の面差しを見下ろし眺めやる。



 「……ロロ」

 だが……再びの沈黙を破り、ルルーシュが呼ばわったのは、眼前の少女の名で
はなかった。

 「ロロ、ここはもういい。先に行って、脱出の準備を整えておいてくれ」
 「兄さん…っ」
 「ここまでの尽力、ご苦労だった」

 唐突な水向けと、それに続く思いもかけない要請に、少女に動揺を気取らせまい
と装ったはずの声が、飲み下しきれなかった動揺に揺らぐ。
 だが、そんなロロの様子に思い至らぬはずもないのに、ルルーシュは、ロロを振り
向く事すらなく、先に行くようにと、淡々と繰り返しただけだった。

 平時に彼が用いるような、身内としての気安い呼びかけではない。それは、絶対
遵守を相手に強いる、ブリタニア皇帝としての勅旨だった。


 「…に…っ」

 こちらを振り向く事もしない、ルルーシュの纏う豪奢な皇帝服の背中を仰ぎ見る。
次いで、ルルーシュの真意を探っているかのように、一瞬だけこちらに視線を流し
てよこした、少女の端正な面差しを。
 最後に、与えられた情報を整理しようとしているかのように、自らの足元に束の間
視線を落とし―――ロロは、再びこちらに向けられたままの兄の背中を見遣った。



 「―――御意」


 感情が欠落したような、乾いた声音で短く応えたのは、同席する少女に対する、
自分のせめてもの意地だった。
 公人としてのルルーシュに対する応えにしても、平時であればまず用いたりしな
いであろう言葉の仰々しさが、反って滑稽だと思う。

 それでも……そうとでも言葉を装わなければ、自分の望んだ姿の自分のまま、こ
の場を後にするだけの気概を、ロロは、自分の中に培えそうもなかった。





 

 要塞としての火力や機密性を重視し、生活面に関しては最低限の建築基準を満
たす程度なのであろうダモクレスの内部に、忙しない靴音が浸透する。

 皇帝軍の突入による激突の末、劣勢を悟ったシュナイゼル派の兵士達は三々五々
に塔内部より脱出を開始しており、突入部隊が敢えて深追いをしなかった事もあり、
ダモクレス深層部は半刻前の喧騒が嘘のように、静寂を取り戻しつつあった。
 塔内部の空気を重く淀ませるような、緊迫感を伴う静けさの中、防音効果の見込
めない壁に反響しては断続的に続く足音は、それだけで聞く者の神経を逆撫でする
かのようだ。
 それは同時に、静寂を乱す足音の主の耳にすら、不愉快な騒音として届いていた。

 ダモクレスの機関部へと繋がる剥き出しの装甲の上を、所在なさげに行きつ戻りつ
しながらどれほどの時間を過ごしていたのか―――自身の鳴らす靴音に己の憤懣
を煽られているような悪循環に、辟易とした嘆息を洩らしながら、ようやくロロはその
足を止めた。


 大きく息をつき、振り向いた先に見えるのは、自分が残してきた兄と「敵」が対峙
する、あの空中庭園へと繋がる通路だ。
 傍から見れば、自分の姿はさぞかし滑稽だろうと思う。あれからけして短くない時
間が過ぎたというのに、未だ自分は、未練たらしく半端な距離を保ったまま、あの庭
園から完全には立ち去れないでいた。

 脱出の準備を整えろと命じられている以上、自分の成すべきことはいくらでもある。
既にこの場を阻む敵が見当たらなくとも、脱出経路の露払いは重要な役目だ。先導
する存在が自分にとって得難い相手であるなら、尚の事、自分は一層の注意を払っ
て、ルルーシュの進む道を整えておかなければならなかった。

 だが……それでも、庭園に残してきたあの二人に、引かれる後ろ髪は如何ともし
がたかった。


 席を外せと命じられた以上、自分がこれ以上、あの場に留まる事は出来なかった。
 あの対峙の場から自分一人が遠ざけられた事が、自分という存在そのものに対す
るルルーシュの拒絶ではない事も、解っている。

 これはルルーシュとナナリー二人の間に生じた確執であり、それを当事者同士で
清算しようとしている以上、自分がそこに、割って入る余地はない。
 この対面がどういった結末を迎えようとも、あの兄妹は互いに納得してそれを受
け入れるのだろう。それ程の覚悟で以て、今二人が相対しているのだという事は、
ロロにも身に沁みて分かっていた。


 妹と二人きり残された庭園で、ナナリーとの相関をルルーシュがどのように帰結
させようとも、自分はルルーシュの選択に従うだろう。彼があの少女を断じようと、
情に負けてその懐に迎え入れようと、自分はきっと冷静に対処できる。ルルーシュ
が望む形での助力を、自分は彼の為に惜しまない。
 だが……

 ナナリーに対する、同情などありはしない。どれほど兄を思っての事だと声をあげ
ようとも、彼女のしでかした「暴走」の代償は、あまりに大きすぎる。だが、その行
き過ぎた、兄に向けられた盲目的なまでの少女の思慕を悋気のままに切り捨てる
には、自分はあまりにも、この少女に深入りし過ぎていた。


 何ももかもが―――堪らないと思う。

 妹を特別扱いはできないと言葉では切り捨てながら、それでもこうして彼女と向
き合う為に護衛も連れず、一人庭園までやってきたルルーシュ。
 自分の存在ごと兄の罪を討つのだと言い放ち、その為の術さえ持ちながらも、兄
と向き合うまではと強硬手段に走らず、この庭園でルルーシュを待ち続けていたナ
ナリー。

 そして、そんな二人の飲み込んだ思いを知りながら、今この瞬間に、部外者として
でさえ、立ち合う事も出来ない自分……


 ……堪らない。互いを思うが故に、共倒れの道を選ぼうとしているあの二人の類似
性が、堪らなく痛い。事情に通じていながら、それでもこんな時にまで同席すら許さ
れない、自分の中途半端な立場が堪らなく辛かった。


 ルルーシュが自分の同席を固辞した以上、この対面でどのような局面を迎えようと
も、彼は自分を含めた、外部の助力を求めていない。それが解るからこそ、席を外し
てくれという兄の言葉に、ロロは逆らえなかった。
 それでも、彼らの対面の妨げにならない場所から、その様子を窺う事までは、自制
する事ができなかった。



 庭園につながる通路への、歩数にすればほんの数歩分の距離を、その日何度目か
の嘆息と共に引き返す。そのまま未練がましく、また埒もない往復運動を繰り返すの
だろうと、ロロは自嘲めいた思いを吐息と共に飲み下そうとした。




 ……と、刹那―――

 「……っ…駄目…っ……これを渡しては……っ」
 「…っ」

 束の間の追想に浸りかけていたロロの耳朶に、少女の短い叫びが飛び込んでく
る。
 弾かれたように、眼前にそびえるの「門」を潜り、庭園の奥へと目を向ければ……
そこには、こちらに背を向けたルルーシュと、そんなルルーシュをねめつけるように
見上げながら、ナナリーが見えない力に懸命に抗っているような姿があった。


 「……にい、さん…」


 ルルーシュへの抵抗を示すかのように、ナナリーが渾身の力で握りしめているのは、
先刻彼女が自ら拾い上げた、フレイヤの起爆装置だ。それを自分に渡すように、ル
ルーシュがギアスの力で彼女に命じたのだろう。


 ……見咎めるべきでは、ないのだと思った。
 ルルーシュが、自身の甘えと共に切り捨てたナナリーに、一度しか通用しないギア
スを使って命じたのは、起爆装置を手放すこと。それは、彼が彼の妹を、この戦局の
表舞台から強制的に退避させようとしているのと同義だった。

 ここでナナリーを戦局から遠ざけることで生じる支障も、ナナリー本人から受けるであ
ろう遺恨も承知の上で、ルルーシュは、彼女を操ろうとしている。それが彼の覚悟の表
れなら、彼の計画に協力を誓った自分に、否やを唱える余地はなかった。
 解っている。解ってはいた。
 だが……


 懸命にルルーシュに抵抗するナナリーの両目に、ギアスに支配された者特有の不
自然な光が宿ったのを見た瞬間……それまで曲がりなりにも傍観に撤していたロロ
の中で、何かが音を立てて弾けた。



 「……っ」



 何事かを考えるよりも先に、踏み出した両足は、視界の奥で鬩ぎ合いを続ける兄
妹の元へと向けられていた。
 矢も盾もたまらず、込み上げる感情のままにギアスの力を開放し、そのまま庭園へ
と続く階段を駆け上がる。

 数秒の後―――時間を停止するギアスの効力から解放された庭園で、互いに向き
合ったまま鬩ぎ合う二人の間を、空を切る鋭い音と共に、金属の照り返しがその軌跡
を描いた。


 「…っ」
 「あ…っ」



 異口同音に上がった短い驚愕の声と共に、今にもナナリーの手からルルーシュへと
差し出されようとしていた、フレイヤの起爆装置が転がり落ちる。
 けして余人の介入を許さない鬩ぎ合いを続けていた兄妹が、それぞれ弾かれたよう
に向き直った視線の先で―――



 石床に座り込んだままのナナリーが、いざという時の支えを求めるかのように背にし
ていた車椅子の背もたれに……ロロの投げ放ったナイフの刃先が、射し込む陽光を
弾きながら、突き刺さっていた。






                                    TO BE CONTINUED...



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