一瞬にして形成を逆転させた少女の牽制の叫びが、静まり返った庭園の空気を震
わせる。
いまだその喧噪の余韻が残る中、僅差で機先を制した少女は、更に後退りロロと
の距離を広げながら、長い間視力を奪われていたとは思えない鋭い目線で以て、対
峙する侵入者をねめつけた。
「……っ」
不意を突かれた自らの不徳に歯噛みしたいような思いで、それでも切り札を手にし
た少女を迂闊に刺激する事も出来ず、その後を追おうとしたロロの足が止まる。
ナナリーの覚悟は、今更再確認するまでもなく、明らかだった。
ルルーシュと……そして、これまで目を背け続けてきた真実と、正面から向き合う
覚悟を自身に課したこの少女は、必要に駆られれば、フレイヤの発射を躊躇わない
だろう。実兄との対面が果たせず、志半ばで潰える結果を招くならば、その命運に彼
と自分を巻き込んだ「心中」すら辞さない心積もりであるはずだ。
自らの背負う罪を自覚し、最後までそれに殉じる覚悟を固めた彼女に、己の手を汚
す躊躇いなど、なんの抑止力にもならない。
だから、ここで、ナナリーに迂闊に手を出して、彼女と心中する訳にはいかない。
こうしている間にもここに向かっているだろうルルーシュを、ここまで来て、自分の勇
み足に巻き込む訳にはいかないのだ。
敢えて彼女を挑発するような言葉を選び、彼女を支配するギアスからの解放に、
助力したも等しい行動をとったのは自分だ。彼女の真意を引き摺り出し、これから
彼女と対峙しようとしているルルーシュの立ちまわりに少しでも後押しが出来れば
という思いと、複雑な禍根を残す彼女に対する、自分なりのけじめを兼ねた行動だっ
た。それはこの突入を成功させる為に、そして自分自身の為に必要な事であった
から、自分は自分の選択を後悔していない。
それでも……否、だからこそ、自分は今直面しているこの現状に、責任を取らね
ばならなかった。
例えフレイヤの再発射を回避する為であれ、今、ナナリーを手にかける事はでき
ない。ここまできたら、ルルーシュには双方無事のままナナリーと相対してもらわ
なければならなかった。
堪らなく、憎いと思う。これ以上会話を重ねる事さえ、疎ましいと思う。
ルルーシュと敵対する道を選んだ彼女の真意をどれほど聞かされようとも、やは
り自分は、ルルーシュを切り捨てたナナリーの事が許せない。
もう二度と煩わされることのないように、この手を下せるものなら楽なのに……周
囲を巻き込んで自爆するには十分すぎる爆弾を抱えているような少女には、おい
それと手を出す事も出来ない。
なんという面倒で、わずらわしい存在だろう。ルルーシュと自分との相関に、今
や何ら影響を与えるものではないのだと解っていながらも、やはり、この少女は
自分の神経を逆なでする。少女には少女の頂く正義と信念があるのだという、そ
んな当たり前の事さえも、冷静に受け止める事が出来ない程に、その存在はロ
ロを苛立たせた。
ルルーシュの監視者として、機密情報局に籍を置いていた当時から、自分はこ
の少女に対し、今思い返しても異様なほどの畏怖と敵劾心を抱いていた。
その存在そのものが、ルルーシュに課せられた封印を解く鍵となる恐れがあり、
また、ルルーシュの記憶が戻ってからは、自分とルルーシュの危うい身内関係を
壊しかねない不安要素であったから……だから、自分はこれほどにナナリーを憎
むのだと思っていた。
だが……本当は、それだけではなかった。
ナナリーに向けられた、自分の負の衝動は、きっと、もっと本能的な警鐘から生
み出されたものだったのだ。
その内に秘めた思いを知らされた今でも、個人的な印象の良し悪しとは別の次
元で、彼女に抱く負の衝動が消えない。きっと、それが答えなのだろう。
この少女は危険だ。その訴える思いに込められた、彼女なりの正義のありようは
理解できても、そのまま世に野放すには、彼女の存在はリスクが高すぎる。
その背後で根回しするシュナイゼルに、いいように担ぎ出されたとはいえ、その
威力を知りながら、ルルーシュに向けてフレイヤを打ち続けたのは彼女の意志だ。
そして、それこそが、彼女とルルーシュとを隔てる、決定的な差異でもある。
ルルーシュを止めたかったという彼女の言葉に、偽りはないのだろう。彼に依存
し続けた自分を、「罪」に手を染めた兄ごと断罪するのだという、その覚悟も。
だが……贖罪の為、全てを擲つ覚悟でブリタニアの帝位を望んだ彼女は、しかし
その実、自分と兄の、二人の事しか見えていなかった。
『討っていいのは、討たれる覚悟のある奴だけだ』
『ナナリー一人を、今更特別扱いはできないんだ……』
世界に反逆し、変革の痛みによって生じる世界からの憎しみを、その身に一手
に引き受けようとしているルルーシュですら、その原理も精製も理解している「頭脳」
を身内に引き入れた後も、ダモクレスに対抗する術としてであれ、フレイヤにはそ
の手を伸ばさなかった。例え自らが「討たれ」ようとも、それはその命ですら贖いき
れない力である事を、彼は知っていたからだ。
もしも、ルルーシュがフレイヤにその手を伸ばす事があるとすれば……それは、互
いの背負った罪ばかりに目を向けて、禁忌の力を暴走させてしまったナナリーごと、
この修羅場の治めどころを残すための最後の手段としてだろう。そしてその手を打っ
た時点で、ルルーシュの命運もまた、自滅の一途をたどるのだ。
―――させられない。そんな風に、自ら覚悟して被る「罪」とは根底の異なる原罪
を贖う為になど、ルルーシュに、その命を諦めさせることなどできなかった。
その為には……
迂闊に手を出せない以上、この少女の事は、生かさず殺さずの状態で手元に軟
禁しておくしかなかった。遠巻きにするあまり手の届く場所から解放してしまったが
最後、妥協を知らない少女の正義が、きっと、自分を震撼とさせたこの危惧を、現
実へと変えてしまう。
迂闊に手出しできないなら、万一に備えて極力手の届く場所に、その自由を制限
した上で飼殺してしまうしかない。抵抗の術を封じ、できうる限りは側にいて監視し、
その上で、どうにも手に余るようなら、「心中」の恐れを払拭できる場所までこらえた
後に、人知れず始末を……
――――その刹那
「……っ」
眼前の少女が、既にその視力を取り戻していることを承知していながらも……自ら
思い至った事実に、ロロは、愕然とせずにはいられなかった。
敵対するには厄介だから、野放しにはできないから、側に留め置いて、飼殺すこと。
いよいよ手に負えなくなった時には、人知れず闇に葬る段取りを、水面下で進めて
おく事。その為に、その存在を、必要以上に世界に露出させないこと。
……それは全て、かつてルルーシュの監視者であった自分に対し、ルルーシュが
穏やかな笑顔の下で、画策してきた事だった。
ルルーシュとの間にあったわだかまりが解け、互いに擬態の必要がなくなった関係
を新たに築き始めた今となっては、黒の騎士団が内部分裂したあの日、ルルーシュ
から叩きつけられた苛烈な拒絶すら、今の自分達にたどり着く為に必要な事だった
のだろうと思える。
それでも……あの日のルルーシュの本心からの叫びを、存在すべてを拒絶された
あの日の痛みを、自分は、忘れた訳ではなかった。
「……そうか…兄さん…」
「……ロロさん?」
「兄さん……ごめん……」
今、自分が眼前の少女に対して抱いているのと同じだけの畏怖や衝動を、きっと、
あの優しい笑顔の下で、ルルーシュはずっと抱え続けていたのだ。
「説得」では自分を変える事が出来ないと、彼がそう覚悟を固めたが故の、それは、
苦肉の懐柔策であったのだろう。
ナナリーと相対することで味わわされた、治めどころのない負の衝動。そんな思い
をルルーシュにもさせていたのかという焦燥を、ロロは、根拠のない杞憂だと、打ち
消す事が出来なかった。
今、ロロが目にしているナナリーの姿。それは、かつてルルーシュが見ていたであ
ろう、彼の監視を目的として弟役に擬態し、有事の際にはその命を奪う事すら想定し
て任務にあたっていた、自分自身の姿だった。そして、彼に籠絡された後は、その存
在が世界の全てであるかのように依存し、彼の事しか見えなくなっていた自分の姿
だった。
自分以外は全てが敵であるかのような、あの追い詰められた世界で……自ら毒を
煽るような覚悟で自分を身内に引き入れていったのだろうルルーシュは、その言動
一つでどうとでも変貌し得た自分の存在を、内心でどれほど持て余してきたのだろう。
共犯者としての、超えてはならない則を犯してしまった自分に向けて―――どれほ
どの思いで以て、彼は、再び互いの関係を築き直す為の差し出し手を、伸ばしてくれ
たのか……
改めて胸に去来する、存在を拒絶された痛みの記憶よりも―――そんな思いを、
自分がルルーシュにさせてきたのだと、我が身を以て思い知らされたその事が……
堪らなく辛いと、ロロは思った。
堪らないと思う。腹の底から、かつての自分の言動をルルーシュに申し訳ないと
思う。
だからこそ……今度こそ、自分は自分の選択に、責任を持たなければならなかっ
た。
これまで、ただ自分らしく生きていきたいというそれだけの望みの為に、多くのもの
を失い諦めしてきたのであろう、ルルーシュにこれ以上の精神的負荷を背負わせた
くはない。
ここに向かっているルルーシュが、最後の最後には、妹への未練に負けて彼女を
手元に留め置く結末を選ぶというなら、それでも構わない。対峙した結果、やはりも
う自分達は同じ道は歩めないのだと、皇帝の顔でナナリーを切り捨てるというなら、
それでもいい。ナナリー絡みの問題に、ルルーシュがどの道を選ぼうと、自分はた
だ彼の選択を受け入れるだけだ。
受け入れられるはずだ。自分はもう、ルルーシュただ一人を自分の世界の全てに
置き換えて、何もかもを彼に依存していた、あの頃の自分ではない。
ただ―――その選択は、やはり、ルルーシュとナナリーが直接相対した上で、彼
ら兄妹が結論付けるべき事だと思った。どちらかがどちらかを、自問の末に自己解
決して結論付けて、一方を身勝手に切り捨てたり、自身の執着を強要したりすれば、
どうしても彼らの間に禍根が残る。そうやって強行した末に迎えた不条理な結末に、
いつか自分を責めるであろうルルーシュを、ロロは見たくなかった。
「……ナナリー」
だからこそ、その為になら、自分は自分の中で膨れ上がり、今にも爆発しかねな
いこの負の衝動を、束の間であれ封じこめておける。
ルルーシュの抱える負荷を少しでも肩代わりできるなら、彼の望む契機をこちらに
引き込む為になら、自分はこれほどの衝動を抑え込み、ナナリーを生かす事ができ
る。ルルーシュとの対峙が叶うように、その対面の場を保つために、自分に様々な
負の感情を湧き起こさせるこの少女の身を、自分は束の間であれ、守る事が出来
るはずだった。
そのためにも……
「……君に、これ以上フレイヤは打たせない」
今にも胸の奥底から溢れだしそうになる、叫びだしたくなるような激情を喉奥へと
飲み下す。自分自身を宥めるように大きく息を吐き出しながら、ロロは、眼前の少
女に向かい合い、グッとその背筋を伸ばした。
「ナナリー……君が一人で作り上げた罪まで、兄さんに背負わせはしない」
「…っ」
「『その目で見極めなよ』……兄さんの生き方も、兄さんの本当の気持ちも、君が
背負ったつもりになっている「罪」の重さも。……君はまだ…本当はまだ、その
目で、何も見定めてはいないんだ」
それまでとは打って変わって、激する風もなく成された、気負いを気取らせない
粛然とした宣言。
ロロの真意を測りあぐねているのか、あるいは反駁の言葉が咄嗟に出てこなかっ
ただけなのか、ナナリーは、ロロを見上げたまま、応えを返さなかった。
互いに向き合い見据え合い、そうしてどれほどの時を、二人して過ごした頃だ
ろうか……
身じろぐ事もせずに見据え合う二人が作り出した、束の間の静寂を―――出し
抜けに、石床を叩く硬質な靴音が破った。
「…っ」
互いの視線に縛り付けられ、互いの存在のみに意識を傾けていたロロとナナリー
が、前触れもなく外部から投げ込まれた刺激に、弾かれたように音のする方向に
向き直る。靴音は、二人が相対しているこの空中庭園の、入り口付近から聞こえ
てきた。
固唾を飲むようにして同じ方向へと視線を集めた二人の動揺が、現状に何ら影
響を与えるはずもなく、靴音は、規則正しい速度で以て、入り口から庭園部分へ
とつなぐ短い階段を踏みしめながら、一歩一歩近づいてくる。
そうして―――
恐らくは、先客である二人が体感したものよりずっと短い時間で以て、来訪者は、
僅かな高低差しか持たない階下から、その姿を露わにした。
白を基調とした、独特の意匠が施された豪奢な帽子が覗く。次いで、帽子から
流れ落ちる艶のある黒髪を僅かに乱しながら、上がる息を整えている、端正な面
差しが。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア――――この庭園で対峙する二人が共に待ち続け
た、待ち人の姿が、そこにはあった。
TO
BE CONTINUED...
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