forgery 7







 激情の名残を思わせる、荒い呼吸の音が、庭園の静寂を不規則に乱す。
 自ら晒してしまった激情の治めどころを探しているかのように、眼前の少女をきつく
ねめつけたまま、ロロは上がる息を何度も飲み込んだ。


 ―――今ほど、この少女を憎いと思った事はなかった。

 ただ盲目的に、ルルーシュの庇護に甘えてばかりいる主体性のない少女であれ
ば、とりあうほどの存在ではないと、自分は彼女を簡単に見限る事が出来たのに。
 その献身的な庇護の手に守られていた己を棚に上げ、非道だ悪だと身勝手にル
ルーシュを罵ってみせるだけの少女であれば、ルルーシュを煩わせる価値なしと、
自分は何のためらいもなく、この少女を断罪する事が出来たのに。


 何故……双方ともに引き返す事が出来なくなったこの局面に来て、彼女は自身の
底意を、こうして明かして見せるのだ……

 ルルーシュに向けられた思慕と、その思いと相殺されることのない、彼に対する糾
弾の声と……相反する思いを抱えながら、それでもけして後悔はしていないと、少
女は毅然とその顔を上げる。
 ルルーシュと歩み寄ろうともせず、彼との間に生まれたわだかまりを解くために自
ら働きかけようとすらせず、ルルーシュとの関係の破綻を自分一人で結論付け、そし
て勝手に諦めてしまったこの少女が……今、心底許せないと、ロロは思った。



 「……兄さんが自分を追い詰めて行くのを、黙っていられなかった?」

 激情に任せて掴み寄せていた少女の華奢な肩から手を離し、ゆらりと上体を起こ
す。その場に座り込んだままの少女を上から見下ろす形になり、ロロは、ややもす
れば感情に任せて振り上げかねない己の両手を、きつく拳の形に握りこんだ。

 「兄さんに疎まれても……兄さんを、自分の手で止めたかった……?」
 「ロロさん……」
 「ふざけるな!だったらもっと早く兄さんの前に出てこいよ!直接話もしないで勝手
  に自己完結して……それで、「したかった」なんて過去形で締めくくるな!」


 心底から疎まれる覚悟など、本当はできてもいないくせに。
 自分がルルーシュに愛されているという自覚が、本当は、今でも心の奥底にある
くせに。
 ルルーシュから心底疎まれるという事がどういう事なのか……その身に沁みる程
に、味わわされた事もないくせに……!


 「今更言うな!今更君が言うな!……本当に必要とされていた時に口を噤んでお
  いて、一度も歩み寄らないで……そんな余地もないほどに兄さんを拒んでおいて
  ……始めから諦めてしまうような真似をしておいて、今更、自分一人だけが罪を
  被ったような顔をするな!!」


 声を限りに眼前の少女を怒鳴りつける側から、自分の中で膨れ上がり爆発しよう
とする激情を留める事が出来ない。込み上げてくる衝動に自身の視野を塞がれてし
まった事を知覚した時には、堰を切って眦から溢れ落ちてくるものを、ロロはもうどう
する事も出来なかった。

 せめてもの意地で懸命に呼吸を整えながら、これ以上の激情を少女に悟られまい
と、抑えた動きで持ち上げた袖口で乱暴に目元を拭う。そうして、眼前の少女に当
てつけているかのような擬態に紛らせて、ロロは、胸襟に蟠っていた負の感情を、
嘆息と共に吐き出した。


 ナナリーに対する、引け目などありはしない。ルルーシュがこの抗争を決意した
時から、自分はきっと、ナナリーにこう言いたいと思っていた。
 それでも……ひどく情けない気分だった。


 自分よりも年下の―――目も足も不自由な、それも、相手の身体的抵抗を封じ、
自分に直接危害を加えることもできないこんな少女に、なんという臆面のなさだろ
う。これではまるで、ルルーシュに愛されたがっていた己を持て余した自分の、外
聞もない八つ当たりのようだ。

 さながら羨望にも似た憤りを彼女にぶつける事は、自分と異なる立ち位置を与え
られてきた彼女と、自分の身上を同列に比べている事と同じだ。
 もう自分はナナリーの代用品などではなく、彼女と異なる存在意義をルルーシュ
から求められているのだと、そう自負できた誇りが、今の自分の拠り所であるはず
だったのに……これでは、まるで自分が、ただ闇雲にルルーシュの愛情を求め続
けたあの頃から、何も変わっていないかのようで……

 ……堪らない。こんな自問を自分に突きつけてくるこの少女が、やはり自分は、
堪らなく憎らしく疎ましかった。
 心身ともに味わわされた多くの痛みと引き換えに、ようやく抜け出せたと思ってい
た、出口の閉ざされた不毛な堂々めぐり。あの頃しがみつき続けていた未練を、やっ
と自分は手放せたのだと思っていたのに……!




 突然に、何かのスイッチが切り替わったかのように豹変したロロの激情をどのよ
うに受けとめたのか……ロロが完全にその口火を収めるまで、ナナリーは無言だっ
た。
 気圧される風もなく、叩きつけられた叫びに煽られた風もなく、告げられた言葉の
意味を自身の中で噛み砕いているかのように、少女の沈黙が続く。
 そして……聴覚で互いの今の立ち位置を推測したのか、ナナリーは、それまで伏
せ気味だった顔をぐっと上げて、自分を見下ろす形となっていたロロの視線を真っ直
ぐに受け止めた。


 「……そうですね。確かに、このような事を私が言うのは今更なのでしょう。血縁
  者でありながらお兄様ときちんと向き合わず、お兄様を追い詰めるような真似を
  してきた私の事を……その間もお兄様を側で守り支え続けてこられた貴方が、
  許せないと思われるのも当然です」

 ですが……そう続けられた少女の言葉には、それまでの沈黙の長さに反して、そ
の重さに臆する響きはなかった。

 「ですが……だからと言って、遅きに過ぎたからといって、このまま真実から目を
  背け続けている訳にはいきません。お兄様の血縁者として、ブリタニアの皇統
  に連なるものとして、私は、私が背負うべき責任を果たさなければ……」
 「…っ」
 「お兄様を愛しています。お兄様のゼロとしての過去を知ろうと、今でも変わらず
  に愛しています。……だからこそ、今更だと誹られようと、私は、この断罪を諦
  める訳にはいかない」


 静かな宣言と共に、それまで庭園の石床に所在なく座り込んでいた少女が居住
まいを正す。そうして、胸の前で組んだ手をきつく握りしめながら、彼女は自らの決
意を表すかのように、閉ざされたままの両の瞼を戦慄かせ、その眉宇を潜めた。

 「ロロさん、貴方は言われましたね。私の眼は、病や心因性の障害で見えない訳
  ではないと。私が望めば、私はこの目で世界を見定められると」

 返答を望んでの水向けでは、恐らくなかったのだろう。対するロロの言葉を待つ事
もなく、ナナリーは、一度深く息を吐き出して続く言葉への間をとることで、己の覚
悟への後押しとしたようだった。

 僅かに寄せられた眉宇に力が入り、つられたように、眉間に刻まれた皺が深くな
る。
 そして……


 「私は望みます。どれほど辛く痛みを伴うものだとしても、私は世界を見定めたい。
  きっとこれまでずっと、お兄様が肩代わりして下さっていた痛みを、私も背負い
  たい」
 「……ナ…っ」
 「お兄様を断罪する者として……お兄様に依存し続けてきた罪を背負う者として
  ……もう、真実から逃げ出す事はできないから……」


 そして―――続く言葉と共に、少女の閉ざされた瞼は、ゆっくりと持ち上げられた。



 「…っ」


 ルルーシュの持つそれよりも幾分色素を薄くしたような、明るい青紫の虹彩。初
めて向き合った、少女の意志の力を帯びた双眸に見据えられ、ロロは、束の間言
葉を失った。
 我知らず、咄嗟に一歩退いてしまった靴先が、それまで別案件としてロロが放置
してしまったフレイヤの発射装置を僅かに弾く。

 想定外の物音に、反射的に引き摺られる二対の視線―――


 「ま…っ」
 「近寄らないで!」


 手を伸ばせば届くような、互いからほぼ等距離を隔てた場所に転がる対象物に、
瞬きほどの僅差で先に反応できたのは……向き合う侵入者にたった今、その身で
以て少なからぬ衝動を味わわせたばかりだった、足の不自由な少女の方だった。


 「…っ」
 「近寄らないで!私にかけられたダモクレスへの「合図」は、まだ生きています!」


 叫びながら、不自由な下肢でいざる様にロロとの距離をとったナナリーの手の中
には―――僅差でロロを出し抜き石床から拾い上げた、フレイヤの発射装置が握ら
れていた。








                                     TO BE CONTINUED...


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