再び庭園に訪れた、息詰まるような静寂の中……ロロは、自分を威圧した少女を呆然と見据え
たまま、その場に縫いとめられたかのように身動きすることが出来なくなった。
その邪気を感じさせない清雅な面立ちを裏切らない、まろやかで物腰の柔らかな語調。それが
実の兄と、自分自身にさえ向けられた断罪の宣誓だとは俄かには信じがたいほどに、その声音
は平時の彼女と寸分違わない、穏やかな揺るぎないものだった。
お兄様をそうさせてしまった原因である私が、今更都合のいい事を、と思われるでしょうね―――
些か自嘲めいた響きを滲ませながら、しかし、その語尾に動揺を思わせる揺らぎはない。
「私の足は、動かない。先程貴方のおっしゃったことが真実だとしても、少なくともこれまでは、
私の眼は世界を見据えることができませんでした。全てをお兄様に守られたそんな世界に
当たり前のように、私は依存してきました。……今更私が何をしたところで、何も変わらな
いのかもしれない。ですがそれでも、自分から何も働きかけず、このままお兄様に守られて
いるだけの存在に甘んじていたくなかった」
言葉を失くしたロロの二の句を求めることなく、澱みない語り口は続く。それは、相対する侵入
者への意志表示というよりは、自らの決意を再確認するための、独白であるかのようだった。
「それが、誰より敬愛するお兄様と敵対し、お兄様を糾弾する行為であったとしても……私は、
守られるばかりではなく対等に向き合える存在として、お兄様の前に立ちたかった。『ナナリ
ーを守るためだから、あれは仕方がない、これも仕方がない』……そんな風に、私を理由に
してお兄様が自分で自分を追い詰めていくのを、これ以上黙っていることはできなかった」
「……っ」
「どれほど理由を並べてみても、世の中には、けして犯してはならない罪があります。どんな
理由のもとになされた行為でも、過ちは過ちなのです。……お兄様は、私を守ってくださった。
私を守る事に固執して、それ以外の生き方を切り捨ててしまわれた……それが私の為で
あったなら尚更、私は私の手で、何としてでもお兄様を止めたかった。その代償に、確実に
罪を重ねていくお兄様の生き方が、耐えられなかった。
……敵対し、お兄様に疎まれることになっても……それだけの力を手に入れ、お兄様をそう
させた、私がお兄様を止めなければならないと思った。……その一心で、私はブリタニアの
帝位を望みました」
―――だから、私はこの断罪を迷いません。
凛然と言い放った少女の姿に、ロロは、その日何度目かの衝動を覚えた。
ルルーシュを、彼を自ら追い立てている自滅の道行きから引き戻すために、彼を断罪すると
ナナリーは言った。それが共倒れの顛末を招くものであっても、彼にこの道行きの第一歩を踏
み出させた自分が、自身の命運を賭してでも彼を正して見せるのだと。
既にブリタニアの帝位についたルルーシュに対抗するためには、その身上が彼の「臣下」で
あってはならない。それでは彼に反逆した叛徒として、頓挫した計画ごとその身を内々に処分
されて終わってしまう。彼の庇護下に置かれた「身内」であっても、たどる結末は同様だろう。
だから、ナナリーはブリタニアの帝位を望んだ。まずはルルーシュと対等の立場に自らを押
し上げるために。世界に名乗りを上げることで、彼の実妹であることを、ルルーシュにもナナリー
自身にも、この対峙の逃げ道として残さないために。
それは、これまでルルーシュの庇護の元命を繋いできたナナリーが彼に向けた、紛れもな
い思慕によるものなのだろう。彼女は、皇帝への道行きを辿るまでのルルーシュの「悪行」に
悲嘆し憤懣したのかもしれないが、ルルーシュその人を、自らの世界から悪の権化として切
り捨てたわけではなかったという事なのか……
『ナナリー一人を、今更特別扱いはできないんだ……この先ナナリーを切り札にしたシュナイ
ゼルがどう出てこようと、計画に変更はない』
ナナリーとの決別に絶望し、それでも皇帝としての自身の立場に殉じようとして、私情との狭
間で苛まれていたルルーシュの慟哭にも似た独白を思い出す。
あの日のルルーシュの苦しみを、同じようにナナリーも抱いてきたのかと思えば、ルルーシュ
一人の徒労に終わなかったのだという事に、ほんの僅か報われた気持ちになる。だが、だか
らこそそれ以上に、こんなやり口を選んだナナリーに対して、筆舌に尽くせない程に憤りを覚え
た。
「……だったら何故…」
抑えようと思う側から、振り絞った声が意気地なく震える。相対した少女の平静を思えば、男
である自分の取り乱しようがひどく情けなく思えたが、形振りに構ってはいられなかった。
「止めたいと思っていたなら……何故……兄さんと直接向き合って、そう口にしなかったんだ、
君は!」
それまで、形ばかりの強迫道具として少女の喉元に突きつけていたナイフを、庭園の床に手
荒く投げつける。その代りのように、込み上げる激情のまま、ロロはナナリーの纏う衣装の肩ぐ
らを掴みよせた。
「エリア11に移住して以来、君はずっと……もう何年もずっと、兄さんと二人きりで生きてきた
んだろう!?『ゼロ』の正体そのものに対して確証がなかったにしても、朝から晩まで同じ家
で寝起きしていたんだ。一緒に暮らしていて、何らかの違和感や疑問は感じていたはずだ!」
「ロロさん…」
「おかしいと思ったなら……それが自分を守るためなんじゃないかって、少しでもそう感じてい
たんなら……だったらどうして、その時点で君は兄さんと向き合わなかったんだ!一度でも、
自分の言葉で兄さんに訴えなかったんだ!!」
どうして見て見ない振りをしたんだ―――!!
腹の底から際限なく湧き上がる、激情の納め所を求めているかのように、続く叫びに悲痛な響
きが宿った。
「自分はそこまで守ってもらわなくても大丈夫だって……だから兄さんはそこまで自分を追い込
んだりしないで、もっと気楽に生きてほしいって……兄さんが守ると決めた、当の君がそう言っ
ていたら…兄さんはもっとずっと早く、この柵から解放されていたはずなのに!!」
「……っ」
「君にならできた!…僕じゃ駄目で……他の誰でも駄目で……だから結局、僕達は自分を追
い詰めていく兄さんをこんな風にしかサポートすることしかできなくて、こんな、もう修正も利
かないところまで兄さんを追いやってしまった!……君にならできた!君にしかできなかった
のに!!」
それは、もはや少女を煽り、望む方向へと誘導しようとする仕掛け人としての言動ではなかった。
この世界で、唯一ルルーシュを変えうる可能性を秘めながら、それを実行しようとはしなかった
ナナリーに対して、形容しがたい負の情動が身の内から湧き上がってくる。同時に、そんな彼女
を責めさいなむ以前に、自分には結局何もできなかったのだという自らの不甲斐なさが、悔悟の
念となってロロの胸襟を焼いた。
今、こうして相対している少女の双眸が、人為的な力によってその機能を奪われたままで良かっ
たと、心底思う。激情のままにまくしたてる語調で、既にこちらの精神状態は筒抜けだろうが、少
なくとも、きっと今にも慟哭しかねないこんな情けない顔を、眼前の少女に晒さずにすむのはあり
がたかった。
ルルーシュとの共同生活が始まってからの二年近く、この少女さえいなければと、何度胸の内
に湧き上がる憤懣を持て余したことだろう。ナナリー・ヴィ・ブリタニアという存在は、ルルーシュと
自分の未来にとって、どこまでも障害にしかなり得ないはずだった。
だが……こうして直接少女と対峙した今、彼女がもっと早くにルルーシュと接触していればと、
そんな風に焦燥めいた思いに駆られている自分がいる。そんな自らの、あまりにも主体性のない
心の揺らぎが、ロロは、自分で自分に許せなかった。
この少女に―――ルルーシュの望む思いを知りながら、敢えて自ら一人で歩くことを選んだ少
女に。共に依存しあう関係に不安を抱きながらも、それでも根本的な解決の術を探ることなく、ル
ルーシュと繋がる手をただ一方的に離した、この少女に。
最後の最後になって……自分は、この少女にすがるしかないのか……
叫びと共に、そのはけ口を求める激情の発露が、少女を睨み据える自らの視野を滲ませる。
ナナリーに対する罵倒も恨み言も、その喉元まで溢れ出さんばかりに込み上げていたというの
に……混濁した自らの思いに喉奥が塞がれてしまったかのようで、ロロには、眼前の少女にそ
れ以上言葉をかけることができなかった。
TO
BE CONTINUED...
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