forgery 5






 それは、ルルーシュが封じられていた記憶を取り戻した当初、その真意を掴みあぐねながら彼
との共同生活を続行したロロがルルーシュに対して常に抱き続けていた、えも言われぬ緊迫感
を彷彿とさせた。

 日毎ルルーシュに傾倒していく自分に歯止めがかからず、しかしそれでいながら、無防備にそ
の懐に入り込む事をどうしても自ら後押しできなかった、目には見えない場所で鬩ぎ合う、筆舌
に尽くせない引力と、それを凌駕する畏怖の念。
 警護の兵もなく、目も見えず歩くこともできない非力で孤独な少女の姿に―――それでも、か
つてルルーシュに抱いた畏敬の念にも似た思いを、ロロは、思い起こされずにはいられなかった。


 緊張に干上がる口腔を湿そうと、無意識の内に息を飲み込んだ喉奥が、思いのほか耳障りな
音を立てる。そんな自らの醜態に内心舌打ちしたい思いだったが、そんなロロの様相を意に介す
るでもなく、ナナリーは、その口元に浮かべた笑みを色濃くした。
 そして―――
 

 「……ロロさん。この手を放してください」
 「……っ」
 「シュナイゼル兄様がこの場を離れられた以上、このダモクレスの全権は私にあります。その指
  揮官に徒なし、みだりにこの場の秩序を乱す事は許しません」

 語調こそ荒だったものではなかったものの、続くナナリーの言葉には、それまでとは色合いを違
えた確固たる意志の強さがうかがえた。
 いっそ居丈高にも聞こえるその物言いにロロは内心カッとなったが、ナイフの刃先を首筋に押し
当てられたままの窮地にありながら、あくまでも自身が優位にあるかのような語勢を改めない少
女の態度に、同時に純粋な疑念も抱く。

 何の勝機があっての言動なのかと、思わずいぶかしんだロロを尻目に、ナナリーは、再びはっき
りと笑って見せた。


 「放さなければ……後悔するのは、貴方のほうですよ」
 「ナナリー?」
 「この場に私が一人残された時点で、ダモクレスの全ての機能は私の生体反応に直結するよう
  プログラムされています。今、この場で貴方が私を傷つけ、そして亡き者としたなら……その
  瞬間に、ダモクレスは制御を失い、自爆します」

 言う事を聞いてくれなければ意地の悪い意趣返しをしてやると、そんなふうに、ささやかな「おね
だり」をしているかのような気安い口調。だが、そのよどみない声音で紡がれる言葉は鮮烈だった。

 「生かさず殺さず、私を捕えておけばダモクレスの制御は守られるとお思いですか?確かに、私
  の生体反応を感知し続ける限り、ダモクレスの誘爆はありません。ですが、貴方が私に害をな
  す毎に、登録された私の生体データとの微妙な差異に、この要塞は逐一反応します。外部と
  の出入り口を遮断し、この高度でも活動に支障のないよう、要塞内部を適正に循環している酸
  素の供給が停止し、外気の影響を受けないように調整された空調も効かなくなります。その一
  つ一つのきっかけとなる「合図」の目安は、私にもわかりません。それでも、ひとつでもそれらが
  発動すれば、貴方方はここに突入した目的を果たせなくなるでしょうね」

 それでも、私を手にかけることができますか?―――続けられた言葉には、明らかな恫喝の響き
があった。






 息詰まるような沈黙を、互いに共有していた時間は、果してどれ程のものだったのか……
 否応なしに釘づけにさせられた、その場を支配した目に見えない圧力の様なものからようやく意
志の力を取り戻し、ロロは、自身の動揺が筒抜けにならないよう、我知らず噛みしめていた奥歯
にグッと力を込めた。

 腹の底で五つ数え、身の内に湧き上がる衝動に意識を傾ける。自分に揺さぶりをかけた眼前
の少女に気取らせない程度の自制を取り戻せたと、自分を客観視できた時点で、ようやくロロは、
それまで守らざるを得なかった沈黙の帳を破った。


 「そう言われて……僕が、なすすべもなく引き下がると思うの?君の言葉が本当だって証拠は
  何一つない。それに、本当だったとしても、ここに来るまでの間に、僕が脱出の手筈を何も残
  してこなかったと思っているなら、君は相当おめでたいよ」

 あくまでも居丈高に、こちらの優勢を欠片も疑ってなどいない語調で、蔑むように言い捨てる。
そうして自ら鼓舞していなければ、少女の醸し出す得体の知れない威圧感に、呑まれてしまい
そうだった。
 だが……

 「この要塞に、他に貴方の気がかりが一切残っていないのなら、貴方は引き下がらないでしょう
  ね。貴方からは、スザクさんと同じ種類の空気を感じます。きっと、専門的な訓練を積んだ軍
  人の経験もあるのでしょう?このダモクレスが崩壊しても、貴方一人なら、自分の身を守りな
  がら脱出することもできるでしょうね」

 口元に浮かべた笑みはそのままに、刃を突き付けられ、命を盾に取られているとは思えないよ
うな穏やかな語調で、少女は淀みなく言葉をつなぐ。その紡ぎだされた言葉は明らかにロロの優
勢を認めるものであったというのに、しかし、少女の語勢には揺るぎがなかった。

 「……ですが、ダモクレスには今、お兄様もいらっしゃる。こちらに向かっているという貴方の言
  葉を信じるにしても、私には今この段階でお兄様の足取りを掴む事はできません。それは、
  貴方もそうでしょう?貴方にも、お兄様が今どちらにいらっしゃるか、把握できてはいないは
  ずです」
 「……っ」
 「貴方一人ならいざ知らず……今どこにいらっしゃるかもわからない、お兄様についてはどうな
  のでしょうね。このダモクレスが崩壊するまでの僅かな時間、「合図」をご存じないお兄様とど
  うやって合流し、そして脱出するつもりですか?」

 ―――お兄様を切り捨ててでも私を殺めることが、貴方にできるのですか?


 言外に続けられた少女の恫喝に、ロロは、我知らず滲み出たものが自らの背筋を濡らしていく
感触を、跳ね上がる鼓動と共に知覚した。

 確かに、この要塞がナナリーの生体反応に直結しているとすれば、ここでナナリーを手にかけ
たが最後、ダモクレスからの脱出は運と、そして時間との戦いになる。ましてや、その常人離れ
した明晰な頭脳はさておき、体力、純粋な戦闘能力において鑑みれば、仮定される急場に直面
したルルーシュにはフォローが必要だった。
 今この場にルルーシュが居合わせているとでもいうならともかく――そうなれば、ナナリーの命
を奪う自分の姿をルルーシュが静観できるとも思えないが―――、事をなした後に彼を探し出し
て合流する時間など残されているはずがない。自分一人なら脱出可能であったとしても、彼をダ
モクレスに残していくなど本末転倒だ。
 ナナリーの命を奪う事は、同時にルルーシュの命をも諦める事を意味する。これは、そういう強
制的な二者択一だった。


 信じられない真似をすると、肝を冷やす思いで、この手中にその命運を握っているはずの少女を
見下ろす。同時に、こんな手立てで自分を脅迫してのける、少女の語る「仕掛け」が真実であると、
ロロは認めざるを得なかった。


 だが……それでも、呑まれてしまう訳にはいかない。この少女は、ルルーシュに公然と敵対を
宣言した、他に類を見ないほどの不穏分子なのだ。

 「……文字通り、君の命そのものを切り札にしている訳か。随分、思い切った真似をするんだね。
  僕が、兄さんの安全よりも君を消し去ることを優先させるかもしれないとは、考えないの?」

 少女が揺さぶりをかけてきたように、こちらも敢えて目的の完遂のみを目指す、非情な暗殺者
の顔を作る。少女に向けた殺意は自分の中で培われた本物の感情であったから、内心の動揺
さえ抑え込めば、演技をして見せる必要さえなかった。

 しかし、無意味な脅しだと言外に一蹴されても、ナナリーの表情に一切の変化は伺えなかった。


 「貴方は、私を殺めることはできません。貴方に、お兄様を切り捨てることはできない。それが
  解っているからこそ、私はこの体と命を、貴方とお兄様に対する有意義な盾として用いるこ
  とができます」
 「……っ」
 「もっとも……仮に私の予想が外れたとして、貴方がためらいなく私を殺めたとしても、それで
  も構いませんでしたが。結果、お兄様が私の命運に巻きまれることになるなら、お兄様の血
  縁として、皇位継承者としての責任は果たす事が出来ますから」

 それまでとは微妙に語調を違えたナナリーの声に、えもいわれぬ凄味が宿る。
 それは、言葉の内に込められた少女の壮絶な覚悟を、窺い知るに十分すぎる布石だった。




 「お兄様の非道を止めること。例え刺し違えてでもお兄様の暗躍を阻止すること。それが、皇
  位を継ぐに当たって私に課せられた責務です。だから、ここで私の命が潰えようと、この責
  を果たせるのであれば、私は構いません」

 公人として世界に名乗りを上げた時点で、その覚悟はありましたから―――いっそ不敵でさ
えある表情を見せてそう言い切りながら、しかし、少女は続く言葉にいくばくかの思案顔も覗か
せた。

 「ですが、戦局がこうなった以上、お兄様と顔も合わせることなくダモクレスごとお兄様と心
  中するのも、未練が残ったでしょう。お兄様に寄せる貴方の思慕の強さが、私の予想に反
  するものではなかったことを、ありがたく思います」

 静かながら力のある語り口は、彼女が非道と一蹴したルルーシュに対しての、ただの揶揄
であるようには思えなかった。彼を敵だ悪だと罵ることを目的に、彼女がルルーシュとの再会
を望んでいる訳ではない事が、紡がれる語勢から伝わってくる。

 床上に座り込み、自分の向けた刃先によって、身動き一つ取れない状態にあるはずの少女
の腹の内が……ロロには、ひどく難解なものであるように思われた。


 「君は……君は結局、どうしたいの?」

 ひどく今更な問答を始めたものだと、冷静な部分の自分が自嘲する。だがそれでも、この少
女の真意を測りあぐねたままこの場に彼女を放置することは、ひどく危険なことだとロロの本
能が警鐘を鳴らしていた。

 「その目で見極めればいいって、確かに僕はそう言った。でも、君は実際に兄さんと向き合
  う事を、兄さんに対する君の判断材料にするつもりが、まったくないように見える。兄さん
  が何を言おうがしようが、君はこの先の行動を変える気がまったくない……そんな風に見
  える。……兄さんをどうあっても「討つ」っていうなら、だったら何故、ここで「心中」すること
  を選ばずに、敵である兄さんと再会することにこだわるの?」

 命惜しさで、僕の手をひかせたとは思えないけど。そう続けると、ナナリーは、どこか満足そ
うにすら見える笑みを浮かべた。


 ギアスという理不尽な力によってブリタニアの皇位を略奪した、ブリタニア皇族の背任者……
そんな色眼鏡を通してルルーシュを見ているのであろうナナリーが、今更ルルーシュと顔を合
わせてみたところで、その認識を覆すとは思えない。この庭園に足を運んだ当初、ロロがナナ
リーに対して抱いた心証は、いまだ変わってはいなかった。
 だからこそ、互いのことしか目に入らなくなっているであろうルルーシュとナナリーの間に、敢
えて別の視点と立ち位置を持てる存在として、自分はこうして事態への介入を図っている。

 シュナイゼルに見捨てられたと知っても、それでもなお、ルルーシュを待とうとするナナリーの
目的は、彼の断罪に他ならないと思っていた。そんなナナリーと敵対する覚悟は持てても、い
ざ命すらやり取りする局面に立たされた時、どうしても不利になるのは、情を捨てきれないであ
ろうルルーシュの方だ。だから、彼が自らの情に飲み込まれてその命を脅かされる事のないよ
う、自分は懐刀というよりは、ルルーシュの盾となるべく、ここにいる。

 だが……ここにきて、ロロには、ナナリーの真意が読めなくなっていた。

 手練の暗殺者として、裏社会を生き抜いてきた自分の本気の殺意に、この少女は今や怯え
の色すら見せない。その肝の据わった様相に、彼女がルルーシュを道ずれにここで命を落とす
覚悟も辞さない心づもりであるのだと、そう思っていたが……

 ―――ルルーシュを、篭絡しようとしている?


 それは、かつて与えられた資料の上でしか知り得なかったこの少女に対し、自分が真っ先に
抱いた心証だった。
 「やさしい世界」を求め、自分を支えてくれる他者への感謝の心を忘れることがなかったという
ナナリー。彼女がそのまま濁世の暗部に揉まれることなく、純粋な理念の相違によってのみ、
こうしてルルーシュと対峙する事になっていたら……彼女は、言葉を尽くして自らの目指す治世
を物語り、進む行程を違えた兄を「説得」しようと努めたのではないだろうか。

 ナナリーがこうして台頭するまでの経緯を伝え聞くにつれ、次第に自分の中で輪郭を変えて
いった少女の心証。ルルーシュとの敵対を宣言し、ついには彼女がフレイヤ弾頭にまで手を伸
ばしたと知った時、絵空事ばかりを追っていたような少女の印象は完全に消え去ったと、そう思っ
ていた。
 だが……一度でも脳裏をよぎってしまったが最後、その可能性は、ロロの中から容易には拭
え去れなかった。

 刃を交えることなく、命をやり取りすることなく、自らの言葉で以て相手の決意を挫くこと。
 もしかしたら……この少女はまだ、ルルーシュとの歩み寄りを諦めてはいないのだろうか。


 よもやの思いに、ロロは束の間逡巡する。
 だが、そんなロロの胸の内を見透かしたかのような少女の応えは、次の刹那、再びロロの
予測を覆した。

 「お兄様と再会したところで、私とお兄様の辿る未来に変化があるとは思えません。それで
  も、顔も合わせないまま最後まで強行する後悔だけは、残さずにすみます」

 けして希望的な憶測を物語っている訳ではないのに、少女の語調は力強く淀みない。
 そして……その語勢を衰えさせることなく、ナナリーは凛然と断言した。


 「「説得」で済ませられるほど、お兄様の重ねた罪は、軽いものではありません」
 「……っ」
 「そしてそれは、そんなお兄様にずっと依存し続けてきた、私にしても同じことです」

 あくまでもルルーシュの存在を悪と言い切る、淡々とした語調に思わずカッとなる。だが、続
けられた少女の言葉は、ロロが想定し得たどれをもなぞらえるものではなかった。


 「お兄様に、これ以上罪を重ねてほしくなかった……それが私の為だと…私が望んだ世界を
  実現するためだと言われても、私は、お兄様の罪を、このまま受け入れる訳にはいかない
  のです」

 ですから、私はお兄様を、そんなお兄様に依存し続けてきた自分ごと、断罪します―――

 突き付けられた刃先に身動きを封じられた不自由な体勢の下、それでも臆することなく顔
を上げて言い放った少女の宣言が……いっそ小気味いいほどの響きを以て、緊迫した庭園の
静寂を打ちすえた。





                                       TO BE CONTINUED...


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