その刹那―――何事かを口にしようとして、そのまま時を止めてしまったかのよう
に表情を凍りつかせてしまった少女の様相が、いっそ滑稽にロロの目には映った。
「……一言でギアスと言ったって、それだけで不可能をなんでも可能にしてしまう
ような、魔法みたいに都合のいい力じゃないんだよ。制約もあるし、リスクだって
ついて回る。ユーザーの能力が追いつかなければ、逆にユーザーを振りまわす
だけの重荷になることだってある。力に飲み込まれて、自滅する恐れだってね。
……兄さんだって、僕だってそうだ。そんなリスクを承知の上で、それでも必要だ
と思ったからこそ、僕らはこの力に手を伸ばした」
こんな講義みたいなこと、言うつもりじゃなかったんだけど―――冗談めかした語調
で続けられた言葉が、相槌の声もない庭園の天井に反響する。口を挟む事も出来ず、
身を固くする少女を一顧だにすることなく、ロロは独白を続けた。
「こんなことを君に説明したからってどうにかなるものでもないけど……とにかく、無
条件に絶対の成功を約束してくれるようなものじゃないってことさ。そういう思い込
みで兄さんのこれまでを都合よく解釈されるのは面白くないからね、要らないような
ことまで言っちゃったけど。……ああ、あとさっき君が言ってた、兄さんの補佐役を
強制されてるって思われているとしたらそれも心外かな。僕は、無理やりに彼に従
わされたことなんて一度もないよ。枢木卿にしても、それは同じだ。事情は、僕とは
違うみたいだけどね」
彼女が外部から吹聴され、諸悪の根源として忌み続けたのであろうギアスの力。
その唯一の使役者として認識したからこそ、人知の及ばない手段に訴えて「暴虐」を
躊躇わないルルーシュに対し、彼女はひたすらに負の情動を育て続けてきたのだろ
うに……その眼前に、面識すら持たない存在が、ギアスユーザーの名乗りを上げて
現れたのだ。
凍りついた容色の下で、彼女はさぞや混乱していることだろう。見えぬ目で、動け
ぬ足で、出し抜けに対面した自分に対し、どう対処すればいいのかと、必死に手立
てを思いめぐらせているはずだ。
ギアスの存在を前面に押し出して、シュナイゼルら旧皇帝派がルルーシュの身柄
を拘束しようと目論んだ際、導入された兵力を考えれば、彼らがギアスという力に対
して抱く警戒の程は窺い知れた。無力な少女にとって、ギアスユーザーはどれほど
の脅威を味わわせる存在として認識されていることだろう。
手に取るように伝わってくる、少女の畏怖と警戒の念が滑稽に思えて、いっそ笑い
出したくなるような思いで、ロロは意図した靴音を、庭園の床に一つ響かせた。
どうせならその衝動を最大限に利用させてもらおうと、敢えて含みをこめた語調で
少女を煽る。
「……で、話は戻るけど。僕の能力は、時間の停止だ。ギアスの発動中、君は一
切の体と心の自由を奪われる。今ここで君の時を止めて、そのまま君を殺してし
まうことなんて簡単だよ。……君が何もわからないうちに、こうして……」
パイロットスーツの隠しから取り出した、折りたたみ式のナイフの刃を空で鳴らす。
敢えてその金属音を押し殺さなかった刃先を、ロロは対面した華奢な少女の首筋へ
と押し当てた。
「…っ!」
「こうして、君の喉元を掻き切ってしまえばいい。君の「死体」を始末して、このまま
ここを抜けだすのだって造作もないことだ。この庭園には監視カメラやマイクの類
は仕掛けてあるんだろうけど、全部遠隔操作で、実際には警備の一人もおかれて
いない。……それ以前に、こうして侵入者と直面しているって言うのに、ここに誰
も駆けつけてこないんだから。ブリタニアの次の皇帝に名乗りを上げた割には、随
分、君の扱いってお粗末なんだね」
敢えて少女を揶揄した通り、この庭園には彼女の身辺を警護する近従の存在が一
切見受けられない。それどころか、ここに向かう道すがら遭遇した兵の数も、その先
に次期皇帝を名乗る貴人を擁しているにしては、あまりにもお粗末すぎた。
彼女は多分、ルルーシュがこの塔に突入した時点で彼を足止めする為の捨て石に
されたのだ。となれば、突入の目的であった旧皇帝派の実質的な筆頭、シュナイゼ
ルは彼女一人をこの場に残し、既に脱出の手立てを整えているということになる。
シュナイゼルに担ぎ出された以上、差し出された帝位が飾り物にすぎないのでは
ないかという危惧は常について回っていたはずだ。
生まれついての貴人というものに、馴染めるほど接触する機会があったのは皇族
としてのルルーシュだけで、そんな彼らの、いわゆる政治上の駆け引きに関して「実
戦経験」が不足しているロロの目にも、容易に見抜ける程にそれはあからさまな力
関係だった。ルルーシュの庇護があったとはいえ、幼いころよりそういった後ろ暗い
世界に育ってきたナナリーが、義兄の底意に気付けなかったはずはない。
「それは……っ」
あからさまな揶揄に一瞬その頬を朱の色に染め、それでも次の瞬間にはグッと唇
を噛みしめて、ナナリーは続く言葉を呑みこんだ。それ以上の動揺を晒すまいとする
自制の様子を見れば、言葉と共に突き付けられた現実が、彼女の予想の範疇内で
あったであろうことは想像に難くない。
それでも敢えて、担ぎ出されるままに政治の表舞台に名乗りを上げた彼女が今
置かれている現状を、憐れむつもりはロロには毛頭なかった。
始めから、覚悟の上の台頭であったはずだ。その程度の覚悟もなくルルーシュを
政敵として遠ざけたというのなら、自分は兄の到着など待たずに、今この場で彼女
の命を絶っていただろう。
敵対を宣言した時点で、彼女とルルーシュの繋がりは断たれたのだ。それだけの
大きな布石を自ら投じておきながら、今更何も知りませんでしたなどと言い訳されて
は、ここまで血を吐く思いで歩みを進めてきたルルーシュがあまりにも不憫だった。
だから、現実から目を背けることは許さない……言外に恫喝して見せることで、ロ
ロは眼前の少女から、あらゆる逃避の手立てを取り上げた。
「もうこの庭園に、君の護衛は現れない。君は、見捨てられたんだ。……惨めだ
ね、ナナリー。担がれるだけ担がれておいて、いざ用なしになったらあっさり手
のひらを返されて置き去りにされるなんて」
撓められた口角に、意図したわけでもない嘲りの色が浮かぶ。後ろ盾を失い、ただ
一人この場に放り出された彼女の姿に、暗殺の道具として使い捨ての存在とみなさ
れてきたかつての自分の孤独が彷彿とさせられるようで……すでに達観したと思っ
ていた彼女への衝動が、後ろ暗い喜びへとすり替わっていくのを、ロロは自覚しない
わけにはいかなかった。
ルルーシュに受け入れられ、自らの確かな居場所を手に入れたと自分に認められ
るようになった時、ナナリーに抱いてきた負の情動の殆どは、自分の中から払拭され
たと思っていた。いざ対面する機会があっても、もうこれまでのように身の内から沸き
起こるような衝動に支配されることはないだろうと思っていた。
その自分の中に、今でもこんなふうに根強く残ったままのしこりの存在が、我なが
ら滑稽でもあり哀れでもある。そうして自分自身へと向けられかけた自嘲めいた思い
を、ロロは敢えてその矛先を挿げ替え、眼前の少女にぶつけた。
「君は結局、兄さんと血の繋がった身内だからって理由で、兄さんへの足止めに使
われたってことだよ。そうやって君を「人質」にしている間にも、君を担ぎ出した連
中はさっさとここから逃げ出しているってわけだ。兄さん一人をそこまで警戒して
こんな手を使う連中も、形振り構わなすぎてみっともないけど……体よくその山車
に使われる君も君だね。その程度の覚悟で、誰より君を守ってくれた人を切り捨
てるなんて」
本当に、このまま君を殺してしまおうか―――言って、少女の首筋に押し当てたナ
イフにわずか力を込める。……と、視野を掠めた光景の違和感に、ロロの口角に浮
かんだ笑みがスッと消えた。
違和感は、文字通り、自分がその手に命運を握っている眼前の少女から発されて
いた。
「……何が、おかしいの?」
吹く風にも煽られそうな、儚げな風貌を持つ少女は、突き付けられたままの刃物の
感触に気押されたように、その容色を青ざめさせている。彼女が、ロロの抑え込んだ
殺意を過たず察知していることは明らかだった。
だが……隠しきれない怯えを見せるその様相とは裏腹に、少女の口元には微かな
笑みが浮かんでいた。
意思表示とみなすには、あまりにも誇示の力に欠ける希薄な表情。それでも、筆舌
に表すには複雑過ぎる思いで彼女と向き合うロロの胸中を波立たせるには、それは
十分すぎた。
怒りと呼べるほどに、はっきりとした起伏を呼び起こす感情ではない。だが、想定外
のその表情が自覚できる程に不快だと、ロロは思った。
そんなロロの胸中を知ってか知らずか、ナナリーは、ただ密やかに笑んでいた。
「……そう、ですか。シュナイゼルお兄様が……」
「ナナリー?」
少女の口元に刻まれた、笑みの色が深みを増す。そうして何かの確信を得たかの
ように、堂に入った様相で笑ってみせる少女の姿は、血の繋がりがあるとはいえ不
思議なほどに、彼女の実兄であるルルーシュを彷彿とさせた。
ここで自分が呑まれてどうするのだと、一瞬でも気押されかけた自らを叱咤する。
それでも、一端少女に抱いてしまった得体の知れなさのようなものは、拭い去ること
ができなかった。
そして―――この一年半あまりを、ナナリーと入れ替わるような形でルルーシュの
傍近くで過ごしてきた、ロロを思わずたじろがせるほどに彼を彷彿とさせる表情で、少
女は言葉を続けた。
「それなら……これで、もう…どこへも気負いはいらない……」
『条件は全てクリアした』
自らの想定通りに事が進んだ時に、いささか気取った語調でそんな風に言い置い
てみせる、兄の「口癖」が彼女の呟きに重なって耳朶を打ったような心地になる。
今更のように突きつけられた彼女とルルーシュとの相似が、ひどく腹立たしく、そし
て背筋を冷やすほどに底知れないと……この時、ロロは思った。
TO
BE CONTINUED...
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