咳音さえ憚られるような、静寂が辺りの空気を支配した。
今は主を乗せていない車椅子の背もたれに、突き刺さったナイフの刀身。射し込
む陽光を反射させる眩しさに僅か目を細めながら、無意識のうちに、それが飛来し
たであろう軌跡を目線が追った。
どこか不自然さを感じさせる所作で、強張った容色のままルルーシュが背後を
振り返る。
そこに立つ少年と相向かう形となり……彼は、あり得ないものを見たかのように
その双眸を見開いた。
「ロロ……」
信じられない、理解できない、何故お前が―――
その容色が物語る驚愕と不審の思いが、口角を戦慄かせる。だが、ルルーシュ
が何事かを口にする前に、ロロが言葉を返す前に……束の間の沈黙に支配され
た空中庭園に、微かな衣擦れの音が浸透した。
咄嗟に物音のする方に向き直ったのは、ほぼ同時だっただろう。その二人の視
線の先で、物音の正体を物語る今一人の存在が、いざる様にして石床を這ってい
た。
ルルーシュに向けて、今にも差し出されようとしていたフレイヤの起爆スイッチは、
ロロの邪魔立てによってナナリーの手から大きく弾き飛ばされ、庭園の硬い石床
の上に転がり落ちていた。何度も弾み、相応の距離を転がって行ったそれを、ナナ
リーは不自由な足で何とか拾い戻そうとしている。
受けた命令を遂行するまで、中座した時間に関係なくギアスの効力は継続する、
という事なのだろう。光を取り戻したばかりのナナリーの双眸は、未だにギアスに
よる支配の色に染まっていた。
「…っ」
けして迅速とは言えない動きで、それでも懸命に目的のものを目指す少女の後
を、反射的に踵を返した勢いで一歩追いかける。だが、その一瞬後には、思い直し
たように、ルルーシュは再びロロへと向き直った。
「……ロロ。何故だ?」
「……っ」
「何故お前が……」
何故邪魔をすると、そんな風には言葉を繋げられなかったのだろう。適当な言
葉を探すかのように口火を切り、束の間その視線を彷徨わせ……ルルーシュは、
結局続く言葉を見つけられずに、もう一度何故だと繰り返した。
「あ……」
「……もっと以前のお前なら…想像、出来なくもない。……だが…今のお前は、
違うだろう…?」
「…っ」
「今なら……俺を丸ごと受け入れてくれた今のお前なら、お前自身の気持ちだけ
で、こうして割って入ったりはしないだろう?……どうしてだ…?」
例え、その先には光明を見いだせないと、承知している道行きであっても。望ん
だ形の未来へと、繋がる事のない道程であっても。
最後まで共にあると、その終焉までこの足跡を見届けると、そう誓って、同胞とし
て事態の中核に居残る事を望んだ、そのお前が。
―――何故、今になってこんな真似をする?
お前をそうまでさせる何が、このダモクレスにあった―――?
言葉を重ねて問いかけるルルーシュの語勢に、ロロに対する憤りも失望も、込めら
れてはいなかった。
私情の全てを喉奥に飲み込み、その上で、ただ真相を聞き逃すまいとしているかの
ような、静かな疑念の声。
聞くものを威圧することのないその声は、しかしそれだけに、ロロに思考を停止させ
るという逃げを許さなかった。
「……兄さん…」
その内面では今この時も様々な感情を持て余しているのだろうに、自分と向き合う為
に、それらの全てを平静の仮面の下に押し隠したルルーシュの整った容色を改めて見
上げる。
そんな風に、自分に対する信頼を体現しようとする彼の思いが、素直に嬉しいと感じる
には複雑な心境を、ロロは味わわされていた。
『今のお前なら……』
そう語った彼の方こそ、出会った当初から随分変わったと、ロロは思う。
自分の前で、ルルーシュが心底からの思いを隠さなくなったのは、彼との関係が完全
に破綻したと思われた、あの衝突の日からだった。それまでの彼は、自分が彼に対し
てそうであったように、良くも悪くも、含むところを抱え過ぎていた。
だから、いわば現在ルルーシュから向けられる信頼は、あの衝突があってこそ成り立っ
ている。それはきっと互いに身に沁みるほどに、解っていた事だったが……
それまで、自分にとっての理想の長兄像を演じてきたのであろうルルーシュが、その
仮面を捨て去った瞬間の衝動は、けして忘れることはできなかった。それが自分達の相
関を再構築する為に必要な通過点だったのだと頭では理解できていても、もう二度と受
け止めたくはない痛みと衝動だった。
それはきっと、ルルーシュにとっても同様だろう。あの日以来、彼は理想を取り繕うため
の擬態をやめて、それを自分に対する信頼の証憑としている。
あの日の痛みを二度と味わいたくないという本音は、自分にもルルーシュにも共通する
ものだ。
あの破綻の瞬間を、再び迎えたくはないという互いの本音。それはきっと、自分以上に鮮
烈に、ルルーシュの中にある種の禁忌を作り上げたに違いなかった。
互いを原因としてたどり着いた結末であっても、それを自ら引き寄せ選択した側に、一層
の負荷がかかるのは致し方のない事だろう。もう二度と互いの相関を見誤るまいとするルルー
シュの重圧は、きっとロロの想像の及ぶ範囲を超えているはずだ。
だからこそ……その重圧に耐えてまで、彼が示してくれた誠意と信頼に、自分も答えなけ
ればならないと思う。言葉にすることなくただ一人飲み込み続けてきたのであろう兄の深慮
に対し、それがどれほど稚拙で言葉足らずな言い訳に聞こえようともだ。
「……ごめんなさい、兄さん……」
「ロロ?」
「これは……きっと、僕の独り善がりなんだ……」
今のお前ならと、そう言って自分の行動に対する根拠を見出そうとしてくれたルルーシュ
には、心底申し訳ないと思う。それでも、突きつめてしまえば結局は、これは自分の私情だ。
今更そんな事をと、彼に切り捨てられても仕方がない。だが、ここまで己を律して自分に
対し譲歩してくれた兄の思いに、自分も言葉を尽くして答えなければならなかった。
「僕は…僕の気持ちだけで動いて、兄さんの邪魔をしたんだ」
「ロロ……」
「……兄さんの決めた事に、逆らいたかったわけじゃないんだ。でも……」
どこか困惑したような表情を浮かべるルルーシュの視線を、気力を振り絞るようにして正
面から受け止める。一呼吸置き自分を落ち着かせながら、ロロは、懸命に続く言葉を喉奥
から引き出そうとした。
―――その、刹那
互いの存在に意識を集中させていたルルーシュとロロのすぐ背後から、庭園の石床の上
を擦る衣擦れの音が上がった。
そして……
「―――どうぞ?お兄様」
「……っ」
弾かれたように互いの存在から意識を切り離した二人の足元で、柔らかな笑顔と呼び声で、
探し物を拾い上げた少女が、手にしたそれを、ルルーシュに向かい差し出していた。
ギアスの支配下にある少女に対し、行動を起こそうと動いたのは、おそらく二人ともほぼ同
時だっただろう。
だが―――
「待って!」
「…っ!」
フレイヤの起爆装置を差し出そうとするナナリーに向けて、反射的に手を伸ばしたルルーシュ
の前に……それより一瞬早く、ロロが立ちはだかった。
まるでナナリーからルルーシュを庇うかのようなその体制から、呆気にとられたような彼の
顔を振り仰ぐ。
「待って!兄さん待って!」
「ロロ……」
「これ以上苦しんでほしくない!だから少しだけ待って!」
自分より上背のあるルルーシュを、全身を使ってナナリーから遠ざけながら……その切迫し
た心情を物語るかのような、情動に掠れた叫びが、庭園の静寂に残響した。
TO
BE CONTINUED...
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