やさしい嘘・9





 その刹那の、総身が凍りつくほどの衝動と、身の内から沸き起こる歓喜とがな
い交ぜとなった、筆舌に尽くしがたい情動を―――ルルーシュは、生涯忘れない
だろうと思った。


 弾かれたように身を起こした自分の所作を追うように、じっと向けられていたロ
ロの視線が、ややして、二人の間に垂れこめた思い沈黙に耐えかねたかのよう
に、ついと逸らされる。
 そうして、明後日の方向へその視線を流したまま、続く告解は、なされた。



 「……確証なんて、全然ないし……兄さんをぬか喜びさせて、失望させるのが
  怖くて……」

 続く言葉を口にしようとして……しかし、ロロは、ふいに苦いものを飲み下でも
したかのような表情を浮かべた。
 逡巡を思わせる長い沈黙が続き、再びルルーシュから逸らされた目線が、所在
なさげに空を移動する。

 その衝動と動揺を物語るように潤みを帯びた双眸が、漸くルルーシュへと据
えられたのは、それから数十秒は経過したころだった。


 「……ごめん、嘘はやめる。……ナナリーの事で、兄さんを一喜一憂させるの
  が嫌で……だから、言えなかった……ごめんなさい…」


 いっそ嗚咽へと変わらない事が不思議なほどに、紡がれるロロの言葉はかそ
けく、語勢がない。ロロをそうさせたのは自分なのだと、言葉ほどに雄弁に物語
るその姿を目の当たりにして、何故それを今まで口にしなかったとは、ルルーシュ
には言えなかった。


 「……いや、気にしなくていい。お前をそういう気持ちにさせたのは、俺にも原
  因がある。……それで…それは、どういうことなんだ?」



 敵味方が入り乱れた、トウキョウの空の下……ルルーシュは、政庁を巻き込
むように被弾し、その筆舌に絶する威力で辺り一面を根こそぎ抉り取っていった、
フレイヤの閃光を目の当たりにしていた。

 爆発の衝撃が去れば、先刻までそこに聳え建っていたはずの政庁は、周囲
の建造物と共に、跡形もなく消えていた。結局脱出が間に合わず、そのまさに
被爆地点に留まっていたナナリーが、万に一つも、生き永らえられたはずがな
い。


 一縷の望みを覚えることは、ルルーシュにとって、今となってはある種の恐怖
だった。

 どれほど情を覚えようともナナリーとロロは、やはりルルーシュの中で同種の
存在とはなりえず……唐突に眼前にぶら下げられたその希望が、反ってルルー
シュを雁字搦めにする。


 ナナリーを……全てを失い、赤裸の状態から立ち上がろうとすればこそ、自分
はこの先の道行きに、強引な足跡を残すことを決意できた。他に何も失うものな
どないと思えばこそ、それは選ぶことのできか捨て鉢な手立てだったのだ。
 だが……もし、ナナリーが生きているのだとすれば……


 自失に陥っていた時間は、果してどれ程のものだったのか……ふとルルーシュ
が我に帰った時、そこには何とも言えない表情で自分を見遣る、ロロの途方に
暮れたような容色があった。


 「……ロロ?」

 重ねて言葉で促せば、ハッとしたようにロロが居住まいを正す。
 確証がないと語った自らの言葉を裏付けるかのように、途切れ途切れに紡が
れる証言には、その根幹となるべき語勢が感じられなかった。


 「あの時……フレイヤの光に辺り一面が包まれた時…僕も、あの場から離れ
  るのが精一杯で…後ろを、振り返っている余裕もなかった。……でも…政庁
  の方から、何か……言葉にできない、力の塊みたいなものが膨らんでいくの
  が、伝わってきたんだ」

 だが……それでも、自身の主観のままに事の経緯を語るロロの語調に、捏造
を疑えるほどの余裕はない。
 突飛な方向へと向けられた独白を、ルルーシュは、自身の先入観を捨てて真っ
向から受け入れるしかなかった。

 そんなルルーシュの覚悟を感じ取ったのか、後押しを得たかのように、続くロ
ロの言葉にわずか力がこもる。


 「……兄さんも、ギアスユーザーなら覚えがあるよね?自分と同じ力を持った
  人間が、自分の「領域」でその力を使った時に感じる違和感……そんな、感
  じだったんだ。……僕も、嚮団にいた頃何度も味わってきた感覚だったけど
  ……あれは、検体として実験に使われていた程度の、ユーザーの気配じゃ
  なかった」
 「……っ」
 「嚮団に限って言うなら……あの気配は…それこそ、V.V..クラスの……」



 自分を拾い育てたという、複雑な思慕の対象あったらしい人物の名を口にする
のは、いまだに躊躇いが残るのか、続く言葉から出し抜けに語勢が失われてい
く。それでも、ロロは己の感じたままを物語ることを、やめなかった。



 「……ごめんなさい…なんの確証もないのに、兄さんを惑わせるようなこと……
  V.V.は嚮団殲滅の作戦中に…命を…落としたはずだし……僕にも、あれ
  がどういうことだったのか、説明できないんだ……でも…あれが…普通の気
  配じゃなかったことだけは、確かだったから……あの時…あそこで…何かが
  起こっていたのは確かだって…そう、思ったから……」


 もう、言葉を呑みこんで後悔するのは嫌なんだ―――そう告げたロロの双眸
から、告解の間中堪えていたのだろう、情動の滴が溢れ出す。それを気安く拭っ
てやることもできず、ただその傍に佇むよりなかったルルーシュに向かい、彼は、
再び居住まいを正した。



 「兄さん……ナナリーを……探して」
 「ロロ……っ」
 「……解ってる。兄さんがどんなに僕を大切に思ってくれても……僕は…やっ
  ぱりナナリーの代わりにはなれないんだ……だから…兄さん、あんな風に
  ……投げやりになったり、したんでしょ……?」


 その言葉にはルルーシュを責める響きはなく……しかし、それ故に、少年の
抱える衝動の程を、言葉以上に如実にルルーシュに伝えていた。重く双肩にの
しかかったロロの思いにかける言葉もなく押し黙れば、そんなルルーシュの弱
腰を責めるでもなく、彼は微かに笑ってみせる。

 「……生きる理由がないなんて……そんな言い方、全然、兄さんらしくないよ
  ……そんな気持ちのまま、投げやりに生きていたら…絶対、後から兄さんは
  後悔する……いつか、生きて…ナナリーと会った時に……絶対……」
 「ロロ、お前……」
 「……本当は…僕に、それだけの影響力があれば…良かったんだけど……
  でも、僕じゃ無理だから……自分で、それは解っているから……」


 だから……僕じゃなくても、仕方がないんだ―――続くロロの言葉が、溢れ出
す情動の滴とともに、込み上げるもので不意に揺らいだ。


 「僕は……兄さんに、兄さんらしく、生きていてほしいよ。生まれて初めて…ここ
  まで慕った人だから……兄さんが、自分をごまかしながら生きていくのを、見
  たくないって…そう思ってる」
 「……っ」
 「兄さん、言ってくれたよね…僕が生きていて、良かったって……それが、嬉し
  かったから……だから…もう、いいんだ……」


 言葉を繋ぐそばから、その充血を帯びた双眸からとめどなく伝い落ちるものが、
いまだ幼さを残す容色を濡らしていく。それでも言葉を噤まないロロがどれほど
の思いで自らに自制を強いているのかは瞭然だったが、その向けられた真摯
さが伝わってくるだけに、ルルーシュには彼の独白を押しとどめることはできな
かった。

 結果として、ロロの語るに任せる形となったコックピット内の空気が……続け
られた少年の言葉に、俄かな緊張を帯びる。


 「本当は……こんなこと、僕が言う資格、ないんだ……僕はいつでも、ナナリー
  が恐ろしくて……僕から、兄さんを奪ってしまう相手だと思ったら……それこ
  そ……この手にかけてしまいたい、くらい……ずっと…怖かったんだから……」
 「ロ…っ」
 「……ごめんなさい……今更…虫がいいよね……でも…それでも、僕自身の
  感情より……生きているのに死んでるみたいな、兄さんを見ている方が…
  もっと、嫌だから……」


 だから、生きる糧となるのなら、ナナリーを探して―――恐らくは、そう続けた
かったのであろうロロの訴えは、時を同じくしてコックピット内に浸透した嗚咽に
よって、明確な言葉を象ることはなかった。


 それほどの情動で以て、自分を後押ししてくれたのだ。彼が自らに強いた覚
悟に、何らかの形で自分は報いてやらなければやらないと思う。
 だが……それでも、咄嗟に語る言葉をルルーシュが探せなかったのは、ロロ
を気遣う感情以上に、彼から告げられた言葉に覚えた衝動の方が、より強くル
ルーシュを揺さぶったからだった。



 偽りの弟であることを常に意識し、時にその作られた相関に不信や気後れを
抱いていたであろうロロにとって、自分の実妹であるナナリーの存在が思わし
くないものであることは、始めから解っていた。

 彼女と政治的な立ち位置で決裂した時、行政特区計画を立ち上げた彼女の
障害とならないようエリア11を離れた時……ともすれば、遠ざかった彼女の存
在になり替わろうとしていたロロがいたことに、彼を観察していた自分が気づか
なかったはずもない。
 それでも敢えて、そんなロロをナナリー奪還の手駒に使おうとしたのは、彼が
ナナリーに対して抱く感情よりも、自分に傾倒するその妄信の方がより強いと、
確信めいた思いがあったからだ。


 だが……実際にその口から語られたロロの衝動は、自分が予想していたよ
りも、はるかに深刻で根強いものだった。

 自分の犯した選択ミスに、背筋が冷える思いがする。あの奪回作戦の中で、
咲世子と共に最後の最後でナナリーと接触を果たしたはずのロロに対する、ま
さかの思いが脳裏をよぎった。


 だが……腹の底から湧きあがろうとするそんな情動を、ルルーシュは、最後
の自制で以て、その喉奥に飲み下した。



 ここで焦燥のままにロロを糾弾すれば、それはあの私室で繰り広げた愁嘆場
の再来を意味した。それでは、命をなげうってまで自分を救おうとしたロロに対し
て、結局自分は、自分の都合のいい感傷を押し付けていただけという事になる。

 自分にとって都合の悪い側面が顔を出せば切り捨てる……そんな関係は、
心を許した身内であるなどとは到底呼べなかった。ここで自分がロロに後ろ暗
い思いを向けてしまえば、ロロはいつまでたっても、自分にとって手駒のまま
だ。


 そんな関係を、なかなか意識を取り戻さないロロの寝顔を見ながら、心底後
悔したのは、この自分であったはずなのに。あの焦燥の余韻が喉元もすぎな
いこの状況で、また同じ轍を踏むことだけは、ルルーシュにはどうあっても耐え
られなかった。


 これほどの情動を人知れず抱えたまま、それでもナナリーを探せと、涙なが
らに訴えたロロの、泣き濡れ顔を改めて見やる。いくらでも理由をつけて、その
言葉の裏を読もうと思えばそうできたが……それを自分に許した時点で、自分
はもう二度と、ロロの兄には戻れないと思った。

 相手に執着を覚える思いは、自分もきっと、ロロと変わらない。その上で、手
放したくないと思える存在なら、自分は彼を、頭から信じ切るよりほかになかっ
た。
 自分のできる限りの誠意を、きっと信じてくれたからこそ、ロロがこうして、告
解してみせたように……それを受け止めるのもまた、自分の本意を試される正
念場だった。



 「……ロロ」


 呼びかける声が、不自然に震えたり掠れたりしていないか……内心で、懸
命に自身の弱腰を叱咤する。そんな自らの衝動をロロに気取らせぬよう、ル
ルーシュは、敢えてその口角を、苦笑の形に持ち上げて見せた。


 「ロロ、もういい……お前が胸の内で何を思っても、それを一々気に病む事
  はないんだ。実際にお前が手を下したわけでもないことを、そんな風に謝
  るな。誰もそんなことで、お前を咎めたりはしない」



 それは……ルルーシュの、極限までの自制が吐かせた、嘘だった。

 どれほど自身に言い聞かせ、納得させようと試みても、この腹の底から沸き
起こった衝動を、抑えることはできても打ち消す事は出来なかった。それほど
に、ロロの底意を改めて思い知らされた衝撃は大きい。

 だが、それでも……ここで衝動のままにロロを突き放せば、また同じ堂々巡
りの繰り返しだ。ここで自分を律することができなければ、自分はこの記憶を
取り戻した当初から、もう一度ロロとの関係を作り直さなければならなくなる。


 それでは嫌だと、自分の中で声高に訴える声がする。それが自分の偽らざ
る思いである以上、この嘘は、ロロを思いやってのものだけではない、今のこ
の相関を壊したくない、自分自身の為のものでもあった。

 我知らず、己の胸元へと添えられた指先が、そこにしまい込まれたままに
なっていたものの硬質な触感を感じ取る。そういえば預かったままだったのだ
と、改めて布越しに確かめたその感触が、思いがけない援軍となって、ルルー
シュの覚悟を後押しした。


 「……よく、教えてくれたな。ロロ」
 「にい、さん……?」
 「この監視網をぬけて、安全な領域まで抜けだしたら……ナナリーを、探し
  に行こう。どんな強行軍になるか解らないからな。お前の容体が、心配な
  いと思えるくらい安定してから、じっくりと、腰を据えてな」


 意図した声音で続けた言葉に、自分に釘づけられたままのロロの双眸が、
もの問たげに見開かれる。弾かれたように居住まいを正した少年は、それ
では駄目だと言うように、ルルーシュにむかってかぶりを振って見せた。

 だが……ロロが何事かを訴えかける機先を制して、ルルーシュは、懐から
取り出したものを、緊張からか小刻みな震えを帯びる、その華奢な掌に握ら
せた。
 動揺を見せる少年に向かい、身の内から振り絞った勇気で作り上げた、笑
顔を見せる。

 そして……

 「……時間がかかってもいい。ナナリーを探しに行くときは、お前も一緒に
  行くんだ」
 「……っ」
 「お前は、俺の弟なんだ。……それなら…ナナリーは、お前にとっても、妹
  のはずだろ?」


 そして―――ロロに向けられた、意図した笑顔の下で……ルルーシュは、
情報が不確定すぎて、いまだ生死も定まらない妹へと、腹の底で詫び言を
呟いていた。

 それは、今少し以前であれば、一も二もなくその捜索を優先したであろう自
分の中に、今一つの優先事項ができてしまったことへの謝罪であり……
 そして、その秘められた底意を知った上で、それでもロロを懐に抱え込みた
がる、自身の後ろ暗さに対しての懺悔のようでもあった。



  「お前も……俺の、弟なんだから」



 本来、自らの所有物であったはずの携帯電話と、その先にぶら下がるロケッ
トに落とされたロロの視線が、それを手渡した自分の真意を探ろうとするかの
ように、忙しなく移動する。

 そんな少年に向けられた、この身の内から湧き上がってくる思慕が―――
少年に対する負い目や憐憫からのみ発生したものではないのだと……腹の
底からそう信じたがっている自分を、ルルーシュは、もはや否定しようとは思
わなかった。


     
                                TO BE CONTINUED...







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