やさしい嘘・7





 それきり、陽の陰りに次第に光量を失っていくコックピット内に、その日何度目か
の静寂が訪れた。


 思うところがあればいつでも口を挟めと言い置きはしたが、話題の流れを考えれ
ば、この場の主導権を完全にルルーシュが握っている事は否めない。自分が言葉
を繋げなければ、この沈黙はいつまでも破れないことを、語り部となったルルーシュ
自身が身に染みてよく解っていた。

 だが……ここから先は、自分の矜持との戦いだ。どれほど心を固めたつもりでも、
いざ己の底意と向き合うことは、想像を絶する覚悟と躊躇を自分に強いた。

 ここで自分が口を噤んでは、何も始まらないのだという思いが、場を濁して楽に
なりたがる自身の弱気に喝を入れる。それでも、再びルルーシュが口を開くため
には、けして短くはない時間が必要だった。

 それまで頑なに手放すことを拒み、固く握りしめたままだったロロの華奢な掌か
ら、震えを帯びたルルーシュの手がスルリと外される。




 「……お前との生活が楽だと……一度そう意識してしまうと、後はもう駄目だっ
  た。俺が望むと望まざるとにかかわらず、お前はどんどん俺の懐に入ってき
  てしまって……自分自身に何かと理由を上げ連ねては、お前との間に一線を
  引くことも、もう限界になってしまった」

 それは、当時のルルーシュにとって紛れもない、屈辱の記憶だった。そして、そ
う意識していた自分が確かにいたのだという、眼前の少年に対する告解だった。
 自身の暗部と直面させられる厭悪と、そんな当時の衝動をこの少年に追体験さ
せているのだという後ろめたさが、ルルーシュの喉を干上がらせ続く言葉を喉奥に
張り付かせる。

 それでも……息苦しさに耐えかねたかのように己の喉元に手をやり、我知らず
呼吸を乱しながらも、ルルーシュは、眼前の少年と向き合うことをやめなかった。


 己の命を削ってまでこの身に手を差し延べ続けたロロの苦しみを、痛みを思えば、
自責の念から生じた自虐の痛みなど、癒されたがる資格もない。


 「もういっそ、観念してしまえという思いと、それでもナナリーとは違うお前を認め
  たがらない思いが、いつでも俺の中で鬩ぎ合っていた。そんな自分の気持ち
  を、自分でどちらかに傾けることは苦しくて……だから、ひょんなことでお前が
  監視者としての姿を俺に晒したときは、逆に心のどこかでほっとした。……そ
  らみろ、こいつは俺の監視役として俺の懐に潜り込んできたにすぎない。俺が、
  こいつに情を感じる必要なんてないんだってな」
 「…っ」
 「勝手なことをと、お前は思うだろうが……お前が俺との中途半端な関係に苦
  しんでいたように、俺も、苦しかったんだ。お前が一途に俺を慕ってくるのに、
  どう答えたらいいのか解らなくて。お前に情が湧きかけるたびに、ナナリーへ
  の後ろめたさと申し訳なさに追い立てられて……」

 そこまで口にすると、ルルーシュは、それまで及び腰ながら、曲がりなりにもロ
ロと正面から向き合っていた目線を、その顔ごと明後日の方向へと背けた。ロロ
から外され、行き所を失った両の掌が、内面の衝動を物語るかのように、拳の形
に握りこまれる。

 けして短くはない、躊躇の程を思わせる沈黙の末に続けられた言葉は……まる
で懺悔の言葉のように、コックピット内の空気を震わせた。



 「お前のことを……身内のように、かわいいと思ってしまう自分を…認めることが、
  本当に恐ろしかったんだ」





 本来であれば、それは、それまで頑なに一線を引き続けてきた少年に対する、
腹の底から湧き上がってきた己の情に根負けした、降伏宣言のように相対する
少年の耳朶を打ったことだろう。それほどに、告げられた言葉には嘘や取り繕い
の余地もないほどに切迫した響きが宿されていた。

 だが……ルルーシュの語る「真相」がそれだけの告解で終わる物ではないこと
に、聞き役となったロロもまた、互いの複雑に絡み合った立ち位置故に思い至ら
ないわけにはいかず……
 結果として、互いに押し黙ったまま共有した沈黙は、ひどく重苦しいものとなっ
た。





 「……そう、だったんだ」

 互いに抱く負い目のために、視線を合わせることもできないほどの緊張に支配
されたコックピット内の静寂を、先に破ったのはそれまで聞き役に徹していた、ロ
ロの方だった。


 「そんな兄さんの気持ちを……僕が、裏切ったんだね。僕が……兄さんの、言
  いつけを破ったあの時に……」



 まるで独白のように続けられた言葉には、情動の色はうかがえず……ただ空
虚に吐き出されたその声音が、しかしそれ故に、ロロの味わわされた衝動を、
言葉以上に明確にルルーシュに教えていた。
 気づいていたのかと問いかければ、発熱に喘ぐ幼い容色が、声もなく頷いて見
せる。


 いつ、とも語られることのない不明瞭な独白が何を物語っているのかは、ルルー
シュにとっても、敢えて聞き返すまでもない程に明白だった。その上で水を向け
られた以上、今になって何の事だと問い直す事は自分の弱腰を後押しするばか
りでなく、ロロの覚悟にもまた、余計な二の足を踏ませることになる。
 だから、それこそが自分達の琴線を正面から掻き鳴らす禁忌であることを承知
の上で、ルルーシュもまた、場を取り繕う優しい言葉を探そうとはしなかった。



 「……そうだな…良くも悪くも、俺の気持ちが固まったのは、あの時だった。お
  前がシャーリーを手にかけて、そのことを悪びれもせずに俺に報告してきた
  時……お前と兄弟として生きていくのは、やはり無理なんだと思った。
  お前がシャーリーを手にかけたという事実にも、お前を殺してやりたいと思う
  ほど腹が立ったが……それ以上に、俺はそんなお前の事が、あまりにも得
  体が知れなく思えて、恐ろしかったんだ」
 「……兄さん…」
 「俺を守るためと名分を振りかざしたところで、お前のやった事は一方的な人殺
  しだ。それを躊躇ったり、後から慄いたりする感情をもたないお前と、普通の
  兄弟としての関係など、築けないと……それを自分に許したら…俺が原因で
  死んでいったシャーリーに対しても、あまりにも申し訳が立たないと……」


 俺がこんなことを言う資格がない事は、自分でよく解っている―――そう吐き出
すように言葉を繋いだルルーシュの眉宇が、何かに耐えようとするかのように、き
つく眇められる。

 「俺だって、自分の目的のために、罪もない多くの人の命を奪ってきた。今更、
  お前に訓戒じみた奇麗事なんて言う資格もない。……それでも……俺には、
  耐えられなかったんだ。俺以外の存在を、全て無価値なものとして捉えている
  かのような、お前の言動が。……それは、まるでナナリーの生きていける未
  来を創るために他の「障害」全てを排除しようとしてきた、俺の行動そのもの
  のようで。……お前に対して抱いた怒りや恐れや厭悪が……そんな俺のこ
  れまでをすべて知ってしまったナナリーが、俺に対して向ける嫌悪感そのも
  ののように思えて……」


 震えを帯びた手で己の上衣の合わせをきつく掴み締め、ようやっとのことで喉
奥から絞り出されていた告解が、そこで不意に途切れた。

 そこから先を口にすることは、ルルーシュにとって、己の深部の何もかもを、丸
裸にして曝け出すことに等しかった。
 こんな痛みには耐えられないと、無理やりに奮い立たせた自意識が悲鳴を上
げる。双方共に雁字搦めにされた、このあまりにも厄介な枷から一時的に逃れ
られる、その場凌ぎの取り繕いの言葉へと、逃げ腰な自分が飛びつきたがって
いる。


 だが……否応なしに向き合わされた自らの暗部に、総身が震えを帯びるほど
の衝動を味わわされながら……それでも、ルルーシュは、頑なに己の矜持にし
がみつくことをやめなかった。

 束の間の解放を、願うだけでは駄目なのだ。自分とロロとを捕えるこの枷は、
この場で完全に砕き壊してしまわなければ、意味がない。
 そうでなければ、腹の探り合いを続けるような、自分達の中途半端な相関は、
いつまでたっても変えることができなかった。このまま有耶無耶に終わらせて
しまえば、またいつかどこかで、この不確かな関係には修復不能な亀裂が入
る。

 それではあまりにも……己の命さえ自分に差し出そうとしたこの少年に対し、
自分は申し訳が立たなかった。




 「……結局俺は……俺自身の後ろめたさを忘れたくて、それを俺に突きつけ
  るお前の存在が恐ろしくて……だから…そんな身勝手な理由で、お前を遠
  ざけておきたかったんだ」


 あの脱出劇の最中、その命を落としかねないギリギリの状態までギアスを発
動させ続けた、ロロの痛みを思う。生きたいと声高に訴える肉体の欲求を意志
の力でねじ伏せ、歯を食いしばって自分を逃がそうとしたロロの壮絶な覚悟を思
う。

 そんな忘我の献身を示してくれた少年に対する、これは自分に返せるせめて
もの誠意なのだ。自分が楽になりたいがための逃げ道を選ぶことは、自分の矜
持が許せない。


 「……嚮団の殲滅を決行に移したあの時……V.V.の操縦するジークフリー
  トに、何としてでも取り付けと言ったのを覚えているよな?……あの時……
  本当は、お前の乗るヴィンセントには遠隔操作可能な爆弾が仕掛けられて
  いて……」
 「…っ」
 「俺は……あの場でお前を…始末するつもりで……」


 真相を知ったロロからどれほど詰られても、その全てを受け止めようという覚
悟はあった。これまでの自分の振る舞いを思えば、激昂した彼に殺されたとし
ても否やを唱えられないほどに、自分は彼の尊厳を弄び踏みにじっている。
 それでも、どれほど自らの臆病を叱咤しても、眼前で息を呑む少年の顔を直
視することだけはどうしてもルルーシュにはできなかった。

 せめて己の思うところだけは過たず告げなければと……緊張に干上がる喉
奥から無理やりに絞り出した声が、不自然な掠れを帯びる。


 「それでも…っ…それでも、結局はお前を殺し損なって……その事に、心の
  どこかで……俺はほっとした。……そうして一度機会を失うと、あとはもう、
  この手を下す踏ん切りがつかなくなって……お前を戦場に出すようになっ
  てからは、事故や相撃ちを装ってお前を始末する機会はいくらでもあったの
  に……まだ時期が悪いとか、まだお前には利用できる局面が他にあると
  か……そんな理由をつけては、俺は、お前を見逃して……」


 続く言葉を飲み込むまいと意識すればするほど、紡ぐ言葉の隙をついて、身
の内から湧き上がる衝動に、反射的な反応を示した歯の根が耳障りな音をた
てた。

 相対する少年の顔も見れず、操縦席の端にしがみつく様にして歯鳴りの音
を漏らす己の姿は、傍から見たらどれほど無様で滑稽なことだろうか。そんな
自らの姿を客観視することは、その矜持を容赦なく地に叩きつけられたような
心地となったが……それでも、ともすれば上がりかける息を呑み込み、拳の
形に握りしめた掌にきつく力をこめて、ルルーシュは自らの痴態に耐えた。

 ここで、自分が言葉を失うわけにはいかないのだ。まだ自分は、自分の抱
える交々の思いを、全てこの少年に曝け出していない。



 「そんなふうにして……お前との距離を計りあぐねているうちに……ナナリー
  が……あんな、ことに……」
 「……うん…」
 「酷いことを…お前に言ったよな……挙句、お前を追い出して……」
 「…兄さん…それは、もういいよ…」
 「お前がいなくなってから……後悔、したんだ。謝らなければと思って…そ
  れでも、今更なんて言ってお前に声をかけたらいいのか、解らなくて……
  そうやってぐずぐずしているうちに、騎士団からもブリタニアからも、追わ
  れる身になっていて…」


 震える声で、それでも頑なに言葉を繋げていたルルーシュの容色に、ふい
に、それまで彼を苛んでいたものとは趣を違えた情動の色が過った。
 きつく眉宇を眇めながら、それでも辛うじてそれ以上の狼狽を見せなかった
若紫色の双眸が、込み上げてきた情動の発露で作られた薄幕に纏われる。

 「……俺はいつでも……後になってから、大切なことに気づくんだ……この
  樹海に逃げ込んで…声をかけてもなかなか目を覚まさないお前と向き合っ
  ている間中……生きた心地がしなかった……早く目を覚ましてくれと、た
  だそればかりを考えて……」

 そして……続く言葉と共に、耐えかねたかのように溢れ出した雫が、筋を
描いてその頬桁を伝い落ちて行った。


 「死ぬな…生きろと……腹の底からそう思った。お前に生きて、そばにいて
  欲しがっている自分の本音に……あの時…初めて気づいた…」
 「に……っ」
 「……良かった…」


 それまでの、腫れものに触れるような含みを思わせるものではない、明確
な意思の力を感じさせる所作で、ルルーシュの両の腕が、眼前の少年へと
伸ばされる。

 そして……
 変わらぬ困憊状態にあるロロの容体を慮るには些か強すぎる力で、ルルー
シュは、その痩身を上掛けた自身のマントごと、抱きしめていた。





 「……お前が…生きていてくれて……良かった……っ」





                              TO BE CONTINUED...







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