やさしい嘘・6





 いつしか森の陽は完全に傾き、木々の隙間を縫うようにしていまだ微かに落ち
る木漏れ日は、黄昏色に染まっていた。


 日没を前にねぐらへ帰っていくのだろう、鳥の鳴き声が頭上に生い茂る梢を渡
り、そして遠ざかっていく。
 それまで互いに口を噤んだまま、コックピット内に垂れこめた静寂を共有して
いた二人の耳朶に、その断続的な物音が、森に流れる時間の経過を告げた。

 その物音を契機としたかのように、ロロの肩口に顔を埋めていたルルーシュ
が、それまで伏せられていた上体を起こす。そして、彼はその緩やかな拘束か
ら、静かにロロを解放した。




 言葉を繋ぐだけで激しい消耗を見せていた、先刻の衝動もいったん収まった
のか、多少忙しないながらも、その呼吸は安定している。ただ、触れた首筋か
ら伝わる体温は、先程確かめた時よりも熱を持っているようだった。
 日暮れを迎え、体内の熱が上がりやすくなる時間帯でもある。眠るロロの様
子を見ながら危惧していた通り、これまでその体内に蓄積された疲れが、発熱
の形で表れたのだろう。

 ロロの容体は、まだ安静を必要としていた。無理をさせれば熱も上がり、医薬
品の備えもないこの状況下では、些細な不注意が命取りとなりかねない。
 だから、本来であれば、今は何も考えずにロロを休ませてやるべきなのだろ
う。そうして彼の回復を待ち行動を起こす時を待ち……互いの内面に起因する
問題と向き合うのは、それからでも遅くはないはずだった。


 だが……発熱し、疲弊に喘ぐ少年は、それでも今、真実と向き合うことを切望
している。それは、これまで重ねに重ねてきた自らの空事と、この少年から向け
られた思慕との間で限界まで板挟まれた、ルルーシュも同様だった。
 自分自身の居た堪れなさなら、自業自得と、禊に相応しい時まで待つことも
できる。しかし、これは同時に、自分と向き合おうとするロロの望みでもあった。




 是とも否とも、ロロは答えを返さなかったが……ようやく己を後押しして正面
から向き合った少年の双眸は、ルルーシュにその場を取り繕うだけの都合の
いい方便を求めてはいなかった。
 受け止める覚悟はあるのだと、言葉ほどに雄弁に物語る、若紫色の双眸。
血の繋がりももたない存在でありながら、寄しくも自分と同じ色彩を纏って生ま
れてきた少年の容色を、ルルーシュは自らに覚悟を促すように、まっすぐに見
やった。

 ロロの覚悟を承知の上で、それでも彼の諾意に念を押すことは、余計な防護
壁を互いの間に築く結果となりかねない。それを互いの共有する空気に感じ
取ったルルーシュはあえて水向けの言葉を発することなく、再び伸ばした掌を、
その華奢な首筋へとあてがった。


 「……熱が、上がったな」
 「…兄さん?」
 「体が辛くなったら、すぐに言えよ」


 言って、ルルーシュは改めてロロにかけ直したマントの裾を巻き込まないよう
に気に掛けながら、彼の横たわる操縦席のリクライニングを調節した。



 先刻よりも幾分上体を起こす形に操縦席を固定され、怪訝そうな表情になった
ロロに向かって、長い話になるからと、一言言い置く。そのまま一端操縦席から
離れると、ルルーシュは先刻機外から運び入れておいた、水入りの容器が置か
れたコックピットの片隅へと踵を返した。

 蜃気楼内部の備品で急場を間に合わせただけの、お世辞にも品がいいとは呼
べない古ぼけた容器に汲み置きの水を移し、自分の様子をうかがうロロへと持
ち帰ったそれを手渡す。
 促されるがままに受け取ったものの、戸惑うようにそれを手にしたままの少年
に、先に水分を補給しておくようにと、ルルーシュは改めて言葉で促した。


 「濾過装置もない状況で、生水は抵抗があるかもしれないが……この樹海は人
  手が加わっていない分、余計な汚染も受けていない。データ上の成分も問題
  ないし、俺もさっき自分で確かめた。飲んで大丈夫だ」
 「兄さん、これ…」
 「あれだけギアスを乱発した後だ。水分補給の意味と、あと血の循環を助ける
  ためにも、水分は取っておいた方がいい。この先熱が上がれば、余計喉も渇
  くだろうしな」


 重ねて言葉で促され、ロロは手にしたそれに幾分思わしそうな視線を投げた
後、ゆっくりと傾けた容器の中身を煽った。

 人工的な冷却が施されていないとはいえ、自然の中で十分に涼を保った水
温が、一息に飲み干すには心臓への負荷を覚えたのか、それとも、慣れない
生水に対して尻込みする気持ちがどこかにあったのか……半分ほど中身を残
して戻されたそれを、ごく自然な仕草で伸ばされたルルーシュの手が引き取
る。
 そのまま手にした容器の残り半分を飲み干すと、ルルーシュは、別の容器に
汲まれた水に潜らせた布を絞り、発熱による発汗で湿り気を帯びたロロの額や
首筋を拭った。
 再び絞ったそれを今度はロロの額に乗せ、作業を終えたルルーシュが、よう
やくロロと相向かう形でコックピットの床に腰を下ろす。


 向き合う互いの間に流れる空気が、緊迫を増したことを肌で感じ取り、ロロが
僅かに居住まいを正す。その仕草につられるようにして、ルルーシュも、己の息
を呑み下す音で微かに喉を鳴らした。

 それが……向き合う二人にとって、長い対峙の合図となった。




 「ロロ……初めに言っておくが、これから話すことは、すべて俺の主観のみで
  判断した内容ばかりだ。それが真実だったのか、そうでないなら真相はどこ
  にあったのか、解っていないことはたくさんある。だから、お前も思うところが
  あれば、そのまま話せ。俺の話を、黙って聞いていることはないからな?」

 念を押すように解かったな、と続ければ、緊張した面持ちで、それでもロロが
頷いて見せる。その姿に自らも一つ首肯すると、ルルーシュは徐に本題を切り
出した。


 「……まずは、俺がお前を嫌っていて、お前を殺そうとしたということ……これ
  は……突き詰めて言ってしまえば、本当だ。そんな風に、お前のことを思っ
  ていた時期も、確かにある。だから、そのことを、お前に嘘だとは言ってやれ
  ない」
 「…っ」
 「それでも……さっきも言ったが、お前に対する俺の気持ちは、複雑なんだ。
  今、こうして向き合っているお前を、殺したいとも嫌いだとも思ってない。そ
  れも、本当だ」


 唐突に話の核心に触れられ、その双眸を大円に見開いたロロの容色から、傍
目にそれと解るほどに血の気が引いていく。その衝動を与えた当人である自分
にその資格がないことを承知しながら、それでも、ルルーシュは彼の意識を突き
つけた衝動から自分自身へと向き直らせるために、伸ばした手でその華奢な掌
を押し包んだ。


 「記憶を取り戻した始めのうちは、ナナリーの居場所を不当に奪ったお前の存
  在を憎いと思った。お前が何をしても、何を言っても、その陰に逐一ナナリー
  の面影が思い出されて……そんな俺の気持ちも知らずに呑気に俺を兄と呼
  ぶお前の事が、許せなくて腹立たしくて……」
 「……にい、さん…」
 「でも……それは、今にして思えば、お前に対する八当たりだったんだよな。俺
  は、ナナリーを忘れて安穏と過ごしたあの一年が許せなくて……記憶を取り
  戻してからも、監視の目をごまかすために、ナナリーを探すこともできずにお
  前との偽りの生活を続けざるを得なかった自分の事が、許せなくて……だか
  ら、手近なお前に、俺は当たっていたんだ」


 だから、お前も自分の言葉を飲み込むことはない―――言い置いて、眼前の
少年へと据えられた眼差しが、しかし次の瞬間、ふと遠くなる。


 「お前に当たって、お前を許せないと思いこんで……それでも、お前の背後には
  まだ機情やギアス嚮団との繋がりがあったから、お前を通じて必要な情報を
  手にするまでは、お前の望む兄の顔を演じ続けようと思った。そんな風に、嘘
  で固めて始まった関係だったから、俺はお前の言動に裏はないかと一々疑っ
  て、いつでも、お前から目が離せなかった。だから、お前が俺を監視していた
  頃のように、俺も、お前の言動を追い続けて……」


 いつでも口を挟んでいいのだと言い置いておきながら、今となっては忘れ去っ
てしまいたい、自らの子供じみた虚勢を言及する気まずさに、我知らず饒舌になっ
てしまう。そんな自分を押しとどめるように敢えて一つ息をつき……そして、ふと
脳裏をよぎった他愛もない追憶に、ルルーシュは、ああ、と声を上げた。




 「……ああ。そういえば、一度だけ……お前も、機情の連中も、抜けたところが
  あると、思ったことがあったな」
 「……え?」
 「あれは……いつだったかな。俺の記憶が戻る前だ。例によって会長命令で、
  生徒会の親睦を深める合宿って名目で、どこかの寺にみんなで泊ったことが
  あっただろ?」


 その「合宿」の様子は一応の生徒会行事でありながら、一切の記録に残されて
いなかった。自身の記憶に頼ろうにも、封じられた記憶を取り戻した際、改竄され
て自分の中に残ったままの記憶とあいまって、与えられた情報が飽和状態となっ
たルルーシュは、その細部までを思い出すことができずにいる。

 あるいは、そんな行事の記憶自体が、捏造された情報の一つだったのではな
いかと、自分を納得させてしまいそうになるほどその記憶はおぼろげで……それ
でも、その中に一際鮮烈な印象を残しているある光景を確かめたくて、彼はかま
をかけるかのように、眼前の少年に、覚えているか、と重ねて問いかけた。


 それは、ルルーシュの言動に逐一身構え、何を聞いても自らを支える覚悟で続
く言葉を待っていたのであろうロロにとって、予期せぬ問いかけであったらしい。
 その双眸が、どこか子供じみた仕草で二、三度瞬かされ……束の間、ルルー
シュの真意を図りあぐねたような表情になったロロは、それでも、そんなこともあっ
たね、と言葉を繋いだ。


 「……うん。もう秋の終わりだったのに、お寺だから暖房器具もろくになくて、寒
  かったよね。どうしてあの時期にお寺だったのかは、僕も忘れちゃったけど。
  ……その時の…僕が、どうかしたの?」

 他意を感じさせない声音でそれがどうしたのかと問い返され、やはりあれは実
際に起きた出来事だったのだと確証したルルーシュの口角が安堵にたわむ。そ
のまま、束の間の追憶に意識を傾けた端正な容色に、場を弁えていないと非難
を受けても反駁できないような、気の抜けた笑みが浮かんだ。

 「兄さん…?」
 「いや……その時にさ。寺だから、布団を借りて寝ただろ?……お前、布団の
  上げ下ろしどころか、掛け布団と敷布団の使い方すら解ってなくてさ……」
 「…っ」
 「日本暮らしが長い俺の弟って言う設定で送り込まれてきたのに、機情の連中
  はそんなこともお前に教えていなかったのかって思ったら、なんだか無性にお
  かしくてな。……直属じゃないって言っても、お前の「上司」には日本出身の
  スザクだっていたのにな。それくらい先に教えておけよって思ってさ」


 それきり、話題に出した段階で燻ぶっていた笑いの発作がぶり返したのだろう。
嘆息の素振りにごまかしながら、僅か伏せた顔の下で、ルルーシュは軽く噴き
出した。
 ロロの手前、控え目に抑えられてはいたが、不自然に跳ねる語尾や震える肩
は、ごまかしようがない。そんなルルーシュの姿に、それまで事態を静観するか
のように、余計な差し出口を挟まずにいた、ロロの呆気にとられた表情が、次第に
憮然としたものとなった。


 「……ひどいなぁ、兄さん。いくらここが日本でも、そんなレアな物の知識まで、
  いちいち仕入れてこないよ。ああいうものに馴染みのある兄さんの方が、今
  のこの国じゃ珍しいでしょ?」

 こんなことで不勉強と揶揄されるのは心外だと、どこか作ったような幼いむくれ
顔が、しかし次の瞬間には苦笑に溶ける。
 言うに事欠いて失敬なと、口では文句をつけながらも、その意表を突いた話の
流れが、彼の双肩から余計な力を抜いていった事は、疑いようがなかった。


 それもそうだなと、気安く返しながら、同時にルルーシュの双肩からも、自責の
念が作り上げた見えない重しが僅かに下ろされる。

 自分の中で揉み消してしまってもさして問題になることはなかったであろう、半
濁した自身の追憶に、敢えて話題を傾けて良かったと、自己弁護のように、ルルー
シュは自らに言い聞かせた。
 そして……笑いの名残を収めた自分を確認しながら、相対する少年に向かい、
再び居住まいが正される。



 「……そんな風に…ふいにこっちの意表を突く形で、お前が素の顔を見せたり
  したからなんだろうな。どこからが演技でどこからが本音なのか、お前の言動
  から判断するのは難題で、俺は本当にお前から目を離す事が出来なくなっ
  た。見抜いてやると思えば思うほど、結局俺はお前と今まで以上に多くの時
  間を共有することになって……気がつけば、お前と過ごす時間に、ほとんど
  肩肘を張らなくなっていた」

 告げられた言葉の意味を噛み砕き損ねたのか、味わわされた動揺を物語るか
のように、ロロは向き合うルルーシュからその視線を逸らせると、触れ合ったま
まの手を外そうとその腕を引こうとした。
 だが……その掌を押し包んだまま、ルルーシュはロロを離さない。



 「……兄さん…?」
 「こういう考え方は、お前にもナナリーにも失礼な話だとは思うんだが……ナナ
  リーと違ってお前は…少なくとも日常生活に支障がない程度には健常体だっ
  たから…俺があれこれ世話を焼く必要がほとんどなかった。もちろん、ナナリー
  の介護を重荷だと感じていたわけではないが……そういう心配を必要としな
  い、ごく普通に日常が過ぎていくお前との生活は、なんだか……肩から、力
  が抜けていくようで……」

 身の内に燻ぶるものが続く言葉を言い淀ませたのか、そこで独白を切ったルルー
シュは、踏ん切りをつけるきっかけを掴もうとするかのように、何度も息を呑みこ
んだ。
 言葉の接ぎ穂を探しているかのように、その視線がコックピット内のあちこちに
忙しなく流される。


 逡巡を思わせる長い沈黙の末、ようやく口を開いたルルーシュの双眸には―――
どこか悔しそうな、それでいて何かに観念したかのような、複雑な情動の色が浮
かんでいた。

 そして……



 「もし……五体満足な弟と二人きりで暮らしていたら……こんな暮らしぶりだった
  のかと思ったら……」

 そして……僅か伏せられた目線をそのままに、平時の彼を知る者が耳にしたら、
別人かと耳を疑うようなぶっきらぼうな声音で…続く告解は、なされた。




 「お前と一緒に生活することが……いつの間にか、とても楽だと感じるようになっ
  ていたんだ」




                                 TO BE CONTINUED...


 






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