やさしい嘘・5





 消え入りそうな問いかけの言葉を最後に、自分を責めるでも詰るでもなく、ただ
静かに涙す少年の姿に……ルルーシュは、咄嗟にかける言葉を見つけることが
できなかった。


 お前の事が大嫌いだと、いつでも殺してやりたかったのだと……実妹を失ったと
いう激情に駆られて、そう彼を罵倒したのは自分自身だ。
 急場に阻まれ、結果として一時的にとはいえ自身の意識より追いやっていたそ
の罵倒が、何一つ言葉を挟むことなく、自分の叫びに従いあの部屋から姿を消し
たロロの心にどれほど大きな傷を抉り残していたのか……今更のように、悔悟の
念が胸を焼く。


 あの生きるか死ぬかの瀬戸際で、ここでロロを失ったら、自分は彼にあの暴言
の詫び言も言えないのだと、そう思って自らを追い立てた。極限まで追い詰めら
れた意識がしがみついた思いなら、それは紛れもない自分の底意であったはず
で……
 だが……彼が目を覚ましたら真っ先に告げなければと自らに言い聞かせてきた
はずの謝罪は、口を開きかけたルルーシュの喉奥に張り付いたまま、言葉をか
たどることができなかった。



 是か非かと問うロロの言葉は、その追い詰められた心情を物語るかのようにあ
まりにも即物的で……自身の感傷から生まれた身勝手な謝罪など、彼の望む応
えには到底なり得ない。
 自らの命をかけたその問いかけに、自分は自分の誠意をかけて、返さなければ
ならなかった。



 「……ロロ…」


 抱える贖罪の念に背中を押され、感傷のままに吐き出した詫び言で楽になり
たがる自分を懸命に押しとどめながら、ようやく絞り出した掠れ声が、応えを待
つ弟の名を呼ばわる。
 自責に逃げたがる自らを腹の底に封じ込め、どうする事がこの少年の思いに
報いることになるのかと自問することは、想像する以上に苦痛を強いられる行為
だった。




 もしも、今この瞬間にロロの命運が潰えようとしているのであれば……自分は、
死に逝く少年の為に、迷わず嘘だと答えただろう。


 お前の言う通りだ。自分はお前を嫌ってなどいないし、お前の命を奪おうなど
と、考えたこともない。自分の打った渾身の芝居を容易く見抜くとは、さすがは自
分の弟だと……きっと彼が望んだであろう、そんな言葉で以て、自分は彼の末
期を看取ったはずだ。
 避けられない黄泉路への道行きを辿ろうしている彼を、僅かでも心安く逝かせ
るために。年若い彼がこの現世に残していく未練を、一つでも拭い去ってやるた
めに。きっと、自分はその最期の瞬間まで、笑ってロロに語りかけたことだろう。

 あの脱出劇の最中、自分がロロに対して抱いた執着は、けして偽りではなかっ
たから。告げる言葉の全てが真実ではなかったとしても、自分は心から、彼を
弟と呼んで見送っていたはずだ。



 だが……それはこの少年の未来が、あの瞬間に閉ざされていたらという仮定
があって、始めて選べた言葉だった。


 現実のロロは、こうして辛くもその命を繋いでいる。彼の選ぶべき未来は、幾
重にも枝分かれしてその眼前に広がっていた。

 彼を失わずに済んだのだという、この安堵の思いのままに、今現在の心情に
任せて嘘だということは簡単だった。その答えはきっとロロの胸襟にわだかまっ
た溜飲を奇麗に下げてくれるであろうし、自分もまた、あの瞬間から総身に重く
圧し掛かっていた自責の念から解放される。

 だが、それが本当に最善の手立てであるのかと問われれば、諾と答えること
も、ルルーシュにはできなかった。


 自分達の相関は、ここからまた形を変え、再び始まろうとしているのに……自
分は自分の衝動のままに、あの罵声を嘘の一言で揉み消してしまって、本当に
いいのだろうか。


 ここで嘘だと言ってしまえば、自分は楽になれる。それこそが望む言葉であっ
ただろうロロも、その背負い続けたであろう懸念を、漸く手放す事ができる。そう
して互いに改めて手を取り合えば、それは傍目には申し分のない程、双方共に
報われた結末であるように映ることだろう。



 だが……それで、本当に自分達は、報われたと言えるのだろうか。

 一度は確かに抱いたはずの感情に蓋をして、相手に都合のいい言葉でお前
が必要だと手を差し伸べる。それは、かつて実妹のいるべき場所を奪い取った
この少年に対し、その籠絡を目的とした自分が、抱く負の情動のままに取った
手立てと、なんら変わりのない行為ではないだろうか。


 互いに感情をもった人間である以上、人と人が交わる現場には、大小さまざ
まな衝突がついて回る。抱く感情の何もかもを明け透けにぶつけ合えば要ら
ぬ確執まで招く羽目になり、そんな事態に陥らないためにも、人間関係におい
て適度な方便は必要だった。
 だが、円滑な人間関係を維持しようと努めることと、自身の誠意を投げだすこ
とは、全くの別物だ。



 ロロを失いたくないと思う自分がいる以上、彼の望むだろう言葉を口にする
ことは、全くの偽証とはなり得ない。それでも、腹の底から彼を疎んじ憎んだ
自分も確かに存在した以上、その全てを否定することは、自分のためにその
命まで投げだそうとした少年に対して、あまりにも不誠実なやり様であるよう
にルルーシュには思えた。




 自分の中にわだかまったさまざまな感情を、どんな言葉で語ればこの底意
が彼に伝わるのか……逡巡に費やした時間は、ルルーシュが思う以上に長
いものとなってしまっていたらしい。

 「……兄さん」
 「…っ」

 控え目な呼びかけの声に弾かれたように顔を上げると、そこには、先刻と
変わらぬ泣き濡れた笑顔のまま、しかし隠しようもなくその口元を小刻みに
震わせている少年の姿があった。



 ロロに対する誠意にこだわるあまり、肝心のロロ自身を動揺させては本末
転倒だ。そう自らを叱咤し、慌てて彼に向き直ったルルーシュの前で―――
その震えを帯びた唇から、思いもよらない言葉が紡がれた。



 「…ごめんね、兄さん。今こんなことを言ったって……兄さん、何も答えられ
  ないよね…?答えなくていいよ……ううん…答え、ないで……」
 「ロロ?」
 「結局は……僕が、安心したいだけ…なんだ……そんなの…兄さんの気持
  ち…巻き込むような、ことじゃない……」


 だから、忘れてくれていい……そう続けた少年の双眸から、しかし、新たな
情動の滴が溢れ出す。


 「……でも…あの時……兄さん、本気で僕を…止めようとして、くれたよね
  ……ギアスをつ、かうなって……あんなに何度も…叫んで、くれた……」
 「…っロロ…」
 「…嬉しかった……もうあのまま…死んでもいいって……本気で、思ったん
  だ……」


 まだ到底本調子であるとは言い難い困憊状態から紡がれた言葉は、語り
部の体力の限界を物語るかのように、不自然に掠れては途切れてしまう。
それでも、それだけで息を荒げるほどに消耗しながらも、ロロはその続く吐露
を飲み込まなかった。


 「……だ、から……あの言葉、だけは……嘘じゃない…て…思って、いい
  よね…?……本気で…僕に…死ぬなって……」
 「ロ……」
 「そ、れだけで……僕は…」


 それきり―――体が上げる疲弊の悲鳴と……そして恐らくは、その身の内
で膨れ上がったのであろう衝動に耐えかねて、断たれてしまった言葉の先を、
ロロは何と続けたかったのだろう。

 上がる息の隙を突くようにして辺りの空気を震わせた、少年の漏らすかすか
な嗚咽を耳にしながら……ルルーシュは、彼を失う焦燥に駆られたあの時と、
同種の衝動を覚える自分を知覚した。



 ロロに対して向けられた自分の感情はあまりにも複雑で、どんな言葉で物
語ろうとも、結局は大なり小なり、彼を傷つけてしまうことは分かっていた。
それでなくても、取り戻しのきかない傷を既に彼に与えてしまった自身を自覚
しているからこそ、自分はできる限り誠実に穏便に、彼との間に穿たれた溝
を埋める言葉を探そうと模索して……

 だが……どれほど語り手が心を砕こうとも、その配慮の余り肝心な自身の
本意まで濁してしまったのでは、言葉を尽くす意味がない。

 相手を傷つける恐れを承知で、それでもそれを自身の誠意と定めたのなら、
どれほど不格好で纏まりがないと思える言葉でも、自分は体裁などかなぐり
捨てて、一語一語彼に伝えなければならなかった。



 「……ロロ」

 喉を干上がらせるほどの緊張が、ただ相手の名を呼ぶだけの短い呼ばわ
りすら、不自然に掠れさせる。
 衝動で今にも裏返りかける声で、しかし、それでもルルーシュは、続く言葉
を手放しはしなかった。


 「ロロ……まずは、お前に謝らせてくれ。……あの時…けして許されない
  言葉をお前にぶつけたこと……お前を、あの部屋から追い出したこと……
  本当に、すまなかった……」
 「…に、さん……?」
 「その上で……弁解にも何にもならないが、聞いてほしい事がある」


 流した情動の残滓に濡れたままの少年の頬に、伸ばされた指先が僅かに
触れる。
 どこか茫然とした様子で、それでもロロが接触を拒まなかったことに後押し
されたように、及び腰に伸ばされたもう一方の手を添えて、ルルーシュは、い
まだ子供じみた輪郭を残すその頬をそっと押し包んだ。


 「……お前に対する思いは複雑すぎて、とても一言では語れない。すべて
  お前に伝えようと思えば、あまりに長くなるし……お前を傷つける事も、
  言わなければならなくなる」
 「……っ」
 「なあ、ロロ……それでも、いいか?最後まで……聞いて、くれるか?」



 触れた掌越しに、わずかに息をのむ気配を伝えてきた頬の上を滑らせるよ
うにして、添えられた両の手が、その首裏へと移動する。
 その疲弊する体に負荷をかけないよう、力加減を気遣いながら―――緩く
抱き寄せた、ロロの華奢な肩口へと、ルルーシュは伏せた己の額を埋めた。

 「に…っ」
 「これは、ただの自己満足なのかもしれないな。さっきのお前の言葉じゃな
  いが、ただ俺が、楽になりたいだけなのかもしれない。……それでも……」


 向き合う少年の顔さえ見据えることのできない自身の弱気が、続く言葉の
語尾を震わせる。声音ばかりではなく、いつしか総身に広がっていた小刻み
な震えは、触れ合うロロにも過たず伝わってしまったことだろう。
 だが……自身の矜持を保つための体裁など、もはやどうでもよかった。



 「もう、これ以上……お前から、逃げたくないんだ……」


 続けられた言葉は、伏せられたロロの肩口に吸い込まれ、平時の彼を知
る者がその耳を疑ったであろう程に、かそけく心許ない響きで以て、周囲の
空気に浸透した。
 だが、それでも……言葉も整わない途切れ途切れの吐露を、途中で自ら
打ち消すことだけは、ルルーシュは、自分に許さなかった。




                               TO BE CONTINUED...


 
 コードギアスR2の小部屋