やさしい嘘・3





 『……誕生日?』


 手にしたものを差し出し、その日初めてその話題に触れたとき―――相向かう弟
は、束の間怪訝そうな顔をしていた。

 今日の日付を忘れていたというよりは、自分が何を言われたのか分からないとで
もいいたげな、一瞬の困惑顔。
 今にして思えば、当時の彼の言動には、長年寝食を共にしてきた身内の見せる
ものとしては、明らかに不自然な綻びが散見されていたはずなのに……記憶を改
竄されていた自分には、その齟齬に気づくことができなかった。




 『10月25日、今日だろ?予算の都合もあってそんなに大したものじゃないけど、
  これ、お前にと思ってさ』


 どこかぼんやりした様子で差し出されたものと自分の顔を交互に見やっていたロ
ロが、告げた日付にはっとしたように身じろいだ。
 まだどこかぎこちなさを感じさせる素振りで、それでも、ようやくその幼い顔がああ、
と笑う。


 『……そうか。25日……今日、だったっけ……』
 『ご期待に添えるようなものじゃなくて悪いんだけどさ。街で見かけたとき、どうし
  てもこれをお前にって思ったんだ』


 頼むから笑うなよ?―――そう言って、改めて差し出した包みはようやくロロの手
の中に収まり、手にしたそれを眺めやるロロの眼差しが、しかし束の間遠くなる。
その後、我に返ったように、ありがとうと笑った少年の容色は平時の彼のものだった
けれど、その身の内でどれほどの動揺と衝動が彼を苛んでいたのか、真実の記憶
を取り戻した今となっては、想像に難くない。


 『ありがとう、兄さん。……今、開けてもいい?』



 その尋常ならざる出自のために、生誕の日さえ記録に残されていない孤独な少
年。任務の一環として潜入したあのクラブハウスで、監視対象である男から自分の
ものでもない誕生日を祝われたその心中のやりきれなさは、如何ばかりだったろう
か。

 自分を落胆させたり、不審を煽ってはまずいと考えたのだろう。彼は殊更に明る
い声音でプレゼントの礼を述べ、恐らくは自分を喜ばせるために、自分の前でその
包みをほどいた。


 包みの中から現れたものをその指先で持ち上げながら、それを眺める少年が一
瞬なんとも言えない表情を浮かべたのを、今でも自分は覚えている。

 およそ、彼と同世代の男子に贈られるような代物ではないであろう、ハートを模っ
た、ロケットタイプのペンダント―――


 『兄さん、これ……ロケット?』
 『男のお前にこういう物もって、直前まで迷ったんだけどな』


 オルゴールが内蔵されているだとか、ストラップ式のチャームにもなるだとか……
自分が語って聞かせた、今にして思えばどうでもいいそんな話を、自分に向けた笑
顔の下で、彼は一体どんな思いで聞いていたのだろう。


 その少女趣味的な形状を見、付加機能を聞かされた時、ロロははっきりと思い
知らされたはずだ。このロケットを選んだ自分の意図と、それを本来贈られるべき
対象が、彼自身ではなかったということを。


 盲目の実妹でも身につけていられるようにと、かつての自分が吟味した代物。
監視の任に支障をきたさないために、自分の弟役になりきってそれを受け取った
ロロの心中は、彼ではない自分には推し量ることしかできなかった。



 ただ……やりきれなかっただろうと、思う。
 その生誕の日を。その息災であることを。無条件に言祝がれる世界もあるのだと。
これまでそんな世界を知らずに生きてきた自身を取り巻く環境は異質なのだと……
あの時、自分の示した言葉や態度が、何よりも雄弁に、彼に教えてしまったのだ。




 それまで縁のない世界に生きてきたのならば、過去の記憶を捏造された自分が
向ける愛情は、なおのこと彼を戸惑わせ、揺らがせたことだろう。そんな彼に、封じ
られていた記憶を取り戻したその後も、自分は自分の野心に役立つからという理由
で、作り上げた偽りの愛情を見せつけ続けてきた。

 体のいい手駒欲しさにこれでもかと向け続けた欺瞞の愛情は、自分の望みどお
りにロロを籠絡し、彼を構成する世界の中に、自分が必要不可欠な主軸となるよう
仕立て上げた。
 けして自分を裏切らせないために。世界を破壊し再生する、自分の野望の礎とし
て、最後まで自分の手となり足となり自分に殉じさせるために。

 いつしか、ナナリーに取って代わった少年に対する怒りと憎しみは、それだけで
は言い表せない、複雑な思いへと形を変えつつあったけれど……




 『―――ありがとう、兄さん。すごく……嬉しいよ』




 それでも、一途に自分を慕うようになった少年に対して、自分はいつでも真正面
から向き合ってこなかった。彼の耳に心地いい睦言ばかりを吹き込んで、自分は
彼を、正面から見つめたことがきっとなかったのだ。


 愛情で絡め取ったことから誘致された事態の責任は、その危惧を知りながら、相
手を溺れさせるほどに愛情で攻め立てた者が引き受けるしかない。
 だが……


 シャーリーが命を落としたとき。そしてそれ以前にも、理性と感情が重なり合わ
ないままそれでも簡単に人を殺められる、彼の冷徹な側面を知ったとき。

 自分は……一度でも、彼に向き合っただろうか。
 口先ばかりの形式的な訓戒などではなく……自分は彼に、それが何故咎めら
れるのかを、一度でも説いて聞かせたことがあっただろうか。



 追想の中で自分に笑いかける、まだどこかぎこちない少年の笑顔が―――何
故向き合ってくれないのかと、自分を責めているように、ルルーシュには思えた。

















 「……っ!」


 出し抜けに頬を掠めた不可解な感触に、冷水を浴びせかけられたような衝動が
全身を竦みあがらせる。


 弾かれたように顔を上げ、追手かと身構えかけて……ルルーシュは、自分が知
らぬ間に寝入っていたことに気づいた。
 自分を覚醒に導いた感触の正体は、風に煽られて翻った自身のマントであった
らしい。跳ね上がった鼓動を沈めるべく大きく呼吸を繰り返しながら、まだどこか焦
点の合わない双眸を何度か瞬かせ、ルルーシュはわだかまる眠気を強引に振り
払った。


 ロロの容体はと、慌てて首を巡らせれば、件の少年は先刻までと様相を違える
ことなく、掛け布代わりにかけてやったマントの下で、安定した寝息を漏らしてい
る。その幼さを残した頬桁には平時の彼を思わせる血色が戻っており、回復の兆
しを確信したルルーシュの喉奥から、安堵の溜息が漏れた。

 同時に、この非常時にうたた寝をしてしまった後ろめたさが込み上げてくる。見
咎めるものもない現状を知りながら、それでも付添の役目を放棄してしまった事を
詫びるかのように、ルルーシュは眠り続ける弟の頭を一撫でした。


 立て続けに起きた常軌を逸する事態に、自分が思う以上に疲弊していたのだろ
うが、この状況下で寝入ってしまった自分の不用心に背筋が寒くなる。まだ治ま
らない動悸を持て余しながら辺りの景観を見やれば、幸いにもと言っていいもの
か、寝入ってからさほどの時間は経過していないようだった。

 それでも、奥深い森の中では、外界よりも陽の陰りが早い。まださほど陽も傾
いてはいないのだろうに、木立を吹き抜ける風は陽光による余熱を留めておらず、
幾分肌寒さを感じさせた。
 このままでは外気がロロの体に触るだろうと、それまで換気程度に開いていた
蜃気楼のハッチを閉じる。体を冷やしてはいないかと、外気に触れていた滑らか
な頬に手を宛がえば、そこは冷えるどころか、むしろじわりとしたぬくみを持ってい
た。

 限界まで酷使した心臓が壊死を起こす危険からは免れたらしいものの、その困
憊が発熱となって表れたのだろう。手に平に感じた熱はまださほどのものではな
いようだが、これから日が落ちるに従って、熱が上がる可能性は十分にあった。

 額を冷やすためにも、目を覚ましたロロに水分を補給させるためにも、水が必要
だった。その時になって慌てて水場に走るよりも、まだ陽のあるうちに用意を済ま
せてしまった方がいいだろう。


 眠るロロの様子を今一度確認し、短時間ならここに一人残しても大丈夫だろう
と判断したルルーシュは、水汲みのために一端外に降りようと再びハッチを開放
した。地面に降りるために内蔵の簡易昇降機を作動させかけて……つと、その
視野に飛び込んできたものに目線を奪われる。
 それまで意識を向けることのなかった、コックピットの床の片隅。ルルーシュ側
から見て操縦席を挟んだ向かい側にあたるために、それまで目につかなかった
その場所には、追手を振り切って滑空を続けた蜃気楼の激しい動きに床上を右
往左往していたのだろう、ロロの携帯電話が転がっていた。

 そういえば、あの脱走劇の最中にロロの制服の胸ポケットから転がり落ちたま
ま、包囲網を抜けるのに必死で回収する間もなかったことを思い出す。あの切迫
した修羅場にはおよそ似つかわしくなかったロケットのオルゴールも、どこかに
ぶつかった衝撃でいつしか鳴りやんでしまい、その後、ようやくこの森に落ち着
いてからも、ロロの容体や余所事が気にかかり、すっかりその存在を失念してい
たのだ。

 ここにたどり着くまでの間に、あちこちぶつかったのだろう。表面にいくつか傷
を作ってしまった携帯電話を拾い上げながら、その先にぶら下がったロケットを、
ルルーシュは複雑な思いで見やった。

 このロケットが原因で、随分と情けのない言葉をロロにぶつけてしまった。自分
の記憶に手が加えられていた時分のこととはいえ、これは確かに、自分がロロに
贈ったものだったのに……
 せめて、投げつけたあの時に、ロケットを壊してしまわなくてよかったと思う。今
更改めて手渡すような真似もできないが、素知らぬ振りでロロの手元に戻そうに
も、壊れてしまっていては取り繕うこともできないところだった。

 制服の胸ポケットに戻すのは、ロロの呼吸と睡眠を妨げる恐れがある。ここは
ロロの容体が安定するまで自分が預かるかと、ルルーシュは手にしたそれを、
スーツの合わせに押し込もうとした。
 開いたままになっていたロケットが収納の妨げになったり、余計な傷を表面に
作りはしないかと、深く意図するでもなく、左右に開かれたそれを閉じようと指先
で摘む。
 自然と、その内側を自分に向けることになり……次の刹那、ルルーシュは結果
として検分することになったロケットの中身に、思わず息を飲んだ。

 「……っ」

 このロケットに、贈り主の自分にも触れさせないほどにロロが執着していること
は知っている。だから、一度態度で示されて以降は、自分も極力素知らぬ振りを
決め込んできたのだが……そもそも、この中に写真を仕込んで彼に渡したのは、
記憶を改竄されていたとはいえ、自分自身だ。

 ある種の不可抗力でもあるし、ロロの意識がない今、その中身を知る自分が改
めてそれを目にしても、然したる問題などあるまいという、軽い気持ちだった。
 だが……


 「……ロロ…」


 自分にすら触れさせることを拒んだロロの真意はこれだったのかと、どこかに残
されていた冷静な部分の自分が得心する。
 しかしそれ以上に、ならば何故、余人に対してまで彼が同種の警戒を貫いたの
か……ロロの思いが読めなくて、ルルーシュは、いまだに傍らで安らかな寝息を
漏らす少年の顔を、半ば茫然と眺めやった。




 開かれたロケットの中には―――何の写真も、収められてはいなかった。





 意図するわけでもなく直面してしまった一つの事実に、半ば自失していた時間
は、果してどれ程のものだったのだろう。
 開かれたロケットとロロの寝顔を忙しなく見比べていたルルーシュの意識を現
実へと呼び戻したのは、吹く風に梢を揺らす頭上の大木の、葉鳴りの音だった。

 時を同じくして、ハッチの隙間から吹き込み頬を撫でつけた風は、先刻よりもはっ
きりと知覚できるほどに、冷気を纏い始めている。
 まだ十分な陽光が差し込んでいるように見えるが、直に日が落ちようとしてい
るのだろう。初めて足を踏み入れたこの奥深い森を、日暮れを迎えてから動きま
わるのは危険だった。


 とにかく……今は、水を汲んでくることが先決だ。


 空のロケットの存在はルルーシュの心に打ち消すことのできないしこりを残した
が、そもそも、あの写真は、彼にロケットを贈る際に、自分のある種の悪戯心が
仕込ませたものだ。少女向けの意匠といい、家族写真の携帯を暗に強要するよ
うな演出といい、世間一般の男兄弟が贈りあう品物としても始めから無理がある。
 あの時点ではただの監視役を自認していたであろう彼が、その中身だけでも処
分する気持ちになったところで、なんら不思議はないのだ。

 中身のないロケットに、あれほどまでに執着して見せたロロの思いだけは、ル
ルーシュにも推し量ることができなかったが……



 とはいえ、突然舞台に引きずりあげられた、あの脱出劇の衝撃で束の間意識
から追いやってしまっていたが、このロケットをロロに投げつけ、彼の存在を頭か
ら否定してのけたのは、ほかならぬ自分自身なのだ。今更その中身についてな
ど、云々できる資格自体が、自分には残されていない。

 自分は彼を、自分の身勝手な激情に任せ、一度は切り捨てたのだ。こうして、
文字通り命がけの譲歩をロロから示された今となっても……否。今だからこそ、
自分は自分の行為を、都合よくもみ消してしまうわけにはいかなかった。




 「……すぐ、戻ってくる」


 意識のない少年を、それでも声もかけずにここに残していくことは先刻の愁嘆
場を彷彿とさせるようで、ルルーシュにはできなかった。
 眠るロロの前髪を軽くかき上げると、外界の冷気で更なる発熱を誘発しないよ
う、かけたマントの合わせをしっかりと止める。

 もう一度、すぐに戻ると言葉に出して言い置くと、ルルーシュは作動させた簡
易昇降機を使って、今度こそ蜃気楼の機外へと降りて行った。



                             TO BE CONTINUED...



 




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