やさしい嘘







 「やめるんだロロ!どうして俺なんかを助け…っ」

 限界を超える速度で滑空を続ける蜃気楼のコックピット内は、異様な緊迫の
只中にあった。



 実兄シュナイゼルの姦計により、取り上げられてしまったゼロとしての拠点。
公表されたギアスの存在に憤怒し、一斉に背をそむけた黒の騎士団の同胞。

 何もかも、これで失ったと思った。ギアスユーザーである以前に、脆弱な一個
人にすぎない自分には、身の寄せどころなくして世界に反逆することなど到底
かなわない。

 ナナリーを失い、その衝動のままに、偽りの弟として命運を共有したロロを切
り捨て……これは、これまで自分が積み重ねてきた業に対する報いなのだ。


 だから、向けられた数多の銃口から、自分は逃れようとはしなかった。そうし
てほふられる自分も予定調和のうちなら、今更どうあがいたところでこの縮図
は覆せないと思ったからだ。




 だが…・…
 だが……何故今になって、この身には、自ら切り捨てたはずの差し出し手が
述べられているのか……




 慣れない蜃気楼の操作に戸惑いをのぞかせながらも、それでも、ロロは幾重
にも張り巡らされた包囲網を、確実に突破していった。

 自分の中で、時間の感覚が不自然な切断を繰り返す異質な感覚。途切れ
途切れに耳朶を打つ、独白のようなロロの言葉。

 停止を司る、ロロのギアスの発動―――

 改竄された記憶を取り戻し、ロロと改めて偽りの兄弟関係を結んだ時から、
それは、幾度となく体感してきた感覚だった。



 途切れかけた意識がつながる度に、眼前の少年の容色に隈が浮かび、血
の気がうせていく。ロロの体が…ひいては、ギアス発動の毎に負荷を与える
という彼の心臓が、とうに限界を超えていることは素人目にも明らかだった。


 蜃気楼の追撃を狙う後続機の全てを対象に発動を繰り返した停止の力は、
その一振り毎にどれほどの負荷をロロに強いているのだろう。
 これ以上はロロの命が危険だ。ロロの顔色と荒い息使いにそれを思い知ら
され、ルルーシュは自分こそが、心臓を掴み上げられるような恐怖を味わった。


 ナナリーを失い、自分の中に口を開けた、けして埋まることのない巨大な洞。
自分自身でさえ触れることのできないその空虚な穴を、当然のように自らの
存在で塞ごうとしているロロの姿を知覚した時、自分は腹の底からロロを憎ん
だ。

 都合のいい解釈に聞き違えようのないあからさまな言葉で憎悪を叩きつけ、
消えろと叫んだ。床に投げつけた携帯電話と…そして、ほかでもない自分自
身が贈ったロケットを震える手で拾い上げ、よろめくような足取りで部屋を出て
行った少年の顔には、これまで自分が目にしたこともなかったような、絶望と
虚脱の色が浮かんでいて……

 偽りの記憶を植え付けられていた時分から数えても……あんな顔をするロロ
を初めて見たと、ルルーシュは思ったのだ。

 それは、取り繕うことを初めから放棄した、自分の激情をぶつけられたロロに
とっても同様だろう。思えば、完全に心を開いた存在であったはずの、実妹の
ナナリーや、級友であると同時に袂を分かつ存在となったスザクに対してさえ、
あれほど明け透けな感情を、自分はぶつけたことがなかった。

 それが、この一年あまり寝食を共にしながらも、腹の底ではけして身内と認
めてこなかったはずのロロに初めて向けた、ある種の甘えであったのだと……
意識したのは、ロロが部屋を立ち去り、それまで固唾をのんで沈黙を守ってい
たC.C.に、及び腰に気遣いの言葉をかけられた時だった。



 少なくとも……ナナリーの安否も知れないこの事態は、ロロの失態によって
生じた訳ではないのだ。総身にのしかかる重圧と、身の内で膨れ上がる鬱積
にどれほど苛まれようとも、あんな風にロロ自身を頭から否定し切り捨てるよう
な言いようを、自分に正当化していいはずがなかった。


 いずれ、ほとぼりが冷め、自分もロロも今より平静さを取り戻したら、きっとあ
の失言を彼に詫びようと、自分は確かに思ったのだ。ロロ個人に向けられた、
自分の複雑な感情など言い訳にもならない。自分は、けして口にしてはならな
い言葉を彼にぶつけたのだ。




 だから……だから、こんな状況が自分を待っていたのでさえなければ、自分
はきっと、ロロに……





 「は……人間に……なれた…」

 ともすれば自虐へと逃げ込みそうになる意識の継ぎ目を付いて、途切れ途
切れに耳朶を打つ、荒い呼吸交じりのロロの独白。
 その立て続けに発動されるギアスの拘束下で制止の言葉を遮られ、手をこ
まねきながら事態の蚊帳の外に放置され続けるのも……忍耐の、限界だった。



 「から……もう…僕は…」
 「っやめてくれ!ギアスを使うな!死にたいのか!?」


 腹の底から振り絞った叫びすら、ロロの司る停止の力に阻まれて、彼の耳に
届いているのかどうかさえ、わからない。
 ロロを止めなければ……ここでロロを止めなければ、本当にロロの命が失わ
れてしまう。



 自分はまた……失うのか。最愛の実妹に続いて、血の繋がりさえない存在
でありながら、ここまで忘我の献身を示してくれた、少年を。
 まだ、自分は告げていない。あの暴言に対する謝罪も、絶体絶命の状況か
ら我が身も省みずに自分を救いだしてくれたことに対しての感謝も。自分はま
だ、何一つ彼に示してはいなかった。

 言葉に置き換えることへの躊躇いや畏怖の念から、腹の底に留め置いてし
まった思いは、けして望んだ相手へと伝わることはない。そんな、誰かと接す
ることの難しさや煩わしさを、良くも悪くも自分に教えたのは、他人の関係から
始まった、この少年ではなかったか。



 ロロを、死なせるわけにはいかない。このまま何も伝えられないまま、彼を
あの絶望と喪失の念を引きずらせたまま、ここで失ってしまうわけにはいか
なかった。




 自分を逃がすことにだけ、その意識を全霊で傾けているだろうロロに、どれ
ほど声を荒げようと、自分の制止は届かない。
 ならば自分は……今の自分に、できることは……



 と、その刹那―――高速での移動を繰り返す蜃気楼の進路を、迎撃の命
を受けたのだろう軽アヴァロンが妨害した。

 「……っ」

 息をのむルルーシュの傍らで、撃墜を狙うロロの虹彩が朱の色に染まる。
 まっすぐにこちらに砲身を向けた軽アヴァロンに晒された、自らの命の危惧よ
りも何よりも……今ロロにギアスを使わせては駄目だと、ルルーシュの本能が
警鐘を鳴らした。


 これ以上は駄目だ。おそらく、あと一度でも彼が時を止めたら……



 「ロロ!」
 我知らず発された呼ばわりの叫びと同時に、衝動に突き動かされたルルー
シュの手が、今にも時を止めようとしていたロロの腕をきつく掴みよせた。

 「…っ」

 蜃気楼のコンソロールパネルに置かれていたロロの手先がその動きにつら
れて狂い、蜃気楼の制空バランスが束の間崩れた。その鼻先を掠めるように
して、眼前に迫った軽アヴァロンが砲撃する。

 ロロの余力の面からも、蜃気楼の直面する境地からも、もう束の間の躊躇さ
え許されない。
 咄嗟の出来事に面食らい、弾かれたように顔だけこちらに向き直ったその
幼い容色と、ルルーシュは意図してその視線をかち合わせた。
 驚きにわずか開かれた、ロロの唇から言葉が発されるよりも先に、自らの眼
前を掠めた指先が、そこに科されていたギアスの封印を解き放つ。



 そして―――



 「眠れ!俺がいいと言うまで!」



 間髪入れずに発された叫びはそのまま絶対遵守の威力を有した命令とな
り……次の瞬間、自失の様相を見せたロロの総身から、糸が切れたように
力が抜けた。
 強制的に意識を失い、自分に体重を預けてきた弟の体を支えながら、ルルー
シュは、狭いコックピット内を、強引に移動した。
 制御を失い、今にも地面に叩きつけられそうな状態にあった蜃気楼が、間
一髪のところで、ルルーシュの操作に従い、再び空に舞い上がる。


 安堵の思いに息つく間もないまま、パネルに走らせたルルーシュの指先がい
くつもの動作を蜃気楼に発令し……
 ややして……絶体絶命の境地にまで蜃気楼を追い込んだと確信していたで
あろう軽アヴァロンは、絶対守護領域の隙をついて発された攻撃の直撃を受
け、空中に四散した。



                           TO BE CONTINUED...


 



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