2006年10月16日(月)朝日新聞(夕刊)

連続インタビュー 歴史認識 

もう一つの日米同盟 戦後体制編@    山口大教授 纐纈(こうけつ) (あつし)さん(51年生まれ。一橋大大学院修了。日本近現代の政治軍事史が専門。著作に『日本海軍の終戦工作』『近代日本政軍関係の研究』『戦争と平和の政治学』など。)

 

中国戦に敗れた日本、認めぬまま総括誤る

 「日本が戦争で米国に負けたことは多くの人が認めるでしょう。しかし、中国に負けたとなるとどうですか」

 日本人の戦争観の根本的な問題がそこにある、と指摘する。

 米国との戦いが始まった41年、中国に投入されていた日本陸軍の兵士は138万人で、総兵力の65%だった。米国との戦いで兵力は南方戦線(南太平洋戦線)につぎ込まれ、敗戦の45年には164万人に達した。だが、同じ時点で中国にはそれをしのぐ198万人もの兵力が配備されていた。

 「中国戦線の比率は非常に大きかった。しかし、あの戦争は米国の物量に負けたと総括することで、日本の侵略に抵抗した中国やアジアの人々の存在を忘れることにしたのです」

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 31年の満州事変に始まり日本は15年にわたって中国で戦争をしてきた。米国との戦争は、中国との戦争の延長線上で踏み込んだものだった。中国との長く厳しい戦いで国力が消耗し、国内に厭戦機運が広がらなければ、米国との戦いも別の展開になったはずだ。あるいは米国との戦争も起きなかったかもしれないと指摘する。

 「日本人は、中国やアジアの人たちに負けたと総括したくなかった。アジアで唯一の近代国家・日本にとって、近代化されていない中国に負けるはずはない。負けるとしても、その相手は日本とは別のスタイルの近代化を達成した米国でなければいけなかった」

 敗戦からさほど時をおかずに始まった冷戦のなかで、日本は政治・軍事の戦略拠点として米国から保護を受ける。日本が侵略や支配した国々では軍事政権や強権的政権が続き、侵略責任や戦争責任を問う人々の声は封殺された。革命を果たした中国は、冷戦のカーテンによって日本人の視界から消えた。

 「自分たちがした行為の責任にきちんと向き合う必要がないため、戦争の総括を誤り、アジア侵略戦争の忘却を生んだ。それが米国にとっても都合がいい誤りであったことは、今日まで連綿と続く米国との過剰な同盟が実証している。言うなれば日米の“歴史認識同盟”なのです」

 米国の物量に負けたという思いは、大量生産・大量消費の米国型近代化を志向させ、経済成長を果たす原動力となったが、一方で、戦争責任も植民地責任も自ら総括することなく今日に至った、と考えている。それが政治家たちの「妄言」を次々と生み出し、冷戦が終わって民主化が進むアジア諸国で上がった日本の戦争や侵略の責任を問う声に、敵意を隠さない原因だと分析する。

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 アジアヘの優越感も、戦前のままに保たれた。あの戦争はアジア解放の戦いだったとか、植民地支配には利点もあったとか、戦犯は勝者の一方的な裁きだというような主張も目立つ。

そうした自己肯定がドイツでありえなかったのは、徹底した侵略責任の糾明とナチス犯罪への謝罪が具体的な内実を伴って実行されなければ、欧州諸国がドイツを許さないという政治環境にあったからだ。北大西洋条約機構(NATO)に加盟するためにドイツは、被侵略国への謝罪と、戦争再発防止の宣誓をする必要があった。

 だがアジアでは、米国が日本、韓国、フィリピンなどと個別に2国聞安保体制を築いたので、日本は隣国との関係改善を急がなくてもよかった。ドイツが「ドイツの欧州化」を目指したのに対して、日本は「アジア化」ではなく「米国化」に奔走した、とみる。

 帝国憲法では、戦争を始めるのも終えるのも天皇の権限だった。ヒトラーはドイツの国民が選挙で選んだが、日本の臣民は戦争を始める責任者を選ぶ権利はなかった。心情的に「政治指導者にだまされた」という思いが生まれても、自分を加害者と意識しにくい構造がここにあると考える。戦争責任を一部の軍人に負わせ、天皇を含めた政治指導者やエリートの責任をあいまいにしたが、「近代の戦争は総力戦。一部の軍国主義者だけでできるものではないのです」。

 「大切なのは、戦争にとどまらず、日本の近代そのものを問う作業」と呼びかける。「アジアを踏みつけないと達成できない暴力的で抑圧的な近代」だったのではないか。「戦後になって服は代わったが、肉や血は戦前そのまま」なのではないか。靖国神社への前首相の参拝は、そんな日本の問題点を、端的に示したと思う。「歴史を改めて問い返す機会にしなくては」

         (渡辺延志)