第七回目の会 | |||||||||||||||
開催日時:2007年3月10日(土)12:00〜15:00 場 所:丸の内「エスカール・アビタ」 参加人数:19名 テーマ:スペイン-カバ、リオハ、シェリー(Cava, Rioja and Sherry) |
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内容 ワイン:■カバ「ラクリマ・バッカス・ブリュット・レゼルバ」 ■ラ・マンチャ・白「ファン・フランシスコ・ソリス ブランコ」 ■リオハ・白「マルケス・デ・カセレス ブランコ2001年」 ■アラゴン・赤「ノストラーダ・ガルナッチャ カンポ・デ・ボルハ2005年」 ■リオハ・赤「マルケス・デ・カセレス グラン・レゼルバ1998年」 ■シェリー・辛口「エミリオ・ルスタウ アルマセニスタ フィノ・デル・プエルト 1/183」 ■シェリー・甘口「エミリオ・ルスタウ アルマセニスタ オロロソ パタ・デ・ガリーナ 1/38」 食 事:スペイン風オムレツやピンチョスなどオードブルの盛り合わせ 生ハム(ハモン・セラーノ)とサラミの盛り合わせ フリットとコロッケ、サラダ添え 鶏のトマトソース煮込み 魚介のパエリヤ |
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Via Vino第7回を開催しました。今回は、フランス、イタリアと並んでワインの一大産地でありながら、日本での認知度は今ひとつの、スペインワインをテーマとしました。 今回は19名の方々に参加いただきました。白/赤のスティルワインに加えて、スパークリングのカバ、酒精強化のシェリーも用意していただき、アルコール量の多い会になりました。 それではワインエデュケーター試験で世界最高得点を獲得し、波に乗っている宇都宮氏の解説をぜひご一読ください。 |
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第7回目のワインについて | |||||||||||||||
目 次 | |||||||||||||||
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はじめに
今回はスペインを取り上げます。フランスとイタリアに比べると、ワイン生産地としてのスペインはまだあまり知られていないように思われますが、ブドウ栽培面積では世界一を誇り、また生産量でもフランス、イタリアに次いで第三位を維持しています。 |
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会場に早く来られた方にはシェリーのフィノを最初に飲んでいただき、その後メンバーが揃ったところで、シャンパーニュではなくスペインのスパークリングワイン、カバで乾杯しました。イタリアのフランチャコルタ同様、スペインのカバもシャンパーニュの瓶内2次発酵を取り入れた本格的なスパークリングワインです。最低9ヶ月の熟成が義務づけられ、品種はマカベオ、チャレッロ、パレリャーダといったスペイン固有種が使用されますが、一部ではシャルドネも使われます。9割がカタルーニャのペネデスで作られますが、さらにその8割は、カバを最初に製造したコドルニュー社とフレシネ社の2社が独占しています。「ラクリマ・バッカス・ブリュット・レゼルバ」はラヴァルノヤ社のもの。このワイナリーもカタルーニャのペネデスにあり、1890年にカバの製造をはじめたメーカーで、最新鋭の醸造設備を有するワイナリーでは、現在年間約200万本のカバを生産しています。 |
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本格的なスパークリングワインであるカバと、非常にレベルの高い熟成タイプのリオハ、そして酒精強化ワインのシェリー。これらがスペインの三大ワインと言われています。今回はそれらを全て取り揃えてみました。特にリオハは、長期熟成タイプの赤ワインで知られています。1995年の世界最優秀ソムリエコンクールで田崎真也氏が優勝した時、決め手となったのは、赤ワインのテイスティングで「リオハ・グラン・レゼルバ」を見事当てた事でした(ちなみに、2位のフランス人は「リオハ・レゼルバ」と答えたとか)が、ビンテージに関しては、田崎氏は「1982年」と答えたものの、実際には「1968年」でした。リオハワインの類い稀なる熟成能力を良く示しているエピソードだと思います。また、辛口から甘口まで多彩なバリエーションを持つシェリーは、日本では食前酒のイメージが強いので、今回も食前酒として辛口のフィノを先に配りましたが、スペイン南部では気軽に食中・食後を通じて楽しまれています。酸味が低く若干アルコールが高めで、どこか日本酒に通じる風味のあるフィノは、あらゆる魚介類と合わせることができます。 |
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また、熟成タイプのリオハの白・赤と対比させるために、世界で最も生産量が多い白ブドウのアイレンで作られたラ・マンチャの白ワインと、同じく赤ワインで最も生産量の多い黒ブドウのガルナッチャから作られたアラゴンの赤ワインも用意しました。 ラ・マンチャはスペインの中央に位置し、名作「ドン・キホーテ」の舞台でもあります。凄まじい灼熱の夏と凍えるような冬が交互に訪れるこの地では、ややアルコール過剰で酸味が低めの白ワインが多く作られています。土地が広くかつ首都マドリードに近いということもあり、スペイン最盛期には増産を続けてきましたが、今後は品質の向上が大きな課題となっています。 アラゴンはリオハの東に位置し、夏は雨が少なく猛暑で、冬は北風が猛威をふるい霜の被害も多く、このような厳しい条件で栽培されるブドウとしては多産系のガルナッチャが重宝されています。中でもフランスに近いソモンターノは、在来種に加えてカベルネやメルローなども導入し、国内外で注目を浴びつつあります。 |
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白ワインのテイスティング
まず白ワインのテイスティングです。ラ・マンチャの白「ファン・フランシスコ・ソリス・ブランコ」と、リオハの白「マルケス・デ・カセレス ブランコ2001年」です。 |
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一方リオハの白は、輝きのある麦わら色で、甘く華やかなリンゴや洋ナシ、そして花の香りが感じられ、酸は強すぎず、口の中に広がる果実味が心地良いワインでした。リオハの白ワインは、昔は赤よりも有名だったそうです。品種はビウラで、リオハでは樽で発酵・熟成させるものも多いのですが、これは樽を使用していないようです。今回はリオハの白・赤それぞれを同じ「マルケス・デ・カセレス」の物で揃えてもらいました。スペイン内乱中にボルドーに移住し、名門シャトーで成功したアンリ・フォルネ氏は、弟にシャトーを任せてリオハ・アルタのセニセーロに戻り、1970年代にマルケス・デ・カセレスを設立したそうです。現在は、娘のクリスティーヌと共にワイン造りに励み、成功を収めています。ちなみに、「マルケスmarques」は「侯爵」の意味で、「マルケス・デ・ムエリタ」や「マルケス・デ・リスカル」など、リオハの有名銘柄にはこの「マルケス」の名の付くものが数多くあります。 | |||||||||||||||
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リオハについて
さて、スペインのワインは大きくDOC,DO,VdlT,VdMに分けられますが、そのうち最高とされるDOC(Denominacion de Origen Calificada)は今のところリオハとプリオラートの2ヵ所だけです。特に樽熟などフランス仕込みの技法を用いながら、在来種のテンプラニーリョを使うリオハは、スペインワインの最高峰として、他のワインとは別格の扱いを受けてきました。 |
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リオハワインの発展とボルドーワインとは密接な関係がありますが、ワインのスタイルもボルドーとかなり共通する点が多いように思われます。色と味わいに深味があり、並外れた熟成能力を持ち、長く寝かせたビンテージ物の真価を味わうにはデカンテーションを必要とします。 ワインの熟成におけるオーク樽の使用は、本来オーク風味をワインに付けることが目的ではありません。ワインのとげとげしさを減らし、その風味を調和させ、熟成香(ブーケ)を生みだすことが目的なのですが、それに対し最もこだわりを持つのがリオハです。その樽熟期間は白、赤ともに法律で細かく規定されています。特にグラン・レゼルバは、樽熟で最低2年置かねばならず、瓶熟期間も含めると6年目以降しか出荷できないとされています。殆ど新樽は使わず、一部のワイナリーはボルドーの最上のシャトーで数年間使われた樽をわざわざ取り寄せています。 |
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赤ワインのテイスティング
続いて、いよいよ赤ワインのテイスティングです。アラゴンの赤「ノストラーダ・ガルナッチャ・カンポ・デ・ボルハ2005年」と、リオハの赤「マルケス・デ・カセレス・グラン・レゼルバ1998年」です。 |
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一方リオハのグラン・レゼルバは、深紅で縁の褐色がかった色合いが印象的な、アロマティックでエレガントなワインです。ポートのような甘味とプラム系の果実の特徴的な酸味を併せ持ち、長期の樽熟成による繊細な風味も加わって、とても飲みごたえのある味わいでした。これは先ほどの白のリオハと同様、「マルケス・デ・カセレス」によるもの。ワインの醸造をステンレスタンクで行い、温度管理に気を配り、アメリカン・オークの代わりにフレンチ・オークの小樽を使用し、瓶内熟成を併用することで必要以上にワインが酸化熟成することを避けています。 |
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スペインワインの歴史
B.C.1100年頃 フェニキア人、へレスに上陸、葡萄の樹を持ち込む |
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1588年 スペインの無敵艦隊、イギリスに敗北する キャプテン・ドレイク、2900樽のワインを奪って凱旋する 1700年 ブルボン家のフェリペ5世即位 1701年 スペイン継承戦争 1770年 スペインの僧侶セラ神父、カリフォルニアに葡萄園開く 1872年 カバの生産開始 1880年頃 フランスからリオハへボルドーの醸造技術が持ち込まれる 1891年 マドリッド協定にて、シャブリ、ポートの原産地名保護(米国批准せず) 1901年 英国エドワード7世、宮殿のシェリーをオークションへ |
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1920年 スペインにてワイン生産地の指定制度発足 1932年 スペインにてリオハなど18の原産地呼称発表 1935年 フランスにて原産地統制呼称(AOC)発足 1970年 「葡萄畑、ワイン及びアルコールに関する法令」施行 これに基づきINDO(国立原産地呼称庁)設立 1977年 シェリーの認定 1986年 カバの認定 |
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スペインにはこんなことわざがあります。「神様がスペインという国を作った時、何が欲しいかと人間にお尋ねになった。我々はふんだんなワイン、美味しいチーズ、美しい女たち、勇敢な男たちが欲しいと頼んだ。でも、まじめな政治家を頼むのは忘れていた……」 まさにその通り。スペインには美味しいワインとチーズ、そして美男美女がそろっていますが、政治的には安定しているとは言えず、今現在もバスクやカタルーニャ問題で分裂の危機にあるのです。これはもう、どこかの国の政治家がつまらない失言をしたというレベルではありません。 |
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豊かなイベリア半島は、常に他国に支配されてきました。西ゴート王国の後はイスラム勢力下に置かれ、レコンキスタによってそれを撃退した後は、いつの間にかオーストリアのハプスブルク家に支配されてしまいます。16世紀には「太陽の沈まない国」とうたわれたスペインですが、その頃神聖ローマ皇帝カール5世でもあったスペインの名君主カルロス1世は、ハプスブルクのフランドル生まれ、スペイン語は喋れませんでした。何をするにも通訳が必要で、そうでなくとも神聖ローマ皇帝としてヨーロッパ中を移動し続けなければならず、失言どころかまともに命令が通じないことも多かったようです。スペインには当時新大陸から得られた多くの金銀があったのですが、それを国家の近代化に役立てることはなく、実りのない戦争の費用に注ぎ込んだのです。 |
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17世紀前半にドイツで起きた三十年戦争、教科書的にはカトリックとプロテスタントの戦いでしたが、その実態はハプスブルク家とブルボン家の勢力争いでした。実際この戦争では、本来カトリックの国であるフランスが公然とプロテスタントを支持していたのです。もともと勝っても負けてもスペイン国民にはなんら利益をもたらさないこの戦いに、ハプスブルク家は威信をかけて莫大な費用を注ぎ込みましたが、結果としてフランスに破れ、アルザスを失うことになります。その後近親結婚を繰り返し弱体化したハプスブルク家は、結局ブルボン家にスペインを譲らざるを得ませんでした。その後スペインはブルボン家のもと中央集権国家へと切り替わりますが、それ以前に独立を勝ち取ったポルトガルに比べ、地中海に一時代を築いたカタルーニャはブルボン家に逆らった結果自治権を手放すことになり、これ以降中央政府と反目を続けることになります。 |
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この流れは丁度南フランスや南イタリアが辿ってきた歴史を彷彿とさせます。まさにスペインは、その豊かさ故に近代化に乗り遅れ、国ぐるみ他国の支配に振り回されてきたのだと言えるでしょう。ワインにおいても、独自の高貴品種をかたくなに保っている反面、その製造・流通は他国の影響を大きく受けてきました。 例えば、シェリーはスペイン固有の酒ですが、その発展は主としてイギリスの影響を受けています。英仏百年戦争により、フランスワインの入手が困難となったイングランドは、へレスに注目します。イングランドの薔薇戦争が一段落すると、ヘンリー7世は、航海条例によって輸入品の運搬をイングランド籍船に限定します。それによってボルドーはクラレット、へレスはシェリーというように、全て英国風のワインの名称が定着するようになったのです。そもそも、シェリーの酒精強化は輸出の際に保存性を高めるのが目的でしたし、ソレラシステムという、樽を積み重ね、下の古い樽に上の樽から新しいワインを加えて、品質を均一に保つという独特の樽の使い方も、スペイン継承戦争で需要が冷え込んだ時、大量の樽が倉庫に残されたために生まれたものとされています。 |
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さて、ナポレオンによる侵略戦争を体験したスペインの画家ゴヤは、一連の有名な「黒い絵」を描いた後、ボルドーへ亡命し、最後の作品、明るく柔らかい色調の「ボルドーのミルク売り娘」を描きました。スペインとフランスは、ピレネー山脈を隔てて昔から交流があり、それがワインにも多くの影響を与えています。特にリオハワインは、さまざまな点でフランスのボルドーワインの影響を受けています。オーク樽作りの技術は中世にフランスから移住してきた修道士達がもたらしたものです。また、1860年頃、アメリカからヨーロッパにもたらされた害虫「フィロキセラ」によって、フランスを始めとする各国のワイン生産者は大打撃を受けましたが、ボルドーの生産者達の一部は、開通したばかりの鉄道に乗って隣国スペインのリオハに渡り、ボルドーにおけるワイン造りをその地へ根付かせました。リオハのワインの品質の高さはこれによってもたらされたと言えます。スペイン国内での戦争の悲惨さ、人間の醜さを描き続けたゴヤが、他ならぬワインの地ボルドーで美しく素朴な女性を最後に描いたということは、何となくほっとさせられるエピソードだと思うのですが、ボルドーの地がゴヤの作品群に清らかなひとひらの花を添えたように、ボルドーのワインもリオハの荒々しいワインに一種の洗練さを加えたと言えるでしょう。 |
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シェリーのテイスティング
シェリーは南スペイン、アンダルシア地方の酒精強化ワインで、主としてパロミノという品種から作られます。この地のアルバリサと呼ばれる白亜土壌が、パロミノに最適とされています。フロール(「花」の意)と呼ばれる産膜酵母によって独特の香味を持つ黄金色で辛口のものがフィノ、フロールが発生せず、高めに酒精強化され、褐色で甘口のものがオロロソ、そしてフィノをさらに熟成させたものがアモンティリャードです。今回は食後にオロロソを配りましたが、琥珀色に輝き、まさに紹興酒の様な香りを持っていて、逆に甘さは控えめで後味はどちらかというとさっぱりしていました。 |
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古くから伝わるボデガを持ち、代々受け継がれてきた素晴らしいシェリーをストックしている人々の事をアルマセニスタと呼びますが、エミリオ・ルスタウ社では、彼らの生み出す素晴らしいシェリーを、アルマセニスタ・シリーズとしてリリースしています。今回ご紹介したのは、そのルスタウ社のアルマセニスタのフィノとオロロソです。全くブレンドを行わず、個々に瓶詰し彼らの名前と共に産地も明記しています。また大量供給を目的としていないため、年に一度だけ樽から出して瓶詰め、出荷しています。なお、名称に続く分数数字の分母は、ソレラの最下段の樽の数を表しています。 |
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スペインワインの特徴
画家の鴨居玲や、俳優の天本英世など、スペインに魅せられた日本人は意外と多いように思われます。全ヨーロッパを手中に収めたナポレオンを生みだしたフランスや、古代ローマという栄光の歴史を背負うイタリアでは、特にパリやローマといった中心都市において、それなりに言葉を駆使できる日本人でも、どこか心なしか居場所が見つけられないと感じる人が多いのではないでしょうか。それに比べスペインは、新大陸を発見し日の沈まない帝国とうたわれた歴史を持つにも関わらず、どこか気負いのない、異邦人ですら居心地の良さを感じるような暖かみがあるように思われるのです。それは南フランスや南イタリアの地にも共通している気がします。 |
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今回はカバ、リオハ、シェリーといった伝統的なスペインワインを取り上げました。これはいわばスペインワインの基礎編とでもいうべきもので、次回はまた場所を変えて、新しいスペインをご紹介します。民族性と国際性、根強い伝統と目の覚めるような新規性を合わせ持つ、もう一つのスペインの顔をご案内できるのではないかと思います。 |
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