呉清源訪問記

 

 呉清源のことを称えた言葉は多い。文才の無い私は、もっとも平凡な言葉で畏敬の気持ちを表現させて頂く。「碁の神様」と。

中国の人達は碁を打つ人は勿論、碁を知らない人でも呉清源の名前はよく知っている。たとえばホテルの従業員のお嬢さん、彼女はもっと平凡な言葉で呉清源にたいする親愛の情を示してくれた。

「呉清源?知っていますよ。あの呉清源でしょう」

そうだ。民族の誇り呉清源を語るとき、一切の形容詞は不要。ただ「あの呉清源」で十分である。

 

1998年8月22日午後一時少し前、約束の時間には早かったのだが、先生は既に、ここ東京信濃町閑静な住宅地にあるマンションの一室に私達を待っていて下さった。そして書き終えたばかりの色紙を、中国語で読みながら更に若干の解説を加えて私に手渡された。

「以棋会友」

本紙の読者に対する何よりの贈り物である。

先生の流暢で雅な北京訛りの中国語の後、今度は少し舌をもつらせた日本語で、

「私は中国語が上手です」と言われたのを聞いたとき、私は思わず笑ってしまった。当たり前のことを当たり前に言うのは、ときには最高のユーモアである。それを真面目くさって言われるのだから、なお可笑しい。先生は天性のユーモリストなのだ。お陰で、これまでの私の緊張もすっとほぐれた。そこで調子に乗って提案した。

「本紙の読者も皆中国語は得意です。如何です、今日のインタビューは中国語でお願いしましょうか」

然しいけない。私の中国語が,やっと街で買い物の交渉ができるくらいである。先生の碁に限らず歴史、経済、文学と多方面にわたる話題にとてもついていけない。やむを得ず、最初の約束通り日本語でお願いすることになった。

以下は、二時間近くを先生が巾広い話題を、中国同胞のために、熱心に語って下さった要約である。私の力不足で上手く翻訳出来なかった部分は、どうぞ皆さんの理解力で補って頂きたい。尚ここであまり触れられなかった過去の輝かしい実績については、別表の呉清源年譜略を参考にして貰いたい。

 

 「今日は囲棋報の読者のために、貴重なお時間をさいて頂き有り難うございます。またお元気な様子を拝見し、お慶びもうしあげます」

 「中国の人と話をする機会は少ないですから、私も楽しみにしていました。お陰で精神は元気です。しかし交通事故(別表参照)の所為でしょうか、足が少し不自由です。長い道は人の肩を借りなくてはいけません。」

 

 「まずお尋ねしたいのは、常昊を始めとする中国の若手の将来性についてですが、先生はどうご覧になりますか。もっと俗なお尋ね方をするなら、彼等は韓国の李昌鎬を追い越せるでしょうか。」

「常昊も李昌鎬も、まだまだこれからも世界の頂点を目指して覇を競うでしょう。それに、いま陳祖徳さんを始め関係者が力を入れている、少年宮や囲碁学校で勉強している子供達も成長して、近い将来この頂点争いに参加して来るはずです。

誰でも、いつまでも勝ち続けることは出来ません。棋士は一生懸命打って、次の世代の人達への模範となることが大切なのです。常昊に限らず、少し年齢は上ですが噤遠、他にも、布貎胡、王切、周鶴洋等等中国の若手も皆有望です。

先日の富士通杯決勝でも、常昊と李昌鎬が良い碁を打っていました。又中韓対抗試合で、王切が李昌鎬にポカで負けたけれど、内容は素晴らしい碁でした。(呉清源絶賛の棋譜は下記参照)

どこの国の人でも、自分の国の選手を応援するのは当然です。しかし、あまり度を越してはいけません。マスコミも囲碁ファンも、一生懸命打った選手を暖かく見守ってあげるのが大切です。」

 

 「中日韓の三国に限らず、碁がもっと世界に広がったらいいですね」

「元々碁は、国際性の高いゲームです。白と黒だけで言葉が分からなくても交流出来る。手談ですね。それに碁は経済的です。碁盤と石があれば良い。紙の碁盤なら、子供の遠足にでも手軽に持って行ける。こんな良い物はない。

パソコンの普及で世界中の人が、家で居ながらに打てるようにもなりました。

碁を国際的に普及していくためには、ルールを合理的に国際化する必要があります。

この碁の持つ国際性に注目して、碁を世界平和に役立てようと、国際的ルールの確立のため私財100億円を投げ打って努力されたのが、昨年亡くなった台湾の応昌期さんです。惜しい方でした。その遺志を継いで、香港の財閥グループの人達が碁をオリンピック種目に加えるための運動を進めています。

彼等は平和に役立つことなら、資金援助を惜しみません。

台湾の問題は確かに難かしい面を含んでいますが、民間次元では目に見えて好転しています。浙江省には台湾資本の碁の学校が出来ていますし、台湾の人の大陸訪問も盛んです。いずれはこの香港の人達が仲立ちして、必ず良い解決策が見出されるでしょう。」

 

「中国人は世界各地にいますから、碁の普及面でも貢献出来るかもしれませんね」

「いま、芮乃伟さん夫婦がアメリカで普及に努めています。しかし残念ながらアメリカの囲碁人口は、あまり多くはありません。 欧州は、いまかなり碁を打つ人がいます。幸い中国とアメリカの関係は年々良くなっていますから、ここで中国が碁の普及に貢献出来る可能性は大いにあります。そうなれば、両国の関係はもっと緊密になるでしょう。

アメリカと言えばマイケルレドモンド八段が急に強くなりましたよ。」

 

「話しは変わりますが、江沢民主席の来日が中止になったのは残念でした。」

「そう。でもこれは災害だから仕方がない。また必ず機会はありますよ。水害を受けられた同胞の皆さんには、紙面を借りて心からお見舞い申し上げます。

中国の改革解放経済も着実に進んでおり、日本との経済的結びつきも益々深まっています。いま中国は、日本のお金より技術が欲しい。

新幹線、電信電話、石油化学技術等これらは皆中国が必要としている物です。これからは沈陽、ハルビン、大連、東北地方ですね。上海等はすっかり欧米化して、日本はすっかり出遅れている。」

 

  「少し碁の技術的なことをお伺いします。先生の《21世紀の碁》を拝見していますと、中央重視といいますか、隅より中が大きい…?」

 「それは少し違います。大事なのは調和、即ち全体的結合です。隅にこだわってもいけないし、中にこだわってもいけない。要するにバランスです。

隅の地は目に見えるけど、中央は漠然として難しいということは言えます。」

 

 「敢えてもう一つお尋ねします。同じような局面で、星の石に掛りっぱなしにする場合と、いけない場合の区別は、何か法則みたいな物はあるのでしょうか。」

 「そのような物はありません。定石とか、法則とかにこだわってもいけないのです。局面の善悪判断は人によっても違いますし、私自身先月の考えが来月変わるかもしれない。いつも研究しています。

 「一般のアマチュアにも、何かお言葉を頂けますか。」

 「アマチュアの人は、あまり勝負にこだわらず楽しみながら打つのが大切です。」

 「でも、先生勝ちたいですよ。」

 「ハハ。勝ちたいのは人情です。でもあまり勝負にこだわって徹夜なんかしないこと。薬だって飲みすぎたら毒です。楽しみながら強くなるのが理想ですよ。」

 「碁は勿論ですが、私は先生の激動の20世紀を平和主義者として歩まれてきた姿勢、なかでも、中日友好の模範となられていることを敬服している者です。」

「私が日本に来た1928年は、中日の関係が既に難しくなっていました。当時の首相、犬飼毅氏の特別な計らいで来日したのですが、その犬飼首相も5.15事件で暗殺されました。

それにしても20世紀は悪すぎました。故周恩来首相が言われたように、中日は不幸な歴史もあったけれど、友好の歴史の方がもっと長い。今は20世紀の垢が残っているけれど、やがて来る21世紀は必ず明るいです。」

「先生とお話していると、将来が明るく思えて楽しくなります。」

「そう。21世紀は碁も世界も明るく発展することを私が保証します。だから皆さんも身体を大切にして頑張りましょう。私も百才まで頑張ります。前途無限光明景です」

「最後に良いお言葉を有り難うございました。どうか先生もお体を大事になさって、百才と言わずいつまでもお元気で、私達をご指導下さい。」

呉清源の話しは、これ以外にも碁の起源から始まって、天文、四書五経と東洋哲学の神髄にまで及んだ。残念ながら紙数と私の理解力の限界で、全てをお伝え出来ないことを読者の皆様にお詫びしたい。

約束の時間も大きく過ぎ、何度も謝意を述べ呉清源宅を辞そうとした先生の横に寄り添うように奥様が並んでおられる。そこには、北京の胡同で見かける老夫婦が、神様でない「あの呉清源」が、慈愛に満ちた眼差しで佇んでいた。

 

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1997年8月26日 富士通杯 中韓対抗戦
黒 王磊  白 李昌鎬 71手以下略 白勝


呉清源講評

白12の掛かりは疑問。37位、二間高掛かりが軽い。

15から37まで一気呵成、厳しい。

黒45、47、49と強打を連発。白が苦しい。

黒53は着手が柔らかい。実は厳し殺気を含んでいる。外柔内剛の好手。

63は劫材つくり。65と追求の手を緩めない。

白70と止む得ず妥協。

黒71と劫を解消しては、明らかに黒優勢である。

本局の布石は、黒が十分に成功している。この碁を負けたのは、惜しかった