友好の石ころ

 
      愛国坊や張さん(左端)は社交家でもあった

  2004年9月18日。薊県〜通州。50キロ。晴れ。

  今日9月18日は、9.18記念日である。1931年9月18日午後10時20分。瀋陽市郊外柳条湖において、関東軍は侵略を開始した。日本で言うところの「満州事変」である。

 中国ではこの日を国の恥の日として、「勿忘国恥」(国の恥を忘れるな)と大事な記念日の一つにしている。

 昨日公衆電話探しに付き合って呉れた張さんと、二人だけになったときだった。オートバイに二人乗りした若者が、私達の掲げる「中日友好」の小旗を指差しながら、「9.18、9.18」と叫びながら通り過ぎた。目元は笑っていたが、それでもはっきりと「9.18を忘れるな!」とアッピールしている。

 張さんに尋ねる。

 「明日は、この中日友好の旗は掲げてもいいのかな?」

 「絶対に駄目だ」

 防衛隊の張さんは、結構愛国坊やである。56才の彼に対して、坊やは適当でないかもしれないが、周りがみな60才以上だから、小柄で陽気で酒好きでお喋りな彼は、坊やみたいに見える。私が彼に捧げた愛称は「白酒領導」(酒飲み大臣)。

 事々に中国の素晴らしさを、私達に誇らしげに語る彼は、中日友好と染め抜いたユニホームを着用するのを好まない。中日友好の三角小旗も「遼寧老年健身自転車隊」の物に変わっている。

 そんな彼だが、こんな一面も持っている。

 豊潤の旅館の入り口でだった。荷物を解いている私達に、中年の婦人が、「何が中日友好だ」と吐き捨てるように言う。対して、張さんが「俺達は民間の友好運動だ。政府は政府で関係ない」と頑張っていた。

 あくる日出発しようとしたら、私の「中日友好」の三角小旗が根元から折れていた。そう思いたくないが、これは明らかに折られたものである。

 

 李さんに尋ねる。

 「明日は、中日友好の旗は掲げないようにしようと思うのだけど」

 「貴方の判断でそうするなら、私は何も言いません。しかし私達はいつもと同じようにします」

 私はわざわざ、9月18日を選って、9.18記念館にいき、靖国問題を中国人と話し合ったこともある。しかし今回、中国人が国の恥の日として、いわば喪に服して半旗を掲げている中を、中日友好の旗をことさらに靡かせて、挑発と誤解を受けるようなことは慎むことにした。

 「靖国問題は基本的に内政問題です」と私の持論を述べる。

 李さん何か言いたそうにしていたが、「今日は政治の話は止めましょう」と私の方からかわすと、彼ほっとしたように、無言で人の良さそうな笑顔を見せた。

 今回は、日中問題を正面から議論するのが目的でない。同じ世代を生きた者同士が、同じ釜の飯を食い、共に行動することそのことが目的である。

  私は庶民同士の本音の交わりが友好の基本だと思っている。また、目の前の一人と仲良くすることが、友好だと思っている。

  

 私が好きな言葉は、周恩来の「日中は不幸な歴史も有ったが、友好の歴史の方が永い」である。

 しかし「ニーハオ」だけでは友好は出来ない。中国人と喧嘩をすることも一度や二度ではない。不愉快になることはもっと多い。そうして前が見えなくなったとき、私はいつも周恩来の言葉を思い起こすことにしている。

 

 今回、(社)日本中国友好協会の後援を頂いた。私の道楽が、多少でも日中友好に寄与できたらと思ったからである。

 北京で打ち上げの宴を開き、それに中日友好協会の関係者の方に出席願いたいと思うのだが、なにさま自転車旅行のこと、具体的な予定が確定しない。やっと見通しがたったので、中日友好協会に直接電話する。 しかし、いきなり私のような馬の骨が電話しても、埒はあかない。

 中日協会「何処の機関に属した運動ですか」

 私   「一民間の運動です」

 中日協会「すみません。いま忙しくて、出席できません」

 9月19日から、中国は中国共産党第16期中央委員会第4回総会が開かれる。多忙なのだ。

 

 4年前私は愛媛日中友好協会に入り、理事の末席を汚している。

 いま協会が直面している課題は、会員の高齢化。それ以上に会員の激減である。

 日本国民の日中友好に対する気持が冷却したのか。

 日本における、中国人犯罪の激増。

 歴史認識に端を発する、政治的摩擦。

 マイナスの要因は確かにある。しかし、一方で人の交流も貿易も確実に増えている。

 日中友好協会に期待されているのは、実際に交流と友好を進めている人達への後押しである。

庶民同士の友好。それは権威とも政治とも無関係。 

 

中国大陸を流れ、中華文明を育んだ黄河も、元は黄土高原から転がった一つの石ころである。それが、溝を作り、沢となり、奔流となり、大河を作った。

愛国坊やの「白酒領導」張さんも、翌日は日中友好のユニホームを纏い、日中友好の小旗を掲げ北京城へ入場した。

石ころは一つ転がった。