『―――神子姫危機一髪?〜花梨〜―――』



貴族の間で一つの噂が流れていた。
幸鷹と泉水、そして東宮の三人が一人の姫を取り合っている、と。
「あの幸鷹殿がその姫君に強請られるというので、琵琶の稽古に励んでいるとか。」
「泉水殿が休暇を取った理由が、その姫君が病気で寝込まれたからお見舞いに行きたい、だったとか。」
「彰紋様はあんなに足繁く通っていた姫君のところには寄り付かなくなったそうですよ。援助だけはしているそうですが。」
お堅い、真面目、遠慮深い、女心に疎い、そんな恋愛事とは無縁だと思われていた二人と東宮の争い、かなり面白い。
「誰がその姫君を勝ち得るでしょうね?」
「そりゃあ、東宮様ではないのですか?将来は帝ですから。」
「そうですね。男皇子を産めば、その子は帝候補になりますしね。」
「いやいやいや。幸鷹殿だって泉水殿だって解りませぬぞ?その姫君は中流貴族の娘だそうですな。そうだとしたら入内したって他の有力な貴族の姫君も入内するでしょう。肩身の狭い後宮での生活は辛いものがありますよ?」
「この二人なら他の愛人との争いは無さそうだって?」
くすくすと笑い合う。
「それよりも。」意味深な笑みを浮かべる。「その姫君とは、一体どのような方なのでしょうね?」
「幸鷹殿が学問ではなく楽器を学ぶのですから、楽の才がおありなのではありませんか?」
「大人しい泉水殿が通うのですから、物静かな優雅な姫君だと思いますが。」
「十人もの姫君を捨てさせるほどですから、美しい姫君なのでしょう。」
「「「・・・・・・・・・。」」」顔を見合わせる。『『『そんな素晴らしい姫君なら、私だって夢中になる。』』』
単なる噂話が一人歩きを始めた。



そんな中。
優秀な人物には一方的に敵視する人間が付き物である。
「私は家柄だって容姿だって欠点は無い。学も楽も才能はある。幸鷹や泉水よりもどこが劣っていると言うのだ?」
自分と言う者を知らない人間がいた。女房達にも仲間内にも人気の無いその男、当然、姫君達にも相手にされない。その反対にいる幸鷹と泉水を妬み、そして恨む。復讐する機会を狙っていた。
「だったら、もたもたしている二人に代わって、私が出し抜いてやろう。」
その素晴らしい姫君を手に入れようと決意を固めたのだった。



女房達が慌しく動き回る夕刻、男は戸締りのしていない妻戸から紛れように忍び入る。そして、廂に置いてある几帳の陰に隠れた。
「さてさて、早く寝てくれよ?」
わくわくドキドキしながら待つ。

「今日は寒いから、一枚多く欲しいな。」
その姫君らしい声が聞こえる。優雅とは言い難いが、気取りが無く、子供っぽく可愛らしい。期待出来る。
「・・・・・・・・・。」
顔がニヤけてしまう。
「では、ごゆっくりお休み下さいませ。」
やっとお側の女房が退出した。
「・・・・・・・・・。」戻って来てしまう可能性もあり、少し様子を見る。『もう少し。後もう少しだけ待とう。』
御簾の中に入ってしまえば見付かっても手遅れでこっちの物だが、だからと言って、邪魔が入れば興醒めだ。ドキドキドキ。
「もうそろそろ良い頃合か。」
几帳の陰から歩み出る。そして、御簾の中に潜り込んだ。

御帳台を覗くと、女が一人眠っていた。頭から布団をすっぽりと被っているから、どんな容姿だかは解らない。折角の機会だから評判の姫君をとっくりと見ようと、布団を剥いで見る。と。
「ん?これが・・・・・・幸鷹や泉水を魅了した姫君か?」
単姿で寝ている女は、長くて黒い事が美人の条件である髪が極端に短く、しかも茶色。顔も特別美人でも可愛くも無くて平凡。その上、身体つきもまだ幼い。これの何処をどうしたら、男を夢中にさせられるのか?
「はぁ・・・・・・・・・。何だ。」
正直、がっかりではある。あるが、折角忍び入ったのだ。このまま帰るのも勿体無い。それに、あの二人の鼻を明かす機会はもう無いかもしれない。
「いや・・・・・・見掛けに騙されてはいけない。」
あの堅物二人と沢山の愛人を囲っている東宮を骨抜きにした女だ。違う所が魅力的なのかもしれない・・・。
「もしかしたら、閨の中では凄いのかもしれない。」
ちょっぴり期待をして、姫君の身体に覆い被さろうとした。
と、その時。
「う〜〜〜ん。」
布団を取られて寒さを覚えた女が、身体を丸めるように片膝を立てて寝返りを打った。
ガンっ!
「うっ!」
その膝が丁度、男の鼻に当たった。しかも、眠っている花梨、手加減など出来る筈がなく、クリティカルヒットの強さで。
「イタタタ・・・。チクショウ!何なんだ、こいつは。」
ポタ。ポタ。ポタ。
鼻血を出し、苛立ちながら懐から手ぬぐいを出して鼻を押さえる。
「ん?」痛みとは違う、違和感。鼻が有り得ない方向を向いている。「・・・・・・・・・鼻が、鼻が、折れた?!」
唖然呆然。頭の中が真っ白になった・・・・・・・・・。



翌朝。
「くしゅんっ!」
「まぁまぁ!花梨様、お風邪を召されたのですか?」
世話をする女房が慌てて近付く。
「うん・・・・・・。御免なさい。折角一枚余計に用意して貰ったのに、夜中、布団を剥いじゃったみたい。寒くて眼が覚めたの。」
「まぁ・・・・・・。」布団を整えようとしたのだが。「あら?血?」
「うん?何?」
「まぁ!月の穢れですか?」
「え?」
「終わったばかりでしたのに、予定が狂ってしまったのですね。兎も角、薬湯をご用意致しますので、お休み下さいませ。」
「薬湯?」
顔を顰める花梨をよそに、慌しく動き回るのだった。


「おい、花梨。風邪だって?大丈夫か?」
八葉、花梨病気との知らせに驚き慌てて見舞いにやって来た。
「大した事は無いよ。くしゃみがたまに出るだけだし。」
「腹を出して寝てたんだろう?」
勝真がからかうように言うと、頼忠が顔を顰めた。
「うっ!」
花梨も顔を顰める。
「おいおい、図星かよ?」
イサトが呆れたように苦笑する。
「寝相だけは自慢出来たのに。」
「蹴っ飛ばしたのか?」
「蹴飛ばしはしていないと思うけど・・・・・・。」言葉を濁す。「起きたら布団が無かった。」
「布団は勝手に歩き回るなんて事、出来ないぜ?」
「今夜から身体に巻いて寝ろ。」
「ひど〜〜〜い!」
「おい。そのような口は慎め。」
一人注意をする者がいるが、周りは気にしない。
「でも、大した事は無いようで良かったですね。」
彰紋が安心したように言う。
「そうですね。」だが、浮かない顔。「でも、元気なんだよ?寝てなきゃいけないなんてつまらないよ。」
「数日ゆっくりお休みなさったら、すぐに治りますよ。」慰めるように泉水が提案した。「お元気になりましたら、皆で出掛けませんか?桜が咲き始めましたから、お花見にでも。」
「桜?行く!絶対に行く!じゃあ今すぐに治すよ!」
「「今すぐには無理だろう!」」
勝真とイサトの声が合わさる。
「えへへ。」
呑気にも、楽しげに笑い合っていた。



数日後、内裏では。
「少将殿。」幸鷹が一人の男に話し掛けた。「夜盗に襲われたそうですね。御怪我の具合はいかがでしょうか?」
鼻を覆う大きな布を心配そうに見つめる。
「まぁその・・・・・・。」
「武官である貴方を怪我させるとは、余程腕の立つ男なのですね。」
「いや、不意打ちを食らったので・・・・・・・・・。」
「取り締まりの方を強化したいので、詳しくお話下さいませんか?」
「あぁ・・・・・いや、取り締まり、ですか。」
しどろもどろ。
「場所はどこでしょうか?」
「えっと・・・羅城門近くの・・・・・・。」
「盗賊の特徴は?」
「その・・・ひげ面で・・・・・・髪はボサボサで・・・・・・。」
「人数は何人でしたか?一人でしたか?二人?それとももっと?」
「それは・・・・・・。」
「少将殿?どうなさったのです?」
「あぁ。」びくっ。「大した事は無いので、取り締まりをするほどでは・・・・・・・・・。」
訝しげに見つめられて、冷や汗を流す男がいたそうな。






注意・・・京ED、初春頃。八葉→花梨でも、特定の相手は決まっていない。
            東宮様、完全に誤解されていますね。

危険な目に合ったのに、本人、気付いていません。ある意味、大物です。

2005/09/15 17:29:39 BY銀竜草