『―――癒し水―――』



「神子様はお身体の具合が宜しくないようなので、今日の散策はお休み致します。」


その女房の言葉に顔色を変えた八人の男達が、紫姫の元に殺到した。
「何の病気ですか?」
「何時から具合が悪くなったのか?」
「神子殿の体調はどうなのです?」
「薬師は呼んだのですか?」
「どのようなご様子なのですか?」
「ご病気と言う訳ではありませんが、ただ、お疲れのご様子ですので、私からお願いをしたのです。」喚く男どもに紫姫は静かな微笑みで答えた。「今日は雪が降っておりますし少し寒いですから、お風邪を召してしまう前に。」
「何だ。病気じゃ無いのか。良かったぁ・・・・・・。」
ほっと安堵のため息を洩らした八人、挨拶に伺おうと立ち上がったが。
「申し訳ありませんが、ご遠慮して頂けませんか?」
「うん?病気じゃないんだろう?顔を見るぐらい、良いじゃないか?」
イサトが文句を言うが、紫姫はきっぱりと拒絶した。
「いえ、神子様は姫君であらせられます。殿方がお傍にいらしては、休もうにも休む事は出来ません。これから益々お役目が大変になられるのです。折角ですから、とことん、寛いで頂きたいのです。」
「「「「「「「「・・・・・・・・・・・・。」」」」」」」」
花梨の傍に居たいという望みは、八人が抱いている。散策の供になろうと、毎朝早くから誘いに来ていたのだ。そして、少しでも長くという願いは、夜遅くまで引っ張り回していた。――――――あんな華奢な女の子だ、疲れるのは当然か。
「今日を含めて三日ほど、ご協力お願い致します。」
「「「「「「「「・・・・・・・・・・・・。」」」」」」」」
紫姫に頭を下げられては反論出来ず、すごすごと退散するしかない。


八人、無言で歩いていたが、
「花梨、退屈しているかな?」
ぽつりと呟いたイサトの独り言。
「「「「「「「ん?」」」」」」」
七人の耳にしっかりと届いた。そしてその言葉から頭の中に浮かぶ光景は―――。
『ご病気ではないのでしたら・・・・・・。』
『ただ室の中に居るのは辛いかも。』
『一人きりで居たりしたら―――。』
『・・・・・・・・・。』
紫姫のお願いで無理矢理隔離されているのなら―――あの花梨の事だ、暇を持て余しているだろう。
「「「「「「「「・・・・・・・・・・・・。」」」」」」」」
ちらちらとお互いの顔を盗み見。そして、そわそわとした態度で散らばって行った。


帰る道すがら、それぞれ考える。
八人が同じ一人の少女に想いを寄せてはいるが、肝心の少女は全員に対して公平な態度で接している。恐らく、特別な想いを抱いている相手はいないだろう。この三日間、誰一人として逢える者はいない。だったら、この間に気の利いた贈り物でもして、疲れた心の隙間に入り込む事は出来ないだろうか?他の者達よりも一歩、近付く事は。

泰継。「疲れているのなら、薬湯が一番だ。」
幸鷹。「体調を気遣うこの気持ちが一番伝わるのは、やはり文でしょう。」
泉水。「甘い物がお好きだとおっしゃっていましたっけ。」
勝真。「退屈しているなら、遊び道具だろう。」
彰紋。「良い香りがすると、華やかな気分になれます。」
翡翠。「姫君という者は、綺麗に着飾るのがお好きだよ。」
イサト。「何だかんだ言っても、あいつは花が好きなんだよな。」
そして・・・頼忠。
お疲れならば、この自分だって他の者達のように何かをお贈りしたい。だが。「気分転換になる物・・・・・・心を癒す事の出来る物・・・・・・お、思い付かん!」悩んでいた。「神子殿のお好きな物とは一体何だ?」


「神子様。」八人が帰った後、紫姫が花梨の元を訪れた。「具合はいかがですか?」
「紫姫・・・・・・。」もそもそと褥から起き上がろうとするが。「駄目だ、動くと痛い。」顔を顰めて、再び身体を倒した。月に一度の、女の子として生まれた事を恨む日。「痛いし気分悪いけど、病気じゃないから大丈夫。」
「疲れが溜まっているので、今日の散策はお休み致しますとお伝え致しましたから、ゆっくり休んで下さいませ。」心配そうに花梨を見つめる。「それから、八葉の方々にはご挨拶もご遠慮して頂きましたわ。」
「ありがとう!」ほっと安堵のため息を洩らす。八葉の仲間とは言え、彼らは男だ。こんな時には傍に居て欲しくない。説明なんて出来ないし、理解も出来やしないだろうから。何より、自分が女の子だという強い印象を与えるのは恥ずかしい。
「御免ね、我が儘言っちゃって。こんなに辛いのは久し振り。」
自分の世界なら、鎮痛剤を飲んで一時間ほど寝ていればすぐに楽になれるのに。痛みを和らげる薬湯の効果は、苦い割にはイマイチよく解らない。
「最近、ご無理をなさっておいででしたから、疲れが溜まっていたのでしょう。」
「無理をしたつもりは無いんだけど・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
泣きそうな紫姫に、慌てて言葉を付け足す。
「でも折角だから、ゆっくり過ごさせて貰うよ。」
「はい、そうして下さいませ。」
「でも、紫姫も休んで?これからもっと紫姫の助けが必要になるんだから、紫姫も疲れを取っておかなきゃ。」
「でも・・・・・・。」
「私が元気になっても、紫姫が倒れちゃったら、困るのは私。私の為に、ね?」
「・・・・・・・・・。では、お言葉に甘えて、少し休ませて頂きますね。」
「うん、そうして。」
「ありがとう御座います。では、失礼致します。」

「・・・・・・・・・痛い。」一人になった花梨、苦痛で顔を歪めると身体を丸めて目を瞑った。



うとうとと浅い眠りに落ち、そして痛みで目を覚ます――――――何度繰り返した事だろう?
ふと御簾の外を見れば、雪はまだ降り続いている。この分だと、大分積もっただろう。
「休んで正解だったな。」
雪の中、歩くのは辛い。転んで雪まみれになるのは避けたい。
もう少し眠ろうと眼を瞑ったが。

「神子様?」女房の控え目な声が聴こえる。「八葉の方々からお届け物がありますが。」

泰継からは薬湯が。――――――これ以上、苦い薬湯は勘弁して。
幸鷹からは文が。――――――この世界の文字は読めないし、それどころでは無い。
泉水からは芋粥が。――――――絶対に喉を通らない。
勝真からは双六が。――――――こちらの遊び方は違うし、考える余裕は無い。
彰紋からはお香が。――――――余計に気持ち悪くなりそう。
翡翠からは美しい柄の袿が。――――――血で汚れたら勿体無い。
イサトからは山茶花の花が。――――――愛でる気分ではない。

次々と断わっていたが。

「頼忠殿からは、野宮の霊水が届いておりますが。」

「水?」言われて初めて、気付いた。ずっと寝ていたから喉が渇いている。固形物はまだ食べられないけど、水は欲しい。「飲むっ!」

こくん。
竹筒に口を付けて、一口飲んでみると。
「美味しい・・・・・・。」
冷たい水が、身体中に染み込んで行くようだ。身体が潤うだけでなく、苛立っていた心まで癒していく・・・・・・・・・。
こくん。こくん。こくん。
「うわぁ、一気飲みしちゃった。」野宮の霊水には気分を落ち着かせるという効能があるとか何とか言っていたっけ。でも。「痛みには効かないんだよなぁ・・・・・・。」
恨めし気に竹筒を睨んでいたが。
「・・・・・・ん?ラクになった?」未だに鈍い痛みと腰のダルさはあるけれど、それでも、のた打ち回るほどでは無い。時間が経っているからかもしれないけど・・・でも・・・・・・・・・。「霊水のお蔭だったりして。」
竹筒に向かってにっこり微笑んだ。



夜。
頼忠は神子の室の前でため息を付いていた。
他の者達は、何やら楽しげなる物を持って屋敷を訪れていた。だが、己はありがたい効能のある霊水とは言え、ただの水。本当に無骨で気が利かない・・・・・・・・・。
「・・・・・・はぁ。」
何度目かのため息を吐いた時。
カタリ。
妻戸が開いて、花梨が出て来た。
「頼忠さん!」
「神子殿!?」
「ちょっとお願いがあるんだけど。良い?」お説教される前に、用事があるのだと伝える。
「お願い?」何時もよりもゆっくり近付いて来る少女に少しばかり違和感を覚えるが、兎に角、先ずは話をお聴きしよう。「何で御座いましょうか?」
「霊水、ありがとう御座いました。すっごく美味しかったです。」
「それは良う御座いました。」わざわざお礼の言葉を言う為に外に出て来られたのには驚きだが、お心に沿う贈り物が出来た事が兎にも角にも嬉しい。
「あのね、もの凄〜く大変なのは解ってはいるんだけど。」野宮は遠い。それは解ってはいるのだけど。「でもね、明日も飲みたいの。だから――――――。」ボソボソ。
「畏まりました。頂いて参りましょう。」
「良いの?」
申し訳なさそうな表情が、ぱっと笑顔に変わった。―――この笑顔が見られるのなら。貴女が欲しいとおっしゃるのなら。喜んで下さるのなら。―――どんな望みでも叶えます。
「はい。神子殿がそうお望みであれば。」
「ありがとう!」
そう言って一歩近付いたが、簀子の端は雪で濡れていた。
―――ズル。
「わっ!」
「神子殿っ!」
どさっ。
倒れる前に、頼忠は花梨を抱き止めた。
「神子殿?お怪我はありませんか?」
そう言って、少女を立たせようとしたが。
「動かないでっ!」叫んだ。「ちょっと待って。」
「神子殿?」顔を覗けば、苦しそうに歪んでいる。「どこかお怪我を―――。」
「違う、そうじゃない。そうじゃないけど・・・・・・。」これは男には説明出来ない。急に動いたから、痛みがぶり返したとは。「怪我はしていないけど・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
何がなんだか解らないが、でも、抱き締めたまま動かないで居ると、少しずつ表情が和らいでいく。
「・・・・・・・・・もう少しこのままで居て。」動かなければ、痛みは和らいでくれる。そして、温めると、更にラクになる。『寒い外に居るのに、頼忠さんの身体って温かい・・・・・・。』ちょうど腕が腰に回されていて、うっとりと熱を感じていた。
『・・・・・・・・・。』花梨と同じく、頼忠もうっとりしていた。理由は何であれ。『神子殿を抱き締められる日が来ようとは!』
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
しばらくそのまま抱き合っていたが。
ばさっ!
後ろのほうで木の枝に降り積もった雪が、落ちた。
その音で、花梨は我に返った。
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
頼忠を見上げた。あまりにも近くにある、顔。それで今、二人の状態がどうなっているのか―――気付いた。
「・・・・・・・・・・・・。」完全にしがみ付いている。男に。・・・・・・頼忠さんに。「うわっ!」
叫び声をあげて、身体を引き剥がす。そして、何も言わずに自分の部屋にばたばたと逃げ帰った。
「・・・・・・・・・・・・。」いきなり叫んで逃げて行く少女を呆然と見送る。腕の中から消え去った柔らかな身体を残念に思いながら。だが。『真っ赤になられて、なんて可愛らしいのだろう!』

その後一晩中、頼忠は頬を緩めて警護をしていた。



『うわぁ・・・ぎもぢわるい・・・・・・・・・。』折角落ち着いたのに急激に走ったから、再び痛みがぶり返してしまった。『いだいよぉ・・・・・・。』半分涙目だが。『今は痛みに集中しろ。余計な事は考えちゃ駄目。』自分に言い聞かせる。
だけれども。
「抱き止めてくれたのに、助けてくれたのに、お礼も言わずに逃げて来ちゃった。失礼な事をしちゃった。」
そんな事を考えてしまえば。
「しがみ付いちゃった・・・・・・。」
―――温かかったな―――
―――身体、大きい―――
―――力強い―――
―――優しかったな―――
どうしても、そっちの方向に思考は進んでしまう。そして。
―――男性に、頼忠さんに、抱き締められるのって気持ち良いんだ―――
安心するって言うか・・・嬉しいって言うか・・・・・・幸せなれるって言うか・・・・・・・・・。
初めての経験に、胸の動悸は止まらない。
「うわぁ・・・・・・。」恥ずかしさと悦びで、心が沸き立ってしまう。「うわぁ・・・・・・・・・。」

昼間とは違う意味でのた打ち回り、眠れない花梨であった――――――。



三日後。
「お、おはようございます・・・・・・。」
「おはよう御座います。」
頬を紅くして、はにかみながら一人の男に話し掛ける少女。見た事の無い、甘く優しい微笑みで答える男。―――その二人の突然の変化に、大きな衝撃を受けて倒れた男が七人も居たそうな。






注意・・・花梨ちゃんの体調不良の原因は『月のモノ』です。

これは、『月のモノ』で苦しむ自分を癒す為の話です。
銀竜草って、痛みでのた打ち回りながら、ナニを考えているのでしょう?

2005/07/07 03:31:31 BY銀竜草