ボツ・逢瀬



「鬼火ですって?」
四条の屋敷、一つの室で女房達がおしゃべりに興じていた。
「えぇ。あそこは誰も住んでいない廃屋ですのに、明かりが灯っているのを見たのよ。」
「まぁ、怖い。」
「恐ろしい・・・。」
「見間違いじゃないの?あなた、そそっかしいから。」
みんなが怖がる中、一人の女房は全く本気にせずに言った。
「あら。私の友人も見たと言っていたわ。」怖がっていた一人が言った。「闇夜の中、屋敷の中でゆらゆらと火が揺れていたって。何時も冷静沈着な人だから勘違いしたとは思えないわ。」
「まぁ。」
「家が落ちぶれてしまって男が通わなくなって一人淋しく亡くなった姫君の噂、聞いた事あるでしょう?そのお屋敷よ。」
「じゃあ、その姫君が怨霊に?」
「怨霊?」
たまたまそこ近くを通り掛かった花梨は耳聡く聞きつけ、室を覗いた。
「神子様。」
「どこに怨霊が出たの?」
女房達に詳しい話を訊いた。



花梨は早速屋敷にいた頼忠を無理矢理引っ張って怨霊が出るとの噂のある廃屋へとやって来た。
「このお屋敷か。随分と荒れているんだね。」
「そうですね。しかし他の者も一緒の方が良かったのではありませんか?」
頼忠一人でも神子を守る覚悟は出来ている。その自信もある。だが、他にも八葉がいた方がより安全だ。
「その鬼火が出るのは夜だけだって言っていたから大丈夫ですよ。後でみんなと来るにしても、中の様子が分かっていた方が動き易いし。」
頼忠と一緒ならば怖くは無い。それこそ虫一匹からでも守ってくれるのは分かっているのだから。
「それはそうですが・・・。」
「庭は・・・何も異変は無さそうですね。」
「そのようですね。」
「じゃあ、中に入ってみましょう。」
ずかずかと足を踏み入れた。


中は見た目以上に荒れていた。
「うわぁぁぁ、床、腐っていますね。踏み抜かないように気を付けなきゃ。」
雨漏りするらしく、天井や柱には水が流れた痕が黒っぽい染みとなって、床の一部分はふかふかと柔らかくなっている。走ったらその人間の体重と振動で踏み抜いて落っこちてしまいそうだ。
「神子殿、こちらへ。」腕を伸ばして近くに来るように手を添えた。「こちらならば大丈夫のようです。」
「ありがとう御座います。」
簀子を移動し、壊れた妻戸から中に入る。廂を移動し、室の一つ一つの状態を確かめる。
「特に変わった様子は無いようです。」
「そうですね。夜に来なきゃ駄目なのかな?」
渡殿を通り抜け、他の対屋へと行く。
「ん?ここは割と綺麗ですね。雨漏りはしていないみたい。」
母屋に入った花梨はキョロキョロと見回し、明るい調子で言った。しかし後から入った頼忠は違和感があり、眉を顰めた。
屋敷の中はどこも埃が厚く積もっている。しかしこの室の入り口付近と中の一部分、埃が積もっていない場所がある。人の出入りがあった証拠だ。
「神子殿、少々ここでお待ち下さい。」
埃が無い場所を伝って奥へと行くと、そこには几帳やら屏風が立て掛けてあった。覗き込む。
「頼忠さん、どうかしましたか?」
「ここにいるのは怨霊ではなく人ですね。」
「人?」
「はい。燈台に最近油を燃やした形跡があります。その明かりを鬼火と見間違えたのでしょう。」
怨霊よりも怖いのは盗賊などの犯罪者だ。検非違使別当である幸鷹に報告した方が良いかと考えていると、花梨が側に寄って来た。
「じゃあ、怨霊はいないんですね。良かった。」
そう言って覗き込んだ。
几帳や屏風で仕切られた中には枕、脇息、燈台、二階棚がある。そして二階棚の上には香炉、鏡、火打石、油の入った壷が置いてある。几帳の一つには、何枚かの袿まで掛けられてあり、寝泊りするだけなら充分可能だ。
「ここに住んでいるのかな?まさかねぇ。」
こんな怨霊が出てもおかしくは無い不気味な廃屋に住む人間など居やし無いだろう。そう頼忠に問うたのだが。

スタスタスタ。

どこからか足音が聞こえる。それはこの室に向かっているようで、段々足音が大きくなってくる。
ここは室の中でも一番奥、その者が辿り着くまでに外には出られない。頼忠は咄嗟に花梨を抱えるようにして仕切りの外、屏風の裏へと移動した。そしてそのまま座り込む。
「よ、頼忠さん?」
『シッ!お静かに。』

二人が息を顰めたのと同時に、誰かがこの室へと入って来た。
ダンッダンッダンッ。
「くそっ!」
バシバシッ。
足音も口調も乱暴だが、扇を打ち鳴らす音が聞こえ、そして品の良い香の匂いが漂ってきた。貴族、それも上級貴族のようだ。
しかし、貴族だからといって犯罪者と関わりが無いとも言い切れない。頼忠は少女を更に引き寄せるとそのまま様子を窺う。
と。
タタタタタ。
遠くから走る音が聞こえ、そのまま誰かが室に飛び込んで来た。
「行則様!」
「讃岐殿、どうしたと言うのだ!?」

『女?相手は女か。』

「大変な事になりました。貴方様の文が拾われ、姫様の元に届けられてしまったのです」
「何だと?文使いが落としたあの文をか?」
「はい。あの者は屋敷内で落としたのです。拾った者は行則様の筆跡をご存じだったので、恋文ならば妻である姫様宛だろうと。」
「何て事だ。くそっ!」
「愛人が屋敷内にいると知られてしまいました。それはそれはお怒りで・・・・・・。」

『ここで逢い引きしていたのか。』
なんともマヌケな結末。しかしここで出る訳にもいかず、頼忠は二人が出て行くまで待とうと決めた。この屏風の裏を覗かない事を祈りつつ。

「讃岐殿。この機会に私の屋敷に来なさい。」
「無理だというのは行則様が一番良くご存知で御座いましょう。」
強い口調の男を諭すように静かに言った。

『もうしばらくのご辛抱を。』
腕の中の少女の耳元で囁いた。
『っ!―――。』
びくっと反応して顔を上げたが、頼忠の瞳と合った途端、花梨は再び顔を逸らした。

「しかしあいつは意地が悪く、残酷だ。お前は酷い目に遭わせられるぞ。」
「私がいなくなれば兄上達が無事では済みません。」淋しそうに笑った。「所詮、私達は身分が違うのです。このままお別れを―――。」
「嫌だ!私はそなたを諦める事など出来ぬ。」
「あっ!」
男は女を強引に抱き締め、女の唇から小さな悲鳴が零れた。

『神子殿?』
昼間だが、室の奥までは陽の光はほとんど届かない。眼を凝らすようにじっと見つめる。
『・・・・・・・・・。』
微かに見える頬がほんのりと紅く染まっている。少女に意識すると、胸がドキンドキンと早鐘を打っているのに気付いた。

「行則様、嬉しいですわ・・・・・・。でも―――。」
「黙れ。」
そう言うと、女の口を塞いだ。
「ん・・・・・・んぅん・・・・・・・・・。」
「讃岐・・・・・・。」

『・・・・・・・・・。』
眼には綺麗な桜色に染まった頬が見え、耳からは逢い引きしている二人の情熱的に接吻する音が聞こえる。胸には少女の鼓動が伝わって来る。

「んぅ・・・・・・っ!」
抱き合う事によって立つ衣擦れの音と、息継ぎするの合い間に喘ぐ声が室内に響く。

『神子殿・・・・・・・・・。』
頭を少し下げ、少女の顎に手を添えると頼忠の方を向かせる。瞳が合わさる。
『あ、あの、頼忠さん・・・・・・?』
動揺し、瞳が揺らめいている。
『愛らしい・・・・・・。』
どこまでも可憐な少女。愛しく想う心のまま、自然に動いた。
顎に添えていた手を少女の後頭部に移動させ、そのまま引き寄せた。
『え・・・・・・・・・?』
突然唇が重ねられ、眼を見開いた。小さな声が唇から零れ落ちたが、開いた拍子に頼忠の舌が差し込まれた。

「行則様・・・・・・。」
「讃岐殿、お願いです。お別れなどそんな残酷な言葉はおっしゃるな。私にはそなたしかおらぬ。そなた以外の女はいらぬのだ・・・・・・っ!」
お互いに泣きつつ、男は想いを言葉に繰り返す。

『んっく・・・・・・・・・。』
抵抗しないのが嬉しくて。微かに震えているのが可愛くて。頼忠は夢中で貪り続ける。

ぱたり。
頼忠の二の腕付近の袖を掴んでいた花梨の手が落ちた。
「はっ!」
その瞬間、頼忠は我に返った。腕の中の少女を見つめる。
と。
「ぅ・・・・・・・・・・・・。」
瞳から、大きな滴がぽたりと流れ落ちた。
「み、神子殿。」
血の気が引いていく。己は一体何をしたのだ?神聖なる神子に、主に対して無礼を働いたのだ。許されぬ振る舞いを。
身体を離そうとしたが、花梨の瞳からは止まる事無く涙が流れ落ち、抱き締めたい衝動に駆られた。
『何をする?お前を厭うている方に何をしようとしているのだ?』
躊躇ったその隙を狙ったのではないが、花梨が動きの止まった頼忠の首に腕を伸ばして抱き付いた。
「ふ、ふぇ〜〜〜ん!」
「神子、神子殿?」
「ぅわぁ〜〜〜ん!あぁ〜〜〜ん!」
「あ・・・・・・。」
激しく泣いているが、頼忠に抱き付いているのだから厭うたのが理由では無いようだ。
「ひっく・・・んっく・・・・・・・・・。」
「神子殿・・・。」
ただ愛しさだけが溢れる。この方をお守りしたい、守り抜きたいと心から思う。
――――――私が、頼忠が貴女をお守り致します。どんな事があっても、必ず。この頼忠の生命に代えてもお守り致します。――――――
優しく抱き締めると、後頭部から背中を優しく撫で続けていた。



逢い引きしていた恋人同士がどんな結論に辿り着いたのか、何時帰ったのか、頼忠も花梨も全く知らない。






注意・・・これは未完成&ボツ。

男装の麗人に変える前に書いた物なので、花梨ちゃんは花梨のままです。
接吻の“音・声”に刺激されて花梨ちゃんにしたのだから、こっちの“音・声”が逢い引きしている二人に聞こえない筈が無いのです。
つー事で、これはボツとなりました。

この矛盾を無くす事が出来れば全く別の作品で使うかもしれませんが、今のところ思い付かないので、参考としてここにUP。

2008/01/19 23:59:51 BY銀竜草


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