【無】と【空】と                                          戻る                              

 「寒いときには寒さに徹し、暑いときには暑さに徹する」・・・洞山      これ「無」である。

 「狗子に還って仏性有りや、無しや」と問う。趙州和尚云く「無」という。又、別の僧が問う答えに
 「有」という。・・・そんなことにとらわれるなと云っている。

 「仏に逢うては仏を殺し、祖の逢うては祖を殺し」・・・臨済義玄和尚(臨済録)
 釈迦を超え達磨を超えという。自分が仏。・・・これ「無」になって一体になれの意。

 「戒定慧とはいかなるものか」と僧聞く「私にはそんな役に立たないものはない」・・・薬山和尚
 これ解ろうとすると悩みが増えるばかりじゃ・・と云う
 言葉や形にとらわれない境地「無」の世界がある。

 良寛の嫌いなもの「詩人の詩、書家の書、料理人の料理」・・・これ心をうたないから。という

 「世の中は食うて稼いで寝て起きて、さてその後は死ぬばかりぞ」・・・一休和尚
 これ、生きているうちから「無」の境地か。

 「葬式をしようが、法事をしようが死者にとって関係のないこと、供養にもならない、それは世間体
 という虚飾にすぎない」・・・沢庵和尚     凡夫これをなんと考える。

 泳ぎを習おうとしていくら教本を読んでも泳げない。「教外別伝」「蓮華微笑」「不立文字」
 坐禅もしてみなければ真髄はわからない。

 「無」の世界もそれが何だとみずから問いかけることからはじまる。


 「空」は現象はあるが実体はない。という
 空は一切の実体に執着しないことを説く。空を説くことさえ執着とする。凡夫ますます解らなくなる。

 「色即是空、空即是空」の般若心経のことばでは、すべての存在を「空」と捉え執着するなと説く。

 もう一つの「空」・・存在するものは、独立して存在するのではなく他のいろいろな存在と相関関係に
 あるという考え方である。これを「縁起(因縁)」と論する。

 「無常」という仏教語、瀬戸内寂聴がよくこのことばを解説している。
 この世の事物や現象はすべて移り変わり、同じ状態では留まってはいない。たえず変化するものである。

 生老病死も避けることのできない現実となる。ここに「諸行無常」がある。無常観を悟る。
 これ、釈迦(仏教)の教えである。それを知るために我々は修行を必要とする。

 「無我」ということばがある。これ、我執をなくせということば。
 無常の事実をあるがままに受け入れる。の教えである。これ、煩悩と我執のかたまりである凡夫にとって
 たいへん難しいことである。

 「無明」・・・真実を知らず、無知ということば。無常や無我などの物事の真実を知らない、解らないこと。
 知識ではなく智慧を働かせることが大切という。

 人間、いつ死が訪れるかわからない。無常である。
 これ、今が大切と説く。


                                                (了)