▼夢。夢が終わる日。今…。永かった夢が終わりを告げる…。▼戻る
▼駄文。 (2004.02.22) 1) 久しぶりに何の目的もなく生協書店フロアを散策。語学コーナーに、「もえたん」が平積みになっているのを発見。しかも、その隣には「恋する英単語(恋たん)」までありました。本来置かれるべきコーナーに置かれるとどうも違和感を感じてしまうものであることがあらためてわかる光景です。一割引で購入できますので、まだ手になさってないかたは是非どうぞ。 …読書力マラソンの書評でも書いてみますか。 2) 研究関連のものでちらかっている部屋の整理を試みる。とりあえず、論文のコピー類はすべて封筒に入れて収納。本類は必要頻度に応じて、当面使いそうもないものを書庫に移動。所蔵場所などについてはパソコン上のデータベースで管理…、なんてことをやってみたものの、物理的な収容限界を変えることはできないので、やはり何かを捨てていくしかないようです。流石に論文を一枚一枚スキャナで読み込むのもなんですし、図書館で入手可能なものは全て捨てるしかないのか。 …こういう時に、PDF版の論文って便利。 3) サイト引越しについて。 期限は間近なのですが、さっぱり決まっていません。 …困った。 4) 確定申告について。 仕事先が多いので源泉徴収票もそれなりに送られてきます。つーか一年間の稼ぎはどこへ消えているのか?貯金額と収入額との差額がありすぎです。 …あー、来年は質素に生きよう…。 5) そろそろ再スタートしたいです。色々な意味で。 |
▼授業時間×2=授業時間外学習時間。 (2004.02.05) 大学設置基準という省令があります。ここには大学の組織云々の内容はもちろん、我々にとって生死をわけなくもないけど、重要な単位に関する決まりごとが明記されています。 // (単位) // 「一単位の授業科目を四十五時間の学修を必要とする内容」と定めており、「講義及び演習については、十五時間から三十時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもつて一単位とする」とあるので、授業時間外の学習時間が前提となっていることがわかります。(1コマ90分は2時間に換算されることが多いようです。) 4単位科目であれば、45時間×4単位=180時間の学修を必要とする内容を教授することになりますが、実際の授業時間数はフルに授業を行ったとしてもMAXで、1.5時間×15回×2期=45時間。1/4にしかなりません。1コマを2時間換算したとしても、計60時間で、1/3です。つまりどう見積もっても、1時間の授業につき週2時間の授業外学習が求められている計算になります。1コマ(1科目)につき毎週4時間です。もちろん実際はそれ以上に休講があったりするので、更に授業外学習時間は多くなります。 これは一大事です。私なんか25コマ履修していたので、毎週4時間×25科目=100時間も授業時間外学習をしなくてはいけませんでした。一週間の総時間は24時間×7日=168時間です。時空魔法か加速装置でも使わない限り全てをこなすのは無理です。 この大学設置基準なんかを遵守すると、普通の科目であれば、前期後期あわせて30回の授業を全てこなさないといけないようです…実際はその2/3程度ってところですけど。その他にも「授業を行う学生数」なんてものも経済学部とかの大教室で行われている科目をみれば、どうでもいいような気もしなくもありません。 ちなみに、こんなことも定められていました。 (履修科目の登録の上限) …。私は優秀だから92単位(4単位は落としたけど)でもオッケーさ!って開き直ることにします。成績証明書さえ奪われなければ私の勝ちです。安易な履修申告、容易な単位修得なんて批判もあるかと思いますが、単位は難なく修得しています。これが現実です。 「単位制度の本来の趣旨にもかかわらず、学生の授業科目の履修については、講義等において必ずしも準備学習が要求されない、授業への出席状況が確認されない、学期末の試験結果のみで単位認定が行われるなどの理由から、学生が過剰な履修科目登録をし安易に単位を修得するという現象が生じ、その結果十分な学習を行わないまま3年で124単位近くを修得してしまう」 なんて指摘が大学審議会でありましたが、学生責める前にお前らの授業をなんとかせい!と言われてまともに反論できる教員が何人いらっしゃるのでしょうか。少なくとも、前にも書いたように単に評価を厳しくしたり、出席を強制するだけで解決しようなんて教員ではお話になりません。少しでもまともな授業が多くなるように教員たちの自主的な改善を期待したいものです。そういう意味でも学生による授業評価って結構大切だと思うんですよね。 …授業時間の倍の授業時間外学習が要求されていることに驚き。 |
▼教育力の不足。 (2004.02.03) 試験期間中&採点期間中ということで、成績評定のこと。 私は、履修者全員が良い出来であれば全員に「A」をつけても構わないと思っていますし、そうすべきだと思います。相対評価にしたり、○割落とすと宣言することに何の意味があるんでしょうか。 初回授業で、半分(某氏は7割とか言ってたなそういえば)落とすなんて宣言する授業があったりしましたが、学生の出来を見る前から半分落とすなんてよくまあ言えたもんです。わからない人にわかるように教えることこそが授業ですが、それを怠るための方便であるとしか言いようがありません。そんなこと言う人、教育者として失格です。 また、仮に試験をやってみて出来が悪かったとしても、勉強しない学生が悪い、なんて速断しないで、自分の授業内容や試験問題を再確認してみることをまず最初にすべきです。授業自体が下手くそであったり、学生にわからせようという気持ちのない授業をしている場合も往々にしてあります。実際に授業を受けてきて、日本語から勉強しなおした方がいいような教員とか、授業自体にまとまりのない教員も結構いました(例えば、「教育実習」なら間違いなく「不可」がつく授業案と教壇実習態度)。学生の不勉強が全ての原因というわけでもなく、教員自身の教育能力に欠陥があるパターンも思いのほかたくさんありそうです。 お心当たりのある教員様は、下のサイトでも春休み中に読み直して授業案づくりから再勉強して欲しいものです。 参考: 成長するティップス先生 成績評語に関する質問制度がある学部もあります。納得いかない評語がついたら、納得のいくよう説明を求めていくことも、教員自身の質の改善にも繋がりますし、自分の成績ももしかしたら上がるかもしれないので、やってみて損はないと思います。とりあえず、教員には説明責任はありますから、きちんと応じてくれるはずです。 …ちなみに「A」をつけすぎるな、と学事からクレームが来るなんて話はデマです。学事を通して、ならありえますが。 |
▼暫定。 (2004.02.01) 二ヶ月ぶりです。 ようやく一仕事終えることができました。毎度のことですが、今回もかなりの綱渡り状態でした。年末位に進行具合と照らし合わせてみて、どうしても満足できるクオリティのものを期限内に仕上がることができそうもないことが判明し、延期も考えたのですが、実力が変わらないのに時間だけのばしてもいいものはできないだろうと判断し、とりあえず完成させてみました。どんな言い訳を並べても、これが今の自分にできる最高の仕事であることは事実です。希望的観測でよりよいものができるのではないか、と思っても結果が全てです。どのような評価を受けても、それらは全て甘んじて受けます。…評価すらされない可能性もありますが。 まあ、何のことだかわかりませんよね。スミマセン。 …ぼちぼち前のペースに戻していきたいです。色々ネタは溜まっていますし。あと、いい加減次のサーバスペースを探さないと年度末でこのページ公開停止になっちゃうし。 |
▼最後は…どうか、幸せな記憶を。 ▼戻る